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第15話 後編 満月まで、あと十日

 訓練が日課となり、私が気絶しなくなったある夜——ミアが、ぽつりと、自分の本心を口にした。


---


 ある夜、訓練を終えて帰り道に、ミアが隣に来た。


「お姉さま」


「なに」


「……痛い、ですか?」


「訓練中は。でも今は大丈夫ですわ」


「……ごめんなさい」


 私は足を止めた。


「何が、ですの?」


「ミアのために、痛い目に遭ってる」


「それは訓練だからですわ」


「でも、ミアのために」


 ミアが下を向いた。


「……羽化した時、ミアがお姉さまをお傷つけするかもしれない、ですの。それが怖い……」


「怖くていいですわ。でも、私は逃げませんわ」


「……なんで、ですの?」


 (俺は逃げない。妹を置いて、逃げる漢がどこにいる)


 心の中で、そう言ったが、声に出すのは、別の言い方だ。


「……漢は妹のためなら何度でも立つ——いえ、漢、ではなく、姉は妹のためなら何度でも立ち向かいますわ。それだけですわ」


 ミアが顔を上げて、その目が、少し揺れていた。


「……本当に、そう思ってる、ですの?」


「本当に思っておりますわ。ミア、ひとつだけ約束しますわ」


「なん、ですの?」


「ミアが暴走しても、わたくしは怖くない。なぜなら、ミアは戻ってくるから。それがミアだから」


「……戻ってくる、ですの?」


「戻ってくる。確信があります」


 ミアがしばらく私を見ていて、それから、ゆっくり言った。


「……ミアも、戻ってくる。絶対、お姉さまのところに」


「ええ……」


 少しだけ、目が潤んでいた気がした。


---


 訓練の内容は、変わっていった。


 最初の頃は「痛みの中で意識を保つ」ことが目標だった。それが達成されてからは、「痛みの中で姫の加護を使い続ける」訓練に移っていた。


 腕を傷つけられながら、同時に修復し、激しい痛みの中で冷静に加護を制御し、それを長い時間維持する。


「今日は四十分維持できましたわ」


 サリナが記録した。


「先週は三十分だったから、一〇分伸びましたわ」


「そうですわ」


 アリアンドラが私の腕の様子を見ながら言った。


「腕の修復速度も上がっていますわ。自分で修復できる範囲が広がってきましてよ」


「サリナが、聖女の加護で支えてくれてるおかげですわ」


「……それは、まあ、そうですわね」


 アリアンドラが少し肩をすくめた。私自身で回復できないとき、今でもサリナの聖女の加護に頼っていた。聖女の加護を毎日使い続けるサリナの方こそ、本当はもっと労われてしかるべきだ——その認識を私と共有していることが、二人の間の約束だった。


---


 九月になった。


 夏の熱が抜けて、朝と夜に冷気が混じり始める。その変化を肌で感じながら、私は毎朝訓練場に立っていた。


 その頃、第65次暗影厄災対策荒野観測隊は、すでに荒野へ向かっていた。

 アッティーネ様、エリオラ様、リサ、カトリーナ夫人、ヘレナドラ様は、みな命がけの観測活動に出ている。


 だから、この屋敷でミアの羽化対策を実際に動かしていたのは、十六歳のアリアンドラだった。

 訓練表、治癒の順番、扉の外に誰を置くか。すべてを、彼女が決めていた。


 あと一ヶ月で、満月だ。


---


 アリアンドラが訓練の終わりに、いつもより少し遅くまで残っていた日があった。


 サリナが先に帰った後、アリアンドラと私だけが訓練場にいた。


「アリアンドラ、よろしければお先にお帰りになっても構いませんわ」


「……別によろしくてよ」


「疲れていないですか?」


「疲れてなどおりませんわ」


 アリアンドラが腕を組んで、少し遠くを見ていた。


「……一つだけ、よろしくて?」


「何かしら?」


「ミアティーネの羽化の夜、私はどこにいれば良い?」


 私は少し止まった。


「……危ない場所には呼べないですわ」


「そんなこと聞いてないわ。どこにいれば良いか聞いたの」


「……」


「ユリナが部屋の外に出てこなかったら、何かするの? 何もしないの? わたくしがいて良い場所があるなら教えて。いなくて良いなら、そう言ってくださいませ」


 アリアンドラの声は静かだった。でも真剣だった。


「……部屋の外で待っていてくれますか」


「それでよろしくて?」


「危険、ですよ?」


「そんなこと聞いてないわ」


「……部屋の外にいてくだされば、心強く、意識を保てる気がいたしますわ」


 アリアンドラは満足そうに頷いた。


「わかりましたわ。お待ちしておりますわ」


---


 九月の終わりの夜。


 私はミアと並んで庭に出た。


 月が出ていたが、まだ満月ではない。


「あと十日くらいで満月ね」


「うん」


「怖いですか?」


 ミアが少し考えた。


「……怖いのは、お姉さまをお傷つけすることだけ、ですの」


「羽化そのものは?」


「わからない、ですの。でも、お姉さまがいるから、大丈夫だと思う、ですの」


 私は月を見上げながら言った。


「わたくしもそう思いますわ」


「……お姉さまがいるから大丈夫、って、どっちも同じことを思ってるね」


「そうですわね」


 ミアが私の隣に立って、肩が触れた。


「お姉さま」


「なに」


「ハムハム、していい、ですか?」


「外で、ですか?」


「うん」


 私は首筋を差し出した。


 ミアが少し身を寄せた。


 かぷ、と。


 おなじみの感触がした。


 満月まで、あと十日。


 その夜、庭に二人だけで立って、月を見ていた。


 まだ丸くない月が、もうすぐ丸くなる——そのことだけが、やけにはっきり分かった。


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