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第14話後編 外で動く者たち

2026/06/20 10:00 申し訳ございません。14話後編をアップしていませんでした。

 司教が帰り、ミアの手を握ったまま重い沈黙に浸っていた——その時だった。


 扉が、強めに開いた。


「失礼するわ」


 声がした。


 ヴェロニカが来たのかと思い、一瞬、臨戦態勢を取った。


 だが、部屋の入り口に、知っている顔が立っていた。


 カトリーナ夫人。


 アリアンドラの母上、ディーテ家の夫人。その後ろに、アリアンドラの姿があった。


 エリオラ様が、立ち上がった。


「カトリーナ、なんで……」


「このようなことがあって、わたくしが、ソーマ家を訪ねない、と思いまして?」


「……勝手に……」


「あなたとは、勝手に話す権利があるんでしてよ」


 カトリーナ夫人がエリオラ様を見据えた。その目には、同情ではなく、明らかな怒りがあった。


「司教様のお話は、屋敷の方が中に通してくださって、最後の方を、聞かせていただきましたわ。——けれど」


 カトリーナ夫人の声が、低くなった。


「わたくしには、必要のないお話、でしたわよ。ソーマ家にいつか先祖返りが現れる——貴族の家ならば、当然、知っているべきこと。わたくしも、あなたも、ね」


---


 こういう場面で出ていくべきか、控えるべきか、私は判断に迷った。でも結局、その場にいた。動けなかった。


 カトリーナ夫人が、エリオラ様の前に立った。


「あなた、わたくしの目を見なさい」


「カトリーナ……」


「目を見なさいと言っているの」


 エリオラ様は顔を上げた。


「あなた、自分の子供が、どんな夜を過ごしていたか、ご存じ?」


「……そんなの、わたくしが知らないわけがないでしょう」


「知らないわよ」


 カトリーナ夫人の声は、低かった。怒鳴ってはいなかった。でも、刃のようだった。


「ユリナティーネ嬢は、毎晩、ミアティーネ嬢に魔力を渡していた。先祖返りの兆候を、子供が子供の身体で隠していたのよ。ソーマ家の夫人が、気づくべきことだったわ」


「あなた、ここ何年、ミアティーネ嬢と一緒に何時間過ごしたの? ユリナティーネ嬢と、何回食事を共にしたの? 答えて」


「……」


「答えられないのね」


 エリオラの目から涙が流れていた。その時、アッティーネ様が、わずかに動いた。


 エリオラ様を庇うように、一歩踏み出そうとして——カトリーナ夫人と目が合い、止まった。


 アッティーネ様は、無言で元の位置に戻った。


 武人として戦場に立つ時と同じ、無表情。でもその無表情の中に、一瞬、迷いが見えた。


「仕事も、家も、あなたの責任よ。荒野観測隊も、国境警備も、資材調達も、書類仕事も。けれど」


 カトリーナ夫人は、そこで一度だけ、アリアンドラを見た。


「家のためで、子を疎かにすることは、許されないのよ」


 エリオラ様の手が、わずかに震えていた。


「これは、あなたにだけ言っているのではないわ。わたくしにも言っているの」


 その一言で、アリアンドラの金色のしっぽが、かすかに止まった。


「……」


「母親失格よ、エリオラ」


 エリオラ様が、うなだれた。反論は、なかった――反論できなかった。


 漢として、エリオラ様を庇いたいと思った。でも、カトリーナ夫人の言葉のひとつひとつに、嘘はなかった。少なくとも、私が見てきた限りでは。


 アッティーネ様も、何も言わなかった。ただそっと、体を寄せた。


---


 カトリーナ夫人が、しばらく無言で立っていた。それから、私の方を見た。


「ユリナティーネ・ソーマ嬢」


「は、はい」


「あなた、ミアティーネ嬢をよく守りましたわね」


「……はい」


「立派にお育ちになりましたわね。母親が不在の中で。いえ、母親が不在だったからこそ、立派にお育ちになったのかもしれませんが」


「……」


「ミアティーネ嬢のこと、大事にね……」


「……はい」


「本当に惜しいわ……」


 カトリーナ夫人は、ミアにも軽く目礼した。そして、踵を返した。


---


「……お母様」


 アリアンドラが、声を上げた。カトリーナ夫人が振り返った。


「なに、アリアンドラ」


「わたくし、ユリナのお手伝いしたい、と思いますわ」


 カトリーナ夫人の眉が、わずかに動いた。


「……どういう意味よ」


「ミアティーネの羽化までの六ヶ月、ミアティーネとユリナには訓練が必要ですわ。痛みへの耐性、修復の練習、戦闘技術。ディーテ家の騎士知識を持つわたくしが手伝うことで、ミアティーネとユリナの準備が整いますわ」


「あなた、何を考えているの」


 カトリーナ夫人の声が、わずかに低くなった。


「あなたまで、ソーマ家に巻き込まれるつもり?」


「巻き込まれるのではありませんわ」


 アリアンドラが、まっすぐカトリーナ夫人を見た。


「ソーマ家に、恩を売るのですわ」


 言い切ったくせに、その金色のしっぽだけが、わずかに震えていた。部屋に、静寂が走った。


---


 カトリーナ夫人が、しばらくアリアンドラを見ていた。


「……恩を売る、ですって」


「はい」


「女神の祝福を受けたユリナティーネ嬢に、恩を売る?」


「はい」


「……ディーテ家の娘らしい言い方ね」


 カトリーナ夫人が、微かに口角を上げた。


「あなた、本当に分かっているの? ユリナティーネ嬢がどんな目に遭うか。先祖返りの羽化に巻き込まれて、最悪の場合、命を落とすかもしれない」


「分かっておりますわ。——お母様が、次期当主のわたくしに、先祖返りのことを、お教えくださいましたから」


「それでも?」


「それでも、ですわ。だからこそ、わたくしが必要だと思いますの」


 カトリーナ夫人が、息を吐いた。そして、一拍置いてから、エリオラ様の方を見た。


「……エリオラ」


「な、なに、よ」


「あなたには、荒野観測隊で借りがあったわね」


 エリオラ様が、わずかに目を見開いた。


「……あの時の、こと」


「あなたが、わたくしを救ってくれた。その恩を返す機会が、なかった」


「……それは、もう」


「黙っていなさい、エリオラ。借りは、返すわ」


 カトリーナ夫人が、アリアンドラに向き直った。


「アリアンドラ。よく、お聞きなさい」


「はい、お母様」


「ミアティーネ嬢が、ご自身で、羽化を乗り越える——そう考えるのは、楽観に過ぎますわよ」


「……」


「聖女は現れましたわ。けれど、サリナ嬢ひとりに、三代目の妹君と同じ役目を背負わせるつもり?」


「……」


「先祖返りに、自分で自分の本能を抑えろと言うのも酷。聖女ひとりに奇跡を起こせと言うのも酷。だから、支える側を鍛えるのですわ」


 私は、息を、止めた。


 司教の話を、思い出していた。失われた記録の一行——「三代目ご自身が、本能をどう抑えたのか。その記録は残っておりません」。


 ミアの本能を、ミアに戦わせる。聖女ひとりに、失われた奇跡を背負わせる。

 そのどちらも酷な要求だと、カトリーナ夫人は、はっきり言葉にしていた。


「支える側……」


「三代目の夜も、妹君の聖女がそばにいた。救った方法の記録は失われています。けれど、先祖返りを一人で夜に放り込まない。それだけは、残っている」


 カトリーナ夫人が、私を見た。


「中心はユリナティーネ嬢。大聖女とも呼ぶべき桁違いの姫の加護と、ミアティーネ嬢に届く愛をお持ちなのは、あなたです。その周りを、聖女サリナ嬢と、ディーテ家の知識で支える。六ヶ月で」


「……」


「アリアンドラ。母として、許しますわ。ユリナティーネ嬢の訓練に協力なさい」


「ありがとうございます、お母様」


「あなたの役目は——ユリナティーネ嬢を、その日まで、お支えすること。ディーテ家の知識の、すべてを、お貸しなさい」


「はい」


「ただし、計画はわたくしが骨子を立案する。あなた一人でやらせないわ」


「はい」


 カトリーナ夫人が、私の方を見た。


「ユリナティーネ嬢。アリアンドラを、お預けしますわ」


「……あ、ありがとうございます」


 カトリーナ夫人は、それだけ言って、出ていった。そして、アリアンドラだけが、残った。


---


「……アリアンドラ」


「明日、訓練のスケジュールを持ってきますわ」


「もう、計画しているのですか?」


「これから、お母様の指示を受けて、計画しますの。明日の朝までには、用意できますわ」


 アリアンドラが、私を見た。


「……ユリナ。これは、ディーテ家の戦略でしてよ。ソーマ家への投資ですわ」


「うん」


「……だから、お礼などご不要でしてよ」


 その目が、少しだけ揺れていた。漢として、見抜いた。投資、と言いながら、この子は自分の意志で残っている。


「……ありがとう、アリアンドラ」


「ご不要と申し上げましたわ」


 アリアンドラが、ぷいっと顔をそらした。でも、その耳が、赤かった。


---


 その夜。


 ミアが私の隣で、いつものように身体をくっつけてきた。


「お姉さま」


「なに」


「……訓練、痛い、ですの?」


「痛いかもしれませんわ。でも、私は耐えますわ」


「……ミアのため?」


「漢として、当然ですわ」


 ミアが少し黙ってから、ぽつりと言った。


「……お姉さま、漢、すごい、ですの」


「うん」


 ミアが、私にくっついたまま、目を閉じた。


 外で動く者たちが動き始めた、その夜だった。


 そして翌朝。


 アリアンドラが持ってきた訓練表の一行目を見て、私は思った。


 ……これ、普通に死ぬやつでは?


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