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第14話前編 先祖返りの歴史

成人の儀の翌日、王都の司教がソーマ家を訪れた。


 昨日、「確保せよ」と命じた司教だった。


---


 応接間にいたのは、私とミア、エリオラ様、アッティーネ様。

 それから、リサの後ろに控えるサリナだった。


 昨日の司教は、教会の規定そのものだった。

 今日の司教は、黒い革表紙の記録帳と鑑定水晶を前に、深く頭を下げた。


「まず、成人の儀は中断され、まだ鑑定を終えていない方が一名おられます」


 司教の視線が、サリナへ向いた。


「サリナ・サーティー様。こちらへ」


「……わたくし、でございますか?」


 司教が持参した鑑定水晶が、卓上に置かれた。


 サリナはきょとんとしながらも、静かに水晶へ手を当てた。


 光が、満ちた。


 昨日の女神の光とは違う。

 けれど、部屋の空気を柔らかく包み込むような、静かな月の光だった。


「……満月」


 司教の声が震えた。


「聖女の加護でございます」


 サリナ本人が、いちばん、きょとんとしていた。


「……わたくしが、聖女、ですか?」


「はい」


 司教は頷いた。

 けれど、その顔は、明るくなりきってはいなかった。


「聖女が現れたことは、希望です。ですが、奇跡が保証されたわけではございません」


 司教は、黒い革表紙の記録帳を開いた。


「本日お伝えするのは、三つだけです」


 司教は、まず一枚目の頁に指を置いた。


「一つ目。ソーマ家三代目は、先祖返りでありながら、羽化を生き延びた唯一の方でございました」


「……三代目が」


 声を漏らしたのは、私だった。


 英雄。


 その名は、誰もが知っている。けれど、その人が先祖返りだったことまでは、知らなかった。


 司教の指が、古い記録の一行をなぞった。


「その夜、三代目の部屋には妹君が同席しておられました。妹君は、聖女の加護を持つ方でございました」


 サリナの肩が、ほんの少し震えた。


 記録に残っているのは、それだけだった。扉は夜明けまで開かなかった。そして朝、お二人とも生きていた。


「妹君がどう支えたのか。三代目ご自身が、本能をどう抑えたのか。その記録は残っておりません」


 聖女がいれば助かる、そう単純に言える話ではない。そのことを、部屋にいる全員が理解した。


 ミアの手が、少しだけ動いた。私はその手を握った。冷たかった指先に、ほんの少しだけ温かさが戻ってきた気がした。


「けれど、道はありました。失われた記録の中に、確かに一度だけ、先祖返りが生き延びた夜がございます」


 部屋に、息を吐く音が聞こえた。誰のものか、わからなかった。


 司教は、次の頁を開いた。


「二つ目。四代目から六代目までは、すべて悲劇で終わっております」


 エリオラ様が、目を伏せた。アッティーネ様の手が、テーブルの上でわずかに握りしめられていた。


 四代目は、満月の夜に魔力渇望を抑えられず、メイドの手足を引きちぎった。

 五代目は、隔離されたまま、翌朝亡くなっていた。

 六代目は、強制的な魔力補給に失敗し、暴走の末に討たれた。


 ミアは、何も言わなかった。ミアの手が、私の手の中で少し固くなった。


 短い記録だった。けれど、その短さがかえって重かった。


「この三件以降、教会は方針を定めました」


 司教は、顔を上げた。


「先祖返りが発覚した場合は、隔離し、羽化させず、魔力欠乏のまま死を待つ。被害を広げないためでございます」


「魔力欠乏症のまま、隔離部屋で死なせる、ということですわね」


 私が確認した。


「……はい」


「許せませんわ」


 言葉にしてから、私はもう一度、ミアの手を強く握った。


 司教は深く頭を下げた。


「本日は、その慣例を告げに参ったのではございません」


 灰色の猫耳が、ぴんと前を向いた。


「女神の祝福を受けられたミアティーネ様を、教会が隔離することはございません」


「当然ですわ」


「ただし、羽化は止められません」


 羽化。


 その言葉が、部屋の空気を変えた。


「先祖返りは、十六歳の満月の夜、魔族の血と本能を表に出します。その夜、強い魔力を必要とする。歴代の悲劇は、すべてその夜に起こりました」


「……ミアの羽化までは、あと何ヶ月ですか」


「次の十月の満月でございます。およそ六ヶ月後」


 六ヶ月。


 短い。けれど、ゼロではない。


 私はミアの手を握ったまま、息を吸った。覚悟を決めるには、十分な時間だった。


---


 応接間の外、廊下で。


 ハナがお盆を持ったまま、リサのエプロンをきゅっと掴んでいた。


「……リサさん。あの、お話、廊下まで、ちょっとだけ、聞こえてきてしまったんですけど」


「ハナ。聞いてしまったの?」


「す、すみません……でも、その、『先祖返り』って、なんでしょうか……? わたし、ご当主様にも、リサさんにも、何度も、お伺いするべきじゃないと思って、ずっと、お聞きできずに……」


 リサはしばらくハナを見ていた。茶色の猫耳が、慎重に垂れた。


「ハナ。わかる例えで、言いますわね」


「リサ様」


 横から、静かな声がした。メイドのナーシャだった。リサの部下で、こういう時ほど、やけに落ち着いている人だ。


「言葉を飾ると、ハナは余計に怖がります」


「ナーシャ」


「事実だけ、申し上げます」


 ナーシャは、ハナの前に少し膝を折った。


「先祖返りとは、古い血が強く現れた方のことです。十六歳の満月に羽化します。強い魔力が必要になります。放っておけば、死ぬか、暴れるか、どちらかになる危険があります」


「ひっ」


 ハナのしっぽが、ぼふ、と膨らみ、リサの耳も、ぴたりと止まった。


「ナーシャ、言い方が」


「子供にも、必要な真実は必要です」


 ナーシャは淡々と言ってから、少しだけ声をやわらげた。


「ですが、ハナ。ミア様は、ミア様です」


「……ミア様は、ミア様」


「はい。私たちがお仕えするのは、先祖返りという言葉ではありません。ミアティーネ様です。怖がって騒ぐのではなく、廊下を整え、お茶を運び、必要なものを準備する。それがメイドの仕事です」


 ハナは、しばらく考えていて、茶色の猫耳が、ぱたん、と垂れた。


「ナーシャさん」


「はい」


「ミア様は、ミア様、ですよね?」


「はい」


「じゃあ、わたしたちが、お仕えするのは、ミア様、ですよね?」


「その通りです」


 ナーシャが、ほんの少しだけ頷いた。


 リサは胸元に手を当てて、涙ぐんでいた。


「……ナーシャ、あなた、相変わらず言葉は硬いのに、結論は優しいですわね」


「リサ様が柔らかくしすぎるので、私が硬くならざるを得ないだけです」


「まあ」


 ハナは、ぺこ、と頷き、茶色の猫耳が納得して、ぴょこ、と立った。それから、お盆を持ち直して台所へ戻っていった。


 ……漢として、廊下で耳に届いた「ミア様は、ミア様」という結論は、応接間で交わされたあらゆる言葉よりも、ずっとまっすぐだった。


---


 司教が帰ったあと、応接間に重い空気が残っていた。


 エリオラ様が、息を吐きながら椅子に背を預けた。


「……ミアが、先祖返り、だったのね」


 その声には、わかっていた、でも、まだ受け入れきれない——そんな響きが、混ざっていた。


 アッティーネ様も静かに頷いていた。


「魔力欠乏症の症状が、表に出てこなかった。お前が魔力を補い続けていたからだろうな、ユリナ」


「……そう、ですか」


「結果的に、ミアを救っていたことになる」


 漢として、悪い気はしなかった。でも、その代わりに、これからミアを救い続けないといけない、という重さが胸にきた。


 ミアは、私の隣でじっとしていた。


「……お姉さま」


「なに」


「……ミア、いま、なんかすごい話、聞いた、ですの?」


「うん。けっこう、すごい話ですわ」


「ミア、わかってない、ですの」


「今、全部わからなくてもいいですわ」


 私はミアの頭を撫でた。


「ただ、ひとつだけ覚えていて。ミアは、ミアですわ」


 ミアは少しだけ目を閉じた。


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