第2話 前編 だまされた! でも妹が愛おしいのでゆるします
私の名前は、ユリナティーネ・ソーマ。前世は三十五歳の、平凡な男だった。女神にだまされ、女性だけの世界に女の子として転生した。理不尽である。極めて、理不尽である。
ただ、その理不尽を押し流す相手が、隣にいた。
ミアティーネ・ソーマ。私の双子の妹だ。
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赤ん坊の身体は、正直、ままならなかった。腕も足も思うように動かせず、声を出そうとしても泣き声になる。お腹が空いても眠くても抗議したくても泣く。漢として、情けない。
だが、前世の記憶だけはやけにはっきり残っていた。
私はユリナティーネ。中身は漢……まあ、生物上は女の子なのだが。
ソーマ家の屋敷は相当な家格らしい。寝台の上で転がされながら、私は使用人たちの会話を聞くことがあった。
「お嬢様も、綺麗な銀髪ですわね」
「エリオラ様によく似ていらっしゃるわ。でも、アッティーネ様には……」
「しっ、声が大きいですわよ」
「ソーマ家の黒髪って、初代様や英雄の三代目様の魔族の――」
「そこまでです」
リサの声で、廊下の噂は途切れた。
黒髪。初代。三代目。
気になる言葉はあったが、今の私は泣くことと寝ることしかできない赤ん坊である。
それよりも、隣に大事な気配があった。
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同じ部屋の、同じベッドの、すぐ隣。
その子は静かで、あまり泣かず、あまり動かず、ただじっと私を見ている。
そして、ぎゅ、と私の手を握ってきた。
「っ……!?」
痛いっ。赤ん坊の握力ではない。骨が軋む感触に泣き声を上げると、手の力がふっと緩んだ。
「…………」
隣の子が、びっくりしたように固まっている。
その目が、なぜか「ごめんなさい」と言っているように見えた。この子は、私が痛がったから、手を緩めた。
それだけのことなのに、胸の奥がじわじわ温かくなった。
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その子の名前は、ミアティーネ・ソーマ。
私の双子の妹だった。
ミアは私の手を握り、私の指を口に含んでくる。最初は、赤ん坊らしい仕草だと思ったけれど、少し違う。
私の魔力を吸いとっているのだ。ミアは私の魔力で呼吸を落ち着かせ、お腹を満たしている。
生後半年ほど経つ頃には、それが日常になっていた。
指を握る力が強すぎれば、私は泣き、ミアはびっくりして手を緩めて、そして、言葉のない「ごめんなさい」の目をする。
それを繰り返すうちに、ミアの握る力は少しずつ弱くなっていった。
メイドのリサが、目を丸くしていた。
「まあ……ユリナお嬢様、ミアお嬢様に手を握られても泣かなくなりましたわね。仲良くなられましたわねー」
リサは私がミアが嫌いで泣いていたと盛大な勘違いしていた。誠に遺憾である。
この子は、私が痛がるたびに、優しくなっていく。
……漢として、お姉ちゃんとして、なんとなく、誇らしい。
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もうひとつ、気づいたことがあった——私の身体の回復が、やけに早い。
ミアに手を握られたとき、おそらくだが、骨を折られることもあった。
しかし、ミアが私の指をくわえている頃には、治っている。
この世界の人々は、それを魔力と呼ぶらしい。
そして、その源には、姫の加護というやつが関わっているようだった。
ある日、廊下の向こうから、メイドたちの話し声が聞こえてきた。
「騎士の加護は、戦うためのものですものね」
「姫の加護は、その騎士を支えて、防ぐ力を与えたり、お守りするもの」
「姫の加護が強いお方は、騎士におモテになるそうよ」
騎士の加護、姫の加護。戦う者、支え、守る者。詳細は分からないが、そんなとこらしい。
(なるなら騎士がいい……姫になってモテても、漢として何か違う気がする……)
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五歳の、ある夜のことだ。
部屋が暗くなり、使用人たちが灯りを落として出て行った後。私とミアは、ベッドに並んで寝かされていた。
しばらくして、もぞ、とミアが動いた。
「……お姉ちゃん」
小さな声だった。私が目を向けると、ミアがこちらを見ていた。
暗い中でも、その目だけがはっきりと光っているように見える。
月の光を吸い込んだ赤目、漆黒の髪が静かに光っている。
……やっぱり、目が離せない。
この子の夜だけの静な輝きを、私だけが、毎晩、見届けている。
「……ハムハム、していい、ですの?」
私は少し考えてから、うなずいた。
「少しだけよ。痛くしないでね」
「はい、ですの」
ミアは私の首元に顔を寄せた。噛む、というより、小さな歯をそっと添えるだけだった。
痛みはない。
胸の奥の魔力が、細い糸みたいにミアへ渡っていき、ミアの呼吸が静かになる。赤い目の奥で揺れていた不安が、少しずつ薄れていく。
これは遊びでも、ただの甘えでもなく、ミアが自分を保つための、毎晩の小さな補給だった。
そして私は、ミアが力を入れすぎないように、痛かったらすぐ教える。
(魔力を吸われると、すごく、ミアが愛おしく感じてしまう)
(お姉ちゃんというより、ママになっちゃっているような……き、気のせいよね?私はお姉ちゃんだし、お姉ちゃん)
「そこまで。今日はおしまい」
「……はい、ですの」
ミアは名残惜しそうにしながらも、ちゃんと離れた。
えらい。えらい。
この子は、ちゃんと覚えている。力を抑えることも、誰かを傷つけないことも。
ミアは、これを「ハムハム」と呼んでいて、五歳児なりの、命名らしい。
私の首筋から、魔力をもらい、体の中を魔力の巡り落ち着かせ、お腹を満たす。
それが、ミアにとっての「ハムハム」であり、私の指を口に含んでいた行為も、同じ補給の形だったのだと思う。
「……お姉ちゃん、うぅーぅ……」
ミアが私の胸に顔をうずめてぐりぐりとする。これはただの甘えかな? お姉ちゃんとしては受け入れざるを得ない。
私は胸元のミアの頭をなでながら、天井を見上げながら、思った。
この子の力は、明らかに普通じゃない。骨を折るほどの握力、毎晩私の魔力を必要としている切実さ、そして、それで何かを保っているような危うい綱渡り。
今は、私の魔力でミアの補充は足りているらしい。
でも、この子が大きくなって、必要とする魔力が増えたら。私ひとりでは賄いきれなくなったら。
(……足りないかもしれない)
漢として、その想像は受け入れがたかった。私が妹を守れない日が来るかもしれないなんて。
だからこそ。
(――ハーレムだ)
心の中で、私は宣言した。
女神が約束した、ハーレムを作れるだけの力。ハーレムを、私は諦めない。ただし、定義を変える。
ハーレム。
それは、ミアを生かすための、愛と安心の集合体だ。
私を愛してくれるだけじゃなくて、ミアを怖がらず、大切にして、ミアからも信頼される人。
いつか私ひとりの魔力では足りなくなったとき、ミアを支える輪になってくれる人。
ミアが生きていくためには、安心できる場所と、安定した魔力の巡りがいる。
万が一、私の魔力が尽きても、誰かがミアに、魔力と安心を渡せるように。
(……漢の欲望として、ハーレムを作るためのいいわけじゃないぞ。ほんとだぞ。お姉ちゃんに邪な気持ちはありません!)
私は、ミアの髪にそっと触れた。
「……ミア」
「……ん」
「お姉ちゃんに、お任せなさい」
声に出せたかは、分からなかった。でも、心の中で、たしかにそう言った。
ハーレム計画、再起動。
目的は、女の子だけの世界で、私の妹を、守り、生かしきること。
これが私の二度目の人生の、本当の始まりだった。




