表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/33

第10,7話 後編 ヴェロニカの牙

 15歳の夏、学園が短い休暇に入る前のことだった。


 ヴェロニカ・グリムワルドが、動いた。


---


 最初の異変は、学園の図書室で見つかった。古い書架の影に、紙が一枚、置かれていた。誰かに見せるための置き紙だったのだろう。それを最初に見つけたのは、学園で働くメイドの一人だった。


 その紙には、こう書かれていた。


> ソーマ家の二女には、ある血の問題がある。

> 公に知られている姿は、すべてではない。

> 十六歳を迎える頃、その血が目を覚ませば、周囲に危害を及ぼすおそれがある。

> 詳細は、家伝の事象として、教会への確認を要する。


 メイドは紙を学園長に届け、学園長は教会へ問い合わせた。


 教会は、形式的な調査として、ソーマ家へ「ご本人の確認を希望」と通達してきた。


---


 翌日、学園の渡り廊下で、ナナ・ルミエが、いつもより困り顔で私に近づいてきた。


「ユリナ様、あ、あの……ミア様のことを書いた紙が、図書室で見つかった、って噂、聞いてしまったんですけど……」


「ええ、本当のことですわ」


「誰が書いたかも分からない紙、ですよね……? 平民の村なら、まず燃やします」


 ナナの緑の猫耳が、混乱でぱたぱたと左右に揺れた。


「貴族社会では、燃やした時点で『隠した』ことになりますの」


「貴族の世界、難しすぎませんか……?」


 ナナの素直な疑問は、私の中にすとんと落ちた。


 平民から見れば、燃やせばいいだけの紙。貴族から見れば、家の存続を揺さぶる重みを持つ紙。


 ……漢として、ナナの感覚の方が、本当はまっとうなのだ。


「ナナ。あなたのその違和感、忘れずにいて」


「えっ。どうして、ですか?」


「貴族社会に染まりきった人間は、その違和感を、いつの間にか忘れてしまう。あなたが覚えていてくれる方が、私は、いい」


「は、はい……? よく、わかりませんけど、覚えておきます……」


 ナナは緑の猫耳をぴょこぴょこさせながら、頷いた。


---


 ……どこから漏れたのか——というより、私には、まだ何の話なのかがよく分からなかった。


 応接間で、私はその通達書を何度か読み返した。


 ……ある血の問題? 公に知られている姿? 危害?


 銀の猫耳が、わずかに傾いた。困惑のサインだった。


「アリアンドラ」


 私は、横に立っていた彼女に聞いた。


「ええ」


「これ、ミアのことですの?」


「……次女ということは、そうなのでしょうね」


「この『血の問題』というの、何を指していますの?」


 アリアンドラが目を見開き、私をまじまじと見て、それから視線を慎重に外した。


「……わたくしの口からは、申し上げにくいですわ」


「なぜ?」


「口にすれば、ディーテ家がソーマ家を侮辱したことになります。あの紙を書いた者と、同じ土俵に立つことになりますの」


 そのとき察した。ソーマ家の誇りでもあり、タブーでもある、ソーマ家には魔族の血が混じっているという話だ。


 ……。


 それでも、私はピンと来ていなかった。ミアの腕が骨を折るほど強いことも、毎晩ハムハムで補給しなければ魔力が足りないことも知っている。でも、それが何かの「血の問題」と、どう繋がるのか——私の中で、線が引けていなかった。


 ミアに魔族の血が流れているという話であれば、私も、アッティーネ様も魔族の血が流れているからだ。なぜ、ミアだけ?


「では、アリアンドラ。質問を変えますわ。この紙、誰が書いたと思いますの?」


「グリムワルド家、でしょうね」


「根拠は?」


「教養レベルではなく、実例の調査を代々続けている家は、限られていますの。グリムワルド家は、そのひとつ」


 アリアンドラの金色の猫耳が、わずかに後ろに寝ていた。怒りのサイン——彼女が向けているのは、私ではなく紙の方だった。


 私は息を止めた。入学式で扇を広げて笑ったヴェロニカの顔が、頭の中に戻ってきた。


「ソーマ家も、いつ崩れるか、分かりませんわよ」


 あの一言は、宣戦布告だった。半年寝かせて、今、動いた。


「……アリアンドラ。あなたが言いたくないなら、無理に聞きませんわ」


「……ありがとうございますわ」


「でも、ひとつだけ、教えてくださいまし」


「ええ」


「ミアは、何か、危険ですの?」


 アリアンドラが、しばらく私を見ていた。それから、ゆっくりと首を横に振った。


「いいえ。ミアは、ミアですわ」


「……ええ。それなら、結構」


 私は、紙をテーブルに置いた。


 ……ヴェロニカがミアを傷つけようとして、何かを仕掛けてきたことだけは、明白だった。


 守るためなら、敵の言葉を理解できなくても戦える。


---


 ミアが、応接間に入ってきた。


「お姉さま」


「ミア」


「……何か、あった?」


「いいえ」


 私は、即答した。


 ミアに、知らせるわけにはいかなかった。


 ミアの猫耳——いや、ミアには猫耳が無い。だから、感情を察知される心配はない。けれど、ミアは、私のしっぽが落ちているのを見ていた。


「お姉さま、しっぽ、元気ない」


「……気のせいですわ」


「うそ」


 ミアが、私の隣に座って、私のしっぽを指でそっと撫でた。獣人族のしっぽは、家族でもむやみに触れない場所だ。


 けれどミアの指が触れても、不思議と嫌ではなかった。しっぽが少しだけ上を向いた。


 ……ミアは知らない。でも、ミアは私の異変を、本能で察している。


「大丈夫」


 私は、言った。


「お姉ちゃんが、なんとかしますわ」


「……うん」


 ミアは、頷いた。


 その目に、不思議と迷いがなかった。


---


 その夜、四人で集まった。


 私、アリアンドラ、サリナ、リサ。


 ミアは、サリナの判断で別室にいた。「ミアティーネ様には、まだ、お知らせするべきではないと存じますわ」とサリナは言った。記録帳を開かず、書かない判断をしていた。


「対応策を、整理いたしますわ」


 アリアンドラが、口を切った。


「現状、教会は『調査の希望』レベル。強制力はありません。ですが、紙が一度世に出た以上、噂は止められません」


「グリムワルド家を訴えるのは」


 私が聞いた。


「証拠不十分ですわ。あの家は、紙を直接置いた者を雇った可能性が高い。ヴェロニカ本人は、図書室に近づいてもいないでしょう」


「……」


 リサが、静かに茶器を置いた。いつもの「百合の姫様」を語る熱はなく、落ち着いた茶色のしっぽだけが、風向きを読むようにゆっくり揺れていた。


「正面から潰すのではなく、先回りして取り込む手がございます」


「と、申しますと」


「教会の調査希望を、こちらから受けるのでございます。ただし条件をつけ、サリナを記録者として立て、教会の審問より先に記録を整えます」


「先に記録を?」


「はい。教会が来た時には、すでに管理下にある、と示せます。告発は、新事実ではなくなります」


 リサは、そこで一度だけ微笑んだ。


「噂は消そうとすると燃えます。先に水路を作って、流してしまえばよろしいのでございます」


 ……。


 その作戦の冷静さに、私は、しばらく黙った。リサはいつものリサなのに、その手順には、屋敷の中だけで身につくはずのない貴族社会の読みがあった。


 でも、これはミアを守るための最善手だった。


「サリナ、お願いできるかしら」


 私は、サリナに聞いた。


「もちろんですわ」


 サリナは、おっとりと答えた。薄茶色の猫耳が、いつもよりわずかに立っていた。サリナにとっても、これは戦闘モードだった。


「着実に、ですわ。記録を、整えておきますの」


---


 翌週、グリムワルド家からの告発紙は、教会の正式調査で「既に確認済み」として処理された。


 教会の審問官が来訪しなかったわけではない。しかし、サリナが既に詳細な記録を提出し、リサがソーマ家側の確認印とサーティー家の管理書類を揃えていたため、審問官は「ソーマ家とサーティー家の管理下に置かれている」と判定し、追加調査を後送りにした。


 ヴェロニカの第一手は、空振りに終わった。


 ……一時的に、だが。


---


 その日の夜、私は屋敷の庭で、ヴェロニカの顔を思い出していた。


 あの扇の影で薄く笑った顔。あの「いつか崩れる」という宣告。


 ヴェロニカは、私を、ミアを、ソーマ家を、本気で滅ぼそうとしている。


 半年寝かせて、紙一枚で動いた。次は、もっと大きな手で来るだろう。


 ……漢として、私はヴェロニカを、敵として認識した。


 純粋な敵。アリアンドラのような「嫌い嫌いも好きのうち」型ではない、本物の敵対者。


 梁の上で、ベル・ロウがふわっと降りてきた。


「お姉ちゃん、しっぽ、しっかり立ってるよ」


「……ええ」


「戦うんだね」


「ええ」


 私の銀のしっぽは、月光の下でぴんと立っていた。


 守るべきものがあれば、しっぽは、立つ。


 獣人族の本能が、私に戦いを許可していた。


---


 学園長から、私宛てに短い手紙が届いた。


> 例の告発紙の件、見事な対応でした。

> ただし、ヴェロニカ・グリムワルド嬢の動きは、これで終わりではないでしょう。

> グリムワルド家は、十年以上前から「特殊な血の管理」を家訓にしています。

> 詳細は、機が熟した時に、お伝えします。

> ご注意ください。

> ——王立加護学園 学園長


 私は、その手紙を暖炉に投げ込んだ。


 燃やす行為そのものに、意味はない。


 ただ、私は手紙の内容を、忘れないと自分に誓った。


 ……「ある血の問題」が何かは、まだ私にはよく分かっていない。


 ヴェロニカが、その何かを使って、ミアを傷つけようとしている。それだけは、確かだ。


 なぜミアが標的なのか、ミアが「特別な何か」だと言われる理由が何なのか。


 ……もしかしたら、私が知らないだけで、何かあるのかもしれない。ミアの腕の力、毎夜のハムハム、周りからの「ユリナの偽物」という陰口。それらが、もし繋がっているのだとしたら。


 ……いや。


 今は、考えるのをやめる。アリアンドラも「ミアはミアだ」と言った。


 私が、ミアを、守る。それだけが、確かだ。


 次は、もっと大きな手で来る。その時、私は、もっと強くなっていなければならない。


 翌朝から、ロウェナ様の稽古が、一段厳しくなった。


 ミアには、その理由を伝えなかった。リサは何も聞かずに稽古場の予定を空け、サリナは記録帳に余計なことを書かなかった。


 私の胸の中だけで、戦いの準備が始まっていた。


---


 なお、ヴェロニカ・グリムワルドは、その夏休み中、教会の聖騎士の訓練場に毎日通っていたらしい。


 次の手を、準備していた。


 成人の儀は、もう遠くない。


 その日、誰が何を暴こうとしているのか。

 この時の私は、まだ知らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ