第10.5話 中編【幕間】偽物の人形と、本物のお姉ちゃん(8歳のミア視点)
> 本話は、8歳の頃のソーマ家屋敷でのできごと。ミアの記憶。
ミアティーネ・ソーマは、よく見られていた。
銀色の髪、碧い瞳、姉のユリナティーネと瓜二つの顔。
でも、見つめられるたびに、ミアは少しだけ息を止めた。
その視線が、ユリナへ向けられるものとは違うことを、幼いミアは知っていた。
---
ある午後、8歳のミアは、廊下を歩いていた。
角を曲がる手前で、小さく足を止めた。
二人のメイドの声が、聞こえてきたからだった。
「ユリナ様にそっくりでしょう」
「そっくり、というか……」
「ユリナ様の、偽物みたいな」
「目に光がないのよね。そっくり人形って感じ」
声が、笑っていた。
軽い噂話のつもりなのだろう。
でも、笑っていた。
---
ミアは、息を止めた。……動けなかった。
角を曲がる前に、立ち止まっていてよかった。気づかれていない。
ミアはそのまま、後ろ向きに足音を立てずに廊下を戻った。
誰も来ない物陰を見つけた。観葉植物の後ろ、そこにしゃがみこんだ。涙が出てきた。
……偽物。……そっくり人形。……目に、光がない。
お姉ちゃんと、同じ顔。お姉ちゃんと、同じ髪。お姉ちゃんと、同じ目。それは、生まれた時から、変えようがない。
なのに、人形だと言われた。偽物だと、言われた。ミアは両手で顔を覆って、声を出さずに泣いた。
---
しばらくして、足音が、近づいてきた。
……お姉ちゃん。
ミアには、足音だけで、分かった。
「ミア?」
声がした。
顔を上げると、ユリナがしゃがみこんで、ミアの顔を覗き込んでいた。
ユリナは、少し首をかしげた。
「……どうしましたの? なんで泣いているのですか」
「……お姉ちゃん」
「ええ、お姉ちゃんですわよ」
ユリナが優しく、ミアの頬の涙を指で拭った。
「何が、ありましたの?」
ミアは、何を答えていいか、分からなかった。
お姉ちゃんに、メイドに言われたことを伝えたくなかった。
でも、聞かれて、黙っていることもできなかった。
「……メイドの人たち、が」
「うん」
「……ミアと、お姉ちゃん、そっくり、って言ってた」
「ええ、まあ、そう言われますわね」
「……そっくり人形、って」
ユリナが、まばたきした。
「……そっくり、ですの?」
ユリナの首が、もう少しかしいだ。
ミアには、その仕草の意味が、分からなかった。
「お姉ちゃん?」
「いえ……わたくしから見ると、ミアとわたくしは、そっくり、ではないですわ」
「……?」
「むしろ、全然違いますわ」
「……??」
ユリナは本気で言っていて、からかっても、慰めてもおらず、本当に不思議そうだった。
---
深い黒髪。
ルビーのような、赤い瞳。
それが、ユリナの目に映る、ミアの姿だった。
ほかの人にとって、ミアは銀髪碧眼に見えているということを、ユリナは知らなかった。
ミア本人が、自分の姿を、いちばんよく分かっているはず——ユリナはそう思っていた。
だから、ミアにあえて「あなたは黒髪で赤い目をしていますわよ」と説明することなんて、思いつきもしなかった。
言うまでもなく、当たり前のことだから。
---
「ミア、よくお考えなさい」
ユリナが、ミアの両肩に手を置いた。
「ミアの髪は、つやつやで、それは美しいですわ」
「……つやつや?」
「ええ、つやつや。光を吸い込むみたいに、深く艶めいて」
「……?」
「目は、ルビーのよう。本物のルビーみたいに、輝いておりますわ」
「……? ルビー?」
「わたくしの髪とも、わたくしの目とも、ぜんぜん違いますわ。むしろ、対照的ですわ。並ぶと美しいですわよ、わたくしたち」
ミアは、ユリナの顔を見ていた。
お姉ちゃんは、本気で、そう言っていた。
……?
……つやつや? ミアの髪、銀色の、はずなのに。……ルビー? ……ルビーって、たしか、赤い、はず。……ミアの目、お姉ちゃんと同じ碧色の、はずなのに。
……お姉ちゃん、何を、言ってるの?
---
「お姉ちゃん」
「なに」
「……でも、みんな、ミアとお姉ちゃん、同じ顔って言うよ」
「ふうん」
「ミア、お姉ちゃんの、偽物、って」
「ふうん」
ユリナは、少し考えた。
「ミア」
「うん」
「メイドさんと、お姉ちゃん、どっちの感想がほしいのですか?」
ミアは、しばらく考えた。……お姉ちゃん。お姉ちゃんに、決まっている。
「お姉ちゃんの、言うこと」
「なら、それでいいじゃないですか」
ユリナが、笑った。
「お姉ちゃんはね、ミアが、大好きですわ。ミアは、世界一美しいと思っておりますわ。それだけ、覚えていればいいですわ」
ミアは、しばらく動けなかった。お姉ちゃんが、本気で言っていた。ならば、それが本当だ。
ミアの世界では、お姉ちゃんが言うことが、いちばん本当だ。
「……うん」
ミアは、頷いた。
「分かった」
---
その日の夕方から、ミアは、屋敷を歩き始めた。
メイドを見つけるたびに、声をかけた。
「お姉ちゃんが、言ってた」
「はい? ミアティーネ様、なんでしょう」
「ミアの髪は、つやつやで、目はルビーって。お姉ちゃんと、ぜんぜん違うって」
「……は、はあ」
「ミアとお姉ちゃんは、たいしょう、てき?だって。並ぶと美しいって」
「……そう、ですか」
メイドは、戸惑った顔をしていた。
でもミアは、満足していた。
お姉ちゃんが言うことが、本当だ。それを、みんなに伝えればいい。
ミアは、屋敷の半分のメイドに、同じことを伝えた。
その夜、ミアは満足して、ユリナの隣で眠った。
---
翌日。
メイドの一人が、別のメイドに、こっそり言った。
「……ミアティーネ様、なにか、勘違いされていらっしゃいません?」
「ええ。昨日、わたくしも言われましたわ。『髪はつやつやで、目はルビー』って」
「髪は、まあ、艶やかと言えば、艶やかですけれど」
「でも、目はルビー、って」
「ルビーって、赤色ですわよね」
「ですわよね。ミアティーネ様の目は、緑がかった碧色ですわ」
「ええ、エメラルドグリーンのような」
「……ということは、ユリナ様、ルビーが赤色だとご存じないのでは?」
沈黙が落ちた。
「……何でもおできになるのに」
「そういう抜けたところも、おありなのね」
「ふふ。でしたら、ミアティーネ様にも、その『ユリナ様がおっしゃること』を、信じさせてあげましょう」
「ええ。お二人の世界に、わたくしたちが口を挟むのは、野暮というものですわ」
メイドたちは、温かく、笑っていた。
その笑いの中には、もう「偽物」も「そっくり人形」も、なかった。
ただ、少し不思議で、微笑ましい姉妹がいる。そういう温度だけが、残っていた。
---
その夜、ミアは、いつものようにユリナの隣で眠った。
ユリナの腕に、頭を預けながら、ミアは思っていた。
……お姉ちゃんが、ミアは美しいって、言った。ならば、ミアは、美しい。
お姉ちゃんが言うことが、ミアの世界では、いちばん本当だ。
ミアは、目を閉じた。もう、泣いていなかった。
隣で、ユリナが静かに寝息を立てていた。
ユリナは、ミアが今日メイドたちを呼び止めて回った話を、まだ知らなかった。
メイドたちから「お嬢様、ルビーは赤色でございますよ」と訂正しないことがやさしさだと思われていたことをユリナはまだ知らなかった。
でも、まあ。
知ったところで——ユリナは、本気で、ミアが黒髪赤目だと思っているのだ。
その確信は、誰に何を言われても、揺るがない。
ミアの世界が、お姉ちゃんの言葉で出来ているのと、同じくらいの確信で。
二人の姉妹は、それぞれの世界の中で、静かに眠っていた。
その世界の外側で、誰かが別の名前を用意していることなど、
この時のミアは、まだ知らなかった。




