第9話 後編 ミイラとりがミイラ(お気に入り事件)
弱点が駄目なら、私生活。日々の癖、持ち物、朝の習慣。
アリアンドラの作戦は、何度も続いた。
今度こそ冷静に、今度こそ有益な情報を。
そう自分に言い聞かせながら、アリアンドラは金色のしっぽを意識的に押さえつけ、ミアに近づいた。
前回は、しっぽが暴れて何もかも台無しにしたのだ。今度は、しっぽの動きまで制御する。
「ミアティーネ、また少しお話できるかしら?」
「……いい、ですの」
ミアはあっさり頷いた。ユリナとサリナは今日も先生に呼ばれていた。この時間が定期的に発生することを、アリアンドラはすでに把握していた。
「今日は……その、ユリナの私生活についてお聞きしてもいいかしら?」
「……うん」
「たとえば……えっと、苦手なものとか」
「お姉さまが、苦手なもの?」
「そう」
ミアが少し考えた。
「お風呂で髪を洗う時、目に泡が入るのが苦手、ですの」
「……なるほど」
アリアンドラはメモを取る素振りをしながら、(それは弱点にならない)と心の中で突っ込んだ。
「お風呂は一緒に入りますの?」
「……うん。お姉さま、泡がつくと少しだけ目を細める、ですの。流してあげると、ありがとうって頭を撫でてくれる」
「わかりましたわ! わかりましたから! それ以上おっしゃらなくていいですわ!」
想像してしまった。泡をつけたまま、少し困った顔で目を細める、ユリナの姿を。
アリアンドラは扇を取り出し、意味もなくぱたぱたと扇ぎ始めた。まったく落ち着かない。
(冷静に、冷静になれ。これは情報収集だ。ユリナの弱点を探す作戦だ……)
「……他にはいかがかしら? えっと、もっと日常的なこと。夜の習慣とか」
「夜……ですの?」
「そう」
「夜は、ミアがハムハムする、ですの」
「……ハムハムって、何かしら?」
「噛む、ですの。少しだけ」
「か、噛みますの?」
「……うん。お姉さまは、もう慣れている、ですの」
アリアンドラは、夜の習慣という言葉から想像していたものと、出てきた答えの距離に、しばらく瞬きを忘れた。
(え?なんで嚙みますの??)
「……わかりましたわ。えっと、次は……」
「あ、そうだ」
ミアが立ち上がった。
「ちょっと待って、ですの」
「え? どちらへ?」
「すぐ戻る」
ミアは小走りで中庭を出た。
アリアンドラは一人取り残されて、首をかしげた。
(えっ、ミアティーネ、あし速すぎですわ!?)
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1分後、ミアが戻ってきた。
手に、何かを持っていた。
「……これ、ですの」
差し出されたのは、小さな白いハンカチだった。
アリアンドラは、まだ何が起きるかわからないまま、それを受け取った。
ふわり、と清潔な香りが立ち上る。
「いい香りがする、ですの」
「……ほんと、いい香りだわ」
ミアが嬉しそうに目を細めた。
アリアンドラはずっと求めていたような香りに思え、自然と笑みが生まれた。
「お姉さまの匂い、ですの」
「えっ」
「お姉さまの……」
「ちょ、ちょっとお待ちなさい! どこから持ってきましたの!?」
「お姉さまのポケット」
——その瞬間、アリアンドラは気づいた。
手の中のハンカチには、まだ少しだけ体温が残っていた。そして、ちょっと、湿っぽいような…
ついさっきまで、ユリナのポケットの中にあったのだ。そして、これは、汗……?
「なっ、なっ、返してらっしゃい! 返してらっしゃいまし!!」
顔を真っ赤にして声を荒げた。
「いらないですの?」
「いりませんわ!! いりませんわっ!!」
「——そうですわよ。汗を拭いたばかりのハンカチなんて、ばっちいですわ」
後ろから、別の声がした。
——カチンッ。
(よりにもよって、ユリナのハンカチが、ばっちいですって!?)
「ばっ、ばっちくありませんわ!!」
気づいた時にはもう、口が動いていた。
「とても、いい香りがしまして……よ……」
しまった、と思っても、もう遅い。
振り返ると、ユリナが教室の方から戻ってきていた。ミアを追ってきたのか、頬にほんの少しだけ汗の名残がある。
そのユリナが、ふ、と目を逸らした。
「ふ、ふーん、そ、そう?」
ユリナは斜め上を向いて、なんとも言えない顔で気まずそうにしている。
銀色のしっぽが、ふら、と一度、所在なげに揺れた。
「====っ!?」
アリアンドラの脳が、一瞬、本当に止まった。
「もう、人のハンカチを取ってはだめですわよ、ミア」
ユリナが、ミアの頭をぽんと軽く撫でた。
「借りただけ、ですの」
「借りる前に、一声かけなさい、もう。アリアンドラも、ごめんなさい」
ユリナがアリアンドラからハンカチをそっと取り戻す。アリアンドラの指先から、残っていた体温が離れていった。
アリアンドラは真っ赤になったまま、うつむいていた。
何も言えなかった。言えるわけがなかった。
「……し、失礼いたしますわっ! 今日のことは、わ、わたくし、何ひとつ覚えておりませんからね——っ!!」
そう言い捨てて、振り返ることもせず、足早に立ち去る。
その背中を、ユリナはしばらく見ていた。
「……怒っちゃった?」
ミアが、ぽつりとつぶやいた。
「……いや」
ユリナはハンカチをもう一度ポケットに戻した。
「……怒ってはいないと思いますわよ。たぶん」
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ユリナとミアが教室に戻った後、廊下で。
ナナ・ルミエが、小走りに、私の隣に並んできた。
「あ、あの、ユリナ様……」
「なんですの?」
「えっと、あの……ディーテ家の方に、お姉さまのハンカチを持って行って、そしてアリアンドラ様が返してきた、って、ミア様からお聞きしまして……」
「……ええ、そうでしたわね」
「そ、それって、貴族のしきたりで、何か意味があるんですか……? あの、もしかして、決闘の申し込みとか……?」
「いいえ。ただのミアの行動でしてよ」
「えっ。そ、それだけ……ですか?」
「ええ」
「えええ……? 貴族のお家って、姉妹のハンカチを、真剣な顔で持って来たり、持って帰ったりするのが、普通なんですか……?」
「ナナ。それは、貴族のしきたりではなく、ミアです」
「あ、そうなんですね……」
ナナの緑の猫耳が、納得しきれない様子で、ふわふわと、左右に揺れた。
「貴族の世界って、どこからが文化で、どこからが個人の気質か、難しすぎませんか……?」
「ええ。わたくしも、よく、そう思いますわ」
漢として、本当にその通りだった。
……ナナは、気づいていない。アリアンドラが、あれを「決闘の申し込み」と勘違いしてくれた方が、もしかしたら、本人にとっては、いっそ救いだったかもしれないことを。
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その夜、アリアンドラは自室でまた頭を抱えた。
作戦は、完全に失敗だった。得たものは何もない。いや、得てはいけないものを知ってしまった。ユリナのハンカチ……いい香り……。
思い出して、足をじたばたさせる。
それ以上に、自分の中の何かが、最初の計画から大きくずれてきていることに気づき始めていた。
ユリナに勝ちたい。その気持ちは変わらないはずだ。
でも。
ユリナの話を聞いていると、どこかそれとは違うものが動く。勝つことと、あの人を傷つけることは、同じではない気がした。
(わたくしは……何をしているのかしら)
アリアンドラはため息をついた。
次の日の朝、ユリナを見た時に視線をぱっとそらした。
その理由を、アリアンドラはまだ認めていなかった。




