第8話 前編 ミイラとりがミイラ
学園の昼休み、中庭の片隅で、ナナ・ルミエが私の隣にちょこんと並んで、声をひそめた。
あの日から、ナナは少しだけ私たちの近くにいるようになった。
本人はこっそりのつもりらしいけれど、緑の猫耳が不安そうに揺れるので、わりと分かりやすい。
「あ、あの、ユリナ様。最近、ディーテ家の方、ユリナ様のこと、すごく見てません……?」
「アリアンドラのことですわね? ライバルですもの。視線を向けて当然ですわ」
「い、いやいや、それが、視線、違うんですよ……勝負を挑む目じゃなくて、こう、どきどきしながら見てるみたいな……」
「……どきどき?」
「わたし、平民の村にいた頃、隣のお姉さんが、片想いのお相手を遠くから見てる時の目が、まさにあれで……」
「ナナ。それは、貴族の決闘文化を理解できるようになれば分かりますわ」
「す、すみません、すみません、ですよね、たぶん間違ってますよね、ええ……っ」
ナナはぺこぺこ、と頭を下げた。緑の猫耳が、しゅんと垂れた。
漢として、相手が自分を好いているなどと勘違いすることほど痛いことはない。
……ただ、心の片隅にちょっとだけ引っかかったのも事実だった。
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アリアンドラには計画があった。
ユリナティーネ・ソーマの弱点を探ること。
母は言った。ユリナティーネに勝ちなさい、と。
それは命令であり、期待であり、アリアンドラにとっては、母がこちらを見てくれる数少ない合図でもあった。
あの女はどこか掴みどころがない。勝負を挑んでも楽しそうにしているし、こちらが本気を出しても「好敵手って感じがいい」などと言う。
あれは何なのか。本当に余裕があるのか、それとも底が知れないのか。
正面から崩すのは難しい。
ならば側面から攻める。
ユリナの弱点を知る人物——それはミアティーネだ。ユリナの双子の妹。いつもユリナのそばにいて、ユリナの私生活を最もよく知っているはずの存在。
ミアティーネに近づいて、ユリナの情報を得る。
完璧な作戦だ、とアリアンドラは思っていた。
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機会はすぐに来た。
学園での授業の合間、先生の用事でユリナとサリナが席を外した。
ミアが中庭のベンチに座っていた。少し離れた場所でナナが様子を見ていたが、会話に割って入る距離ではない。
アリアンドラは近づいた。
「ミアティーネ」
「……」
ミアは顔を上げた。アリアンドラを見て、少し首をかしげた。
「……アリアンドラ、ですの?」
「ええ。少し話せるかしら?」
「……お姉さまはいない、ですの」
「知っているわ。あなたに話があるの」
ミアはしばらくアリアンドラを見た。その目に感情が読みにくくて、アリアンドラは少し不安になったが、すぐにミアは頷いた。
「……いい、ですの」
アリアンドラはベンチに腰を下ろした。作戦通りだ。
「ユリナのことを教えてほしいの」
その瞬間、ミアの顔が変わった。ぱっ、と。明るくなった。
「お姉さまの話、していい、ですの?」
「……ええ、聞かせてほしいわ」
「……わかった!」
アリアンドラは内心で満足した。うまくいっている。ミアはユリナの話ができることが嬉しいらしい。情報を引き出しやすそうだ。
「たとえば、ユリナの弱いところとか……」
「……夜に弱い、ですの」
「……夜に?」
アリアンドラは身を乗り出した。金色の猫耳が、興味でぴんと前を向く。夜に弱い。何か秘密があるのかもしれない。睡眠が浅いとか、暗いところが苦手とか——
「……寝顔が、すごく無防備で、ですの」
「は?」
「……呼んでも、なかなか起きなくて、ですの」
「……え?」
「……寝ちゃうと、唇ぷにぷにしても、ゆすっても、もんでも、起きない、ですの」
「待って! 待って! それはユリナの弱点じゃなくて!! それに、も、もんでって、な、な、なにを……」
アリアンドラの金色のしっぽが、いつの間にか左右にせわしなく揺れていた。本人は気づいていない。指先が無意識に制服の袖口を握りしめていた。
これは弱点というより、妹が寝ている姉にいたずらをしている話で……
アリアンドラは妄想してしまった……アリアンドラが寝ているユリナに……ユリナに……顔が赤くなる……
ミアは不思議そうな顔をした。
「……弱いところって、そういうこと聞いてるんじゃないの、ですの?」
「ちがうわ! そういうんじゃないの! もっと……苦手なものとか、失敗しやすいこととか……」
「……ふーん」
ミアは少し考えた。
「……日向ぼっこに弱い、ですの」
「それは?」
「……お姉さま、うとうとしてねちゃう、ですの。そうしたら、私の肩にこてんってする。だから、起きるまで動かない、ですの」
肩に寄りかかってくるユリナ……目を閉じ長いまつげがきらめいて、寝息をそばで感じ、体温が肩から伝わってくる……
アリアンドラがついに扇を取り出して、自分を煽ぎ始めた。
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問題は、ミアが全く悪意を持っていないことだった。
ただ、ユリナの話ができることが嬉しくて。ユリナのことを知っている人がいるのが嬉しくて。当たり前のことを当たり前に話しているだけだ。
しかしアリアンドラの脳内では、ミアの言葉のひとつひとつが聞いてはいけないものに変換されていた。
寝顔の無防備さ。柔らかな唇。肩に寄りかかる重み。伝わる体温。
(違うわ! これは情報収集よ! 冷静に! 冷静に聞くのよ!)
アリアンドラは必死に自分に言い聞かせた。
「ミアティーネ、もっと……その、学業とか、訓練とか、そういう面での話はないかしら?」
「……あるよ」
「あるの?」
「……お姉さまは勉強を教えてくれるとき、ぴったいくっついてくる、ですの。すごく顔が近くなるん、ですの」
「!!」
「お姉さま、いつも、髪をかき上げて、いい匂いがする、ですの」
アリアンドラはもう何も言えなかった。
これは弱点の情報収集ではない。これはユリナへののろけ情報だ。
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そこへ。
「ミア、待たせたね」
ユリナが戻ってきた。
アリアンドラは反射的に立ち上がった。顔が。自分でも分かるくらい、真っ赤だった。
「ユリナ」
「なに?」
「……なんでもないわ」
「アリアンドラ? ミアと何を話していまして?」
「……べ、別に。ただのおしゃべりよ」
「そうですか。ミア、仲良くなれまして?」
「うん」
ミアがにっこりした。
「アリアンドラは顔が赤いようですけど?」
アリアンドラは目を逸らした。
「……なんか、わたくしが照れているみたいじゃない。そんなんじゃないわよ」
「照れてるのですか?」
「照れてないわ!」
「なんでそんなに顔が赤いのです?」
「暑いのよ! 今日は暑いわ!」
ユリナは少し笑った。
「まあいいですわ。またいつでもいらして。ミアも喜びますわ」
その言葉に、アリアンドラの心臓がまたおかしな動きをした。
(この……! なんで自然にそういうことが言えるの……!!)
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その夜、アリアンドラは自室で頭を抱えた。
作戦は失敗だった。ユリナの弱点は何も得られなかった。
ユリナは分かっていないようだが、あの笑顔は反則だ。
(自分が絶世の美少女として、騎士にも姫にも人気をかっさらっていることなど、きっと少しも自覚していないんですわ)
そんな彼女が無邪気に微笑んでくる。例えライバルでも、しっぽの高鳴りを抑えるのは難しい。
結局、得たものといえば、ユリナについての情報がひとつも役に立たない形でたくさんと、自分の顔が熱くなりやすくなったという事実だけだ。
母カトリーナから、ユリナに勝ちなさいと叩き込まれてきた。
ここでやめたら、母がこちらを見てくれる理由まで失ってしまう気がした。
(もう一度……もう一度だけ、話を聞いてみましょう)
アリアンドラはそう決めた。
次こそは冷静に、有益な情報を得る。
弱点が駄目なら、私生活だ。日々の癖、持ち物、朝の習慣――そこに必ず、勝つための糸口があるはずだ。
(作戦続行よ)
(……絶対に、次こそは)




