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第7話 ライバル登場(なのになぜか私が楽しい)

 王立加護学園に入ったのは、十四歳の春だった。


 この国の子供は十四歳で王立学園に入り、十六歳の成人の儀まで、加護と礼法の基礎を学ぶ。成人の儀で加護を正式に鑑定され、その後は姫と騎士に分かれて本格的な授業へ進む。


 その朝、馬車には私とミアとサリナがいた。


 ミアは私の隣で静かに眠り、同い年のメイドであるサリナは、窓の外を落ち着いて眺めている。


 ちなみにサリナも貴族である。なぜ、うちでメイドをしているのかは不明だ。


 目が離せない女の子が二人。ハーレムではない。断じてない。


---


 学園の正門をくぐると、入学式の前に、生徒たちは大広間に集められた。


 女子しかいない世界なので当然だが、見渡す限り女子生徒である。その視線が、やたらこちらに集まっていた。


 ミアの髪がめずらしいのだろうか。


 (お姉ちゃん、しっかりミアを守るからね)


 背筋を伸ばした、その瞬間。


『きゃーっ、今の顔、可愛くて凛々しい……!』


 周りの生徒たちが、なぜか小さく沸いた。


 何事ぞ。


 改めて、周りを見渡す。


 そこは、貴族家ごとに整列し、簡単な挨拶を交わす場だ。特別、何もない。


 その時——


「ソーマ家の、ユリナティーネさん」


 声をかけられた。


 周りからは「何よあいつ」「抜け駆けよ」などと、声が聞こえる。この人、有名人なのかな?


 それはさておき、一旦、声をかけてきた人物に集中した。


 声の主は、ひとりの令嬢だった。背は私より少し高く、髪は燃えるような赤茶色。同じ赤茶色の猫耳が、敵意を含んでぴんと前を向き、しっぽが既にわずかに逆立っていた。鋭い切れ長の目が、私を真っ直ぐに射ていた。


「……あなたは?」


「グリムワルド伯爵家のヴェロニカ。ヴェロニカ・グリムワルドですわ」


 名前を言いながら、ヴェロニカは軽く扇を広げた。


 ……グリムワルド家。


 記憶を辿る。確か——五十年ほど前の災厄で、領地の大半を失った家だ。家督を継ぐべき娘も、その時に喪われた。今は分家筋がかろうじて家名を保っている、零落寸前の伯爵家。


「初めまして、ヴェロニカ嬢」


 私は淑女として、礼を返した。


 ヴェロニカが扇の影で、薄く笑った。


「あなたが、噂のソーマ家のユリナティーネさん。例の双子の姉、ですわよね」


 ……例の双子?


 私は首を、わずかにかしげた。


 双子であることは、事実だ。でも、それを「例の」と呼ぶのは、何か含みがある言い方だった。


「……噂、でしょうか」


「噂ですわ。でも、火のないところに煙は立たないと申しますわよね」


 ヴェロニカの目が、私の隣のミアを睨みつけた。まるで汚い何かを見るように。


 ミアはいつも通り、無表情だった。眠そうな目でヴェロニカを見返していた。


「グリムワルド家は、過去の災厄で多くを失いましたの。代々、ある血の問題に関する記録を残しております。その問題が家にもたらす『災い』についても、ね」


「……ある血の問題、と申しますと?」


「分からないのなら、それで結構ですわ。いずれ、世が、教えてくれますもの」


 ヴェロニカが扇で口元を隠した。隠した口の端が、わずかに上がっていた。


「お気をつけになって。ソーマ家も、いつ崩れるか分かりませんことよ」


 ヴェロニカはそれだけ言って、扇を閉じ、私に向けて払うように動かすと、踵を返した。


 私はしばらく、その後ろ姿を見ていた。……これは、挑戦状だわ。敵だ。漢の本能で、貴族の風習で、そう判断した。純粋な敵意だった。


 「ある血の問題」が何を意味するのか、私にはまだ分からない。


 けれど、ヴェロニカ・グリムワルドがミアを傷つけようとしていることだけは分かった。


「お姉さま」


 ミアが私の袖を引いた。


「……あの人、こわい、ですの?」


「ええ。少し、こわい人ですわ」


「お姉さま、守る、ですの」


「いいえ、ミア」


 私はミアの頭に手を置いた。


「お姉ちゃんが、ミアを守りますわ」


 ミアは少しだけ目を伏せて、こくりと頷いた。


「……うん」


 ……守る。


 ハーレム計画だ何だと言っても、第一目標はミアを生かすことだ。


 ヴェロニカのように、ミアを「敵」と認識する人間は、これからも現れるかもしれない。


 その全部から、ミアを守る。


 そのための私で、そのための剣で、そのためのハーレムだ。


 ……気合を入れ直した。


---


 その時、横から、おずおずとした別の声がした。


「……あ、あの、すみません……ソーマ家の、ユリナティーネ様、ですよね……?」


 振り向くと、見慣れない令嬢が、両手で教科書を抱えて、立っていた。


 茶色の髪を肩で切りそろえたボブ、緑がかった茶色の猫耳が、戸惑いで左右にぱたぱたと揺れている。学園の制服を着ているが、縫製がほんの少し質素で、靴は明らかに使い古されていた。


 ……奨学生だ、と一目でわかった。


「ええ、ユリナティーネ・ソーマですわ。あなたは?」


「ナ、ナナ・ルミエ、と申します。平民の家からの、奨学生で……あ、あの、さっきのお話、近くにいて、聞こえてしまったんですけど」


 ナナと名乗った少女は、頭をぺこりと下げた。


「さっきの、赤茶色の髪の方、なんで……いきなり、ソーマ家が崩れるとか、おっしゃってきたんですか? あれ、すごく、こわい人ですよね……?」


 ……外側からの、まっすぐな視線だった。


 貴族の符牒を全部スルーして、ただ「怖い人がいる」と素直に言う。


 漢として、その感覚、まことにすがすがしい。


「ヴェロニカ嬢は、今、扇の動きで、わたくしの家に、宣戦布告をされましたの」


「せ、宣戦布告、ですか」


「ええ。扇を広げる、含みのある言葉、扇でこちらを指し、払う——あれは『あなたを敵と認定しました』という合図ですわ」


 この世界の貴族の所作の意味はリサに吹き込まれていた。「ミア様をほかの方に取られてはなりません」と。リサは意外と物知りだ。


「……扇に、そんなこわい意味が……」


 ナナの猫耳が、ぺたん、と力なく垂れた。


「貴族の世界、難しすぎませんか……?」


 私は思わず笑った。


 ……ハナと、似た反応だった。屋敷のメイド見習いハナが、いつも「お姫様の世界、難しすぎますの……」と垂れていた、あの猫耳と。


 ……平民の感覚は、どこへ行っても、共通らしい。


「ナナ・ルミエ嬢」


「は、はい」


「貴族の符牒は、二年あれば慣れますわ。それまでは、わからないことがあれば、わたくしにお聞きなさいな」


「……えっ、いいんですか?」


「ええ。同じ学園の新入生同士ですわ」


「は、はい……っ! ありがとうございます……っ!」


 ナナが、ぴょこ、と深く頭を下げた。緑の猫耳が、上下にぴょこぴょこと揺れた。


 ……漢として、判断した。


 (こいつ、面白いな)


 貴族の世界に染まっていない、まっすぐな視線の持ち主を、ひとり知り合いに置いておくのも悪くない。


---


 ナナと別れて、しばらく歩いた、その時。


 また別の声がこちらをまっすぐに呼んだ。


「ユリナティーネ・ソーマ」


 振り向いた。


---


 学園に入って最初に気づいたことがあった。


 この学園に、アリアンドラ・ディーテがいる。


 五年前、姉妹の誓約式の場で初めて会い、二年前にはディーテ公爵家のお茶会で勝負をした令嬢だ。


 姉妹の誓約式の時は、赤い顔でお辞儀をして、すぐに連れ去られてしまった。お茶会では、完璧な礼法で私を迎え、最後には「また勝負してさしあげてもよろしくてよ」と言っていた。


 記憶の中のアリアンドラは、小さくて緊張していて、それでも勝とうと真剣な子だった。


 けれど、再会したアリアンドラは背が伸びて、堂々とした立ち居振る舞いの令嬢になっていた。カトリーナ様に似てきたかな?


 ただ、私を見た瞬間の顔だけは、二年前のお茶会と同じだった。


 一瞬、何かを堪えるような顔をして。すぐに、整った笑顔に戻った。


 ただし——金色の猫耳がぴくっと跳ねて、しっぽの先が一瞬だけ嬉しそうに揺れたのは、私にはばっちり見えていた。アリアンドラ自身は、自分のしっぽが何を語っているか、気づいていない。


「ユリナティーネ・ソーマ」


「アリアンドラ・ディーテ。久しぶりですわ」


「……二年ぶりね」


 アリアンドラはしばらくの沈黙の後、私の目をまっすぐ見て応えた。


「今度こそ、あなたに勝つために来たわ」


 そう言ったアリアンドラの声は、まっすぐだった。


 ただし、金色のしっぽだけが、うれしそうに一度揺れた。


 本人は気づいていない。私は見た。見てしまった。


「では、勝負ですわね」


「ええ。まずは座学。次に礼法。最後に加護理論ですわ」


「三本勝負?」


「……それじゃ、すぐ終わって……」


「ん?」


「なんでもないわ。すべてよ。すべてが勝負ですべてに勝つわ」


「まぁ、それは楽しそうですこと。受けて立ちますわ」


 なぜだろう。笑みがこぼれてしまった。


---


 アリアンドラは賢かった。


 座学ではほぼ満点。礼法では扇の角度まで美しく、加護理論では先生に追加質問を浴びせる。


 カトリーナ夫人の娘として、確かに磨かれてきた人間だということが伝わってきた。


 そのアリアンドラが、何かにつけて私に勝負を挑んでくる。


 授業での成績対決、加護の練習での競争、食堂でのどちらの料理が先に出るかという謎の争い。


 私はそれらを、かなり楽しみながら受けた。


 漢として、好敵手との切磋琢磨は歓迎だ。それに、アリアンドラの力を引き出そうとする姿勢は純粋に見ていて気持ちがいい。


 ただ、困ったことがあった。


 アリアンドラが勝負を仕掛けるたびに、私が笑っているものだから。


「なんで笑っているの!?」


「楽しいからですわ」


「楽しい……?」


「あなたが全力でくるから、こちらも気持ちがよくてですわ」


 アリアンドラが、固まった。


 何かを言いたそうに口を開けて、でも何も言えなくて、閉じた。


「ライバルって感じがして、よかったですわ。……好きな関係性ですわ」


「……す、好きって、ラ、ライバル、ね」


「そう……ですわ!」


 アリアンドラがじっと私を見た。何かを考えている顔だった。


---


 サリナに言われたのはその日の夕方だった。


「ユリナ様」


「なに?」


「アリアンドラさん……少し可哀想ですわ」


「え? なんで?」


 サリナは少し困ったような顔をした。


「……全力で挑んでくるのに、ユリナ様には遊びに見えているでしょう?」


「遊びじゃないけど……」


「でも、楽しそうですわ」


「……まあ、楽しいのは本当だけど」


「本気で勝ちにきている相手に、楽しそうな顔で向き合われると、勝っても負けても、どこか釈然としない気持ちになると思いますわ」


 私はしばらく考えた。


「……そういうものかな」


「そういうものだと思いますわ」


 サリナは静かに言った。


 私は少し反省した。


 相手の気持ちを考えることも大事だ。アリアンドラが何を求めてこちらに挑んでくるのかを、もう少し丁寧に考えるべきかもしれない。


---


 翌日、アリアンドラが今度はミアに近づいていった。


 私は少し離れた場所から見ていた。


 私は遠くから見ていたが、ミアの表情が生き生きしているのが見えた。普段はあまり表情を変えないミアが、私の話をする時だけはそうなる。


 対するアリアンドラは——五分後に、顔が真っ赤になっていた。


 (……何を話してるんだ、ミア)


 ミアは嬉しそうで、アリアンドラはいつも少し顔が赤かった。


 私が近づくと、アリアンドラが急に声のトーンを変えた。


「ユリナ」


「なに?」


「……なんでもないわ」


 そして別の方向を向く。


 何かがこの二人の間で起きているような気がしたが、私には全容がわからなかった。


「サリナ、あの二人、何を話してると思う?」


「……さあ。ユリナ様のことではないかしら」


「なんで?」


「なんとなく、ですわ」


 サリナは少しだけ微笑んでいた。


 なんとなく、ですわ、なんとなく……置いていかれているような気が……


 でもまあ、ミアが楽しそうならいい。そう思っていた。


 その頃にはもう、先生に呼ばれる用事が増え始めていた。


 成績のいい私とサリナだけが、教室を空ける時間。つまり、ミアが一人になる時間が。


 そして私はまだ知らなかった。その隙間を、赤茶色のしっぽが待っていたことを。


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