第七夜 愛しき眼鏡さん(中編)
「なあ、篠宮……俺さ、小学生の時に始めて女の子とキスをしたんだ」
「……! 続けたまえ……」
――タケルが静かに語り出す
*
そう、あれはまだ俺が眼鏡になんの興味もない、小学生だった頃の話だ。あの頃、既にまわりの小学生は、割と眼鏡をかけている子が多かったのだが、うちのクラスには数人程しかいなかったんだ。
そんな時、さっき話をした眼鏡をかけたら積極的になった子がいたと言ったろ?
背は小さくて痩せていたけど、元気な小動物……そう、柴犬だ。柴犬の子犬って感じの子だった。そして尻まで届く長い髪を左右二つの三つ編みにして、元気に振り回していた。
その子の名は、「三石彩乃」。
学校行事の林間学校で山に合宿にいった時のことだ。俺と彩乃は同じ班で、その日は山頂まで軽い登山をしていた。
下山時、どこで道を間違えたのか班から、はぐれてしまった。きっと山頂を背に下に降りて行けば大丈夫だろう。と、けもの道っぽい細い道を二人で歩いていった。鬱蒼とした山林。次第に日は傾き薄暗くなる。
あんなに元気で明るい彩乃が静かになっていた。うつむいて静かに泣いていた。よく見ると眼鏡のレンズに涙が溜まっているのがわかった。俺は持っていた自分のタオルで顔ごとその涙を拭った。
「うわぁぁぁん」
気持ちが高ぶってしまったのだろうか。大声で泣き出したと思ったら、急に思い切り抱きついてきた。
そして少しずり落ちていた眼鏡をそのままに俺の顔にそれを押し付けつつ、いきなり唇と唇が吸い付いた。
震えているのがわかった。
俺はその時はその意味もキスもよくわからなかったが同じように唇で唇をこすっていた。
眼鏡のレンズ越しに見えたその顔には、大粒の涙が眼鏡と頬を濡らしていた。
少しホッとしたような微妙な笑顔を覗かせていた。俺もなんだか落ち着いてきた。
遭難したといってもそう遠くまで歩けた訳でもなく。すぐに先生に見つけてもらえるだろうと高をくくっていたが……。
結局俺ら二人は夜七時頃には、先生に発見されて、合宿所でこってりしぼられることになってねえ。
*
「そんなこともあり、俺の眼鏡好きは小学生の時の体験と強く結びついているわけだが、今もなお女子の眼鏡を見ただけで少し気持ちが高ぶるんだ」
「すごい告白を聞いてしまった。なるほど……その時のキスや熱い気持ちを眼鏡を見るたびに思い出すんだな?」
「それだけじゃさすがに……雫ちゃんがさ、なんとなく彩乃に似ているんだよなぁ」
タケルのやつ、雫にそこまで過去の思い出を重ねて……いるの?
*
次の日、雫が眼鏡をかけずに登校してきた。
「お、おい! 篠宮! 雫ちゃんが眼鏡をしてない……だと!?」
「あ、ほんとだ……昨日言ってたし、コンタクトにしたのかな?」
「由々しき、由々しき事態!」
いやタケルよ、流石にそこは雫の好きなようにさせなよ。
「どお? コンタクトにしてみたんだ! ふふ」
雫が前髪を軽くかきあげて、僕に顔を近づけて上目遣いで瞳を見せてきた。
「ん、いいんじゃない? 悪くないよ……」
「なんだか、あまり反応がよくないなあ」
正直な感想。だって、雫は雫だよ? 眼鏡があろうがなかろうが。じっと見つめてくる雫は、眼鏡越しの時よりも、なんだか表情がわかりやすく感じる。なんだか僕の反応にがっかりしている?
「……!」
「ちょっ、お前目が真っ赤じゃないか! 保健室に行こう」
コンタクトレンズに慣れていないからか、雫の目が真っ赤になってすごいことになっている。
――保険の先生がいなかった
雫はあらかじめ目薬を持っていたので点眼し、コンタクトレンズを外した。
「雫、コンタクトレンズは、あまり乗り気じゃなかったみたいなのになんでまた」
「だって、さっちゃんがさ、『眼鏡外した可愛い雫を見せたら、つぐのぶが惚れちゃうぞ』って言うもんだから。
「は? 僕は別に眼鏡をしてようがいまいが関係ないと思うけどなあ。雫は雫だし」
正直そう思う。
「コンタクト向いてないんじゃないか? 眼鏡でいいじゃん」
「ん」
雫は、目を伏せがちに、鞄からメガネケースを出していつもの眼鏡をスッとかけた。
その時、お姫様カットのもみあげが眼鏡のツルにはさまっていたのでなんともなしに手をかけて髪をかきあげてやった。
……はっとした。
目と目があって視線をそらせない。
急に恥ずかしくなってきた。
雫もなんだか照れくさいようで耳まで真っ赤になっていた。
「ご、ごめん。つい。きになっちゃって」
「ん、いいよ。ありがとね」
ほろりと目薬と涙のまざった「しずく」が、瞳から流れ眼鏡のレンズでとまる。
瞳がキラキラと輝いて見えた。
なんだか眼鏡越しの雫、妙に可愛く見える。
―― 後編へ つづく ――




