表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/9

4. 魔犬の餌食

 夜にもかかわらず、テコムの中心部にある広場には村人全員が集められ、一体これから何が起きるのか、一同は騒然としながら事態を見守っていた。


 皆、それぞれ家でくつろいでいたところを急に呼び出されたのだから無理もあるまい。しかも、そんな彼らの前には物々しい武装をした騎士団四十名ほどがおり、身じろぎひとつせずに睨みを利かせている。不安を覚えずにはいられなかった。


 ひとつだけ幸いだったのは、先刻までの雨が上がったことだ。辺りをひんやりとした空気が包んでいる。


 しばらくすると、村人たちの前に一人の男が進み出た。意匠の凝らされた甲冑を身につけ、軍馬に跨ったままおびえる村人たちを睥睨する。この騎士団を統率している者だろう、その眼光は射抜くように鋭かった。


「これで全員か?」


 馬上の男は銅鑼どら声で村長に尋ねた。


 一度、背後の村人たちを見回してから、村長はコクコクとうなずく。声すら発せられない。騎士の持つ威圧感に、すっかり萎縮していた。


「よし。──村人ども、よく聞け! 私はブリトン王国ダクダバッド方面軍司令のヘルムカ将軍だ!」


 ヘルムカと名乗った司令官は、どの騎士よりも村人たちを震え上がらせた。背はそれほど高くないが、口許に立派な髭を蓄え、威厳を見せつけている。手には乗馬用のステッキを持ち、それをへし折りそうなくらい限界まで曲げていた。


「私は今、ある犯罪者を追っている! 国家の重要な機密を盗み出し、他国へ持ち込もうとしている裏切り者だ! 我々は王都パイロより追跡して来たが、其奴はこの付近で消息を絶った! しかも追跡していた私の部下を四人も殺害してな!」


 騎士たちが訪れた理由を聞かされ、村人たちは一様に顔を見合わせた。平穏な村では経験したこともないショッキングな事件だ。


「先刻、この村の近くにある沢で部下たちの死体を発見した! おそらく、この近辺に潜伏しているものと思われる! そこで諸君の協力を得て、その罪人を捕らえたい! もし、怪しい人物に心当たりがあるなら、今すぐ報告してくれたまえ!」


 ヘルムカは村人たちに対して、高圧的に言った。決して協力などという生易しいものではない。怪しい者を知っているなら、すぐに突き出せと命じているのだ。


 ダクダバッド方面軍と言えば、ブリトン王国の中でも数々の実戦を重ねてきた指折りの猛者たちだった。


 元々、ダクダバッド共和国とガリ公国の戦争に、王都パイロから援軍として送られた実戦部隊だ。約二年もの間、ダクダバッドの友軍として戦闘に参加した。


 その輝かしい戦歴は国中に轟いており、ブリトン王国ではカルルマン王子直属の精鋭騎士団と並び、国内最強と目されている。


「恐れながら──」


 村長がおどおどしながら、ヘルムカに口を開いた。こんな役職でなければ、他の者の陰にでも隠れていたいところだろうに。


 しかし、村を代表する以上はそうもしていられない。姿勢を低くし、及び腰で強面の司令官を見上げた。


「ここに逃げ込んだという、何か確かな証拠があるのでしょうか? ひょっとすると、すでにもっと遠くへ逃げてしまっているかも知れません」


 自身の願望も含めた考えを述べる村長に、馬上のヘルムカはニヤリと笑みを浮かべた。


「いや、ヤツはそう遠くへは行けないはずだ。なぜなら、かなりの深手を負っているからな。──ボギー!」


 後ろを振り向いたヘルムカは、誰かを呼ぶかのように名前を叫んだ。


 すると騎馬隊が揃って動き、左右に道を開けた。その間を割るように出現したものを目にし、村人たちから恐怖の悲鳴が上がる。


「グォオオオオオッ!」


 身の毛もよだつ咆哮が夜気を震わせた。


 ヘルムカに呼ばれたのは彼の部下などではない。軍馬の倍は優にある巨大な四肢を持った黒い犬であった。


 その凶暴性は誰が見ても明らかだった。眼は狂ったように血走り、鋭い牙が覗いた口からは大量の涎がしたたっている。首には、その獰猛さにふさわしい棘だらけの首輪が嵌められていた。


「キャアアアアアッ!」


 怪物としか思えない巨体の犬を前にして、これまで穏便に暮らしてきた村人たちが、その場に留まれるはずがなかった。皆、一斉に逃げ出そうとする。


 だが、それを素早くヘルムカの部下たちが取り囲み、逃げ道を塞いでしまう。


「静かにしろ! この場に留まるのなら、お前たちの安全は保障する! 但し、そうでない者は、このボギーの餌食になると肝に銘じておけ!」


 ヘルムカの脅しに、村人たちは恐れおののいた。どうしようも出来ず、自然と互いに身を寄せ合うようにして震える。


 その中にはルンたち母子もいた。


「か、母さん!」


「大丈夫! あたしから離れるんじゃないよ!」


 幼いクリオとエイミーはすっかりおびえ、泣きじゃくっていた。マーサがきつく抱き締める。


 ルンも泣きこそしなかったが、母の腕にすがりつくようにしていた。


 村人たちのパニックが収まるのを見計らってから、ヘルムカは続けた。


「諸君に紹介しよう。これが私の愛犬、ボギーだ。もちろん、普通の犬ではない。ヘルハウンドというモンスターだ」


 ヘルハウンドのボギーは低い唸り声を発していた。こんなのが暴れ出したら、どんなに束になろうと凡人では止めようがない。


「私は、こいつが赤ん坊の頃から育てていてな。今はこうして良く懐き、一緒にダクダバッドの戦場へも行ったことがある。私にとっては、どんな部下よりも信頼できる相棒だ」


 そう言って、ヘルムカはすり寄ってくるヘルハウンドのボギーを撫でた。


 確かに、育ての親であるヘルムカには従順らしい。けれども、だからといって村人たちがすぐさま可愛い愛犬ペットだなどと信じられるはずがなかった。


「今、追っている罪人もボギーに追わせたのだが、雨のせいでヤツの痕跡が流されてしまった。代わりにヤツからもぎ取った左腕を咥えて戻って来たがな。つまり今のヤツには左腕がない。どうだ、そのような人物に心当たりはないか?」


 ヘルムカは村人の一人一人に疑わしい視線を向けながら尋ねた。


 身をすくませたのは、ルンたち母子である。左腕を失った男――黒尽くめの吟遊詩人が運んで来た、あの男に違いなかった。


 真実を話すべきか、ルンは迷った。


 広場に集まったのはテコムの住民であるルンたち家族四人だけ。村とは無関係なウィルと負傷している男は、そのまま家に残ってもらっていた。怪我人を無理に動かすわけにいかないし、看護する者も一人は必要だろうと考えたからだ。


 しかし、もしも手当てをした男が、この陰険そうな将軍の言うような罪人であれば、素直に引き渡すべきかも知れない。


 ルンは母マーサの顔を見た。


 すると、マーサもこちらを見ていた。娘の言いたいことを察しているようだが、母の目は「言うな」と告げている。


 どうして、と唇の動きだけでルンは尋ねた。


 返事の代わりに、ルンの背中に回されたマーサの手がギュッと握り締められる。意外なほど強い力がルンに伝わった。絶対に喋ってはいけない、と言われているかのようだ。


 誰も告発しようと進み出ない様子に、てっきりヘルムカ将軍は苛立ちを募らせるかと思いきや、再びよこしまな笑みを浮かべた。


 何か良からぬことを企んでいるに違いない。村人の誰もが確信し、嫌な予感が背筋をゾッとさせる。


「まあ、いい。これから一軒一軒の家を調べさせてもらう。この程度の村、そんなに手間取らないだろうしな。その前に──村長!」


「は、はい!」


 首をすくめるようにして、村長は馬上のヘルムカを見上げた。死刑でも宣告されるのではないか、という悪い想像でも働かせているらしく、必要以上にビクビクしている。


「捜索を始める前にひとつ頼みがある」


「ど、どのようなことでございましょうか……?」


「ボギーのために食事を用意してもらいたい」


「しょ、食事ですと?」


 気の毒になるくらい村長の顔は真っ青だった。ヘルムカは持っている乗馬用のステッキを反対側の手の平に、ピシャッ、ピシャッ、と何度も叩きつける。


「そうだ。逃亡者の追跡をさせたから、こいつも腹を空かせたはず。しっかり食事の時間を守ってやらないと不機嫌になるんでな。そう心配せずとも、贅沢を言うつもりはない。生きた仔羊の一頭もいれば足りるだろう」


 理不尽とも思える要求に、村長を初め、村人たちは総毛立った。


 相変わらずヘルムカの隣にいるヘルハウンドのボギーは低い唸り声を漏らしている。要求が叶えられなければ村人の誰かを犠牲にする、と言わんばかりに。


「……ヨゼフ、すまぬが、お前のところに年老いた山羊が一頭おったな」


 村長は村人の一人に声をかけた。そのヨゼフという村人の目が見開かれる。


「そ、村長……」


「頼む。みんなのためと思って、ここに連れて来てくれ。この償いは、村のみんなでさせてもらうから」


 村長の頼みに、ヨゼフは渋々ながら了承した。いや、この状況で断るのは難しかっただろう。ここには老若男女を問わず、村人全員が集められているのだ。


 ヨゼフは二人の騎士の見張りをつけられ、一度、自分の家に戻り、飼っていた一頭の白い山羊を引っ張って来た。かなり年老いて弱った山羊で、歩くのさえもやっとという感じだ。


「随分とくたびれた山羊だな。まあ、いい。お前は下がれ。でないと、お前もボギーの餌になってしまうぞ」


 そう言って、ヘルムカは自分のブラックジョークを気に入ったのか、あざけるように笑った。


 ヨゼフはがっくりと肩を落としながら、ボギーの前に山羊を置いたまま、村人たちの中に戻った。うな垂れるヨゼフを村長や他の村人たちが慰める。


 ボギーは今にも喰らいつかんとする衝動を必死にこらえている様子で、主人であるヘルムカから出される合図を待っていた。


 生贄に捧げられた山羊は逃げようともしなかった。まるで、これから己の身に降りかかる運命さだめを受け入れたかのように。ただ一度、村人たちの中で見守っている飼い主のヨゼフの方を振り返って、悲しげにいた。


「いいぞ、ボギー」


 ヘルムカの合図と同時に、ボギーは生け贄の山羊に首から齧りついた。その勢いと獰猛さ。バキッという骨が噛み砕かれる不吉な音が広場に響いた。


 女子供ばかりでなく、多くの村人が目を背けた。肉を咀嚼する、クチャクチャというおぞましい音が耳から離れない。


 広場の地面にはおびただしいほど広がった山羊の血。その生臭さが村人たちの気分を悪くさせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ