3. 手つかずの晩餐
「考え事は後々!」
ルンとウィルの背中を押すように、マーサはテーブルの方へ促した。重苦しい空気に耐えられなくなったようだ。
「とにかく腹が減ったよ。──アンタも食べていきな。すぐ用意するからさ」
そう言って、マーサ自身は台所の方へ向かう。
母の考えに賛同したルンは、まだ濡れたままであるウィルのマントの裾を引っ張った。
「ウィル、あなたも是非そうして! その服も乾かさなきゃ」
「いや、オレは……」
ウィルは断ろうとしたが、ルンは半ば強引に食卓へと招いた。
テーブルにはルンの弟妹たちが夕食を心待ちにして座っていた。そこへ姿を現したウィルに、先程と同じく身体が固まったような反応になり、美麗の吟遊詩人をまじまじと凝視する。
「紹介するわね。こっちが弟のクリオ。そして、妹のエイミー。十一歳と九歳よ。──こちらはウィルさん。吟遊詩人なんですって。ほら、アンタたち、ご挨拶はどうしたの?」
ルンは弟たちを促したが、いずれも動けなかった。すっかり緊張してしまっているようだ。これにはルンも苦笑するしかなかった。
「ほらほら、いつまで突っ立っているんだい?」
マーサが籠いっぱいに入れたパンを運んで来た。焼き立てらしく、食欲をそそる香ばしい匂いがする。空腹には堪らない。
「ウチはパン屋なの。だから、パンだけはお腹いっぱい食べられるのよ」
「パン以外のものは碌に食べさせてやれなくて悪かったわねえ」
ルンの言葉に、マーサはトゲのある口調で返した。テーブルの真ん中に山盛りのパンが置かれる。
「元々は父さんがこの店を始めたんだけど、十二年前に亡くなってからは母さんの仕事になってね。本当は、私のお兄ちゃんが跡を継ぐはずだったんだけど」
ルンは母を手伝い、テーブルに皿を並べた。その上にマーサがパンを乗せる。
「そのお兄ちゃんも二年前、もっとみんなに楽をさせてやるって、突然、ダクダバッドとガリの戦争へ行ってしまったの。傭兵になって稼ぐんだって」
ブリトン王国の南方と接しているダクダバッド共和国とガリ公国の争いは、単なる小国の小競り合いに留まらなかった。
先にガリ公国へ攻め入ったのはダクダバッド共和国だ。政治的な理由と言うよりも、一部、軍部の暴走が招いた戦争だったらしい。
だが、戦いが拡大すれば、どちらに非があるかなど意味を失う。あるのは、どちらが勝って終わるかであり、戦火に炙り出された周辺国にとっては、どちらに味方すれば得であるか、しかない。
五大王国のひとつとして名高いブリトン王国ではあるが、現国王ダラス二世が重い病に伏せて以来、国政に乱れと停滞が生じていた。その最たるものは、国内第二の都市セルモアの独立自治問題であろう。
セルモアは古来よりミスリル銀の産地と知られ、また大陸西方における流通の要所でもあった。その経済力と天然の要害を盾に、セルモアの領主は王国からの独立を主張し始めたのだ。
もちろん王国からすれば、簡単に容認できるはずもない。
しかし、国王の代行として権勢を振るう無能な宰相──それこそ自分の地位と財産を守ることしか頭にない臣下──が、そのような難題を処理できるはずもなく、セルモア領主の目論見通り、独立自治が行われるようになってしまった。
本来であれば、ダラス二世にとって唯一の血筋であるカルルマン王子が、国王の代理、または跡継ぎとして立つのが筋であっただろう。
カルルマンは、すでに二十七歳。《鮮血の王子》という異名を持ち、主に戦の場において名を知らしめていたが、決して内政にも疎いわけではなく、その才覚は昔から認められていた。
ところが、父王ダラス二世との仲はかねてより険悪で、玉座を得るには王の死が認められなければ適わぬとされていた。そのため、余計に混沌とした状況の不安定さが長引いているのだ。
よって、王国としては大切な収入源であるセルモアから搾り取れないとなると、他の部分での補填が必要とされた。そのときに起こったのが、隣国ダクダバッドとガリによる衝突だ。
ブリトン王国の宰相は独断でダクダバッドへの援助を早々に決め、補給物資の運搬や、ときには援軍の派遣なども行い、その後の見返りを求めた。
大方の予想通り、国力に劣るガリ公国は奮戦も空しく敗北したが、その直後、またしてもダクダバッド共和国では軍内部による混乱が生じ、事態は未だ落ち着きを取り戻していない。無論、ブリトン王国へ施されるべき見返りなども未だ皆無だ。
国益を得るどころか、むしろ損失を被ることになってしまった宰相の執政は、民衆たちから不満の声が噴出し、一刻も早いカルルマン王子の治世が望まれるようになっているという。
先行き不安な国の治世に国民たちの心は暗く沈んでいたが、少なくともここには戦争が終わってホッとしている少女が一人いた。
「その戦争もこの前、終わったって言うし、軍同士のいざこざが絶えないダクダバッド共和国はグチャグチャ。きっともうすぐ、お兄ちゃんが帰ってくるはず。そうなれば昔みたいに家族五人で暮らせるわ」
ウィルに話しながら、ルンはその日を待ち遠しそうに夢見た。するとクリオとエイミーも騒ぎ出す。
「ホント? お兄ちゃん、帰って来る?」
「いつ帰って来るの? 明日? 明後日?」
二人の弟妹も、その兄が好きなのだろう。食卓の椅子から立ち上がるようにして姉に尋ねた。
だが、それに反して母マーサの顔は不機嫌そうだ。
「帰って来るとは限らないよ。勝手に戦争なんかに行っちまって。しかも、他所の国の戦争だよ。まったく、命知らずのバカとしか言いようがないね。ああいうバカは真っ先に死んじまうもんさ。あまり期待しない方がいいとあたしは思うね」
息子が出て行くとき、母親としてかなり反対したに違いない。マーサの口調には悔しさと憤りが含まれていた。
そんな母にルンは反論する。
「生きてるもん! そして、絶対に帰って来る! 約束したもの! お兄ちゃん、絶対に生きて戻って来るって!」
「そんな約束なんか当てになるもんかい」
「大丈夫だってば! どうして母さん、いつもお兄ちゃんに対して、そんなに冷たいの? お兄ちゃんのこと心配じゃないの?」
次第に半ベソになりながら、ルンは訴えた。
娘に少し言い過ぎたと反省したのか、マーサは押し黙ると、興奮を静めるように努めながら自分の席に着く。
「もういいから。スープが冷めてしまうよ。早く食べてしまいな。──お客人、アンタも席にお着きなさい。もう夜だ。何処かへ急ぐ旅でもないんだろ?」
マーサに促され、ウィルは濡れたマントの留め金に手をかけつつ、乾かそうと暖炉の方へ近づいた。
ルンも鼻をすすって、食卓へ着こうとする。
家のドアが激しくノックされたのは、そのときだった。
その場にいた家族が一様に顔を見合わせた。
「まったく……誰だろうねえ、人様の食事時を見計らったように訪ねて来るのは」
嘆息を漏らしつつ、マーサが一度は座った席を立ち、玄関まで応対に出た。
ルンも食事するより気になって、誰が来たのかと覗き込む。
マーサが玄関のドアを開けてみると、外に立っていたのはテコムの村長だった。髪の毛のない頭に滴る雨と汗を拭いながら、少し強張った表情をしている。慌ててここへ来たらしく、息も上がっていた。
村長は肩を上下させて大きく息をつくと、やっとのことで用件を切り出した。
「マーサさん。すまんが、みんなで広場へ集まってくれないか? 子供たちも、みんな一緒に」
思いもかけない話に、マーサは怪訝な顔をした。
「一体どういうことです、村長? 藪から棒に」
「驚かずに聞いてくれ。軍隊だ……軍隊がこの村にやって来たんだ。しかも村の者全員を広場に集めるよう言っている」
「軍隊?」
マーサは後ろにいる子供たちを振り返った。
ルンは胸騒ぎがした。息を詰める。
続けて、気の弱い村長はこう言った。
「どうやら、この村にとんでもない罪人が逃げ込んだらしい。それを捜していると言っている!」




