幸せな世界の穏やかな母娘
八百刃の一番の夢
『この先の家にお前の分身が居るんだな?』
白牙の言葉に穏やかな田舎町を歩くヤオンは、どこか浮かない顔で答える。
「まず、間違いない」
白牙は、周りを見て言う。
『お前の気が進まない気持ちも解る。こんな平和な世界で幸せに暮らしている分身からその幸せを奪う行為は、したくないのだろう』
ヤオンが複雑な顔をする。
「それもある。でも、それ以上に凄く嫌な予感がする」
白牙が真剣な顔をする。
『紫縛鎖辺りの策略の匂いか?』
ヤオンが首を横に振る。
「そういう、うち敗れる物じゃないと思う」
そして、ヤオンが問題の家のドアを叩こうとした時、扉が開いて女性が現れる。
「あんたも手伝いに来たんだろう。さっさとこれにお湯を入れてきな!」
いきなりの言葉にヤオンは、渡された桶を持って慌ててお湯を調達して持っていくと、ベッドの上では、一人の妊婦が破水していた。
「頑張るんだよ!」
必死に妊婦を応援する助産婦。
ヤオンも慌てて手伝いをする。
白牙は、既に外に出ていた。
そして、悪戦苦闘をしながらも女の赤ちゃんが生まれ、産声を上げた。
幸せがその場に広がっていく。
それを見ながらヤオンは、本当に困った顔をしていた。
赤ちゃんの誕生で町がお祭り騒ぎの中、ヤオンは、誰にも気付かれないように屋根に上がっていた。
『いきなりの展開で驚いたが、分身は、見つかったか?』
傍に来た白牙にヤオンが困った顔をする。
「今日子供を産んだ母親か、生まれたばかりの赤子が分身だよ」
それを聞いて白牙が言う。
『いくらなんでも妊婦のお腹の中に分身を生み出すなんて事をお前がする訳が無いから、母親がお前の分身か?』
それに対してヤオンは、首を横に振る。
「多分違う。だって八百刃は、あちきは、子供を産めない体だもん」
それを聞いて白牙が驚く。
『そんな訳が無かろう。新名だって使徒との間だが子供を産んでいるぞ!』
ヤオンは、自分のお腹を触りながら言う。
「新名は、子供を作れる体で神名者になった。あちきは、病弱だった事もあり、まだ子供が産める様になる前に神名者になった。前に白牙があちきの胸が大きくなる事は、考えづらいっていったでしょ。そんなのとは、比べ物に成らないほど高い属性としてあちきは、子供を産めないの」
長い沈黙の後、白牙が言う。
『それならば、あの赤子がお前の分身だな』
ヤオンが躊躇しながらも頷く。
「そうだと思う。でも、覚醒させたくない」
白牙は、何も言わない。
そのまま夜はふけて行く。
数日間、幸せそうな家族の様子を観察するヤオン。
その間、白牙は、何も言わない。
町唯一の宿屋のベッドに横になって居たヤオンが言う。
「ねえ、この分身一つくらい無くても良いと思わない?」
『そうだな。お前だったら、分身の一つくらい無くても十分にやっていけるだろう』
白牙も同意するが、ヤオンが苦笑する。
「御免。そんな事が許されないことくらいあちきが一番知っている筈なのに、くだらないことを聞いた」
それに対して白牙が言う。
『急ぐ必要は、無い。人の一生など短い物だ。その程度くらいどうにかなる筈だ』
ヤオンは、首を横に振る。
「そんな事が許される状況じゃない。それにあちきが見逃してもエーゼットが居るよ」
『奴が居たか……』
苦虫を噛み潰した顔をする白牙。
ヤオンは、覚悟を決めた。
「明日、覚醒させる」
ヤオンは、そう告げて蝋燭を消して布団を頭まで被る。
白牙は、辛そうに呟く。
『どうしてなのだ。どうして八百刃に普通の幸せを享受させられないのだ?』
翌日、ヤオンは、問題の家に行く。
ドアをノックすると父親が出てくる。
「君は、確か出産を手伝ってくれた子だよね」
ヤオンは、答えず、まっすぐ赤子の所に向かう。
そんなヤオンを見て母親が本能的に子供を庇う。
「この子は、私の赤ちゃんなんです! 奪わないで!」
父親もただならぬ状況を察知してヤオンを止めようとする。
「待て! 俺の妻と娘には、危害を加えさせないぞ!」
「白牙!」
ヤオンの言葉に答えて虎の姿になった白牙が父親の前に立ちふさがる。
『これは、全ての世界の為に必要な事だ。邪魔をしないでもらおう』
圧倒的な迫力を持つ白牙。
それでも父親は、土に耕すための鍬を持って言う。
「どんな事情があるか知らないが! 俺は、世界の全てを敵に回そうと妻と子供を護る!」
振り下ろされた鍬を白牙は、避けない。
『すまない。だが、お前の逆らおうとしているのは、神の意思なのだ』
振り下ろされた鍬が白牙の刺さること無く折れ、父親は、白牙の前足に押さえつけられる。
ゆっくり近づくヤオン。
「お願い! 私からこの子を奪わないで!」
ヤオンは、母親を振り払い、赤子を奪い取る。
「止めろ! 命が必要なら俺の命を代わりにやるから、妻と娘だけは、助けてくれ!」
悲痛な叫びを上げる父親。
ヤオンが赤子に力を注ぎ込もうとした時、母親が襲ってきた。
ヤオンが咄嗟に赤子を放して間合いをあけるほどの鋭い一撃。
「絶対に奪わせない!」
母親の鬼気迫る気迫にヤオンも戦闘モードに移ろうとしたが、その時に気付いてしまった。
「そういうこと?」
動きを止めるヤオンに白牙が言う。
『お前がやるのが辛いのなら、俺が母親を排除するぞ』
ヤオンが首を横に振って言う。
「随分とくだらない事をしたものね」
母親は、赤子を抱きしめて言う。
「何を言っているのか解らないわ! とにかく、私の赤ちゃんに手を出さないで!」
「そうだ! 妻と娘にこれ以上何かしたら絶対に許さないぞ!」
父親も必死に足掻く。
「白牙、父親の意識を失わせて」
ヤオンの言葉に白牙が戸惑う。
『別れくらい納得できる物にしてやるべきでは、無いのか?』
ヤオンが視線で促すと白牙は、父親の脳に軽い衝撃を打ち込み、意識を失わせる。
「貴方!」
駆け寄る母親。
「白牙、もう良いよ」
ヤオンの言葉に、子猫の姿になる白牙。
『どうなってるんだ?』
夫に縋りつく母親とその手の中に居る赤子を見てヤオンは、やりきれない気分になりながら言う。
「百姿獣、これ以上下らない出産ごっこに付き合わなくても良いよ」
母親の体が硬直する。
『百姿獣ってまさか!』
白牙も事情を察知する。
ヤオンは、自分で自分の傷口を抉る思いで告げる。
「百姿獣、これは、命令だよ。早く赤子の姿を止めなさい!」
重苦しい空気の中、赤子の体が崩れていく。
そして、スライム、数多の姿に変化する力を持つ、八百刃獣、百姿獣のデフォルト状態に戻る。
呆然とする母親。
「何で、何で私の赤ちゃんが溶けちゃったの?」
困惑した後、母親は、ヤオンに詰め寄り言う。
「私の赤ちゃんを返して!」
ヤオンは、その母親に八百刃としての力を注ぎこみ、八百刃の分身として覚醒させる。
覚醒した母親、八百刃の分身は、全てを思い出して泣き崩れる。
そんな分身にヤオンが言う。
「馬鹿、自分の子供を産むなんて、とっくの昔に諦めた事じゃない」
それに対して分身が言う。
「それでも、一度、自分のお腹を痛めて産んだ子供を育てて見たかったのよ!」
嗚咽する分身を抱きしめながらヤオンが言う。
「あちき達の子供だったらいるじゃない。あの子達の子孫が幸せに暮らせる世界を護ろうよ」
分身は、ただただ涙を流しながら言う。
「それでも、それでも、私は、子供を産んで育てたかった……」
ヤオンは、それ以上何も言わない。
分身は、泣き続けた後、涙を拭い、夫だった人間を見て言う。
「この人は、記憶を無くした私に優しくしてくれた。そして、私と一緒に家族を作るんだと嬉しそうにいってくれてたの。そんな時に百姿獣と遭遇して、ある程度の記憶を取り戻し、自分が子供を作れない事も思い出した」
分身は、夫だった男に触れながら言う。
「ほんの短い間で良いから、この人とこの人との子供とで、幸せな生活をおくりたかった。それで百姿獣に無理を言って、そして記憶を封印したの。御免なさいね」
百姿獣は、首を横に振る。
堪えきれず白牙が言う。
『一年、いや二、三年だったら、構わないはずだ!』
分身は、首を横に振る。
「駄目よ。私は、思い出してしまったもの。私には大切な子供達が居て、その子達の子孫が暮らす世界を見守っていくって大切な役目がある事を」
そして差し出される手にヤオンが手を合わせ、一つになる。
「記憶を調整して、次の分身を探しに行くよ」
そう告げるヤオンの目からも涙が零れ落ちるが、白牙と百姿獣は、気付かないふりをして記憶の調整し、ヤオンと一緒に次の分身を探しにでるのであった。




