エピローグ
シリウスが普段籠もっている、執務室の扉をノックする音がする。
「キリクか。入りなさい」
扉を開け、神妙な顔をしたキリクが姿を現す。
帝国を出たキリク達は、ミアタのいるムルタラでしばらく休息した後、ダマスクに戻ってきていた。
(ミアタはいくらでもいて良いと引き留めていたが)
「どうした、珍しいな」
そう言ってシリウスは執務机の前から立ち上がり、キリクをソファの方へ促しつつ、自身は棚の中からグラスとワインの入ったボトルを取り出す。
「飲むだろ?」そう言って返事を待たずに二人のグラスに注ぐ。
グラスに手をつける事もなく、うつむいたままのキリク。
「そういえば、来週帝国の外交使節団がくるぞ。もっと先の話かと思ったんだが、お互いに良いことだからと」
「そう、ですか」
「帝国は外交の窓口をお前に求めてきた。忙しくなる」そう言って間をおき「だから、悩んでいることがあるなら、今のうちに解決しておいた方がいいな」と諭すような口調で付け加える。
「……父さんに、聞きたいことがあります」
キリクのこの言葉に、シリウスが驚いたように眉をぴくりとあげる。入室時の扉のノックも珍しいことだった。最近のキリクは「イセリ様付き従者」とか「家令」と扉の前で名乗っていたのだ。
「どうした、父さんと呼ばれるのは、教都で騎士学校に入る前以来か」そう言って笑いながらグラスを口に運ぶ。
キリクも口を湿らせる程度にワインを口に入れる。
「……私は、私は何者なんですか」意を決したように聞く。
「私の息子であり、イセリ様の家令だ」シリウスが何を今更というように言う。
「それは……分かっています」強くなりそうな声を抑える。
「あぁ、分かっているだろう。ムロギアに何か吹き込まれたな」
その言葉にキリクが伏せていた顔を上げる。
「……お前は狂戦士だ、と」
上げられた顔がまた伏し目がちになり、それと連動するようにこのトーンも下がっていく。
「ふむ。厳密に言うと、それは嘘だな。だが、成りかけたと言うなら、確かにそうなのだろう」
「では、親子ではないと言う話しも!」シリウスの言葉に強く反応する。
「それもムロギアから言われたのか」少し驚いた表情をしながら自分とキリクのグラスにワインを足す。
「それも嘘だな。お前は私の息子だ」
「でも」
「私の息子だ。お前が気にしているのは、その狂戦士の血のことだろう」
「はい……。狂戦士の血を手元に置くために、息子と……言っていると」最後の方の言葉は、聞き取りにくいほど小さい。
「そうだな、少し昔話をしよう」
シリウスはキリクの言葉を聞いても表情を変えず、淡々と語り始めた。
「昔、貴族でもないのに腕を買われ、騎士学校を出た男がいた。血気盛んなその若者は、そのころ頻発していた帝国との小競り合いに志願、そこそこの戦功をあげる」
口を湿らせるように一口グラスに口を付ける。
「ある戦、帝国の領地に踏む込んだ戦の時、とある町が戦場となり、町の住民も被害を……あぁ、はっきり言うと教会の軍が襲ったんだな」
そう言ってシリウスはちらりとキリクの反応を見る。キリク自身も知識として軍隊に襲われた町がどうなるのか、理解はしていた。
「その若者は略奪には参加しなかったが、積極的に止めようとするわけでも無く、町をぶらついていた。そんな時、帝国にもあがめる神は違えど教会があることに気がつき、何となく興味に引かれて教会の中に入った」
キリクにはその若者が恐らく父なのだろうと、薄々気がついていた。
「中は外の町と同じように破壊され、中央に飾られていた木像は破壊され打ち倒されていた。若者はなにを思ったのかその壊された木像を元の形に並べると、手を合わせ祈っていた。なぜそうしようと思ったのかは分からない。何となく憐憫の情のような物が沸いたのかもしれない」
シリウスはまた一口ワインを飲む。キリクは静かに聞いている。
「そのとき、教会の隅で物音がしたので見てみると、がれきに隠れるようにして、教会に仕えていると思われる一人の女性がいた。とても怯えていた」
そこで少しシリウスの話が止まる。そのときのことを懐かしむように、その表情が少し穏やかになっていることにキリクは気づく。
「その若者は、その女性を一目見た瞬間、まぁ、なんというか、一目惚れという奴だ。健康的に日焼けした肌に、短く活動的に揃えられた艶やかな黒髪に、神秘的な黒い瞳。若者がその女性に目を奪われていたとき、後ろから同じ隊の者が声をかけてきた。教会に火をかけるから、早く外に出ろと言う。若者は焦った。ここに残せば女性は焼け死ぬ、外に連れ出しても邪教の徒としてどんな目に遭うかも分からない」
シリウスは反応が気になるのか、またちらりとキリクの方を見る。キリクは話の行く末が気になるのか、少し体を前のめりにして聞き入っている。それに気をよくしてシリウスが話を続ける。
「そこで若者は、軍隊のルールを利用することにした。町などを襲ったとき、そこにある戦利品は最初に見つけた者の物とすると言う奴だ。これは元々兵士の士気を上げて攻め込ませるために作ったものだ。若者はその女性に自分の戦利品になってほしいと懇願した。危険が迫っていて、そうすれば命の心配がないこと、教会圏に連れていかなければいけないが、機会を見て戻すことを誓うと、最初は女性は怯えた表情をしていたが、私が並べた木像と私の顔を交互に眺めて、まだ悩んでいたものの最終的には承諾した」
キリクはこの物語に興味はあったものの、話の終着点が見えないでいた。そもそもこの話が始まった理由はなんだったか。
「その女性の名はリディアという。お前の本当の母親だ」
「…………え?」
「リディアはお前を生むと亡くなってしまった。お前にそのことを言わなかったのは、リディアの遺言によるものだ」
キリクは頭の中が混乱していた。話が唐突に終わったと思ったら、自分が知りたかったことよりもっと衝撃を受ける事実が出てきた。自分の母親はアルミと言う名で、帝国で初めて知ったのだがイセリの姉だったのだ。そのことをシリウスが言わなかったのは、相続の問題が起きるのを避けたのだと思っていた。いや、それよりも母さんが母さんじゃない……え?
「混乱させてすまない。教都に戻った後、リディアは行く宛てがなかったこともあり、私の家に住み込むことになった。そして私はリディアに結婚を申し込んだのだが、帝国側の人間と結婚すると私に不利益になると、頑なに拒否された。お前を身ごもった後も、拒否された。だが、お腹の中にいるお前のことをとても心配していた。帝国の娘が産んだ子供、教会圏では迫害を受けるのではないかと。だから、死の間際に自分と親しくしていたアルミにお前を託したのだ」
キリクの中の混乱は収まってはいなかった。だが、まだもう一つの疑問が解決していなかった。
「では、狂戦士というのは?」
シリウスの今の説明で、自分がシリウスの実子だというのは理解できた。納得は行っていなかったが。だが、自分の中に眠る、イセリが言うあまり良くないものが何なのかの説明にはなっていなかった。
「その力も、リディアから受け継いだものだ。彼女の一族は代々その力を受け継いで生まれることがあるらしい。彼女自身も力は弱いものの、受け継いでいたようだ」
「一族?」
「そう。彼女が教会にいたのもその力を押さえる為で、信仰の為じゃない」
この押さえるという言葉にキリクが反応する。
「押さえることが出来る……?」
「なにを言っている。今までそうとは知らずとも、ずっと押さえてきただろう?思い出してみろ」
そのときキリクの脳裏に浮かんだのは、傭兵カイラギの言葉だった。
「イセリ様を守ることが自分を守ることになる……」つぶやくように出たキリクの言葉に、シリウスが反応する。
「ほう、その通りだが誰かに言われたのか?」
「ダマスクにいたときに、カイラギ様がこられてそのときに」
「なるほど。ではなぜそうなるのか、自分を守ることになるのかは分かるか?」
キリクはしばらく考え込む。
「……ダマスクにいたときは、純粋に身を守るという意味だと思っていました。ですが今は……精神的な部分でしょうか」
「半分正解だ。何もしないとき、お前の心は中立な状態にある。怒りに身を任せて力をふるったとき、お前の心は狂戦士に近づく」
キリクは地下闘技場のことを思い出し身震いする。イセリが呼びかけてくれていなければどうなったことか。
「お前が誰かを守ろうと思い行動すれば、お前の心は……」シリウスがいい淀む。
「心は?」キリクが先を知りたいという風に促す。
「良くなる」
「は?」
「すまん、実ははっきりとは分かっていない。一つだけ言われているのは、帝国の初代帝王や聖家族教の初代教皇なども、その力を持っていたと言われる。歴史的な偉人の逸話に、人々を魅了するというのがある。これがお前の宿している力の一つなのは間違いない」
キリクはこの言葉に愕然とする。ならばハリティア姫などから受けた好意も、自分に向けられた物では無いのでは、と。
「勘違いをするなよ。いつでもそんな便利な力が働くと思うな。さっきも言ったようにお前の心が曲がり、おのが為だけに力を望めばいつでも狂戦士の様な魔物に落ちる可能性がある」
「だから、イセリ姫を守る事が、自分を守ることになる、と」
「そうだ。自分のためではなく人のために使う力。その意識がお前を導いてくれるだろう」
「……よく分かりません」
「今はそれでいい。変に悩まずに、今の自分を信じろ。自分の息子ながら、いい男になったぞ。自慢の息子にな」
そう言って嬉しそうに笑いながらグラスをあおる。キリクもシリウスと久しぶりに親子の会話をした気がして、普段あまり飲まないワインが進んでいた。
「そうですね。それにイセリ姫を守ることが自分を守るって言うか、自分のためとか関係なく、イセリ姫を守っていきたいなぁとか……」
キリクは言った後にシリウスのにやけた顔を見て、口が滑り過ぎたことに気がつく。
シリウスはキリクのグラスに自分のグラスをぶつけ、大きく笑う。
「そうだな、むさいおっさんなんかより、かわいいお姫様を守ることこそ騎士の本懐だ」
「それでの、わらわは一人で十分じゃと言うたのじゃが、事務や護衛も必要だから連れて行けと父上がうるさくての」
そう言ってハリティアはかごに盛られていた焼き菓子を頬張る。
「おぉ、これはおいしいの。どこの菓子じゃ?」
「スロッテ菓子店よ……そうじゃなくて!」イセリがバンバンと机をたたく。
「なんじゃなんじゃ、紅茶がこぼれるではないか」
あわてて紅茶のカップを手に取り、一口飲むハリティア。それを見てキリクがハリティアのカップに紅茶を追加する。
「キリク殿もこちらへきて一緒に座るがよいぞ」
そう言って自分の座っているソファのすぐとなりをぽんぽんと叩く。
「いえ、まだ仕事がありますので……」
紅茶のポットを置き、自分の事務机に戻りながら少し困ったような顔で返事をする。
「キリクは忙しいのよ、あなたと違ってね!」
そう言ってハリティアの正面のソファに腕を組んでフンと座っているイセリ。
「主の方は暇そうなのにの」
「誰のせいでキリクが忙しくなったと思っているのよ!」
自分が暇なことを否定できない分、声が大きくなるイセリ。
「そんなに大きな声をださんでも聞こえておるわ」わざとらしく耳に指を入れるハリティア。
ここ最近、キリクは書類に埋もれていた。それもすべて、ハリティアがダマスクに外交使節として住むことになったからだ。
イセリ様の心の解放の代わりに、ダマスクに帝国と教会の架け橋となる場所を作りませんか、それがキリクがムロギアに持ちかけた提案だった。
その場にいる人間が望んでいないはずの戦争。しかし蓋を開けてみれば、きっかけさえあれば、小さなボタンの掛け違いがあれば、すぐに始まってしまう危うい均衡の元に築かれた停戦。
キリクの提案は、継続的で前向きな関係を持つのにとても有意義なものであり、ムロギアの面子も保つものであった。
しかしムロギアはこの提案を受けはしたものの、キリクによる発案、さらには南部諸国による陰謀の示唆など、そのまま受けるのは少し屈辱的だったようだ。
だが、少し思案した後、良いことを思いついたとでも言うようにニヤリと笑うとこう切り出した。
「ふむ。話は変わるが、ハリティアの事を今ではどう思っている?」
キリクがこの問いに戸惑っていると返事を待たずにムロギアが続ける。
「もしもの時でかまわないのだが、ハリティアが困っているような事があったとき、君の手の届く範囲でかまわないから、手を差し伸べると言葉にしてくれんか」と言った。
キリクはこの問いに対し、戸惑うことなく即答する。
「必ず」と。
「それを聞いて安心した。交渉は成立だ」
ムロギアが晴れやかな笑顔で去っていくのが、キリクの脳裏にはっきりと焼き付いていた。
そしてその言葉の意味が、これである。ムロギアは外交使節団のトップとして、ハリティアを送り込んできたのだ。
帝国からの外交使節を迎えるため、イセリとキリクが出迎えたところに、満面の笑みを浮かべたハリティアが降りてきたのだ。
キリクにしてみれば、イセリと自分の恩人であるハリティアが困っていれば、助けることに何の戸惑いもなかった。だが、帝国の姫であるハリティアに会うことなど、この先そうそうないだろうとも思っていたのだ。
確かに有効な人事だった。イセリとキリクに対して、ハリティアは強力なカードになると言うことは、ダマスクという国に対しても有効であり、さらに言うなら、シリウスに対しての牽制にもなるのだ。
「まったく。いくら政治的に有効だからって、自分の娘を敵地のど真ん中によく送り込む気になるわね、あの狐親父は」
イセリのこの言葉に、キリクも同意のうなずきを返す。
「じゃが、もしわらわが危険な目に遭いそうなら、キリク殿は全力でわらわを守ってくれるじゃろ?」
信頼しきっている屈託のない笑顔に、キリクは少し気恥ずかしさを覚えつつ「はい」と答える。
「ならここは教会圏で一番安心できる場所じゃ」そういってころころと笑う。
「はぁ〜」イセリは大きくため息をつく。
イセリはハリティアのことが嫌いではなかった。それどころか、好意と言っていい物すら持っていた。 だが、自分の中で波立つようなざわざわとした感情もあり、恩人でもあるハリティアに少し強く当たってしまい、そのことでも少し自己嫌悪に陥っていた。
そんなイセリをみてもハリティアは気を悪くした風もなくころころと笑っている。その大人びた態度もイセリを不安にさせる。不安?この不安がどこから来るものなのか分からないことが、イセリのイライラを煽っていた。
「イセリちゃん!遊びに来たわ!」
イセリは不安の種が増えたと思った。不安?ミアタにも?何を?ことここに来てイセリの中で答えが形を取り始める。
「いらっしゃいミアタ」
イセリが声をかけたが、扉を開けた姿勢で固まっているミアタ。
ハリティアを見つめている。と思ったら、中に入ってきてイセリの袖をつかむと部屋の隅につれていく。
「あれは誰」
「近い近い近い」鼻が触れるほど詰め寄るミアタ。
ミアタが振り返り、楽しそうにキリクと会話をしているハリティアと目が合う。にこりと微笑むハリティア。ぎこちなく微笑むというか顔がひきつるミアタ。
「誰!」イセリの肩をつかんで揺さぶる。
「ムロギア帝の娘、ハリティア姫よ」捕まれた肩を振り払う。
え?と言う表情で固まり、ゆっくりとまたハリティアの方をみるミアタ。それに気づいてニコニコと手を振り返すハリティア。
「美人だわ……イセリちゃん、これ以上キリク様に近づけちゃだめよ。えぇっと、間違いがあったら大変だから、ね」
「ミアタ様、紅茶が入りました」キリクが机に紅茶の入ったカップをおく。
「キリク様ありがとうございます」これ以上無い笑顔で振り返るミアタ。
「なんじゃ、おぬしもキリク殿のことが好きなのかえ?」
ハリティアが紅茶の味を聞く様に言う。盛大に紅茶を吹き出すミアタ。
「汚いわよミアタ」キリクに顔を拭いて貰うイセリ。
「ごめんなさいイセリちゃん、ハリティア様がとんでもないことを言い出すから」
「とんでもないとは何じゃ、あー」
「ムルタラのミアタ姫よ」今更ながらイセリがハリティアに紹介する。
「ミアタ姫よ。違ったのならすまなかったがの」不思議そうな顔をしている。
「いえ、その、違うって言うか、あれ、おぬしも?」ミアタは言いながらイセリの顔を見る。
「私じゃないわよ」イセリが否定すると、今度はハリティアの方を見る。
「わらわはキリク殿に求婚しておる所じゃ」
ミアタが口を大きく開けて固まり、持っていたカップを落とすと、盛大な音とともにカップが割れて中の紅茶をまき散らす。
「ちょっとミアタ何してるのよもう」
「ムルタラの姫は騒がしいのう」
「イセリちゃんどう言うこと!」
「あーもううるさい!」
キリクは書類の山に隠れるようにしてそういう話は本人のいない所でしてほしいと説に願っていた。




