八章 第一話
このまま行けばやり過ごせるかもしれない、キリクがその考えが甘かったことを後悔したのは、前を行く馬に乗った二人の偵察兵のうち、一人が振り返って折り返してきたときだった。
「その空馬は、どうされたのですか?」
キリクは、イセリを自分の前に乗せていた。夜しっかり眠れていないために、少し前にイセリが落馬しそうになったのだ。しかし逆にそのことが出回っている手配書に載っている二人組ではなかったため、通り過ぎる偵察兵に怪しまれずに済んだのだ。
折り返してくるまでは。
キリクはどう返そうか、迷ってはいなかった。相手は青龍騎士団の衣装をまとうキリクを疑うと言うより、とりあえず可能性を潰すために質問しに来た、ただそれだけに見えた。無警戒に。
外套を跳ね上げ、剣を抜き放ちざま兵士の首を切り落とす。そしてその首が落ちるのを確認するまもなく、マリーの腹に蹴りを入れ、興味なさそうに相方を待っている兵士に突進する。その馬の足音に気が付いた兵士が、ぎょっとしたような表情でキリクを見るが時すでに遅く、先の兵と同じ運命をたどる。
だがこのとき、驚いた敵兵の馬がよろけるようにマリーにぶつかり、その弾みでマリーが脇道の岩に足をぶつけて倒れ込む。
キリクは一緒に投げ出されたイセリを自分の体でかばうように包み込み、そのまま道の脇にたたき落とされる。
「きゃぁ!」
「ぐぁっ!」
背中に走る痛みで思わず声が出て、強く腕の中のイセリを抱きしめてしまう。
「キリク、く、苦しい」
その言葉にはっとして腕の力を緩める。
「申し訳ありまッッッッ!」
立ち上がろうとして、打ったわき腹の痛みに顔をしかめる。
「キリク!大丈夫!?どこか打ったの!?」
心配そうにイセリがキリクの背中をさする。
「大丈夫で……す、幸い骨が折れたりはしていないようです……イセリ様は大丈夫ですか?」
「私は大丈夫よ……キリクが守ってくれたから」
ほっとしたキリクが立ち上がったとき、街道に一騎の帝国兵と思われる兵士が、こちらを見て驚いた表情を浮かべているのに気がついた。
と、その兵士はすぐに馬首を返し、一目散に元来た道を戻り始める。
「まずい!」
キリクは叫んですぐにマリーに乗ろうと鐙に足をかけた瞬間、マリーが激しくいなないてキリクを振り落とそうとする。
「マリー、どうした!」
「キリク見て!けがをしているわ!」
言われてイセリが指を指しているマリーの前足をのぞきこむと、血を流しており、片足を地面につけないようにしている。
キリクはマリーを落ち着かせるが、逃げ出した兵の姿は見えなくなっていた。
キリクは即座に決断を下す。マリーに載せられていた荷物の中から、必要最小限の物を選んで抜き出したあと、自分の背中につけられていた帝国兵のマントを外し、マリーの鞍に結びつける。
「マリー、ここでお別れだ。この龍の紋章が入ったマントを見れば、保護してもらえるはずだ」
そう言ってなだめるようにマリーの首筋をたたくキリク。
「置いていくの?」心配そうにマリーを見るイセリ。
「大丈夫です。帝国の馬に害を加えるものなどこの辺にはいないでしょう」
そう言ってイセリの両脇を抱えると、エリーの上に載せる。
「行きましょう」
元々がマリーに二人で乗っていた。それがエリーに変わっただけなのだが、キリクには危惧していることがあった。それが色に出たのだろう、イセリがキリクに話しかける。
「どうしたの?色が……濃くなったわ」どんな色かとはイセリは言わない。
キリクは最後にイセリをエリーに乗せて逃がすつもりだった。イセリがなんと言おうと、足を温存したエリーにキリクの前で休ませたイセリを乗せて、駆け抜けさせる。
「だめよ、二人で帰るんだから」
キリクは馬を走らせながら、文句を言いたそうにしているイセリに剣の紋章が入ったマントを付ける。教会の加護がイセリにありますようにと。
「この先冷えますし、急に襲われるかもしれません。体を伏せてしっかり捕まっていてください」
イセリの目に、教会のマントは光輝いて見えた。その光はイセリを守るように包み込んでいる。そしてその光のせいでぼやけて見にくくなっていたため、キリクの決意に気がつかないでいた。
キリクはエリーを気遣いつつ、できるだけ急がせていた。まだ手の回っていないらしい小さい町を抜け、丘を越える。
日が頂点を越える頃、丘の上から振り返ると、街道を全力で走ってくる一団が目に入る。そのまっすぐな進み方から、こちらの進路がばれているのは確実だった。
キリクは教会圏への境がある方へ目をやる。あまり広くはない街道は、川にかかると一本の細い橋があり、さらに丘を登ってその向こうへ消えている。すぐに頭の中の地図と照合する。
(こちらへ連れてこられるときに越えた川だ)
とするなら、教会圏が近いことになる。キリクはもう一度振り返り、こちらに迫っている一団とこれからの行程を照らしあわせると、意を決したように丘を下る。
「キリク、どうしたの?」
イセリはかぶっていたフードを外し、キリクを直接見る。困惑を示す色と光輝く色が入り交じっている。
「イセリ様、危険が迫っています。しっかり掴まっていてください」
そう言ってキリクはイセリのフードを優しく頭にかぶせる。
「いいか、エリー。何があってもまっすぐ走り抜けるんだ。お前の足ならできる、何があっても止まってはいけない」
一瞬イセリは自分に話しかけられたのかと思った。だが、その言葉と光はエリーに向けられており、その強い意志にエリーも反応しているように見えた。
「何があっても、振り返ってはいけない。安全と思われるそのときまで」
キリクはそこまで言うと、思わずイセリを背中から抱きしめてしまう。驚きはしたものの、イセリは何も言わずにじっとしている。
「御武運を」
川に架かる橋を通り過ぎる瞬間、キリクはイセリを抱きしめていた手を離し、そのままエリーの背を手で突くように、丁度馬飛びの逆の要領でエリーから飛び降りる。
背が軽くなったエリーが、加速する。
「一緒に帰るって言ったじゃない!!」
異変に気づいたイセリがフードを外して振り返り、手を伸ばして叫ぶ。
キリクはそれに答えず、剣を抜いて背を向ける。それで答えになるとわかっていたからだ。
イセリの目に、吹き上がる炎のように光輝くキリクの姿が目に入る。その色に悲壮感はなく、ただひたすらに優しく清々しいものだった。
イセリはこぼれ落ちる涙を止めることができず、それでもキリクから目を逸らすことが出来なかった。戻ろうかとも思った。二人で逃げることも出来るのではないかと。
でも、出来なかった。今自分が戻れば確実に足手まといであり、何も出来ることなど無いことがわかっていたからだ。
キリクは走り去るイセリの方を見ないようにしていた。少ない時間を無駄にしないためでもあったが、姿を見れば手に残る柔らかい温もりを思い出してしまいそうだったから。
思いを振り払い、キリクは補修用に置かれていたと思われる木材を橋を遮るように重ね、微妙に間をおいていくつか同じ物を作ると、遠くに見えてきた騎馬の一隊を待ちかまえる。
先頭を走る真っ赤な鎧に身を包んだ男、ダストンが橋の上に置かれた障害物を見て馬を止める。一見すると飛び越えて行けそうなのだが、その先にさらに障害があり下手をすればそのまま落馬するはめになるためだった。
「ほう、主人を逃がすために一人残ったか」
馬上から、障害物を挟んでダストンが問う。
「このまま帰らせていただければ何よりなのですが」警戒を解かずにキリクが返す。
「ふむ。一つ方法がある。このまま投降すれば命までは取られまい。増してハリティア様のあのご様子だと、その身に過ぎた待遇も期待できるのではないか?」
「過分の申し出はありがたいのですが、そうですね後一刻ほど後でならお受けできるのですが」
当然イセリの逃走時間を計算してのことだ。
「なるほど。私個人ならそれでも問題はないのだが、何もしなかったとなれば、イムニ様よりどのようなお叱りを受けるかわからんのでな」
そう言って、馬から下り剣を抜くダストン。
「念のため急ぐ必要があるのだ。力ずくでも退いてもらうぞ」
その言葉通り、力強く前に一歩を踏み出すダストン。
(念のため?)
キリクはダストンの言葉を考えていた。念のため。何の?
その雑念をつくように、障害を越えたダストンが初檄を繰り出す。キリクは雑念を振り払い、その一撃を払うように流す。
(くっっ!重い!)
何気ない一撃を流したつもりだったが、予想より重いその攻撃が手に残る。
「どうした?話ではザキリエフを軽くあしらったと聞いたが、そんなものか?」
言葉の合間にも、一見腰を入れていない手打ちのような攻撃を繰り出してくるのだが、そのどれもが今のキリクには重く感じてしまう。
「あのときの私は、私ではありません」
自分で言っていておかしい台詞だと感じるキリクだったが、今はダストンの剣を受け流すことに集中していた。
「では今ここにいるお前は何なのだ?」
ダストンが剣を振る手を止め、問いかける。
問われ、キリクの手も止まる。
教会の剣の息子?確かにそうだが、そこから先がなんなのか。
狂戦士?その考えが浮かんだ瞬間心の中にぞわりとした物が浮かび、首を振ってその考えを追い出す。
「私は……私はイセリ様の家令、キリクです」
頭から不快な思考を追い出したとき、自然とこの言葉が口からでてきていた。
キリクの中にある迷いのような物や雑念が晴れ、体中に力が沸いてくるのを感じる。暖かく力強く。
「私は、イセリ様の家令です」
もう一度確かめるように口に出す。ダストンを前にして時間を稼ぐことすら難しい力の差を感じ、心が揺れていた。力がほしいか。問うてくる己の心を押さえつける事が難しくなっていた。
その心が一気に晴れ渡るように静まる。
「ほう」
ただの家令。ダストンから見る今のキリクは、とてもそうは見えず、下手をすれば一国の主のようなたたずまいを見せていた。
「なぜそこにこだわる。あのまま帝国に残れば重用され、場合によっては騎士団を率いることも望めただろうに!それに私を!」
ここまで言ったとき、自分が何を言おうとしていたのかを思い、ダストンは驚愕した。
(お前のもとで戦いたい)
そんな言葉が突いて出そうになった。動揺する。
思えば初めて会ったときから、ダストンには違和感のような物があった。この男を死なせてはならないのではないか。是非ムロギア帝に引き合わせなければ。そんな思いが心の中に浮かび、それが正しいことのように感じたのだ。
「私の剣はイセリ様の物であり、私に命令できるのもイセリ様のみ。たとえどこにいようと、どれだけ離れていようと、私はイセリ様の家令です」
キリクが晴れ渡る心につき動かされるように宣言する。
その言葉に思わず膝をつきそうになるダストン。心が動かされる。これが話しに聞く狂戦士の力なのか?こんな話は聞いたことがない。
「ふん!」
ダストンは腰に差してあった短剣を取り出すと、自分の右太股を切りつける。そして改めてキリクの方を見る。
揺らぎ無くそこに立つキリクに変化はなく、神々しくさえある。
「貴様、その力は何なのだ。これではまるで、まるで……」
物語に聞く初代皇帝の様ではないかという言葉を飲み込むダストン。帝国の人間なら子供の頃から聞かされる、心躍る英雄譚。ばらばらだった遊牧民をまとめあげ、周囲の脅威を駆逐併呑し、その姿を見、言葉を聞いた者は心からひざを折ったという。
キリクの方にも少なからず驚きがあった。「イセリの家令」ただその言葉を口にした時。迷いも何もかもが消え、それどころか、目の前にいるダストンが敵にすら見えなくなっていた。ザキリエフの時のような、自分が失われていくような感覚とは全く違っていた。
「ダストン様。もう一度お願いします。このままイセリ様を逃がしてはもらえませんか。そうすれば私はあなたに降りましょう」
懇願するわけでもなく、ただ当たり前のことを頼むような風情。ダストンにはそう見えた。
「そう、だな……」
そう、イセリ姫よりもっと大事な事がある。キリク殿を帝都にお連れしなければ……
「ダストン!何をしている」
ダストンが剣を下げようとした時、後方の丘から大気を震わせるような大音声が降ってくる。




