七章 第四話
「イセリ様、少し休みましょう」
そう言ってキリクが馬の速度をゆるめたのは、日が傾き始め、街道を行く人の姿がまばらになり始めたときだった。時間にしてこの脱出行を開始してから三刻ほど走った後だった。
「そう、そうね、でも大丈夫かしら」
気丈に振る舞ってはいるが、明らかにイセリの疲労の色が濃い。それもそのはずで、体調不良と言って部屋に入ったとき、嘘ではなく実際に船に酔っていたため、食事も一切とれていなかったのだ。そんな状況であったにも関わらずここまで休息をとらなかったのは、明るいうちに距離を稼ぎたかったためであった。明日からはもっと辛くなる、そんな思いもあっての、休息の提案だった。
「大丈夫、と言い切るのは難しいでしょう。ですが、私たちが逃げてから三刻ほど。帝都から追っ手が出るにしても、早くても二刻は後かと思われます。地形的に考えて、全力で早馬が来たとしても、まだまだ時間はかかるものと思われます」
キリクの言葉に、イセリの張りつめたような表情が少しだけ和らぐ。
「そう、それなら……」
気が緩んだせいなのか、馬上にあるイセリの体がぐらりと傾き、キリクがあわてて馬を飛び降りてイセリの体を支える。
「大丈夫ですか、イセリ様」
キリクはそのままイセリの体を抱き抱えると、道から少し逸れた人目に付きにくい柔らかそうな草地の上に寝かせる。
「今食事の準備をしますので」
そう言って馬の鞍にくくりつけられた荷物の一つをはずし、中から敷物や食料を取り出す。
キリクはイセリをもう一度抱き上げ、クッションを敷いた敷物の上におろし、背中の部分には寝具などが詰まった荷物で背もたれを作る。
「暖かい物はありませんが、パンをスープに浸けてお食べください」
そう言ってキリクは器に少し酸味のあるさっぱりしたスープを入れ、保存の利く少し堅いパンを取り出す。だがイセリはよほど疲れているのか、差し出されたパンに手を伸ばそうとしない。
「イセリ様、食欲が無いのはわかります。ですが、ここで少しでも食べておかないと、国境を抜けるのがさらにつらくなります」
キリクはパンを小さくちぎりスープに浸すと、イセリの口元に持っていく。するとイセリも小さく口を開けてパンを受け入れ、小さい口を動かして咀嚼する。キリクはそれを見てまた次のパンを用意してイセリの口に運ぶ。
「キリクも食べなきゃだめよ」
胃に食べ物が入り少し元気が出たのか、イセリが自分の手でスープを飲む。
「私は移動中でも食べることが出来ます」
そう言ってイセリの食事を手助けしていたキリクだったが、少しイセリににらまれると「わかりました」と言って、自身もパンをスープに浸けて食べる。二人とも最初は全く食欲が無かったのだが、いざ食べてみると、空腹に気がついたかのように勢いよく食べ始める。
「どの辺まできたのかしら」
馬に乗っていたときより幾分顔色が良くなったイセリが、少し眠そうにキリクに聞く。
「国境まではまだ、大きめの町を二つ抜けなければなりません。おそらく後二日はかかるでしょう」
キリクが記憶の中の地図と照らし併せてイセリに答えるが、速いペースを維持できれば、とは付け加えない。
「そう、思ったより近いわね」
イセリは努めて明るくしたつもりだったが、キリクの周りの色が心配そうに揺らめくのを見て、落胆を隠すのに失敗しているのがわかる。
実際イセリはかなり疲れていた。ダマスクにいた時は良くストームに乗って出かけたりしたものだが、半刻も走れば長い方であった。それが今日は三刻も走り詰めだ。付けられている鞍は乗り心地の良いクッションが効いている上等な物だったが、それでも一刻も乗れば足が疲れ、イセリのあまり肉付きの良くない小さなお尻が悲鳴を上げるのだった。おそらく内股からお尻にかけて青あざになるだろう。
イセリは甲斐甲斐しく自分の世話をしているキリクを、ぼーっと眺めていた。なぜキリクは私に仕えているのかしら。私なんかより帝国に残った方がよっぽど良いことがありそうなのに、ついそんな事を考えてしまう。
「うぅ〜っ!」
イセリが唸るような声を上げ、両手で顔をぱしぱしと叩く。
「イセリ様!?」
キリクが驚いて動きを止める。「どうかされましたか?」心配そうにイセリの顔をのぞき込むキリク。
「行くわよキリク。必ず二人で帰るのよ」そう言うとイセリは決意するように立ち上がるのだが、少しからだがふらつき、またキリクが体を支える。
キリクは心配して声をかけそうになったものの「はい」と力強く返事をし、イセリを馬の上に抱えあげると、荷物を鞍に載せる。イセリが二人で帰るというのだ。それを実現させるためならどんなことでもしようとキリクは改めて誓う。
日が落ち、人の形すら薄闇の中に溶け始める頃、小さな町に着く。最短距離の主街道を避け、少し脇に逸れた方角にある町で、道の両サイドに二、三十軒の民家や食事のとれる店などが見える。キリクはイセリの状態から、初日からの野宿を避けることにしていた。
「それで、私はキリクの従士で騎士見習い、だな、いやですね」
髪の毛を縛ってフードの中に隠し、男装をしたイセリが声を低くして言う。男の声を出しているつもりらしい。
「はい、おそらく今日は安全かと思われますが、早馬を飛ばして町に手配書が回ったとき、騎士と騎士見習いということにしておけば、少しは攪乱できるかと」
気休め程度だとキリクは思ったが、それでもやらないよりはましに思われた。
キリクは一軒の飲み屋と宿屋を兼ねる店の前につくと馬を下り店の前につなぎ、イセリの方を向いて口の前に指を立て、しゃべらないようにと念を押してから扉の中に入る。
「いらっ……しゃい」
キリクとイセリを見て一瞬不審に思ったのか言葉が止まる店主。この反応にイセリは一瞬身を堅くするが、キリクは気にした様子もなく、店の角にある席に座る。イセリが慌ててキリクの横に着席する。
「いらっしゃいませ、何にしましょう、騎士様」
キリクの着ている服に付いている、帝国青龍騎士団の紋章を見たのだろう、店主が付け加える。キリクの記憶に間違いがなければ、青龍騎士団は、ハリティアが名誉団長に就いている騎士団だった。帝国では赤龍に並んで人気がある(ハリティア的な意味で)騎士団である。
「暖かい食べ物と飲み物を。あと、今夜の宿は空いていますか」
キリクが努めて冷静に、帝国共通語で聞く。
「えぇ、空いてはいますが、騎士様のお泊まりになるような部屋はありませんぜ?」
店主が少し心配するような、困ったような表情をする。
「それはかまいません。予定より遅れて日が落ちてしまったので。暖かい食べ物とベッドだけで、大変助かります」
キリクのこの言葉に、少しホッとしたように店主が下がっていく。
従士に扮したイセリがうつむきながら、キリクの袖を引く。
「どう、しました」キリクが小声で聞く。
「あの人は、何を気にしていたの、ですか?」心配そうに聞く。
「あぁ、このような小さい宿に、帝国の騎士が来たことに驚いているようです。大丈夫ですよ」
キリクはそういってまた口の前に指を立てる。イセリはがんばって低い声を出しているものの、どう聞いてもキリクには可愛らしい声にしか聞こえなかった。
「お待たせしました」
そういって店主は、暖かそうに湯気を立てるシチューと、香ばしい匂いのする、鳥を蒸し焼きにした物を二人の前に並べる。キリクの耳にイセリのお腹が鳴る音が聞こえる。
食事を終えると、店主に食事と一泊分の宿賃を前払いし、馬の世話を頼むと指定された部屋に入る。部屋の中は狭く、簡素なベッドが二つ置かれている他は、小さい机に水差しが置かれているだけのシンプルな物だった。キリクは本当は部屋を分けたかったのだが、今の扮装でそれをするのは明らかに不審がられるため、ベッドで寝られるだけでもありがたいと断念したのだ。
「明日は夜明け前に出ます。なので今日は着替えずにこのまま寝ましょう」
キリクは外套と上着だけを脱ぐと、簡素だが清潔そうな毛布の中に体を滑り込ませる。
イセリも体のラインを隠すために着込んでいた上着だけを脱ぎ、下はズボンのままベッドの中に入る。
「キリク、もう寝た?」
ベッドに入って半刻ほど経ったとき、イセリが毛布にくるまりながら、キリクに声をかける。
「いえ。寝られませんか?」
なぜか気恥ずかしさもあり、顔をイセリの方へ向けずにキリクは返事をする。
「ものすごく疲れてて眠いのに、寝られないの」
キリクにも覚えのあることだった。明日のために早めにベッドに入った為もあるが、過度のストレスと不安のため、神経が高ぶっているのだった。
「そういえば」
暗がりの中でキリクが起き出し、荷物をゴソゴソとしたかと思うと、一個の小さい箱を取り出す。
「イセリ様、あぁ、何というか、長時間馬に乗っていて、痛むところがありませんか?」
キリクは、イセリが痛むであろう場所のだいたいの見当はついたのだが、口に出すのは恥ずかしいような気がしたので、言葉を濁していた。
「痛い、わ」お尻と太股の内側に、うずくような痛みを感じていた。
「これをお使いください。打ち身に塗り込むと、痛みが和らぎますし、マッサージする事で気持ちを落ち着ける効果もあります」
イセリは手渡された小箱を開けると、中に塗り薬と思われる物が入っている。少し手につけてみて、痛む場所に塗ろうと思ったが、ズボンを脱がなければ塗ることが出来ないことに気がつく。
「私はあちらを向いていますので、布団の中で塗り込んでください」
そういってキリクはベッドに入ると、イセリとは逆方向を向く。すると、隣のベッドでゴソゴソとする音が聞こえる。
キリクはなんとなく(慣れない内は太股とお尻が痛くなるからなぁ)と思った瞬間、イセリが塗り込んでいる姿が一瞬脳裏によぎる。
「す、少し外に出ます」慌てて出ていくキリク。
「なに考えてるのよまったく」恥ずかしさからか顔を赤くしながら、ズボンを戻すイセリ。
キリクはそのまま一階に下り、翌日早朝のために水差しの中に水をもらうと、十分な時間を持ってから部屋に戻る。
「イセリ様」
小声で扉の前で声をかけるが、返事がないため「失礼します」と中に入る。
室内に入ると、灯されたランプはそのままに、イセリがベッドの毛布を少しはだけるようにしてぐっすり寝ているのがキリクの目にはいる。少しお腹を出しながら。
キリクはくすっと笑いながら、音を出さないようにイセリに触れないように気をつけながら毛布を直すと、ランプを消し、自分のベッドに入る。先ほどまで緊張していた神経がほぐれたのか、目を瞑るとすぐに深い眠りに入るのだった。
翌朝、キリクが目を覚ますと、夜空がわずかに明るくなっており、少し寝過ごしたことに気がつく。ベッドから跳び起きそうになるが、隣で寝ているイセリのことを思い出し、あまり音を立てないように起きる。一階でお湯を受け取り、部屋で珈琲と紅茶を入れる。
「うぅ…」
匂いにつられたのか、イセリがベッドから起きあがり、目をこすっている。
「よく寝られましたか」
キリクの言葉に一瞬びくっとしたイセリだったが、置かれた状況を思い出したのか「そうね、夢も見なかったわ」と、体を起こす。キリクは起きあがったイセリの背中にクッションを起き、紅茶を手渡す。
「申し訳ありませんが、少し寝過ごしました。朝食後すぐに出発しましょう」
準備をすませたキリクとイセリは、まだ日が昇りきらない内に宿を出ると、地図に記載された推奨ルートに沿って馬を進める。急ぎたいという気持ちは強かったが、あまり速度を上げずにいた。というのも、キリクがイセリを抱えあげて鞍に乗せた瞬間、イセリが小さく悲鳴を上げたのだ。
「大丈夫だから」とイセリは言うのだが、その声は明らかに無理をしていた。
キリクは追っ手のことを想像していた。キリク達の逃走に気がつき、国境を守備しているいくつかの部隊に早馬を出しつつ、国境へ繋がる道中の主要な都市へ偵察隊の派遣。そして二、三十騎からなる本体も帝都ウル・イムチから出立。
しかしキリクは本体の心配はしていなかった。今危惧しているのは、偵察隊だった。軽装で足が速く、馬の取り替えも出来るので、かなりの距離が稼げる。それでも月明かりもない夜にそこまで馬を飛ばせるはずもなく、キリクの見立てでは、まだ追いつかれてはいないはずであった。
「イセリ様、あそこ食事をとりつつ少し休みましょう」
日が真上に昇った頃、キリクが指さす方向、少し丘を登ったところに放棄されたらしい、小さな小屋があった。丘を登り中に入ってみると、所々壊れてはいるが、身を隠すには十分な作りで、厩まで備えられていた。
「元々小さい牧場だったようですね」
馬を繋ぎ、イセリを床に敷いた寝具の上におろす。キリクがイセリを抱えあげたとき、イセリの口から小さくうめくような声が出る。
「痛みますか?」
キリクは街道からは見えにくい位置で火をたき、お湯を沸かす。
「そう、ね。痛くないと言えば嘘になるわ」
堅いパンを紅茶で流し込むように飲み込むイセリ。
「外に出ていますので、これを使ってください」
キリクは昨日使った軟膏をイセリに手渡し、小屋から外へ出ると何となく街道の方に目をやる。すると、帝都の方から全速で馬を飛ばす軽装の兵士が目に入る。
(伝令……じゃないな、偵察兵か。だとするなら、早すぎる)
偵察兵らしき騎馬が速度を緩めると、キリクとイセリのいる小屋の方を見上げる。
(気づくな、ここはただの廃墟だ、何もない)
先ほど湯を沸かした火は完全に消してあり、煙も出ていない。
にもかかわらず、少し周りをきょろきょろしたと思うと、地面を気にしている。
(足跡だ)
キリクが気づくと同時に、兵士が馬を丘の上に建つ小屋に向ける。
キリクは静かに小屋に戻ると、繋いである馬から弓を取り出す。
「どうしたの?何がきたの?」休んでいる部屋からイセリが顔を出す。
「大丈夫です。少し静かにして休んでいてください」
キリクは腰を低くしてガラスの割れた窓に近づくと、丘を登ってくる兵士を確認する。
(もう少し、もう少し……!)
キリクが引き絞った弓から、つがえた矢が弓から射出され、まっすぐ兵士の喉に命中する。一瞬何が起こったかわからないまま、兵士は自分の喉に刺さった矢を抜こうとしてバランスを崩し、そのまま落馬する。
主を失った馬が驚いて竿立ちになり、馬首を返すと街道に向かって丘を下り始める。鐙に足が絡まった死体を引きずりながら。
(まずい!)
キリクは何とか馬を止めようと矢を射るが、暴れて走り去る馬に当たらず地面に落ちる。
「イセリ様!申し訳ありません、すぐにここをでましょう」キリクは急いで出立の準備を始める。
「どうしたの?」
イセリがあわてるキリクに驚きながらも、地面から疲れた体を引きはがすように起きあがる。
「帝国の偵察兵です」
「見つかった、の?」
「いえ、見つかる前に排除したのですが、馬を逃がしました」
引きずられていった死体のことは告げない。
「そ、そう」
イセリは排除という言葉に含まれる意味を考えないようにした。
「なので空馬が見つかるまでに、また距離を稼ぐ必要ができました。申し訳ありません」
キリクは手を止めず広げた物を袋に入れ、馬の背にくくりつける。死体が発見され、本体が移動を開始する。大丈夫、まだ時間はあるはず。
「失礼します」
少しでも負担を減らそうと、イセリを下からすくうようにキリクが持ち上げ、馬の背に乗せる。
「行きましょう」
キリクが先に立ってつかの間の休息地となった小屋を出、丘を降りて街道に出る。
あとどれぐらい?そう口から出そうになるのをイセリは我慢していた。そんな事を聞いたところで現状が良くなる事はなく、それ所かただでさえ折れそうな心に追い打ちをかける事になるのを理解していた。先を行くキリクは、イセリが付いてきているか確認しているのだろう、何度も振り返りながら速度の調整をしている。
日が落ち始めると、この時季は急速に暗くなって行き、冷え込みも厳しくなってくる。さほど幅の広くない川にかかる橋に差し掛かったところで、キリクは馬を止めると、地図を取り出し、周りの地形を見渡して現在位置を確認する。
「ここから川沿いを行きます」
キリクはそう言うとそのまま馬を川沿いの小道へ向ける。完全に日が落ちる前に今日の宿泊地、野宿ができる場所を探すつもりだった。だが急速に冷えてきた理由は、日が落ちただけではなかった。前を行くキリクの頬に、水滴が当たる。
(まずい……)
宿が取れないときは野宿をする予定でいた。だが、雨が降ったときの外套はあっても、テントなどかさばる物は当然持っていなかった。
キリクは馬を止め、外套を取り出すと上からかぶせるようにしてイセリに着せる。襟元から雨が入らないように、少しきつめにフードを止める。
「苦しくありませんか」
されるがままになっていたイセリにキリクが問いかける。声を出さずただうなずくだけのイセリ。
「どこか休めるところを探します。それまでご辛抱を」
キリクは冷えきったイセリの手を両手で包み込むようにして、額に押し当てる。イセリはうなずきつつ、力なくほほえむ。
またキリクが先導して進み、暗くなってきた為頻繁にイセリを確認するために振り返っていた。雨足も少しずつ強くなっているようで、後ろに付いてきているイセリが、顔を伏せて道を馬に任せるようにぐったりとしていた。
キリクの心が強い焦燥感にとらわれ始めた頃、川沿いに小さい船着き場のような物が見え、その横に小さい小屋があるのが見て取れた。助かったことに、屋根だけだが、馬を繋ぐところもある。
「ここで休みましょう」
キリクはマリーとエリーを柵に繋ぎ、イセリを抱えると、壊れ物を扱うようにゆっくり小屋の床に下ろす。
「今火を入れますので」
小屋に備え付けられた暖炉に火を入れ、そのそばに自分とイセリの濡れた外套を乾かすように延ばす。本当は火など目立つ行為を避けたかったのだが、塗れて冷えた体が強ばっていた。キリクですらきついこの状況で、イセリの体調が心配された。
「イセリ様、濡れた服を乾かさなければなりません。それで、その、ここに寝具がありますので、乾くまで、その、服の代わりに」
「大丈夫、わかってるわ」
キリクが話し辛そうにしていると、イセリは湿った上着を脱ぎ始める。あわててキリクは背を向けると、自分も上着脱ぎ、暖炉のそばに干す。
「キリク、もう大丈夫よ」
おそるおそるキリクが振り返ると、寝具にくるまったイセリの横に、濡れた上着と中に着ていたシャツ、それとズボンが置かれていた。
「寒くありませんか」
キリクは濡れた服を干しつつ、暖炉の火を調整してお湯を沸かす。
「だいぶ暖かくなってきたわ」
小屋の壁に背を預け、蓑虫のように寝具にくるまっている。
キリクにどうぞと温かい紅茶を差し出され、イセリがそれを受け取るために片手を寝具から出すと、何も着ていない肩が露わになる。キリクはなるべくそこを見ないように渡し、自分の分の珈琲を入れ、荷物から地図を取り出す。
「イセリ様、このペースで進むと、明日の夕方には国境を越えられるかもしれません」
エリーとマリーのおかげもあって、当初の予想より前に進んでいた。キリクは自分で入れた珈琲を一口飲む。暖かい物を体に入れる、それだけで体が生き返るような気がして、自然と強ばっていた表情がほころぶ。
「そう、それは何よりだわ」
イセリの顔も暖かくなってきた体につられたのか、厳しい表情がゆるむ。実際、はっきりとした目標が示されたことにより、イセリは心にのしかかっていた重りが少し軽くなったのを感じていた。
「明日も早く出なければなりません。食事をして今日は休みましょう」
キリクは乾かしていた服を確認し、着られそうな物を手にとってイセリに渡す。
「イセリ様、夜は火を落としますので、服を着てからお休みください」
イセリが服を受け取ろうと寝具から手を出すと、寝具の一部がずり落ち、左肩から胸のあたりが露わになる。
「!!!!!」
イセリはあわてて寝具を直し、恥ずかしさからかなんなのか、耳まで真っ赤にしながらキリクをにらみつける。
「み、見てません、何も見てません!」
イセリに背を向けて必死に弁明するキリクだったが、イセリがこれまで見たこともないようなピンクの光が、部屋からあふれそうになっている。
「えっち!」
服を着、寝具を巻き込んで繭のようにして中に籠もる。
「すす、す、すみません」
キリクは頭の中の今見た光景を振り払おうと頭を振るが、頭が疲れているのかどうしても離れない。
キリクは恐る恐るイセリの方を振り返ると、イセリも繭の中から少し顔を出しているところと目があった。
途端先ほどの光景が鮮明によみがえる。
「すいませんすいません!!」
キリクが顔を真っ赤にして謝るのだが、さらに濃くなったピンクの色のせいで、イセリの恥ずかしさが倍増してしまう。
「しらない!」
また繭に籠もってしまうのだった。




