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七章 第三話

「姉上はいずこか」


 アリハルは馬に乗ったまま、狩り小屋の周囲に集まっていたハリティアの使用人と思われる集団に声をかける。


「これはアリハル様」


 前に進み出てきたのは、タムリトだった。


「今ハリティア様は御気分が優れないようで、部屋で休まれておいでです」


 なぜかタムリトはにやにやしながらアリハルに伝える。


「そうか、ならキリク殿も部屋にいるのか?」


 タムリトの態度にわずかないらつきを覚えたものの、キリクが見あたらないことに焦りを覚えるアリハル。


「それがですね、狩りの途中で事故がありまして」


 何がおかしいのか、クスリと笑う。


「事故?」


 タムリトに苛つきを募らせるアリハル。


「ええ、実は森の中に獲物を追って入っていったのですが、どうもそこで崖から転落したようで」


 へらへらと言うタムリト。


「なんだと!それでキリク殿はどうしたのだ!」


 普段聞いた事もないような大音声でアリハルに問いつめられ、にやけた表情が引っ込むタムリト。


「え、それが、どうも谷底まで落ちたようで、死体……いえ、キリク殿は……見つかっておりません」


 アリハルににらまれ、目線をそらすように下げるタムリト。


「ほう、ではなぜ落ちたとわかる?」


「それは、ハリティア様の調教師が、キリク殿が崖から落ちたと。マナミが言うには、この先の崖から落ちたと」


 タムリトは責任を押しつける相手を見つけたからだろう、勢い良く説明を始める。


「マナミはどこに?」


 アリハルもハリティアにつれられて、何度か合ったことがある。


「今はハリティア様の介護のため、小屋の中に」


 アリハルは何も言わず馬を下りると、小屋の扉をたたく。


「姉上。アリハルです」


 アリハルが告げると、部屋の中でゴソゴソと人が動く音とひそひそと会話する声がする。


「これはアリハル様、今ハリティア様はご気分が優れないのですが、どのようなご用でしょうかと」マナミの声だった。


「至急お聞きしたいことがあります。出来れば内密に」後半は小声で。


 また中で人の動く気配と、会話する声。


「お入りください」


 緊張したような表情のマナミが扉を開け、アリハルを中に通す。


 部屋に入ったアリハルが見たのは、泣きはらしたように目を真っ赤にし、弱々しくベッドに腰掛けたハリティアだった。いつも毅然とした態度と無邪気で優しい姉しか見たことが無かったため、当初強く問いつめるつもりだったアリハルの気持ちが、急速にしぼんでいく。


「姉……ハリティア姉さん、キリク殿はどうされたのですか」


 本当はキリク殿をどうしたのかと聞きたかったのだが、ハリティアの顔を見てしまい、強い言葉が引っ込んでしまうアリハル。


「……崖から、落ちたのじゃ」


 小さくえづきながらハリティアが絞り出すように答える。


「それは聞きました。それなら捜索隊を要請してはどうでしょうか?」


 アリハルのこの言葉に、ハリティアは少し動揺する。


「今、手の者をやって、捜索させておる」


動揺を隠すように顔を伏せるハリティア。


 実際、ハリティアの頭の中は激しく動揺していた。当初の予想では、ハリティアが城に戻るかもう少し日が落ちるまで、大がかりな捜索隊はアリハル側に集中するはずであった。それが、アリハルは今ハリティアの前にいる。


 ハリティアは普段凡庸とした振る舞いをするこの弟が、時折見せる鋭い顔に気がついていた。父ムロギアの血をもっとも濃く受け継いでいるのは、このアリハルではないかと。そう思っていてもなお、このアリハルの反応の早さを予想することが出来なかった。まだ、早い。今大規模に捜索され、偽装がばれて早馬を出されれば、国境を越える前に捕まってしまうだろう。


「アリハルや。イセリ姫はどうしたのじゃ?」


 ハリティアは涙を拭い、アリハルに対峙することを決意する。おぉ、賢くもかわいい我が弟よ。


「イセリ様も、失踪されました」


 アリハルはハリティアの表情の変化を見る。泣きはらした弱々しい姉は消え、困難に毅然と立ち向かういつもの凛々しい姉の顔。


 アリハルはこの表情をしたハリティアを、一度見たことがあった。余りにしつこい求婚者を退けるために、自分の出来る限りのことをしようと誓ったときの顔だ。


「それは大変じゃ、すぐそちらに応援を呼んだ方がいいのではないかえ?」


「そうでしょうか。私の考えだと、キリク殿を捜索した方が、イセリ様を見つける手がかりになるかと思われるのですが」


 アリハルの言葉に、ハリティアの目がすっと細くなる。


「何が言いたいのじゃ。キリク殿は崖から落ち、今は捜索中じゃ。イセリ姫は湖にでも落ちたのではないかえ?」


「ご心配には及びません。イセリ姫は確実に生きておいでになります」


 アリハルは言いつつ、ハリティアの前に進み出ると、その手を取る。


「もうおやめください姉上。このまま議論を続けるなら、マナミを尋問しなければならなくなります」


 この言葉に、ハリティアがアリハルをにらみ付ける。


「マナミはわらわがもっとも信頼を置く者の一人じゃ。もしわらわの大切な者達を傷つけようと言うのなら、たとえ弟といえど容赦はせぬぞ!」ハリティアが激高して立ち上がる。


 しばしの沈黙。


 アリハルが小さくため息をつく。


「わかりました、ここは引きましょう。優しい姉上にこれ以上嫌われたくはありませんし」


 ハリティアの言う大切な者達の中に自分が入っていない寂しさから、少し寂しそうに笑うアリハル。


「嫌うなどと。お主は今までも良き相談相手になってくれていたではないか。なぜ今回に限りそのように強硬に出るのじゃ?」


 アリハルの寂しげな表情に高ぶった気分が引っ込み、少し優しく接するハリティア。


「私はただ……初めて対等に接することが出来る、そんな人がいなくなることに寂しさを覚えただけです」そういって出口に向かうアリハル。


「なぜ失うと決めつけるのじゃ。わらわは、まだあきらめておらんぞ?」


 ハリティアの言葉に一瞬足を止めたアリハルだったが、そのまま扉を開けて出ていく。


 アリハルが外にでると、中の様子を伺っていたらしいタムリトとぶつかる。


「あるじの部屋を盗み聞きとは、良い趣味とはいえないな」


 中の話を聞かれたかもしれないという思いから、自ずと口調がきつくなる。


「いえ、そのようなことは決して!」


 教師に叱られた生徒のように背筋をピンと延ばすタムリト。

 一瞬アリハルの脳裏に、タムリトを使いとして送り、イセリ姫とキリクが逃走したという情報を父に伝えようかと言う考えがよぎるが、兄へこの情報が漏れたときの反応を考えると、迂闊に動くのもまずい気がした。


「今は何をしても遅すぎる」


「は?」


「なんでもない」


 そう言ってアリハルは馬に乗る。今自分に出来ることはなく、あと一刻もすれば城に戻らなければならない。その時に逃走はばれるのだ。そう思い、馬首を港に向ける。


 ハリティアが自分に相談してくれていたら、とアリハルは思う。だが、もし本当に相談されていたとしても、その時の自分は反対したのではないだろうか。イセリが捕まったときの事を、想像したくなかった。事ここにきて、自分は姉と同じ思いに至っている事に気がつく。無事に脱出してくれることを望んでいると。


「失うことを恐れた私より、相手の幸せだけを願った姉上の方が、正しかっただけか」


アリハルの心に喪失感だけが残る。




 アリハルが港に帰りつく頃、帝都でいち早くこの異変を知った者がいた。副大臣ダルバだ。


「イセリ姫が、いなくなった……?」


 自宅の書斎で、アリハルの元に潜り込ませていた手下からの報告に、眉をひそめるダルバ。


「……どういうことだ?」


 手の者を戻らせ、イスに深く座り直し、この事実を考察する。

 報告では、体調を崩したイセリ姫が、湖岸の建物の一室で休息していたところ、しばらくして姿を消したという。当然一番に考えられる理由は逃走だ。しかしイセリ姫一人で逃げるのは不可能だし、腹心の部下キリクを残して逃げるとも考えにくい。それとも帝国内の別勢力による拉致だろうか?そこまでダルバが考えたとき、扉がノックされる。ダルバが声をかけると、召使いに案内された手下が部屋に入って来る。


「今度はどうしたのだ」


「ハリティア様の元に潜り込ませていた者から、報告がありました」


「前置きはいい、早く言え」


 前のめりに机にひじを突き、急かすようにダルバが言う。


「イセリ姫様付きの家令キリクが、崖から転落し行方不明だそうです」


「本当か!」


 この報告にダルバが勢い良く立ち上がると、詳細の書かれている書類を部下の手からひったくり、出て行けと言うようにてでしっしとする。


「死体が見つかっていない……川に流されたか?いや、違うな。以前の報告ではキリクは相当馬術に長けていたはず。そもそも本当に落ちたのか……」


 キリクが生きている可能性を考えたとき、イセリ姫の失踪と思考が合流する。


「そうか、そう言うことか」


 ダルバはニヤリとし、軽くない体をゆさゆさ揺らしながら外へ出ていく。


 早足で歩きながらも、この手に入れた情報をどう生かすか頭がめまぐるしく思考を巡らせる。

 なぜこの二つの報告はムロギア帝の元に届いていないのか?現場が混乱しているのか?しかしハリティアはともかく、アリハルがその手の事で間違いを犯すのを見たことがなかった。意図的に?

 ダルバはこの情報を、ムロギアに渡すことは考えていなかった。そんな事をしても自分のポイントにならないことがわかっているからだ。では誰に?これも決まっていた。


「イムニ様」


 ダルバはきわめて冷静を装い、先ほどまで小走りだったことなどみじんも感じさせぬ体で、イムニが剣術の稽古をしている中庭に来ていた。ダルバは、誰がいつどこで何をしているか、常に把握していた。


「なんだ、ダルバか。どうした」


 イムニが剣の師範役をしているダストンを手で制し、ダルバの方に向き直る。二人とも完全武装しており、刃を落とした剣を手にしている。


「内密にお話したいことが」


 ダルバがイムニに歩み寄り、耳打ちする。

「なんだと?イセリ姫が失踪した?」


 ダストンにも聞こえたであろうイムニの言葉に、ダルバが小さく舌打ちする。


(この若造は情報の価値すら理解していない)


 ダルバはキリクのことを伝える気はなかった。いずれたどり着く情報ではあるし、自分の情報網がハリティアの元まで広がっていることを、知られるのを嫌ったのもあった。


「ダストン、すぐに動ける手練れの者を十人ほど用意しろ。馬もな」


 イムニはそう言うと、自身も準備に向けて歩き始める。


「イムニ様、どちらへ」


 ダルバがあわててイムニの歩調にあわせて追随する。


「決まっている。アリハルの元へ行き、付近を捜索するまでだ。そして今度こそ俺の物にして、自分の立場を思い知らせてくれる」


 そう言って大股に歩み去るイムニ。


「行動力だけはあるが、いかんせん頭が空っぽではな」


 歩み去るイムニの背中を見ながら、はき捨てるように言う。ダストンに聞かれた以上、ムロギアの耳に入るのは時間の問題であった。


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