封使
翌日の夕方、俺は三枝神社の賽銭箱の前で、人生について考えていた。
人生とは何か。
それは、いらないものを返しに来た日に限って、返した瞬間また借りる羽目になる仕組みのことである。
「三上さん」
背後から、こよりの声がした。
振り返ると黒いツインテールに整った小さな顔。巫女装束の清楚さまで加わって、普通にしていれば神社の看板娘で通る。しかも巨乳である。だが。昨日、大猿の幽禍を拳で粉砕していた女を、俺はもう清楚だけでは見られない。属性詰め込みすぎなんだよ。
「界喰の返却期限は昨日の午後七時までです」
「今は翌日の午後四時だ」
「はい。二十一時間遅れです」
「期限を破ったからなんだというんだ。借金でも膨らむのか?」
「あなたのためですよ」
こよりは巫女装束の袖を揺らしながら、俺の手元を見た。黒い布に包まれた界喰は、昨日より少し重く感じる。気のせいだと思いたい。何かが増えていたら嫌すぎる。
社務所の縁側には、なぜか三橋蓮司が正座していた。
「三上、遅いぞ」
「なんでお前がいる」
「僕は期限を守る人間だからだ」
「界喰を借りてない人間が期限を守ってどうする」
蓮司は灰色の髪を手櫛で整える。
「祓いに関わる者として、後始末を見届ける責任がある」
「暇なんだな」
「責任感だ」
「暇な責任感」
言い返される前に、賽銭箱のほうで小さな音がした。
からん。
硬貨ではない。
紙が木に触れた音だった。
見ると、石段の下に小さな背中があった。中学生くらいの女の子だ。制服ではない。薄い水色のパーカーの袖を握りしめ、こちらを一瞬だけ見て、それから逃げるように鳥居の外へ走っていった。
「今の」
俺が言うより早く、こよりが賽銭箱へ歩いていた。
「待て。確認しないという選択肢は」
「ありません」
「即答するな。人間には、見なかったことにする権利がある」
「三上さんの場合、見なかったことにしても後で寝つきが悪くなるだけでしょう」
「俺の人生を理解するな」
こよりが賽銭箱に手を入れる。
普通の賽銭箱なら、巫女が人前で中身を漁るのはどうかと思う。だが、この賽銭箱は普通ではない。普通ではないものが身近にある生活は、普通に嫌だ。
こよりの指先が、一枚の紙片をつまみ上げた。
紙は濡れてもいないのに、墨が滲むように文字を浮かべていく。
俺は読まない努力をした。
「これは当たりですね」
こよりはそういうと紙片を巫女装束の袖にしまう。そうして拝殿に向かって歩き出したので、俺と蓮司もそれに続く。
拝殿にはこよりの祖父である三枝九衛門、ここの宮司がいた。
「おお、三上殿。『界喰』を預かろう」
俺は背負っていた『界喰』を三枝九衛門に渡す。
九衛門は『界喰』を拝殿の裏にある祭壇に安置。
「昨日は随分大変だったようだな」
九衛門は俺たちに座るように促したので、俺たちは拝殿に並ぶ小さな椅子に腰かける。
「俺は大して。こよりや蓮司はいつもどおり血みどろでしたが」
九衛門はうんうん、とうなずく。
「毎回思うんですが、こよりと蓮司の封使を交換できないんですかね。やっぱり巫女がグーパンするより優しく回復してくれるほうがいいと思うし」
こよりの封使、「韋天」は身体強化により超スピードや超パワーを付与する。しかもどうやら所有者本人のみにしか使えないらしい。そのせいでこよりは毎回一番前衛に立って血みどろの戦いをしている。しかし蓮司も前衛だし、なにより男だし。イケメンだし、俺たちのためになら多分死んでくれる。
蓮司の封使は「無畏」で、肉体再生能力を持つ。こよりと交換できたら、こよりも大分巫女っぽくなる。
「そうしてやりたいとは思うが無理な相談だな。三上殿は封使についてはどれくらい知っておるのかね」
「いやぁ、一年近くになりますけど、ほとんど知らないですよ」
九衛門は「そうかね」とつぶやくとひとつ咳払いをする。
「よいかね。封使、というのは幽禍なんじゃよ」
「えぇ、阿伽も空劫も幽禍なんですよね。それくらいは知ってます」
九衛門はうん、と頷く。
「界傷、というのは異界からこちらに侵入するための門のようなものだ。それは知っておるね」
「えぇ、まぁ」
「界傷からは、異界側のものがこちらへ滲み出てくる。人の形を取るものもあれば、獣のようなものもある。儂らはそれらをまとめて幽禍と呼んでおる。」
「それもまぁ、なんとか」
「うん。ただ、異界側も全員が全員悪い奴ではない。こちらを侵略することに反対の勢力もおってな」
「反対派」
九衛門はうんうんと頷く。
「そういう反対派の幽禍に名前を与え、一つの契約をする」
「どういう契約ですか?」
俺が尋ねると九衛門はこよりを手招きする。 こよりは立ち上がり袖から昨日使用した「吸印札」を取り出す。
「幽禍は封使として使用者に従う。その代わり対価を得る」
「対価」
「それがこれじゃ」
九衛門は一つ祝詞を唱えると、「吸印札」が黒く変色。
その瞬間、俺と蓮司、こよりの影から黒い腕が伸び、吸印札に絡みつき、引き裂いた。
「うわ!」
俺はその光景に驚く。まるで肉塊に群がるハイエナのような、汚い食事風景だった。
「封使は、お前たちに従う代わりに吸印した幽禍を食べ、力を得るのだ」
「喰ってるんですか」
「左様。こやつらが強くなれば、反対派の力が増す。侵略を止められる」
俺は大雑把にだが理解した。
「なるほど、こいつらはあくまで自分の事情で俺たちに味方してるだけで、俺たちに忠誠を誓ったわけでもないし、人間を守ろうとかそういう正義感があるわけでもないと」
「そうじゃ。こいつらはあくまで自分のために我々に味方しているだけ。だから自分たちのことや他の幽禍のことについて聞いても答えてはくれぬ。なんの得にもならんからな」
案外ドライな関係なのね。
「じゃが、契約している以上は必要な命令には従うし、主人を守る。味方であるには違いない」
「よくわかりました」
九衛門はこよりの頭に手をやり、ゆっくりと撫でた。
「この子の父親、儂の息子和昌は、幽禍との闘いで命を落とした」
こよりは何も言わなかった。
ただ、巫女装束の袖の中で、指がわずかに握られた。
「戦った幽禍は倒した。だが、その時の怪我が元でな。この子が六歳の時に亡くなった。韋天は、和昌が契約していた封使じゃ」
俺は口を開きかけて、やめた。
いつもなら、何か言っていたと思う。重い空気を誤魔化すために、くだらないことを言っていたと思う。
だが、こよりが一度だけ韋天の名に目を伏せたのを見て、それができなくなった。
「もともと封使の交換などできぬ。だが、できたとしても、この子はせんだろう」
「しません」
こよりは静かに言った。
「韋天は、父の封使ですから」
俺だって、今の話を聞いたら交換なんてさせないよ。
それから俺は一つ、気が付いたように手を打った。
「俺、今まで阿伽と空劫に対価を払ってなかったのでは?」
「そこで『界喰』の話じゃな。あの『界喰』はなんじゃと思う?」
俺は昨日まで借りていた黒い刀『界喰』を思い出す。
「何って、黒い刀、としか」
「あれはな、不思議なことに儂とお主以外には扱えぬ。持つだけで激しい痛みに襲われる」
「え、そうなんですか? 蓮司でも?」
俺は振り向くと蓮司は頷く。
「僕も持たせてもらったことがあるけど、人間が耐えられるような痛みではないよ。三枝さんは持った瞬間…」
そこまで言ってやめた。
「持った瞬間、どうなったんだ?」
こよりを見ると、こよりは露骨に目をそらした。
「……気絶しました」
「気絶?」
「痛みでな。まあ、年頃の娘に詳しく言わせる話でもあるまい」
九衛門は笑ったが、こよりは笑っていなかった。
俺も笑えなかった。
たぶん、本当に洒落にならない痛みだったのだ。
「とまぁ、使い手を選ぶものなのだ。あれはな、この世界のものではない。異界の戦士が持っていた刀なのだよ」
「え?」
「千年ほど前の大戦の際、あちらの戦士が遺したものらしい。この神社はその大戦時にデカい界傷を塞いだ上に建っとる」
「じゃあ『界喰』はもともと敵の武器なんですね」
「左様。だから通用する。『界喰』も斬った幽禍を吸収している。阿伽と空劫は『界喰』から対価を得ておる」
そういうことだったのか。じゃあ、対価は払ってたのね。
「『界喰』は定期的に祭壇で休ませないと逆に封使まで吸収の対象にしてしまう。だから返却期限を守れと言うておるのだ」
よーくわかりました。
「守ってくださいね」
「守るのが当然だ」
こよりと蓮司も続けた。
そういう大事なことは最初にちゃんと言え。




