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界傷の祓い人  作者: 安曇 東成


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19/24

過去の戦い

三枝神社の境内は、深夜の静寂に包まれていた。

 全力で走り続けた俺は、鳥居をくぐったところで膝に手をつき、荒い息を吐き出した。

 周囲を見回す。社殿も、手水舎(ちょうずや)も、狛犬も、いつもと変わらない。破壊された痕跡も、不審な気配もない。


「……間に合ったか」


 俺が顔を上げた時、社務所の縁側に座っていた人影が立ち上がった。

 蓮司だ。手には六角棒が握られている。


「三上。無事だったか」

「ああ。……九衛門さんは?」

「奥で起きている。俺が周辺の界傷(かいしょう)を調べて戻った時には、すでに境内の結界を張り直していた。……どうやら、お前が持ち帰る情報を予期していたらしい」


 蓮司の言葉に、俺は息を整えながら頷いた。

 俺たちは連れ立って、社務所の奥にある九衛門の部屋へと向かった。


 *


「——そうか。五芒星の中心が、この神社じゃと」


 薄暗い和室。

 座布団の上であぐらをかいた九衛門は、俺の報告を聞き終えると、深くため息をついた。

 その顔には、驚きよりも「やはりそうだったか」という諦観のようなものが滲んでいた。


「九衛門さん。御堂が言っていた『五芒星の術者』ってのは、一体何者なんだ? 街全体を器にして、何を呼び出そうとしてるんだ」


 俺が身を乗り出して問い詰めると、九衛門は手元の湯呑みをじっと見つめたまま、重い口を開いた。


「……かつて、祓い人の中には二つの派閥があった。一つは、わしら三枝のように『幽禍(ゆうか)を祓い、世界を元に戻す』ことを目的とする者たち。もう一つは……『幽禍の力を利用し、世界を書き換える』ことを目的とする者たちじゃ」


 九衛門の言葉が、静かな部屋に響く。


「後者が、いわゆる『御堂の系統』と呼ばれる者たちじゃ。奴らは、幽禍を祓うのではなく、吸印して己の力として使役する。そこまでは、お前たちもあの黒コートの若造を見て知っておろう」

「ああ。だが、あいつは『本当の敵は別にいる』と言っていた。自分はそれを止めるために幽禍を集めていると」

「……朔(さく)の奴め、まだそんな無茶をしておるのか」


 九衛門が、御堂の名前を親しげに——いや、どこか悲しげに呼んだ。


「九衛門さん、あいつを知ってるのか?」

「知っておるも何も、朔はかつて、この神社に出入りしておった。……和昌(かずまさ)の、弟弟子のようなものじゃったからな」


 和昌。

 こよりの父親の名前だ。


「和昌さんが……」

「そうじゃ。御堂の系統が企てていたのは『大結界』——すなわち、この三枝神社の封印を解くことじゃった。以前にも話したが、この神社は巨大な界傷(かいしょう)を封じた上に建っている。和昌(かずまさ)は御堂の連中とよく話し合っていたが・・・」


 九衛門が、湯呑みを床に置く。

 その手が、微かに震えているように見えた。


「……話し合いで解決する前に、最悪の事態が起きたのじゃ」


 九衛門の視線が、床の木目に落ちる。


「ある時、この街にこれまでにないほど強大で、超危険な幽禍が現れた。当時の御堂には、四人の強力な術士がおった。それぞれが朱雀、白虎、青龍、玄武という四神の封使を従える、腕利きの者たちじゃった」


 朱雀、白虎、青龍、玄武。

 俺はハッとした。朔が使っていたのは「玄武」の盾だ。


「その四人が、巨大幽禍の討伐に向かった。だが……結果は惨敗じゃった。朱雀、白虎、青龍の術士三人が、その幽禍に命を奪われたのじゃ」


 俺と蓮司は息を呑んだ。

 三人の術士を一網打尽にするほどの幽禍。想像しただけで背筋が寒くなる。


「勢いづいた幽禍は、この三枝神社にまで攻め込んできた。神社の地下に封じられた巨大な界傷を狙ってな。……その時、残された玄武の術士——吹雪(ふぶき)という女性とともに、儂と和昌の三人が迎え撃ったのじゃ」


 九衛門の声が、微かに震える。


「儂ら三人は死闘の末、かろうじてその幽禍を倒した。だが……和昌は、吹雪をかばって受けた傷がもとで、命を落とした」

「こよりさんの、お父さんが……」

「そうじゃ。そして、その吹雪という女性の息子が……朔じゃよ」


 俺の頭の中で、これまでの朔の行動がすべて繋がっていく。

 俺たちを「弱すぎる」と遠ざけようとした理由。

 それでも、「五芒星の中心は三枝神社だ」と決定的な情報を渡してきた理由。


「朔は、母親から和昌の最期を聞かされて育った。自分の母親が生きているのは、和昌が命を賭して守ってくれたからだと。……だから朔は、和昌が命懸けで守ったこの神社を、何としても守りたいのじゃろう」


 九衛門が、静かに目を閉じる。


「特に、和昌の忘れ形見であるこよりだけは、絶対に死なせたくない。朔の行動原理は、すべてそこにあるはずじゃ」


 あいつは、敵じゃなかった。

 やり方はどうあれ、俺たちと同じように、この場所を守ろうとしていたんだ。


「九衛門さん。朔が戦おうとしている『本当の敵』ってのは、その時の幽禍の生き残りか何かなのか?」

「……いや。幽禍は確かに倒した。朔が追っているのは、おそらく『別の勢力』じゃ。三枝神社の結界を狙い、強力な幽禍の軍勢を操ろうとしている正体不明の者たち。奴らが五芒星の陣を敷き、この神社をこじ開けようとしておるのじゃろう」


 部屋に、重い沈黙が降りた。


「……なぜ、それを今まで黙っていたんですか」


 部屋の入り口から、震える声が響いた。

 振り返ると、襖の隙間に、こよりが立っていた。

 静養中のはずの彼女は、寝巻きのまま、青白い顔で俺たちを見つめていた。


「こより……」

「お父さんは、幽禍との戦いで不運にも命を落としたと……そう聞いていました。御堂の系統の人をかばって死んだなんて、一度も……」


 こよりが、襖の縁を強く握りしめる。

 その指先が、白く鬱血していた。


「すまなかった、こより」


 九衛門が、深く頭を下げる。


「お前には、背負わせたくなかったのじゃ。和昌が命を賭して守ったお前に、朔たち御堂の系統に対する複雑な感情を抱かせたくなかった。……だが、奴らが再び動き出した以上、もう隠し通すことはできん」


 こよりの青紫の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。

 俺は、こよりが泣くところを初めて見た。

 いつも冷静で、感情を表に出さず、的確な指示を出し続ける司令塔。俺が怪我をしても、幽禍を取り逃がしても、決して取り乱すことのなかった彼女が、今はただの少女のように肩を震わせて泣いていた。


「……お父さんは、私のために……」


 こよりが、その場にへたり込む。

 俺は反射的に立ち上がり、彼女のそばに駆け寄ろうとした。

 だが、蓮司が俺の腕を掴んで止めた。


「今は、九衛門さんに任せろ」


 蓮司の言葉に、俺は足を止めた。

 そうだ。俺が今、こよりにかける言葉なんて何もない。

 父親の死の真相を知り、自分が守られていたことに気づいた彼女の悲しみを、俺なんかが慰められるはずがない。


「こより」


 九衛門が立ち上がり、こよりのそばに歩み寄る。

 そして、その小さな背中を、大きな手で優しく撫でた。


「泣くがよい。和昌の分も、今日だけは泣くがよい。……だが、明日からはまた、三枝の巫女として立て。正体不明の敵がこの神社を狙うなら、わしらが迎え撃つしかないのじゃから」


 こよりは、九衛門の胸に顔を埋め、声を殺して泣き続けた。

 俺は、その姿をただ黙って見つめることしかできなかった。


 *


 夜が明け始めた頃。

 こよりが落ち着きを取り戻し、再び静養部屋へと戻った後。

 俺と蓮司は、境内の縁側に腰を下ろしていた。


「……三上」


 蓮司が、朝焼けの空を見上げながら口を開いた。


「朔の奴は、一人で戦うつもりだ。だが、奴の力だけじゃ、あの正体不明の勢力には勝てない」

「わかってる」


 俺は、自分の手を見つめた。

 界喰を握り、幽禍を斬り裂いてきた手。

 だが、朔には「本当の使い方を知らない」と言われた。


「俺たちは、強くなるしかない。こよりさんが戻ってくるまでに、朔と一緒に戦えるくらいに」

「ああ」


 蓮司が、力強く頷く。


「……お前は、生き残れよ、三上」


 ふと、蓮司が何気ない調子で言った。


「え?」

「いや。俺は記録係だからな。お前やこよりさんが戦う姿を、最後まで見届けて記録に残すのが仕事だ。だから、お前は無茶をして死ぬような真似はするなと言っているんだ」


 蓮司はそう言って、いつものように手帳をポンと叩いた。


「……当たり前だろ。お前もな。変な死亡フラグ立てるんじゃねぇよ」


 俺は立ち上がり、朝日に照らされた鳥居を見つめた。

 こよりの父親が命懸けで守り、朔が一人で守ろうとしているこの場所を、今度は俺たちが守る。

 そのためには、界喰の「本当の使い方」を見つけ出さなければならない。


 戦いの舞台は、怪異退治から、神社を巡る防衛戦へと完全に移り変わろうとしていた。


 *


 その日の午後、俺は一人で神社の稽古場に立っていた。

 竹垣に囲まれた土の空間。いつもならこよりの厳しい指導が飛ぶ場所だが、今は俺の足音と、風に揺れる木々の音しか聞こえない。


「……阿伽」


 俺が短く呼ぶと、足元の影から一陣の風が巻き起こった。

 『御意』

 脳内に直接響くような、無機質な声。阿伽の力で身体がふわりと浮き上がり、地上から数メートルの高さで静止する。

 ここまでは、いつも通りだ。


「界喰の、本当の使い方……」


 俺は空中に留まったまま、右手で架空の柄を握る動作をした。

 界喰は『境を喰う』『名を喰う』『理屈を喰う』刀だ。物理的な肉体を斬るのではなく、存在の根幹を断ち切る。

 これまでの戦いでは、幽禍の核となる『執着』や『理屈』を見極め、そこへ界喰を届かせることで祓ってきた。

 だが、朔はそれを見て「本当の使い方を知らない」と言った。


「俺がまだ、喰えていないものがあるってことか……?」


 俺は目を閉じ、これまでの戦いを思い返した。

 猿の幽禍。未鑑定の札。写真の糸。出席簿の空白。

 すべて、俺の『視える眼』が捉えた、怪異の急所だった。

 だが、朔の系統——人間が相手ならどうだ?

 彼らは幽禍を使役する。幽禍と人間の間に『繋がり』を作り出している。

 もし、その『繋がり』自体を喰うことができたら?


「……いや、それだけじゃない」


 俺は目を開け、自分の手を見つめた。

 朔は、三十七体もの幽禍を使役していた。あれだけの数の幽禍を同時に操るには、ただ繋がっているだけでは不可能だ。そこには、複数の幽禍を束ね、制御するための『上位の理屈』が存在するはずだ。


「俺の眼で、それが見えるのか……?」


 『視える眼』は、あくまで界傷や怪異の急所を捉えるものだ。人間の意図や、複雑に絡み合った術式の構造まで見通せるわけではない。

 だが、見えなければ届かない。

 見えなければ、朔と一緒に戦うことはおろか、こよりを守ることすらできない。


「……三上」


 不意に、下から声がした。

 見下ろすと、蓮司が稽古場の入り口に立っていた。手には、いつもの手帳ではなく、六角棒が握られている。


「蓮司……」

「一人で悩んでいても、答えは出ないぞ」


 蓮司は六角棒を肩に担ぎ、土の地面を踏みしめた。


「降りてこい。少し、身体を動かそう」

「……いいのか? お前の無畏は、回復に霊力を使う。ただの稽古で消耗させるわけには……」

「気にするな。それに、俺も少し確認したいことがある」


 蓮司の真剣な表情に、俺は阿伽の風を解いて地面に降り立った。

 蓮司と向かい合う。こより抜きの、男二人だけの立ち合いは初めてかもしれない。


「いくぞ」


 蓮司の短い合図とともに、六角棒が風を切って迫ってきた。

 俺は間一髪でそれを躱し、後方に跳んだ。

 速い。幽禍を相手にする時のような、隙を突く動きではない。純粋な武術としての、洗練された一撃だ。


「どうした、避けるだけか!」


 蓮司の連続攻撃が続く。突き、払い、打ち下ろし。

 俺は阿伽の風を局所的に使い、足さばきを加速させてなんとか躱し続ける。

 だが、反撃の糸口が見えない。蓮司の動きには、無駄がない。


「お前の『視える眼』は、俺の動きも捉えられるはずだ。なぜ、見えた場所に踏み込まない?」

「……人間相手に、界喰の感覚で踏み込めるかよ!」


 俺が叫び返すと、蓮司はピタリと動きを止めた。


「……なるほどな。お前は無意識のうちに、人間と怪異を分けて考えている」


 蓮司が、六角棒を下ろす。


「朔たちのような術者は、人間だ。だが、奴らが使う術式や、幽禍との繋がりは、怪異と同じ『理屈』でできているはずだ。お前は、人間そのものを斬る必要はない。人間が纏っている『理屈』だけを視て、それを喰えばいい」

「人間が纏っている……理屈……」

「そうだ。お前がこれまで幽禍の核を見極めてきたように、術者の核——術式の起点や、幽禍との繋がりの中心を見つけ出せ。それが、界喰の本当の使い方に繋がるんじゃないか?」


 蓮司の言葉が、すとんと腑に落ちた。

 人間を斬るのではなく、人間が操る『理屈』を斬る。

 それなら、俺の『視える眼』と界喰の特性が、完全に噛み合う。


「……ありがとう、蓮司。少し、見えてきた気がする」

「礼には及ばん。俺も、自分の無畏の新しい使い方を模索しているところだ」


 蓮司が、微かに口角を上げた。


「こよりが戻ってくるまでに、俺たちも強くなる。……約束したからな」


 俺は強く頷いた。

 別の勢力たちとの決戦は、もうそこまで迫っている。

 その時までに、俺は必ず、界喰の新しい力を引き出してみせる。

 こよりの父親が守ったこの神社を、今度こそ、俺たちの手で守り抜くために。


 *


 その夜。

 俺は一人、神社の縁側に座って星空を見上げていた。

 昼間の蓮司との立ち合いで、少しだけ光が見えた気がする。だが、それを実戦でどう活かすか、具体的なイメージはまだ掴めていなかった。


「……起きていたのですね」


 静かな声に振り返ると、こよりが立っていた。

 昼間の寝巻き姿から、いつもの白衣と緋袴の巫女装束に着替えている。顔色はまだ少し悪いが、その眼差しには、いつもの強い光が戻っていた。


「こより……もう大丈夫なのか?」

「ええ。十分すぎるほど休みましたから」


 こよりは俺の隣に腰を下ろし、同じように星空を見上げた。

 昼間の、取り乱して泣き崩れていた姿は、微塵も感じさせない。

 それが彼女の強さであり、同時に、無理をして背負い込んでいるようにも見えて、俺は少し胸が痛んだ。


「……お父さんのこと、あまり気負いすぎるなよ」


 俺が静かに切り出すと、こよりは微かに頷いた。


「恥ずかしいところを見せてしまいました」

「恥ずかしいなんてことあるかよ。当たり前だろ、あんな話を聞かされたら」

「……いいえ。私は、三枝の巫女です。私情で心を乱すことは、本来あってはならないことですから」


 こよりの言葉は、自分自身に言い聞かせているようだった。


「お父さんは、朔さんのお母様を……そして私を守るために命を落としました。そして今、正体不明の勢力が再びこの神社を狙っている。……私には、この場所を守る義務があります」

「こより一人じゃない」


 俺は、まっすぐに彼女の横顔を見つめた。


「俺も、蓮司もいる。朔だって、やり方はどうあれ、この神社を守ろうとしてるんだ。……お前一人で背負い込むな」


 こよりは少し驚いたように俺を見つめ、やがて、ふっと柔らかく微笑んだ。


「……生意気ですね、三上さんのくせに」

「なんだよそれ。俺だって、少しは成長してるんだぜ」

「ええ、知っています。あなたが一人で稽古を続けていたことも、昼間、蓮司さんと立ち合いをしていたことも」


 こよりは立ち上がり、パンパンと袴の埃を払った。


「明日からは、私もパトロールに復帰します。別の勢力たちが動く前に、こちらから仕掛けられることがないか、情報を集めましょう」

「ああ、わかった」


 俺も立ち上がり、こよりと向き合った。


「……ありがとう、三上さん」


 こよりが、小さな声で言った。


「あなたが、この神社に来てくれて……私と蓮司さんの隣にいてくれて、本当に良かった」


 それは、これまでで一番、彼女の素直な感情が込められた言葉だった。

 俺は照れ隠しに頭を掻きながら、そっぽを向いた。


「……らしくないこと言うなよ。明日からまた、ビシビシしごかれるんだろうからな」

「ふふっ。ええ、覚悟しておいてください。休んでいた分の利子も、しっかりつけてお返ししますから」


 こよりの悪戯っぽい笑みに、俺も自然と笑みを返していた。


 別の勢力たちとの決戦は、避けられない。

 だが、今の俺たちなら、きっと乗り越えられる。

 俺は、星空の下で静かに決意を固めた。

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