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界傷の祓い人  作者: 安曇 東成


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18/18

尾行

廃病院での死闘から、さらに数日が経過した。

 こよりはまだ復帰できず、街のパトロールは引き続き俺と蓮司の二人で行っている。


「……三上、右の路地だ。微かだが、界傷(かいしょう)の反応がある」


 深夜の商店街。蓮司が手帳のページから顔を上げ、細い路地の奥を指差した。

 俺も眼を凝らす。確かに、シャッターの閉まったアーケードの隙間に、黒いひび割れのようなものが浮かび上がっていた。

 だが、廃病院で見たような異常な大きさじゃない。初期の頃に祓った、猿の幽禍(ゆうか)と同じくらいの小規模なものだ。


「よし、行くぞ」


 俺は阿伽(あか)の風を足元に集め、蓮司とともに路地裏へ駆け込んだ。

 しかし——。


「……遅かったか」


 路地裏の行き止まり。

 そこには、黒い灰の山が崩れ落ちていた。

 その前に立っていたのは、見覚えのある黒い長コートの背中。御堂 朔(みどう さく)だ。

 廃病院で負っていた怪我はまだ完全に治っていないようだが、この程度の小規模な幽禍なら、単独でもあっさりと処理できるらしい。


「またお前か」


 俺が声をかけると、御堂は振り返りもせずに青白い札をかざした。

 シュゥゥゥ……と、幽禍(ゆうか)の残滓が札へと吸い込まれていく。

 またしても、横取りだ。


「……三枝の連中か。相変わらず足が遅いな」


 御堂は札をポケットに収め、ようやくこちらを向いた。


「この程度の幽禍(ゆうか)なら、俺一人で十分だ。お前たちは大人しく神社で巫女の看病でもしていろ」

「お前……いい加減にしろよ。この街の幽禍を全部お前が独占するつもりか?」

「『独占』? 人聞きの悪いことを言う。俺はただ、俺の目的のためにこいつらを使役するだけだ。お前たちのように『祓って終わり』の無駄な真似はしない」


 御堂はそう言い捨てると、影から玄武を微かに展開させ、俺たちを牽制しながら路地の奥へと歩き出した。


「待て!」


 俺が追おうとすると、蓮司が肩を掴んで止めた。


「よせ、三上。今の俺たちじゃ、あいつの玄武を破れないだろう。ここで争っても無駄だ」

「でも……!」

「あいつの言葉を思い出せ。『本当の敵が誰なのか、まだ掴んでいない』。あいつも、何かを探しているはずだ」


 蓮司の言葉に、俺はハッとした。

 そうだ。あいつは幽禍を集めているだけじゃない。界傷を意図的に広げている「本当の敵」を探している。

 なら、ここで戦うより、もっと有効な手がある。


「……蓮司、無畏(むい)の準備だけしておいてくれ」

「三上?」


 俺は深く息を吸い込み、影の中に呼びかけた。


空劫(くうごう)阿伽(あか)


 ——御意。

 ——是。


 短い応答とともに、俺の身体の輪郭が世界から薄れ、同時に足元から浮遊感が込み上げてくる。

 空劫の「姿を消す能力」と、阿伽の「飛翔能力」の併用。

 一般人の目を欺くために使ってきたこの移動手段を、今度は祓い人相手の尾行に使う。


「三上、一人で行く気か。危険だ」


 姿の消えた俺に向かって、蓮司が小声で言う。


「あいつの拠点を突き止めるだけだ。手は出さない。何かあったら、すぐに戻る」


 蓮司は少し迷ったようだったが、やがて短く頷いた。


「わかった。無理はするなよ。……俺はここで、周辺の界傷(かいしょう)の痕跡を調べておく」


 俺は足音を殺し、空中に浮き上がった。

 御堂の背中は、まだ路地の先に見えている。俺は阿伽(あか)の風を微調整し、気配を完全に消したまま、上空から黒いコートの男を追い始めた。


 *


 御堂の足取りは、警戒心が強かった。

 何度も後ろを振り返り、時には不自然に路地を曲がって尾行を撒こうとする。だが、上空から姿を消して追っている俺には、そのフェイントも意味を成さない。


 深夜の街を三十分ほど歩き回り、やがて御堂が立ち止まったのは、街の外れにある古い雑居ビルの前だった。

 一階はシャッターの閉まった寂れたスナック。その横にある、錆びついた鉄階段を御堂が上っていく。

 三階の突き当たり。ペンキの剥がれた鉄扉の前で、御堂は周囲を見回し、ポケットから鍵を取り出した。


 ガチャリ、と重い音がして、扉が開く。

 御堂が中に入り、扉が閉まる直前。

 俺は阿伽の風を急加速させ、音もなくその隙間に滑り込んだ。


「……」


 中は、驚くほど殺風景だった。

 生活感がない。ベッドと机、パイプ椅子が一つあるだけで、壁には無数の青白い札がびっしりと貼られている。

 部屋の奥には、小さな祭壇のようなものが組まれており、そこには黒い箱が置かれていた。


 御堂はコートを脱ぎ、パイプ椅子にどさりと腰を下ろした。

 そして、ポケットから先ほど吸印した札を取り出し、机の上に置く。


「……これで、三十七体目か」


 御堂が独り言のように呟く。

 三十七体。俺たちがこの街で祓ってきた幽禍の数を、はるかに超えている。あいつは俺たちの知らないところで、それだけの数の幽禍を独力で処理し、使役のために集めてきたのだ。


「『本当の敵』……か」


 御堂が、机の上に広げられた一枚の紙を見つめる。

 俺は天井付近に浮かんだまま、その紙を覗き込んだ。

 それは、この街の地図だった。蓮司が手帳に描いていたものと同じように、赤い点がいくつも打たれている。

 だが、蓮司の地図と違うのは、その点と点を結ぶ線の形だ。


 蓮司の地図では、点は「円」を描いていた。

 しかし、御堂の地図には、その円のさらに外側に、より巨大な「五芒星」のような図形が描かれている。


「……奴らは、この街全体を『器』にするつもりだ。廃病院の複合幽禍すら、ただの囮に過ぎなかった」


 御堂の言葉に、俺は息を呑んだ。

 廃病院のあの巨大な泥の塊が、ただの囮?

 なら、本当の目的は何だ。この街全体を器にして、一体何を呼び出そうとしているんだ。


「三枝の連中が、どこまで気づいているか……」


 御堂が机に突っ伏すようにして、目を閉じる。

 疲労が極限に達しているのが、天井から見下ろしていてもわかった。


 俺は音を立てないように、少しずつ扉の方へ後退した。

 これ以上の尾行は危険だ。拠点も突き止めたし、地図の情報も得た。一度神社に戻り、蓮司と九衛門に報告しなければならない。


 扉の隙間から外へ出ようとした、その瞬間だった。


「——誰だ」


 御堂が弾かれたように顔を上げ、俺のいる空間を睨みつけた。

 空劫で姿は消えているはずだ。だが、あいつの眼は、確かに俺の存在を捉えているように見えた。


「『玄武』!」


 御堂の影から、半透明の盾が猛スピードで射出される。

 俺は反射的に界喰(かいばみ)を抜き、盾を弾き飛ばそうとした。


 ガキンッ!


 金属音が部屋に響き渡る。

 その衝撃で、俺の空劫が解け、姿が空間に浮かび上がってしまった。


「……三上 晃。なぜお前がここにいる」


 御堂が立ち上がり、青白い札を構える。

 その目は、完全に敵を射抜く冷たい光を放っていた。


「尾行させてもらった。お前が一人で何を抱え込んでるのか、知りたくてな」


 俺は界喰(かいばみ)を構えたまま、扉を背にして着地した。

 狭い部屋の中。逃げ場はない。


「……馬鹿な奴だ。知りすぎれば、命を落とすぞ」


 御堂の札が、青白い炎を纏い始める。

 こより不在のまま、俺は単独で、御堂の系統との直接対決に引きずり込まれようとしていた。


「命を落とす? それはこっちのセリフだ」


 俺は界喰の柄を強く握りしめた。

 狭い室内。阿伽の機動力を活かすスペースはない。だが、相手も同じだ。この距離なら、玄武を展開する前に懐に飛び込める。


「お前がこの街の幽禍を三十七体も集めてる理由はなんだ。あの地図の『五芒星』は何だ。本当の敵って誰のことだ。全部吐け」

「……お前に答える義理はない」


 御堂が青白い札を指先で弾く。

 シュッ、という鋭い風切り音とともに、札が俺の顔面めがけて飛んできた。

 俺は界喰でそれを叩き落とす。札は床に落ちた瞬間、青い炎を上げて燃え尽きた。


「『ばく』」


 御堂の短い詠唱。

 燃え尽きたはずの札の灰が、意思を持ったように空中に舞い上がり、俺の手足に絡みつこうとする。

 これが、奴の「使役」の力か。祓うのではなく、取り込んだ幽禍の残滓を己の術式に組み込んでいる。


「阿伽!」


 俺は足元に風を巻き起こし、灰の拘束を吹き飛ばした。

 そのまま一気に距離を詰め、界喰の切っ先を御堂の喉元に突きつける。


「……随分と物騒な挨拶だな」


 御堂は喉元に刃を突きつけられながらも、全く動じていなかった。

 むしろ、その口元には微かな嘲笑すら浮かんでいる。


「お前のその刀——『界喰』と言ったか。境を喰い、理屈を喰う。確かに強力な刀だ。だが、お前はまだ、その刃の『本当の使い方』を知らない」

「知った口を利くな」

「事実だ。お前はただ、目の前の障害を『切る』ためだけにその力を使っている。だから、俺の玄武を破れない」


 御堂の言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。

 廃病院での共闘の時もそうだった。俺の界喰は、複合幽禍の「繋がり」を喰うことはできたが、御堂の玄武を正面から破ることはできなかった。


「俺とお前は、敵じゃないと言ったはずだ」


 御堂が、喉元の界喰を指先でそっと押し退ける。

 俺は刃を引かなかったが、不思議と殺気は感じなかった。


「なら、なぜ隠す。なぜ俺たちを遠ざける」

「お前たちが弱すぎるからだ」


 御堂の目が、冷たく俺を射抜く。


「三枝の巫女が倒れ、お前たちは二人で右往左往している。そんな状態で、あの『五芒星』を仕組んだ連中と戦えると思うか? 奴らは、俺たちのような末端の祓い人とは次元が違う。この街そのものを生贄にして、異界の扉を完全に開こうとしているんだぞ」

「異界の扉……」


 九衛門が言っていた「界傷をこじ開けようとしている」という推測は当たっていた。

 だが、規模が違う。街全体を生贄にする? そんなことが可能なのか。


「俺が幽禍を集めているのは、奴らの計画を阻止するための『対抗策』だ。俺一人の力では、到底奴らには届かない。だから、この街の幽禍を使役し、軍隊を作る必要がある」


 御堂が机の上の地図に視線を落とす。


「三上 晃。お前が本当にこの街を、そして三枝の巫女を守りたいなら——俺の邪魔をするな。俺は俺のやり方で、奴らを止める」

「……お前のやり方で、誰も傷つかない保証があるのか?」


 俺の問いに、御堂は答えなかった。

 ただ、静かに目を伏せるだけだった。


「……帰れ。次に俺の前に現れる時は、その刃の『本当の使い方』を見つけてからにしろ」


 御堂はそれ以上何も言わず、机の上の札を片付け始めた。

 これ以上の問答は無意味だ。俺は界喰を鞘に収め、部屋の扉に手をかけた。


「一つだけ、教えてやる」


 背を向けた俺に、御堂の声が届く。


「あの『五芒星』の中心は、三枝神社だ。奴らの本当の狙いは、最初からそこにある」


 俺は息を呑み、振り返ることなく扉を開けた。

 錆びついた鉄階段を駆け下りながら、俺の心臓は早鐘のように打っていた。

 三枝神社が狙われている。こよりがいる、あの場所が。


 俺は夜の街を、全力で走り出した。

 空劫も阿伽も使わず、ただひたすらにアスファルトを蹴って。

 この街の裏側で進行している計画の全貌が、少しずつ、だが確実にその輪郭を現し始めていた。


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