第五話 割れていないダイヤモンド(前編)
元宝石詐欺師の宝石商が、偽物に隠された真実を鑑る。
第五話「割れていないダイヤモンド」前編です。
灰崎透が告げた次の石は、もっとも硬い宝石、ダイヤモンド。
今回の事件は、青の王冠に隠された証言と、水城玲央自身の名前へ迫っていきます。
瑠璃窓のカウンターに、白い石の写真が置かれていた。
ダイヤモンド。
透明なはずの石なのに、その写真はどこか冷たく濁って見えた。
水城玲央は、古いメモの一行を見つめている。
Diamond — R
そのRが何を意味するのか。
白河周吾が残したものなのか。
灰崎透が見せたものなのか。
それとも十年前からそこにあったものを、玲央が見ようとしていなかっただけなのか。
答えはまだ出ていない。
だが、嫌な予感だけはあった。
R。
Reo。
水城玲央。
それ以外の可能性を探すほど、その文字は静かに彼の名前へ戻ってくる。
灰原律は、カウンターの向こうで腕を組んでいた。
「顔色が悪いですね」
「宝石商に顔色を見られるならともかく、刑事さんに見られるのは落ち着きませんね」
「誤魔化すときの返しが早い」
「癖です」
「悪い癖です」
律はそう言って、一枚の封筒をカウンターに置いた。
「今朝、県警に届きました」
玲央は封筒を見た。
白い封筒。
差出人なし。
宛名は神奈川県警捜査一課。
中には写真が数枚と、一枚のカード。
カードには、細い黒文字でこう書かれていた。
『もっとも硬い石は、もっとも割れやすい証言を抱えている。』
玲央はカードを指先で押さえた。
白河の言葉に似ている。
だが、ほんの少し違う。
白河の言葉には、相手を舞台に上げるような優雅さがある。
このカードの文は、もっと事務的だった。
冷たい。
乾いている。
価値ではなく、条件を書いているような文章。
「灰崎さんですか」
玲央が言うと、律は眉を寄せた。
「やはりそう思いますか」
「白河さんの言葉にしては、余白が少ない」
「詩の添削みたいに言わないでください」
「宝石詐欺では、言葉の質も鑑定対象です」
律は溜息をついた。
「今回の写真を見てください」
玲央は封筒から写真を取り出した。
一枚目には、ダイヤモンドリングが写っていた。
大粒のラウンドブリリアントカット。
爪は六本。
台座はプラチナ。
シンプルだが、石を目立たせる作り。
次の写真は、現場写真だった。
床に倒れた男性。
手元に落ちたワイングラス。
割れていないダイヤモンドリング。
玲央の目が止まる。
「亡くなったのですか」
「いいえ。意識不明の重体です」
「誰です」
「相良怜司。五十二歳。美術品専門の保険鑑定人です」
玲央は写真から目を上げた。
「保険鑑定人」
「はい。灰崎透の元同僚です」
律の声が低くなる。
「そして、十年前の青の王冠の保険契約にも関わっていました」
店内の空気が冷える。
青の王冠。
白河周吾。
灰崎透。
そして、ダイヤモンド。
輪は少しずつ狭まっている。
「相良さんは、どこで倒れていたのですか」
「山下町のホテルです。昨夜、彼はある人物と会っていた」
「誰です」
律は、少しだけ間を置いた。
「水城玲央」
玲央は動かなかった。
「私ですか」
「そう名乗る人物です」
律は別の写真を出した。
ホテルの防犯カメラ映像の切り抜きだった。
黒いコートの男。
顔は帽子と影で見えにくい。
だが背格好は玲央に近い。
玲央はそれを見て、薄く笑った。
「私より少し肩幅がありますね」
「余裕ですね」
「余裕ではありません。確認です」
「昨夜九時、どこにいましたか」
「瑠璃窓にいました」
「証明できますか」
「店にいましたので、難しいですね」
「誰か来ましたか」
「いいえ」
律は黙った。
玲央はその沈黙の意味を理解していた。
疑われている。
当然だ。
R。
水城玲央を名乗った人物。
ダイヤモンド。
十年前の事件。
状況だけを見れば、罠はかなり丁寧に作られている。
「灰原さん」
「何です」
「私は相良怜司さんに会っていません」
「信じろと?」
「いいえ」
玲央はまっすぐ律を見た。
「確認してください」
律は一瞬だけ目を伏せた。
「そのつもりです」
その言葉に、以前よりほんの少しだけ別の温度があった。
信用ではない。
だが、即座に疑い切ることもしない。
その中間に、律は立っていた。
玲央は写真に目を戻した。
「ダイヤモンドは現場に残されていたんですね」
「はい」
「盗まれていない」
「ええ」
「なら、犯人の目的は石ではない」
「そう考えています」
玲央は、リングの写真を見た。
ダイヤモンドは割れていない。
傷も、写真から見る限りでは目立たない。
だが、カードにはこうある。
もっとも硬い石は、もっとも割れやすい証言を抱えている。
割れているのは、石ではない。
証言。
「相良さんは、倒れる前に何か言いましたか」
「ホテルの従業員が聞いています」
律は手帳を開いた。
「『ダイヤは割れていない』と」
玲央は眉を動かした。
「それだけですか」
「はい」
「妙ですね」
「何がです」
「ダイヤが割れていないことを、わざわざ言う必要がない」
「では、別の意味があると?」
玲央は写真を見た。
割れていないダイヤモンド。
割れていないことが重要になるのは、普通なら、誰かが割れたと思っている場合だ。
「現場に、割れたものはありましたか」
「ワイングラスが割れていました」
「他には」
「鏡です」
玲央が顔を上げる。
「鏡?」
「ホテルの部屋にあった壁掛け鏡にヒビが入っていました。ただし、完全には割れていない」
「ヒビ」
玲央は小さく繰り返した。
「写真は?」
律は一枚の写真を出した。
鏡には、斜めに一本のヒビが入っていた。
鏡の前にはテーブル。
その上にワインボトル。
グラス。
小さなジュエリーケース。
そして、鏡の中に映るダイヤモンドリング。
玲央は写真をじっと見た。
何かがおかしい。
直接写っているリングと、鏡の中に映っているリング。
向きが違う。
いや、向きだけではない。
爪の本数が違って見える。
直接写真では六本。
鏡の中では、五本に見える。
「この写真の原本はありますか」
「署にあります」
「確認したい」
「来てもらうつもりでした」
「私は容疑者では?」
「参考人です」
「便利な言葉ですね」
「あなたに言われたくありません」
玲央は写真を封筒に戻した。
「行きましょう」
「その前に」
律はもう一枚の紙を出した。
そこには、青の王冠の古い配置図が写っていた。
中心のサファイア。
周囲のダイヤ。
ルビー。
アレキサンドライト。
オパール。
律はダイヤの位置を指した。
「青の王冠には、ダイヤモンドが十二石使われていました」
「ええ」
「そのうち一石だけ、十年前の修復記録で交換されています」
玲央は目を細めた。
「管理番号は?」
律は紙を置いた。
H.C. 1129
玲央はその数字を見た。
胸の奥が、静かに重くなる。
「見覚えが?」
律が聞く。
玲央は頷いた。
「あります」
「どこで?」
「十年前、私が見た王冠の修復控えにありました」
「それだけですか」
「いいえ」
玲央はゆっくり言った。
「その交換されたダイヤを、白河さんは私に見せたことがあります」
律の表情が変わった。
「いつ」
「青の王冠事件の少し前です」
「なぜ黙っていた」
「忘れていました」
律の目が鋭くなる。
玲央は誤魔化さなかった。
「いえ、違います。思い出したくなかった」
「同じにして逃げるな、と三鷹正臣さんに言われたばかりでしょう」
玲央は小さく息を吐いた。
「その通りです」
律は黙っていた。
玲央は続けた。
「白河さんは、そのダイヤを私に見せて言いました。これは割れていない、と」
「今回の相良の言葉と同じ」
「ええ」
「どういう意味ですか」
玲央は、青の王冠の配置図を見た。
「当時、そのダイヤには劈開面に沿った内部亀裂があると言われていました」
「劈開面?」
「ダイヤモンドは非常に硬い石ですが、特定の方向には割れやすい性質があります。その割れやすい方向を劈開といいます」
「つまり、硬いけれど無敵ではない」
「はい」
玲央は写真のリングを見る。
「白河さんが見せたダイヤは、内部に亀裂があるように見えた。でも白河さんは、割れていないと言った」
「実際は?」
「わかりません。当時の私は、その言葉を深く考えなかった」
律が低く言う。
「今なら?」
玲央は、カードの一文を見た。
もっとも硬い石は、もっとも割れやすい証言を抱えている。
「亀裂に見えたものは、傷ではなく、何かを示す線だったのかもしれません」
「何かとは」
玲央は写真をもう一度見た。
鏡に映るリング。
六本爪と五本爪。
現実と反射。
割れていないダイヤ。
割れた証言。
「現場を見ないとわかりません」
律は頷いた。
「行きましょう」
神奈川県警の資料室は、瑠璃窓とはまったく違う匂いがした。
紙。
金属棚。
蛍光灯。
空調の乾いた風。
宝石店が記憶を閉じ込める場所なら、ここは事実を積み上げる場所だった。
ただし、積み上げられた事実が真実とは限らない。
玲央は、机の上に並べられた現場写真を見ていた。
相良怜司が倒れていたホテルの部屋。
ダイヤモンドリング。
割れたグラス。
ヒビの入った鏡。
ワインボトル。
ジュエリーケース。
名刺。
名刺には、水城玲央の名が印刷されていた。
ただし、瑠璃窓のものではない。
白い紙に、黒い文字。
水城玲央
宝石鑑定士
住所も電話番号もない。
玲央はその名刺を見て、わずかに眉を動かした。
「昔の名刺に似ていますね」
律が言う。
「私の?」
「ええ。白河周吾の事務所にいた頃の」
玲央は名刺を手に取らなかった。
「よく調べていますね」
「調べますよ。あなたは重要参考人ですから」
「容疑者から少し進みましたね」
「悪いほうにです」
玲央は薄く笑った。
だが目は笑っていなかった。
写真の中の名刺は、十年前の自分に近い。
白河の隣で笑っていた頃の名前。
宝石鑑定士。
そう名乗るには、あの頃の自分はあまりに未熟だった。
未熟で、傲慢だった。
律は大判の現場写真を一枚置いた。
「これが鏡の写真です」
玲央は身を乗り出した。
鏡には一本のヒビ。
そのヒビは、ダイヤモンドリングの反射をちょうど横切っている。
直接見るリングは六本爪。
鏡の中では、ヒビのせいで一本の爪が隠れ、五本に見える。
いや。
隠れているのではない。
ヒビが、一本の爪のように見えている。
つまり、鏡の中のリングは七本爪にも見える。
見る角度によって、五本にも七本にも見える。
「灰原さん」
「はい」
「相良さんは、倒れた位置から鏡を見ていましたか」
律は写真を確認する。
「倒れていた向きからすると、見えていた可能性があります」
「彼が見たのは、直接のダイヤではなく、鏡の中のダイヤだった」
「それが何か?」
「鏡のヒビが、リングの爪を変えて見せた」
律は眉を寄せる。
「爪の数?」
「宝飾品の同定では重要です。特に古い王冠の石留めでは、爪の本数や位置が記録と照合されます」
「つまり、相良は何かの石留めを思い出した?」
「おそらく」
玲央は、青の王冠の配置図を手元に引き寄せた。
周囲のダイヤの一つ。
H.C.1129。
その石座の記録には、爪が七本と記されている。
だが写真で見る王冠では、六本に見える。
「王冠のダイヤの爪が、記録と写真で合わない」
律が言った。
「ええ」
「なぜ今まで気づかなかったんです」
「中心のサファイアばかり見ていたからです」
玲央の声は静かだった。
「全員がそうだった。王冠と言えば中心の青。青の王冠という名前のせいで、私たちは青ばかりを見ていた」
律は配置図を見る。
「でも、本当の手がかりは周囲のダイヤ」
「ええ」
玲央は現場写真に戻った。
「相良さんは、鏡のヒビによって七本爪に見えたリングを見て、十年前の王冠を思い出した」
「そして、ダイヤは割れていないと言った」
「ヒビは鏡のもの。ダイヤのものではない」
律の表情が変わる。
「割れていたのは、鏡」
「そして証言」
玲央は小さく言った。
律は考え込む。
「では、犯人はわざと鏡にヒビを入れた?」
「可能性があります」
「相良に何かを思い出させるため?」
「あるいは、私に」
律が玲央を見る。
玲央は現場写真の中の名刺を見た。
「水城玲央の名刺が置かれていた。私に疑いを向けるためだけなら、もっと単純にできます。でもこの現場には、ダイヤ、鏡、ヒビ、名刺が揃っている」
「あなたに見せるための現場」
「そうです」
律は低く言った。
「白河か灰崎」
「あるいは、相良さん自身」
「相良が自分で?」
「彼は倒れる前に、何かを伝えようとしたのかもしれません」
玲央は写真を指した。
「このグラスの位置、少し不自然です」
「どこが」
「倒れた位置からすると、手が当たって割れたように見える。でも破片の飛び方が少ない」
「つまり?」
「割れたグラスは、倒れる前から割れていた可能性がある」
律は資料を確認する。
「鑑識の報告では、グラスの破断面に乾いたワインの跡がある。割れてから少し時間が経っていたと見られる」
「やはり」
「相良が割った?」
「そうかもしれません」
玲央は、割れたグラスの写真を見つめる。
破片は三つ。
大きい破片。
細長い破片。
小さな破片。
それらは、ダイヤモンドの光を分けるプリズムのように見えた。
「相良さんは、割れたグラスで何をしたのでしょう」
律が問う。
玲央は答えない。
代わりに、現場写真を光にかざした。
割れたグラスの破片が、鏡の前に並んでいる。
その破片越しに、ダイヤモンドリングを見るとどうなるか。
光が分かれる。
像がずれる。
爪の数が、変わって見える。
「実験できますか」
玲央が言った。
律は頷いた。
「現物は鑑識にあります。許可を取ります」
「お願いします」
「あなた、だんだん遠慮がなくなっていますね」
「刑事さんが私を餌に使うと言ったので」
「根に持ってます?」
「少し」
律はほんのわずかに口元を緩めた。
すぐに真顔に戻ったが、玲央は見逃さなかった。
資料室の隣にある小さな検証室で、玲央はダイヤモンドリングのレプリカと、現場にあったグラス片を並べた。
本物のリングは証拠品として保管されているため、形だけを再現したものだ。
だが、確認には充分だった。
蛍光灯。
小型ライト。
鏡。
グラス片。
条件を変えながら、玲央は光を当てる。
律は隣で記録を取っていた。
「まるで理科の実験ですね」
「宝石鑑定は半分くらい理科です」
「残り半分は?」
「人間の嘘です」
「急に嫌な教科になる」
玲央は小さく笑った。
グラス片をリングの前に置く。
光を入れる。
鏡に映ったリングの爪が、ずれて見えた。
六本爪のリングが、一瞬だけ七本爪に見える。
玲央は息を止める。
「これです」
律が身を乗り出す。
「七本に見えますね」
「ええ」
「相良はこれを見た」
「おそらく」
「そして、十年前の王冠の七本爪を思い出した」
「はい」
玲央は、さらにグラス片の角度を変える。
今度は、ダイヤの内部に細い線が見える。
亀裂のような線。
しかし、それは実際には石の傷ではない。
グラス片によって屈折した光が作った線だった。
「ダイヤは割れていない」
玲央は呟いた。
律が頷く。
「割れて見えたのは、グラスのせい」
「十年前も同じだったのかもしれません」
律が顔を上げる。
「王冠のダイヤも?」
「白河さんが私に見せたダイヤ。内部に亀裂があるように見えた。でも本当は、光の当て方でそう見えていただけかもしれない」
「つまり、白河はあなたに割れたダイヤを見せたのではなく、割れて見えるように見せた」
「ええ」
玲央の声は、少しだけ低かった。
「そして、私はそれを信じた」
律は黙った。
検証室の蛍光灯が、白く冷たい光を落としている。
玲央はダイヤモンドのレプリカを見た。
もっとも硬い石。
それでも、光の入り方ひとつで、割れて見える。
人間の証言も同じだ。
本人は本当のことを言っているつもりでも、見た条件が間違っていれば、証言は割れる。
「相良さんは、誰に会っていたのでしょう」
律が言った。
「水城玲央を名乗る人物です」
「私ではない」
「それはまだ証明されていません」
玲央は律を見た。
「疑っていますか」
「疑っています」
律ははっきり言った。
「ですが、今はあなたが犯人だとは思っていません」
玲央は少しだけ笑った。
「進歩ですね」
「喜ばないでください」
「すみません」
律は資料を手に取った。
「相良が倒れる前、ホテルのフロントに預けた封筒があります」
「封筒?」
「宛名はありません。ただ、ホテルの従業員に、もし自分に何かあれば警察へ渡してほしいと言っていたそうです」
「中身は?」
「まだ開封していません。あなたの前で確認します」
「なぜ私の前で?」
律は玲央を見た。
「中に、あなたの名前が書かれていたからです」
玲央は黙った。
律は透明袋に入った封筒を取り出した。
古い茶封筒。
表面に、短く書かれている。
『Rへ』
R。
玲央は、自分の手がわずかに冷えるのを感じた。
律は手袋をはめ、慎重に封筒を開いた。
中には、写真が一枚と、古い紙片が入っていた。
写真には、若い玲央が写っていた。
十年前。
白河の事務所らしき部屋。
玲央は、白い手袋をはめてダイヤモンドを見ている。
その横には白河周吾。
奥には、相良怜司。
そしてもう一人、灰崎透。
玲央は写真を見つめた。
その瞬間、忘れていたはずの光景が、胸の奥で開いた。
白い机。
黒い布。
小さなダイヤ。
白河の声。
「割れていないだろう、玲央」
そう言われた。
確かに。
律が紙片を広げる。
そこには、相良怜司の筆跡と思われる文字があった。
『あの夜、割れていたのは石ではない。
少年の証言だった。
白河は、玲央に偽物を見せたのではない。
本物を偽物に見えるように見せた。
Rは犯人ではない。
最初の証人だ。』
律が読み終えたあと、検証室には長い沈黙が落ちた。
玲央は、何も言えなかった。
最初の証人。
犯人ではない。
だが、無関係でもない。
自分の言葉が、青の王冠を闇へ沈めた。
それはわかっていた。
けれど今、その意味が少し変わった。
玲央は騙した側ではなかった。
騙された側だった。
だが、それは救いではない。
騙されたことを理由に、自分の証言が誰かを傷つけた事実は消えない。
律が静かに言った。
「水城さん」
玲央は返事をしなかった。
律は続ける。
「あなたは、青の王冠事件の最初の証人だった」
「はい」
「そして白河は、その証言を作った」
玲央は、十年前の写真を見つめていた。
写真の中の自分は、まだ何も知らない顔をしている。
自分の目を信じている顔。
白河に選ばれたと思っている顔。
「灰原さん」
「はい」
「相良さんは、なぜ今これを残したのでしょう」
「白河が動いたからでしょう」
「それだけではないと思います」
玲央は紙片を見た。
『Rは犯人ではない。
最初の証人だ。』
「相良さんは、私を庇った」
律が頷く。
「そう見えます」
「なぜ」
「あなたに心当たりは?」
玲央は目を閉じた。
十年前の相良怜司。
保険鑑定人。
白河の隣にいた男。
灰崎と同じ会社にいた男。
そして、玲央が偽物だと言った王冠について、何も言わなかった男。
「彼も、黙った側の人間です」
玲央は言った。
「だから、今になって証言した」
「罪滅ぼし?」
「おそらく」
律は紙片を封筒に戻した。
「相良はまだ意識不明です。回復すれば、話を聞ける」
「回復すれば」
玲央の声は低かった。
そのとき、検証室の扉が叩かれた。
若い刑事が入ってくる。
「灰原さん。ホテルの防犯カメラ、追加で確認できました」
律が振り向く。
「何かわかったか」
「水城玲央を名乗った男の顔が、別角度で映っていました」
若い刑事はタブレットを差し出した。
画面には、ホテルの廊下を歩く男が映っていた。
帽子を取る瞬間。
横顔。
玲央はその顔を見て、息を止めた。
律も同時に固まる。
男の顔は、玲央によく似ていた。
だが、玲央ではない。
年齢は少し上。
目元の形が似ている。
口元の笑みも、嫌になるほど似ている。
若い刑事が言った。
「顔認証では、該当者なしです。ただ……」
律が低く問う。
「ただ?」
「水城さんの親族に、似た人物がいる可能性があります」
玲央はタブレットを見つめたまま動かなかった。
親族。
その言葉は、彼の中で長く閉じていた箱を叩いた。
律が玲央を見る。
「心当たりがありますか」
玲央は答えなかった。
答えたくなかった。
だが、もう逃げられない。
白河は、王冠だけでなく、玲央の名前を戻すと言った。
そして今、玲央に似た男が現れた。
ダイヤモンド。
透明な石。
何も隠していないように見えて、すべての光を屈折させる石。
玲央は、ようやく口を開いた。
「兄がいました」
律の表情が変わる。
「兄?」
「水城怜一」
玲央は画面の男を見つめた。
「十年前に、死んだことになっています」
検証室の白い光が、ひどく冷たく感じられた。
律は何も言わない。
玲央は続けた。
「でも、この顔は……」
画面の中で、男がこちらを見ている。
まるで、十年前のどこかで止まっていた時間が、今になって歩き出したように。
「兄です」
玲央は言った。
その声は、自分でも驚くほど静かだった。
「死んだはずの、私の兄です」
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、ダイヤモンドの「硬いけれど特定方向には割れやすい」という性質を、証言の脆さと重ねています。
次回、死んだはずの兄・水城怜一と、十年前の玲央の証言がさらに深くつながっていきます。




