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瑠璃窓の宝石商  作者: 秀人


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第三話 色を変えるアレキサンドライト(前編)

元宝石詐欺師の宝石商が、偽物に隠された真実を鑑る。


第三話「色を変えるアレキサンドライト」前編です。

白河周吾の電話が告げた、次の石。

昼と夜で色を変えるアレキサンドライトが、十年前の「青の王冠事件」に残された証言を揺らし始めます。

「次は、色の変わる石だ」


白河周吾の声は、電話が切れたあとも瑠璃窓の中に残っていた。


まるで、見えない煙のようだった。


水城玲央は受話器を戻したまま、しばらく動かなかった。


店内の照明を受けたショーケースの中で、いくつかの宝石が静かに光っている。ダイヤモンドは白く、サファイアは青く、ルビーは赤い。


だが、アレキサンドライトは違う。


昼の光では青緑に。

夜の灯りでは赤紫に。


ひとつの石が、二つの顔を持つ。


灰原律は、玲央の横顔を見ていた。


「白河周吾ですね」


「ええ」


「あなたの昔の師匠」


「そう呼べるほど、綺麗な関係ではありません」


玲央は薄く笑った。


笑みはあった。

けれど、その目は少しも笑っていなかった。


律はその表情を見て、問い詰める言葉を飲み込んだ。


白河周吾。


元宝石商。

鑑定士。

古美術商。

そして、十年前の「青の王冠事件」に関わっていた可能性がある男。


第二話のルビー事件で、その名ははっきりと浮かび上がった。


偽物のルビー。

本物の鑑定書。

片桐修一の死。

青の王冠に使われていたかもしれない赤い石。


そして白河は言った。


次は、色の変わる石。


「アレキサンドライト」


律が言った。


「そう言いましたね」


玲央は頷く。


「宝石の中でも、かなり特異な石です」


「色が変わるんですか」


「光源によって変わります。太陽光や蛍光灯の下では青緑、白熱灯やろうそくのような赤みのある光では赤紫に見えることがある。もちろん品質によりますが」


「なぜ変わるんです」


「石の中に含まれるクロムが、光の成分に反応するからです」


律は少し眉を寄せた。


玲央はその表情を見て、やや噛み砕いて言い直す。


「昼の光と夜の光では、混ざっている色が違います。アレキサンドライトは、その違いを強く映す石なんです」


「つまり、環境によって見え方が変わる」


「ええ」


玲央はショーケースの中を見た。


「人間と同じです」


律はその言い方に軽く息を吐いた。


「また詩人みたいなことを」


「宝石商ですから」


「元詐欺師でしょう」


「ええ。だから、光の当て方で人がどう見えるかは、よく知っています」


その言葉に、律は黙った。


玲央は、店の奥にある金庫へ目を向けた。


青の王冠の鑑定控え。

そこに挟まれていた古いメモ。


Sapphire

Diamond

Ruby

Alexandrite

Opal


ルビーの横には、K。

片桐のK。


そして、アレキサンドライトの横には、薄くかすれた文字があった。


M。


誰の頭文字なのか。

それとも、場所か。

工房か。

取引の記号か。


昨日までなら、それはただの古いメモだった。


だが白河の電話によって、古い紙は予告状に変わった。


「M」


玲央は小さく呟いた。


律が反応する。


「何ですか」


「アレキサンドライトの横に、Mと書かれていました」


「人物の頭文字?」


「おそらく」


「心当たりは」


玲央はすぐには答えなかった。


「ありますね」


「多すぎて、どれか決められないだけです」


「便利な言い方です」


「詐欺師でしたので」


律は玲央を睨んだ。


「自虐で逃げないでください」


玲央は少しだけ目を伏せた。


その瞬間、店の外で車の止まる音がした。


瑠璃窓の青い小窓に、ヘッドライトの白が一瞬走る。


やがて扉の鈴が鳴った。


入ってきたのは、四十代半ばほどの女性だった。


黒いパンツスーツに、首元だけ淡い灰色のスカーフを巻いている。髪は短く整えられ、姿勢がよい。だが目元には濃い疲労があった。


片手には、小さな革張りのケースを持っている。


女性は店内に入ると、玲央ではなく、まず律を見た。


「灰原刑事ですね」


律が少し警戒する。


「そうですが」


「神奈川県警の方から、こちらに水城玲央さんがいると聞きました」


「どちら様ですか」


女性は名刺を出した。


「三鷹怜子と申します」


名刺には、こう書かれていた。


三鷹怜子

三鷹総合法律事務所

弁護士


玲央はその名前を聞いて、ほんのわずかに表情を変えた。


律がそれを見る。


「知り合いですか」


玲央は答える前に、三鷹怜子のほうを見た。


「三鷹正臣さんのご親族ですか」


怜子の目が揺れた。


「父です」


玲央の笑みが消える。


三鷹正臣。


十年前、青の王冠事件に関係していた人物の一人。

当時、王冠の所有者側の代理人だった弁護士。


そして、白河周吾と何度も接触していた男。


「お父様に何か?」


玲央が尋ねる。


怜子は革張りのケースをカウンターに置いた。


「父が昨夜、倒れました」


律の表情が変わる。


「亡くなられたんですか」


「いいえ。命に別状はありません。ただ、意識がまだはっきり戻っていません」


「事件性が?」


「わかりません」


怜子はケースに手を置いた。


「ですが、父は倒れる直前、私にこれを渡しました」


ケースが開かれる。


中には、指輪が入っていた。


中央に留められた石は、店内の照明の下で赤紫に見えた。

深い葡萄酒のような色。


玲央は、すぐにそれが何かを察した。


アレキサンドライト。


律が小さく息を呑む。


「色の変わる石……」


怜子は玲央を見た。


「父は言いました。これを瑠璃窓へ持っていけ、と」


「私の店を?」


「はい」


「お父様とは、もう何年もお会いしていません」


「父は、あなたの名前を知っていました」


玲央は指輪を見つめた。


赤紫の石は、静かに灯りを含んでいる。


「他には何か言いましたか」


怜子は迷った。


それから、低い声で言った。


「白河を信じるな、と」


律が玲央を見る。


玲央は何も言わなかった。


怜子は続ける。


「そしてもうひとつ」


「何です」


「アレキサンドライトは、昼と夜で証言が変わる」


店内が静まり返った。


それは宝石の説明ではなかった。


まるで、事件の暗号だった。


玲央は白い手袋をはめる。


「拝見しても?」


怜子は頷いた。


玲央は指輪を黒い布の上に置いた。


石は大きくはない。

一・五カラット前後。

だが発色は良い。店内の白熱灯に近い光では、はっきりと赤紫を帯びている。


リングの作りは古い。

おそらく昭和後期から平成初期。

ただし、石座には一度手が入っている。


玲央はルーペを目に当てた。


「これは、お父様のものですか」


「父の書斎の金庫にありました。私も初めて見ました」


「所有記録は?」


「ありません」


律が聞く。


「三鷹正臣さんは、この石について何か話していましたか」


「いいえ。父は仕事のことを家ではほとんど話しませんでした」


玲央は指輪を軽く傾けた。


石の奥に、細い針のような内包物が見える。


天然石らしい。


だが、気になるのは石ではない。


指輪の内側。


そこに、小さな刻印があった。


H.C.


そして、その横に数字。


0314。


律が気づいた。


「またH.C.」


玲央は頷く。


「ええ」


怜子が不安げに聞く。


「その刻印は何ですか」


「古い宝飾工房の印です」


「それが、何か問題なんですか」


律が答える。


「十年前の未解決事件に関係している可能性があります」


怜子の表情が硬くなる。


「青の王冠、ですか」


今度は玲央が怜子を見た。


「ご存じなんですね」


「父の古い資料に、その名前がありました」


「見たのですか」


「昨日、父が倒れたあとに」


怜子は鞄から封筒を取り出した。


「父の机に、これが置かれていました」


中には、一枚の写真が入っていた。


古い写真。


写っていたのは、王冠ではなかった。


三人の男が写っている。


一人は若い頃の三鷹正臣。

もう一人は、白河周吾らしき男。

そして三人目。


玲央は、その顔を見た瞬間、呼吸を忘れた。


若い自分だった。


二十代前半の水城玲央。


今よりもずっと細く、笑い方だけが同じだった。


律が写真を見る。


「これは……あなたですね」


玲央は何も答えなかった。


怜子も玲央を見つめる。


「父の資料には、あなたの名前もありました」


律の声が低くなる。


「水城さん」


玲央は写真から目を離さない。


写真の中の自分は、白河の隣で笑っている。

あの頃の彼は、何を本物だと思っていただろう。


宝石か。

言葉か。

白河の教えか。

それとも、誰かを騙しても傷つけていないという、自分に都合のいい嘘か。


怜子が言った。


「父は、あなたを恐れていたようには見えませんでした」


「恐れるべきでした」


玲央は低く答えた。


律が眉を寄せる。


「どういう意味ですか」


「私は、当時白河の近くにいました」


「詐欺に関わっていた」


「ええ」


「青の王冠にも?」


玲央は答えなかった。


その沈黙は、律を苛立たせた。


「また黙るんですか」


「今ここで話せるほど、整理できていません」


「十年もあったのに?」


律の言葉は鋭かった。


玲央は一瞬だけ目を伏せた。


「十年あっても、見ないふりをしていたものは、整理されません」


怜子が静かに言った。


「父も、同じだったのかもしれません」


三人は黙った。


瑠璃窓の中で、アレキサンドライトだけが赤紫に光っていた。


玲央は、ふと照明を落とした。


店内が少し暗くなる。


それから、別の白い光を石に当てた。

蛍光灯に近い冷たい光。


石の色が変わった。


赤紫から、青緑へ。


怜子が息を呑む。


「こんなに変わるんですね」


「良い石です」


玲央は言った。


「ただし、これは鑑定の問題だけではありません」


「どういうことですか」


玲央は指輪を見つめる。


「三鷹先生の言葉です。アレキサンドライトは、昼と夜で証言が変わる」


律が言う。


「昼と夜で、何かの見え方が変わる?」


「おそらく」


玲央は指輪の石座をルーペで覗いた。


そして、ほんのわずかに眉を動かした。


「何かありますね」


「何が」


「石座の裏です」


玲央は慎重に指輪を傾け、拡大鏡の下に置いた。


石を留める台座の裏側。

普通なら、装飾か光を取り込むための穴がある部分。


そこに、細い傷のような刻みがあった。


肉眼では見えない。


だが、角度を変えると、文字のように見える。


玲央はライトを切り替えた。


赤みのある光。

白い光。


すると、刻みの一部が影になって浮かんだ。


律が身を乗り出す。


「読めますか」


玲央はゆっくりと言った。


「Mではありません」


「何が?」


「メモに書かれていたアレキサンドライトの横の文字です。Mだと思っていましたが、違う」


玲央は白い光を当て直した。


石座の裏に浮かんだ文字。


MI。


「三鷹のMではなく、MI」


律が言う。


「三鷹の頭二文字?」


「かもしれません」


怜子が言った。


「でも、父の名前は正臣です。Masaomi。Mではあっても、MIではありません」


玲央は怜子を見る。


「三鷹、Mitaka」


怜子は黙った。


玲央は指輪の内側の数字を指した。


「0314。これは三月十四日にも見えます」


律が言う。


「日付?」


「あるいは管理番号」


怜子の顔色が変わった。


「三月十四日……」


玲央が振り向く。


「心当たりが?」


「父が倒れたのは昨日です。でも、その前日の三月十四日、父は誰かと会っていました」


「誰と?」


「わかりません。ただ、父の予定表にはこう書かれていました」


怜子はスマートフォンを操作し、写真を見せた。


古い手帳の予定欄。


三月十四日。


『昼の顔を返す』


玲央はその言葉を見た。


昼の顔。

夜の顔。


アレキサンドライト。


光で色を変える石。


律が言う。


「昼の顔を返す。つまり、何かの表と裏?」


「あるいは、昼の光でだけ読めるもの」


玲央はもう一度指輪を見る。


「この指輪には、まだ何かあります」


「分解しますか」


律が聞く。


玲央は首を振った。


「持ち主の許可が必要です」


怜子は即座に言った。


「お願いします。父がこれをあなたに託したなら、理由があるはずです」


玲央は頷いた。


「では、石を外さずに、できる範囲で見ます」


玲央は顕微鏡の倍率を上げた。


石そのものではなく、石の下。


アレキサンドライトは色を変える。

けれど、その色の変化は、石の下にあるものも隠す。


赤紫の光では見えないものが、青緑の光では浮かび上がることがある。


玲央は白い光を斜めから当てた。


その瞬間、石座の奥に、薄い紙片のようなものが見えた。


「何か挟まっています」


怜子が息を呑む。


「紙?」


「おそらく」


律が言う。


「取り出せますか」


「石を外せば」


怜子は迷わなかった。


「外してください」


玲央は彼女を見た。


「石留めを傷つける可能性があります」


「構いません」


「価値が下がるかもしれません」


怜子は静かに言った。


「父が守ろうとしたものの価値を知りたいんです。宝石の値段ではなく」


玲央は小さく頷いた。


「わかりました」


作業台に道具が並べられる。


律は横で見ていた。


玲央の動きは丁寧だった。

元詐欺師だとわかっていても、その手つきだけは疑いようがない。宝石を扱う者の手だった。


石を留める爪を、ほんのわずかに起こす。


アレキサンドライトを慎重に外す。


石が台座から離れた瞬間、下から小さな紙片が現れた。


あまりにも薄い紙。


玲央はピンセットで取り出し、黒い布の上に広げた。


そこには、短い文字が書かれていた。


『夜の証言を信じるな』


律が眉を寄せる。


「夜の証言?」


怜子は顔を青ざめさせた。


玲央は紙片の裏を見た。


裏には、さらに小さな文字。


『昼の光で、彼女を見ろ』


彼女。


三人が黙った。


彼女とは誰か。


青の王冠の関係者か。

三鷹正臣の誰か。

白河周吾の関係者か。


それとも、十年前の事件で失われた何かを知る人物か。


そのとき、怜子のスマートフォンが震えた。


彼女は画面を見て、目を見開いた。


「病院からです」


通話に出る。


「はい、三鷹です」


数秒後、怜子の表情が崩れた。


「父が……?」


玲央と律が彼女を見る。


怜子は震える声で言った。


「父の意識が戻ったそうです」


律がすぐに言う。


「話を聞けますか」


怜子はスマートフォンを握りしめた。


「でも、父が最初に言ったそうです」


「何と?」


「玲央を呼ぶな、と」


店内の空気が止まった。


怜子は玲央を見る。


「父は、あなたに会いたがっていません」


玲央は何も言わなかった。


けれど、その表情は、ほんの少しだけ痛みを帯びていた。


律が言う。


「都合が悪いですか」


「ええ」


玲央は静かに答えた。


「とても」


「なぜです」


玲央は黒い布の上の紙片を見た。


夜の証言を信じるな。

昼の光で、彼女を見ろ。


「三鷹先生は、私を疑っているのかもしれません」


「何を?」


玲央は、外されたアレキサンドライトを光にかざした。


冷たい白の下では青緑に。

暖かい灯りの下では赤紫に。


「十年前、私が見た王冠の色です」


律が問う。


「色?」


玲央は目を閉じる。


「私は、青の王冠を夜に見ました」


「だから?」


「夜の灯りで見た宝石は、昼とは違って見えることがある」


律の顔が変わった。


「まさか」


玲央は頷いた。


「十年前、私が偽物だと思った王冠は、光のせいで別物に見えていただけかもしれない」


怜子が口元を押さえた。


律が低く言う。


「つまり、あなたの証言そのものが、間違っていた可能性がある」


「ええ」


玲央はゆっくり目を開けた。


「この石は、そのために私の前へ来たんだと思います」


瑠璃窓の中で、外されたアレキサンドライトが小さく光った。


二つの色を持つ石。


昼と夜で、まったく違う顔を見せる石。


その奥に隠されていたのは、十年前の事件を揺らす言葉だった。


夜の証言を信じるな。


玲央は、初めて自分の記憶を疑った。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

アレキサンドライトは、光によって色を変える宝石です。

今回の事件では、その性質が「証言の見え方」と重なっていきます。

次回、三鷹正臣の証言と、石に隠されたもう一つの意味が明らかになります。

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