表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瑠璃窓の宝石商  作者: 秀人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/23

第九話 真珠は沈黙を抱く(後編)

元宝石詐欺師の宝石商が、偽物に隠された真実を鑑る。


第九話「真珠は沈黙を抱く」後編です。

月森宝飾に残されていた記録から、玲央と律は御影真珠子、そしてその母・御影小夜の存在へ辿り着きます。


真珠の指輪に隠されていたのは、翡翠に閉じ込められた“声”への手がかりでした。


神戸の朝は、横浜よりも少しだけ海の色が近く感じられた。


ホテルの窓の外には、港が見えている。

白い船。

低く流れる雲。

倉庫の屋根に落ちる淡い光。


灰原律は、ほとんど眠れなかった。


父の手紙。

月森宝飾。

御影真珠子。

真珠の指輪。


そして、指輪の中に隠されていた紙片。


翡翠は、声を閉じ込めている。


その一文が、夜の間ずっと頭の中に残っていた。


声。


誰の声なのか。

何を語った声なのか。

なぜ白河周吾に渡してはいけなかったのか。


律は窓の外を見たまま、手の中の封筒を握っていた。


そこには、成瀬真澄の手紙が入っている。


私は名乗れない父になります。


その一文を思い出すたび、胸の奥に何か硬いものが沈んだ。


名乗れない父。


それは、律の父が自分から選んだことなのか。

それとも、選ばされたことなのか。


まだ、わからない。


背後で、玲央が小さく言った。


「朝食、食べますか」


律は振り返った。


玲央はテーブルの前に座り、真珠の指輪をケースに戻しているところだった。

昨夜外した真珠は、傷がつかないよう丁寧に戻されている。


「食欲がありません」


「でしょうね」


「なら、なぜ聞いたんですか」


「食べない理由を言葉にしてもらおうと思って」


律は少しだけ眉を寄せた。


「面倒な人ですね」


「よく言われます」


「誰に」


「主にあなたに」


玲央は穏やかに笑った。


その顔は、いつも通りに見える。


けれど、律は気づいていた。


玲央もまた、眠れていない。


青の王冠事件が終わったあとも、白河周吾の影は消えなかった。

今度は、灰原家の翡翠にまでつながっている。


白河は捕まった。

だが、白河が残した糸は、まだいくつも人の人生に絡んでいる。


律は椅子に座った。


「御影真珠子を探すには、どうしますか」


「まず、月森紗代さんにもう一度聞きます」


「昨日、知らないと言っていました」


「今の所在は知らない、という意味かもしれません」


「他に何を聞くんです」


玲央は、真珠の指輪の写真をテーブルに置いた。


「御影真珠子さんの母親についてです」


「翡翠に閉じ込められた声の持ち主?」


「おそらく」


「その母親の名前は?」


「まだ出ていません」


「そこからですね」


「はい」


律は、短く息を吐いた。


「行きましょう」


玲央は少しだけ首を傾げた。


「朝食は?」


「食べません」


「倒れますよ」


「倒れません」


「刑事さんは、身体を過信しますね」


「宝石商に言われたくありません」


律は立ち上がった。


玲央もそれ以上は言わなかった。


ただ、ホテルを出る前に、コンビニで買った小さなパンを律の手に押しつけた。


律はそれを見下ろす。


「何ですか」


「保険です」


「私は子どもではありません」


「はい」


「その返事、信じていませんね」


「少し」


律は不満そうな顔をした。


けれど、パンを返しはしなかった。






月森紗代の喫茶店は、朝から静かだった。


古い商店街の端にあるその店には、常連らしき老人がひとり、新聞を広げているだけだった。


紗代は二人を見ると、昨日と同じ席へ案内した。


「また来ると思っていました」


「御影真珠子さんについて、もう少し伺いたくて」


玲央が言うと、紗代は小さく頷いた。


「昨日、話したあとに思い出したことがあります」


律の目が少し鋭くなる。


「何ですか」


紗代はカウンターの奥から、古い帳簿を持ってきた。


厚い布張りの表紙。

角は擦り切れている。


「父の注文控えです。月森宝飾の最後の頃のもの」


彼女は慎重にページをめくった。


紙は古く、少し黄ばんでいる。


「これです」


開かれたページには、手書きで注文内容が記されていた。


銀製ブローチ。

淡水真珠十二粒。

中央石持込。

翡翠。

依頼者 水無瀬千鶴。


その横に、小さな赤い文字。


返却先確認中。


玲央は目を細めた。


「返却先確認中」


紗代は頷く。


「父の字です」


律が聞く。


「返却先とは、御影真珠子さんですか」


「おそらく。でも、その下を見てください」


玲央は指で追った。


ページの下部に、別の文字が書かれている。


御影小夜。


律が読み上げる。


「御影小夜」


「御影真珠子さんのお母様だと思います」


紗代が言った。


「小夜さんは、真珠子さんが来るずっと前に、父の店へ来ていたようです」


「何のために?」


玲央が尋ねる。


紗代は帳簿の次のページを開く。


そこには、真珠の指輪の修理記録があった。


真珠指輪。

銀台。

内側刻印 M.M.

依頼者 御影小夜。

受取人 御影真珠子。


律は、昨日の指輪を思い出した。


真珠子が沈黙の代金として置いていった指輪。


それは、もともと母から娘へ渡されたものだった。


「小夜さんは、何者だったんですか」


律が聞く。


紗代は少し考える。


「父は、小夜さんのことを“声の人”と呼んでいました」


「声の人」


玲央が繰り返す。


「歌手か何かですか」


「歌手ではありません。朗読をする人だったそうです」


「朗読」


「戦後、神戸や大阪の小さな劇場で、詩や物語を読む仕事をしていたと聞いています。声がとても美しかったそうです」


律は黙った。


翡翠は、声を閉じ込めている。


その声が、御影小夜のものだとしたら。


玲央が尋ねる。


「その声が、なぜ証拠になるのでしょう」


紗代は首を振った。


「そこまでは。ただ、父は一度だけ言っていました。小夜さんの声には、名前が入っている、と」


「名前?」


「はい」


律が眉を寄せる。


「録音の中で、誰かの名前を言っているということですか」


「そうかもしれません」


玲央は帳簿を見た。


御影小夜。

御影真珠子。

翡翠。

真珠の指輪。

白河周吾。

成瀬真澄。


「御影小夜さんは、その後どうなりましたか」


紗代は、少しだけ表情を曇らせた。


「亡くなりました」


「いつですか」


「正確には覚えていませんが、真珠子さんが店に来る前です」


「死因は?」


紗代は言いづらそうに口を閉じた。


律が静かに言う。


「大丈夫です。覚えている範囲で」


紗代は頷いた。


「事故だと聞きました。海で」


また海。


律の胸が、少し冷える。


成瀬真澄も、海に消えた。

水城怜一も、海で死んだことにされた。

榊未来も、海岸で遺体が見つかったことになっていた。


海は、白河の物語の中で、人を消すために何度も使われている。


「小夜さんの遺体は見つかったんですか」


律が問う。


紗代は首を振った。


「そこまではわかりません」


「記録を調べます」


律はすぐに言った。


玲央は、紗代に向き直る。


「御影真珠子さんが最後に店を訪れたとき、何か残していませんか。指輪以外に」


「指輪だけです」


紗代はそう言ってから、少し考えた。


「いいえ」


「何か?」


「言葉を残しました」


「どんな言葉ですか」


紗代は目を伏せ、記憶を辿るように言った。


「母は、沈黙を選んだのではありません。沈黙にされたのです。そう言っていました」


律は、その言葉を手帳に書き留めた。


母は、沈黙を選んだのではない。


沈黙にされた。


「誰に?」


玲央が尋ねる。


紗代は首を振った。


「それは言いませんでした」


「白河でしょうか」


「父はそう思っていたようです。でも、真珠子さんは白河の名前を出さなかった」


「なぜ」


「怖かったのかもしれません。あるいは」


紗代は珈琲のカップを見た。


「本当に怖かったのは、白河ではなかったのかもしれません」


玲央は静かに目を細めた。


白河ではない。


青の王冠事件でもそうだった。


白河はすべてを操っているように見えた。

だが、鳴海硝子の真実には届いていなかった。

白河のさらに奥に、別の構造があった。


灰原家の翡翠も同じなのかもしれない。


白河の影がある。


だが、その影の奥に、本当に隠されているものがある。


「御影真珠子さんの居場所について、手がかりはありませんか」


律が聞く。


紗代は帳簿を閉じた。


「住所まではありません。ただ、父が一度だけ手紙を出しています」


「どこへ?」


「長崎です」


「長崎」


「正確には、長崎の外海のほう。小さな教会の近くにある私書箱宛てでした」


律が手帳に書く。


「私書箱の番号は?」


紗代は、帳簿の後ろのポケットから古い紙片を取り出した。


「これです」


そこには、住所と番号が書かれていた。


長崎県。

外海。

御影真珠子様。


律は紙片を見つめた。


「長崎まで行く必要がありますね」


玲央は頷いた。


「その前に、御影小夜さんの記録を確認しましょう」


「死亡記録ですね」


「はい」


律はすぐに警察の照会ルートを使うため、店の外へ出た。


玲央は、紗代と二人で店内に残る。


紗代は、古い帳簿を撫でた。


「真澄さんは、律さんに似ています」


「昨日もそうおっしゃっていましたね」


「ええ」


「どんな方だったんですか」


紗代は少しだけ笑った。


「静かな人でした。でも、静かさの奥に熱がある人」


玲央は律を思い浮かべた。


よく似ている。


「真澄さんは、白河さんを嫌っていたのですか」


「怖れていました」


「嫌っていたのではなく?」


「嫌うには、近すぎたのだと思います」


その言葉に、玲央は黙った。


嫌うには近すぎる。


白河と玲央も、そうだったのかもしれない。


白河を嫌悪することはできる。

だが、自分の中に白河から受け取ったものが残っている以上、ただ嫌うだけでは終わらない。


紗代は続けた。


「真澄さんは言っていました。白河さんは美しい嘘を作る。でも、自分は壊れたものを直したい、と」


「修復職人らしい言葉ですね」


「ええ」


紗代は小さく頷いた。


「だから、翡翠も直そうとしたのかもしれません」


「翡翠を?」


「石を、ではありません」


紗代は玲央を見る。


「あの石に閉じ込められた沈黙を」


玲央は、真珠の指輪を思い出した。


真珠は沈黙を抱く。


だが、翡翠は声を閉じ込めている。


沈黙と声。


白と緑。


母と娘。


そして、父と子。


律が店へ戻ってきた。


その表情は硬かった。


「御影小夜の記録がありました」


「どうでしたか」


玲央が聞く。


「死亡届は出ています。昭和四十三年の八月。海難事故」


「遺体は?」


律は首を振った。


「見つかっていません」


やはり。


玲央は目を伏せる。


律は続けた。


「届出人は、御影真珠子」


「娘さんですね」


「はい」


「他には?」


律の声が低くなる。


「事故の直前、御影小夜はある録音を残していたようです」


「どこに記録が?」


「当時の地元紙に、小さな記事がありました。朗読家・御影小夜、最後の公開録音、と」


「公開録音」


「場所は神戸です。主催は、月森文化会」


紗代が驚いたように顔を上げる。


「月森文化会……父が関わっていた小さな集まりです」


律は頷く。


「その録音後、御影小夜は行方不明になり、海難事故として処理されています」


玲央が言う。


「その録音が、翡翠に関係している」


「おそらく」


「録音の内容は?」


「記事には詳しく書かれていません。ただ、演目が載っていました」


「何ですか」


律は手帳を見た。


「『翡翠の眠る夜』」


店内が静かになった。


翡翠の眠る夜。


それは、偶然とは思えない題だった。


紗代が青ざめる。


「聞いたことがあります」


玲央と律が同時に彼女を見る。


「父が、古い録音盤を持っていました。小夜さんの声だと言って」


「今もありますか」


律の声が早くなる。


紗代は首を振った。


「ありません」


「なぜ」


「真澄さんが持っていきました」


律の表情が変わる。


「父が?」


「はい」


紗代は続けた。


「翡翠と一緒に」


玲央は、静かに息を吸った。


成瀬真澄は、翡翠だけを持って消えたのではない。


御影小夜の録音も持って消えた。


翡翠は、声を閉じ込めている。


それは比喩ではなかったのかもしれない。


翡翠と録音は、一つの証拠として結びついている。


律は小さく言った。


「父は、御影小夜の声を守ろうとした」


玲央は頷いた。


「そして、その声の中には誰かの名前が入っている」


紗代は、沈黙した。


その沈黙には、まだ何かが残っていた。


玲央は気づく。


「紗代さん」


「はい」


「本当は、その録音の一部を聞いたことがあるのではありませんか」


紗代の表情が揺れた。


律が顔を上げる。


「あるんですか」


紗代は長く黙っていた。


それから、ゆっくり頷いた。


「子どもの頃に、一度だけ」


「何が録音されていましたか」


紗代は、目を閉じた。


「女の人の声でした。綺麗な声で、物語を読んでいるようでした。でも途中で、急に朗読ではない言葉が入るんです」


「どんな言葉ですか」


律が聞く。


紗代の声がかすかに震えた。


「名前を返してください」


店内が静まり返った。


紗代は続ける。


「何度も。名前を返してください、と」


「誰に向けて?」


「わかりません。でも、最後に一つだけ名前を呼んでいました」


「誰の名前ですか」


紗代は、ゆっくり目を開けた。


「成瀬」


律の指が止まった。


「成瀬?」


「はい」


「成瀬真澄?」


「いいえ」


紗代は首を振った。


「たぶん、違います。真澄さんは、その頃まだ若すぎる。小夜さんが呼んでいた成瀬は、別の人だと思います」


玲央は考える。


成瀬。


真澄の姓。


なら、成瀬真澄の親族か。


父か。

母か。

祖父か。


「成瀬家が、御影小夜の名前を奪った?」


律の声は硬かった。


玲央はすぐには答えない。


「まだ、そうとは限りません」


「でも、成瀬という名前が出た」


「はい」


律は唇を結んだ。


父の名前を知ったばかりで、その姓がまた別の罪につながる。


律にとって、それは簡単に受け止められることではない。


玲央は静かに言った。


「灰原さん」


「何です」


「成瀬真澄さんが、なぜ録音を守ったのか、少し見えた気がします」


律は顔を上げる。


「なぜですか」


「録音の中で呼ばれている成瀬が、真澄さんの家族だったからです」


「父は、自分の家の罪を知った」


「おそらく」


「だから白河から離れた」


「可能性はあります」


律は深く息を吐いた。


怒りか、混乱か、悲しみか。


そのどれでもあり、どれでもないように見えた。


紗代が言う。


「真澄さんは、苦しそうでした」


律は紗代を見る。


「父が?」


「ええ。あの人は、翡翠を持って消える前、父に言いました。自分は修復職人なのに、直せないものばかり見つけてしまう、と」


律は黙った。


玲央はその言葉を胸の中で繰り返した。


直せないものばかり見つけてしまう。


それは、成瀬真澄だけの言葉ではない。


玲央にも覚えがある。


宝石は直せる。

爪も直せる。

石座も磨ける。


だが、傷ついた名前や、沈黙にされた声は、簡単には直せない。


それでも、見つけた以上、放ってはおけない。


「長崎へ行きましょう」


律が言った。


玲央は頷いた。


「御影真珠子さんを探しに」


「はい」


「生きている保証はありません」


「わかっています」


「会えたとしても、話してくれるとも限りません」


「それも、わかっています」


律は、真珠の指輪を見た。


「でも、父が守ろうとしたものを、知らないままにはできません」


玲央は、静かに頷いた。


「行きましょう」






その日の夜、二人は神戸にもう一泊した。


翌朝、長崎へ向かうためだった。


律はホテルの部屋で、母の詩乃に電話をかけた。


玲央は少し離れた場所で、真珠の指輪と紙片を整理していた。


「母さん」


律の声は、昨日よりも少しだけ落ち着いていた。


「月森宝飾で話を聞いた。父さんは、翡翠と録音を持って消えたらしい」


電話の向こうで、詩乃が何かを言った。


律は静かに聞いている。


「うん。まだ全部はわからない」


少し間が空く。


「父さんのこと、怒っているわけじゃない」


その言葉に、玲央は少しだけ顔を上げた。


律は窓の外を見ている。


神戸港の灯りが、ガラスに反射している。


「でも、母さんには怒っている」


電話の向こうが静かになったのだろう。


律は続けた。


「隠していたことに。僕に何も選ばせなかったことに」


声は震えていなかった。


「でも、母さんが怖かったことも、少しわかった」


また沈黙。


「許すかどうかは、まだわからない。でも、話してくれてよかった」


律は、ゆっくり息を吸った。


「長崎へ行く。御影真珠子という人を探す」


電話の向こうの詩乃が、何かを言った。


律の表情が少し変わった。


「え?」


玲央は手を止める。


律は、聞き返した。


「母さん、今、何て言った?」


長い沈黙。


律の顔から、血の気が引いていく。


「……真珠子さんから、手紙が来たことがある?」


玲央は立ち上がった。


律は、電話を握る手に力を込めていた。


「いつ」


電話の向こうの声は、かすかに漏れる程度で、玲央には聞こえない。


律は目を伏せた。


「僕が、五歳のとき」


五歳。


律は続けた。


「なぜ、今まで言わなかったの」


詩乃の声は聞こえない。


律は黙って聞いていた。


やがて、短く言った。


「その手紙、まだある?」


また沈黙。


「探して。お願い」


律は電話を切った。


玲央が静かに聞く。


「何が?」


律は、しばらく携帯を見つめていた。


「御影真珠子から、母に手紙が来ていたそうです」


「律さんが五歳のときに?」


「はい」


「内容は?」


律は、ゆっくり顔を上げた。


「真澄さんは、生きています、と」


部屋の中の空気が止まった。


玲央は、すぐには言葉を返せなかった。


成瀬真澄。


律の父。


名乗れない父。

翡翠を持って消えた修復職人。

白河に渡してはいけない証拠を守った男。


その人が、生きている。


少なくとも、律が五歳のときには。


律は、かすかに笑った。


笑おうとして、失敗したような顔だった。


「またです」


「灰原さん」


「死んだのか、生きているのか、誰もはっきり言わない」


律の声が低くなる。


「父も、御影小夜も、水城さんのお兄さんも、鳴海硝子も、榊未来も」


玲央は何も言えなかった。


律は続けた。


「白河の物語は終わったんじゃなかったんですか」


「終わりました」


「でも、まだ残っている」


「はい」


玲央は静かに言った。


「物語が終わっても、残された人は続きます」


律は、窓の外を見た。


港の灯りが、夜の海に揺れている。


「長崎へ行きます」


「はい」


「御影真珠子を探します」


「はい」


律は、玲央を見た。


「それで、もし父が生きていたら」


声が、そこで少しだけ止まった。


「私は、何を言えばいいんでしょう」


玲央は答えを探した。


簡単な慰めなら言える。


会えたらいいですね。

話せばわかります。

きっと理由があります。


でも、どれも違う。


玲央は、自分の兄と再会した夜を思い出した。


生きていたんですね。


最初に言えたのは、それだけだった。


「たぶん」


玲央は静かに言った。


「最初は、何も言えないと思います」


律は黙った。


「それでも、会う意味はあります」


「なぜ」


「言えなかった言葉にも、形があるからです」


律は、しばらく玲央を見ていた。


それから、小さく息を吐いた。


「また、ずるい言い方を」


「すみません」


「でも、少しわかります」


玲央は頷いた。


夜の神戸港に、遠く汽笛が響いた。


それは昨日と同じ音だった。


けれど、今夜は少し違って聞こえた。


沈黙を抱いた真珠の奥で、閉じ込められた声が動き始めている。


翡翠はまだ見つかっていない。


御影真珠子も、成瀬真澄も、まだ遠い。


それでも、道は見えた。


月の印から、真珠の指輪へ。


真珠の指輪から、翡翠の声へ。


そして、長崎へ。


律は、父の手紙を封筒に戻した。


玲央は真珠の指輪をケースに収めた。


二人は、何も言わずにそれぞれの荷物を整えた。


翌朝、海の向こうへ向かうために。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


第九話「真珠は沈黙を抱く」はこれで完結です。

真珠が抱いていた沈黙の奥には、御影小夜の声と、成瀬真澄が守ろうとした証拠がありました。


次回、舞台は長崎へ。

御影真珠子の行方と、律の父・成瀬真澄の生存に迫っていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ