第19節:激突
ザウテルの駆る黒馬『ケライノー』は、近衛軍と僧兵軍とが激しくぶつかる戦線へと突進した。
進路を阻む僧兵の鎧牛を蹴散らして、彼は指揮を取るマイローウィッツ卿へと肉薄した。大気に青い航跡を残して柄が捻り、槍が打ち合わされた。
激しく息をつく角馬と鎧牛がぶつかり合った。いななきが上がった。気合と共に、二度三度と鋭い金属音が響いた。
「貴様のような無思慮な輩にはわかるまい! 人間とはこの上なく身勝手な生き物なのだ。己れが満たされることばかりを考え、そのためには手段を選ばぬ。ガザルとギルガを思い返してみるがいい。太古の昔から、人間の歴史は、即ち争いの歴史でもあった!……」
悪鬼の形相で、卿は長槍を振り回した。
「……だが、信仰が世界を変えた! 人々の意志は、主の教えという名のもとに、一つにまとめることができる。信仰は、人間のエゴを押さえ込むことができるのだ。わかるか?! 信仰があればこそ、この国は平和でいられるのだ! 今、聖摂院の足元が揺らげば、世界は大混乱に陥る。その後には、血塗られた時代が延々と続くのだぞ! 貴様はそれでもいいのか?!」
襲いかかる槍の切っ先を、ザウテルは右に左に振り払った。
「黙れ、偽善者が! 平和だと?! 貴様らだけに都合のいい平和は、世界に歪みを生んでいるではないか。人を脅して従わせるだけの平和なら、悪魔にでも作ることができる。いいか、主の教えなどに頼らずとも、人間の心の裡には絶対なる正義が宿っている。信仰などなくとも、人は己れを律することができるのだ。偽りの平和に甘んじる時代は終わった! 無用の者は去れ! 世界は変化を欲しているのだ!」
「馬鹿め、去るのは貴様らだ!」
不意にマイローウィッツ卿は身を引いた。鎧牛の背後から、弓兵の一団が現れた。
「射かけよ!」
弦が弾かれた。放たれた矢は、大気を震わす閃光と化して、金色の軍勢に降りかかった。数騎の近衛兵がその急襲を受け、地面に倒れた。
間を置かず、第二波が浴びせかけられた。
飛び交う矢が発する空気との鋭い擦過音に、作業員達は恐れをなして逃げ惑った。
「翼の下へ!」
リウヴィル号を指して私は叫んだ。
逃げ込む人々に降り注ぐ矢の雨は、リウヴィル号の鋼の肌を激しく打った。
「ひるむな! 応戦せよ!」
先鋒に立って矢を防ぐアマルティア将位が叫んでいた。
乱れた軍列から龍騎兵が突出すると、肩に担いだ虎の子の携砲が火を噴いた。爆煙が上がり、僧兵の一群が吹き飛ばされた。
続けざまに砲弾は炸裂した。
恐慌に陥った鎧牛が入り乱れる砂煙の中へ、近衛軍は剣で切り込んだ。
空を赤い閃光が走った。
黒い軍勢は、発火矢を放っていた。
矢尻に仕込んだ油壷が、突き刺さると同時に引火し、これを浴びた近衛兵は炎に包まれた。
炎の矢は、リウヴィル号にも襲いかかった。翼の上に、みるみる火の海が広がった。
「おい、リウヴィル号が燃えてるぞ!」
作業員達は顔色を変えた。
「冗談じゃない。燃やしてたまるか!」
火の雨が降る翼の外に、真っ先にジャバが飛び出した。
「危ない! 止めるんだ!」
私は制止の声を張り上げたが、作業員達は次々と彼の後に続いた。上着を脱いだ彼らは、それで翼についた炎を叩き消しにかかった。
「無茶だ、死ぬぞ!」
必死に叫ぶ私の肩に、不意に博士は手をかけた。
「ラスティ君、君が飛行に成功しなければ、どのみち我々は死ぬしかないのだ」
「博士?!」
気付いた私が引き留めるよりも早く、博士は翼の下を飛び出していた。
「私も行きます!」
それは、私を最も驚愕させる声であった。
「駄目だ、クリス!」
だが、彼女も私の言葉を待たなかった。
壮絶な戦いが繰り広げられるただ中へと、クリスは飛び込んだ。私は後を追った。
脱いだブラウスを手に、彼女は、銀鋼の上で燃え盛る炎を懸命に叩き消した。
「止めてくれ、クリス!」
私がクリスの肩をつかんだのと、耳元を鋭い風が掠めたのは、ほとんど同時だった。短い吐息のような声を漏らして、クリスは私へと倒れかかった。
剥き出しの丸い肩には、深々と矢が突き刺さっていた。私の心臓は凍り付いた。
「クリス、しっかり!」
私に抱きかかえられた彼女は、苦痛に歪む顔で無理に笑顔を作った。
「……だ、大丈夫です……早く火を……」
色を失った唇を震わせて、彼女は何とか言った。
「手当てが先だ!」
彼女の白い肌を染めていく血を止めようとシャツの袖を引き裂いた私は、気配に気付いて振り返った。
「魔王め、死ね!」
私の目前に駆け寄った若い僧兵は、雄叫びと共に剣を振り上げた。しかし、刃が風を切る前に、彼は地面に倒れ伏した。
背後には、車止めの鉄塊を手にした博士が立っていた。
「ラスティ君、無事か?!」
「僕は大丈夫です。それよりクリスが!」
私の言葉に博士が駆け寄ろうとした時、倒れた僧兵は血まみれの顔で剣を振った。
呻き声を上げた博士は足元に跪いた。
「博士?!」
博士の背中は大きく切り裂かれていた。
相手に手傷を負わせたことを悟ると、僧兵はそれで力尽きた。
「大丈夫だ、たいしたことはない……」
額に脂汗をにじませて、博士は言った。だが、染み出した血は砂の上に滴り落ちた。
おお!……血潮が逆流した。
あまりの不条理に、私の心は絶叫していた。
世界よ、お前は一体どれだけの犠牲を必要としているのだ?!
その時――
翻っていた赤と紫の旗が力なく萎れた。突然の静寂が訪れた。
私が生まれてからの二十四年間、一度として途切れたことのなかった、風が耳元を吹き抜ける音が不意に止んだ。
止まった!
風が止まっていた!
私と博士、クリスは同時に顔を見合わせた。
「ラスティ君!」
「公爵様!」
「行け! ラスティ!」
戦いの中で振り返ったザウテルが絶叫した。
私は操翼席に駆け登った。
風防を閉じると点火レバーを引いた。
エンジンが爆音を上げた。二連装プロペラが、淀んだ大気を掻き回し始めていた。私はペダルを踏み込んだ。
回転計の針が飛び上がった。流線形の機体が大きく震えた。リウヴィル号は黒い助走路の上を動き始めた。
今こそ、本当の意味で私は飛ぶ!
主への反逆者と呼ばれ、監察局によって暗殺されたガイル・デヴィーサイドの汚名を雪ぐために。
志を果たせずに墜落死したクリスの兄、ネイドの無念を晴らすのために。
法廷で死刑を宣告されでも、なお止まないガリオネッティ博士の心の希求を満たすために。
死と破壊に蝕まれた祖国を逃れ、異郷の地で創造という喜びを見つけたラムの希望を育むために。
『知』の素晴らしさを知り、それを遍く人々に伝えたいというクリスの願いを叶えるために。
私のことを案じ、命を賭けることまで厭わないザウテルの深き友情に応えるために。
自分の思うことを為せぬまま、この世を去ってしまった父の夢を継ぐために。
そして何よりも、それを望んだ私自身のために!
炎を消し去るほどの勢いをつけたリウヴィル号は、軍艦の残骸の上を駆け上がった。
ここはもはや憧憬の丘ではない。私の手で、実現の丘に変えてみせる!
風を切る翼は、大気に秘められた力を手に入れて、重力の束縛を断ち切った。
銀の鶏は飛んだ!
その名には全く似つかわしくないほど優雅に、雄大に!
彼の手綱を握った私は、一度だけ不浄の地の上空を旋回させた。
金と黒とが地上に渦を巻いていた。一方は私の栄光を信じて。一方は私の死を願って。私は、新しき時代を導く光の使者なのか、世界を破壊へと誘う闇の覇王なのか。
いや、そのどちらでもない。私は、一個の人間ラスティリアード以外の存在では決してなかった。それ以上に私を私たらしめるものがあるとするなら――それは、あの天蓋の向こうに隠されている!
私は機首を天へと向けた。
雲の底は凪いでいた。百五十六年にたった一度、風の龍の眠る日が訪れる――オートリュースの予言はまさに正しかった。今、私の道を阻むものは何もない。後は為すだけであった。この鋼の翼が、私を導いてくれる!
だが――
それは、嵐の前の静けさだったのだろうか。目前の雲の天蓋に、水面に石を落としたような大きな飛沫が上がった。その時、私は見たのである! 灰色の虚空に、凶悪な真紅の双眸がカッと見開くのを!




