第17節:黒馬の騎士
自動車は、僧兵軍の十リルほど手前で停まった。兵士達は身構えた。
だが、松葉杖を突きながら降りてきたのは、一人の若い女性であった。彼女は、大将シントール卿の前へゆっくりと進み出た。隣にいたマイローウィッツ卿は、大司教の身を庇うようにして、彼女の行く手を阻んだ。
「何か?」
冷ややかな視線で氷の裁断者は言った。ラムは答えなかった。漆黒の瞳は、臆することもなく蒼いまなざしを見返した。
やがて、彼女の右手が上がり、額のバンダナが解かれた。そこに現れたT字形の刺青に、卿は眉をひそめた。黙する彼女は、今度は自分の胸元をつかんだ。シャツが剥ぎ取られた。
胸莢をつけただけの裸身が曝された。彼女の成熟した肢体は、豊かな量感と滑らかな質感を放った。しかし――
ラムの白い肌には、赤や青で奇怪な紋様の刺青が彫ってあった。それは、胸にも、腹にも、背中にも、まるで一枚の服のように体を覆っていた。卿達は息を呑んだ。
「貴様……異教徒か!?」
ラムは冷笑を浮かべた。
「いかにも! 私はベル・ロニア王国第六十三軍サダルスウド兵器工場所属超硬材開発主任、イシス=ラムだ!」
それは、我々が聞いたことのなかった、ラムの軍人としての言葉だった。彼女の敢然たる態度に、僧兵遠の顔に動揺の色が走るのがわかった。数百の敵を睨みながら、彼女は言った。
「私は一年前、海の龍に巻き込まれ、この国に流れ着いた。そこで、私は祖国に帰らんがため、科学者ガリオネッティと貴族クロネッカを唆し、空飛ぶ乗り物を作らせていたのだ。今一歩で完成というところまで漕ぎつけていたというのに……。貴様ら如き下衆には邪魔させぬ! 何が神の使いか?! この国の神など、我らが崇めるお方の足元にも及ばぬ下賤な存在よ。その愚神を『主』と仰ぐ貴様らは、汚物にたかる蝿のようなものだ!」
唇の端を歪めて、ラムは嘲った。マイローウィッツ卿の後ろにいた、シントール大司教は肩を震わして前に進み出た。
「貴様ァ、言わせておけば……」
ラムは鼻を鳴らした。
「本当のことを言われて頭に来たか?……大体、この国は愚か者ばかりよ。ガリオネッティもクロネッカも、ちょっと知恵を吹き込んだだけで、すっかり私の手足に成り下がった。やはり、愚かな神に仕えると、身も心も愚かになるらしい」
高らかに笑う彼女に、シントール卿は手にした槍を掲げた。
「もはや生かしてはおかぬ!」
「ほう! 私を殺すというのか?! やれるものならやってみるが いい! だが、私は神に守られている! 我が偉大なる神、ダイリット・サールにな!」
ラムは、さあとばかりに両手を広げた。シントール卿は一瞬眉を動かした。
「そうか……ならば死ね! 魔女め!」
槍が投げられた! 銀の刃は、ラムの胸元目掛けて空を裂いた。駄目だ! かわせるはずがない! 彼女は貫かれる! 私は顔を伏せた。
鋭い金属音があった。
しばしの沈黙の後、ラムは地面にくずおれた。彼女のそばには、二本の槍が突き刺さっていた。そのうちの一本の柄に埋め込まれた青い宝玉に、私はハッとした。
作業員達からどよめきが起こった。彼らにつられて、私は助走路の西側を振り返った。
一騎の騎馬が現れていた。黒い角馬に跨り、鮮やかな青の甲冑を身につけた騎士。その風に翻るマントには、剣に翼の紋章が施してあった。
「ザウテル!」
私は叫んだ。間違いない。ザウテルであった! 微笑んだ彼は右手を上げた。
「よう。遅くなった」
彼の出現にざわめく僧兵軍の前へ、ザウテルは悠然と愛馬『ケライノー』を進めた。彼は、惚けたように座り込んでいるラムへと近付いた。
「大丈夫か?」
ザウテルの声に、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「……エッセンニーカ様……」
半裸のまま茫然と呟く彼女に、角馬から降りたザウテルは、外したマントを掛けてやった。
「よくやった……まさか、君がここまでするとは思わなかったよ」
彼のまなざしには、彼女に対するいたわりが込められていた。ラムはぎこちなく微笑んだ。
「いえ……私はただ、クロネッカ様のためにと思って……」
「そうか……だが、ここでは無意味だったよ。奴らは、最初から皆殺しにするつもりだったんだ。ダイリット・サールに手を貸した者はすべてな……」
ザウテルは、我々のところに戻るよう、立ち上がったラムをそっと押し出すと、再び角馬に乗った。鎧牛に跨るシントール卿とマイローウィッツ卿を睨む。
「そうだろう? 偽善者ども」
大司教はひるんだが、氷の裁断者は、一方の眉を吊り上げた。
「ほう。何故かね?」
「ラスティの考えに感銘を受け、その志を継いだ者が第二、第三のダイリット・サールとなるのを防ぐためだ。ダイリット・サールの出現は、貴様らの汚れた時代を終わらせるからな。そもそも二百年前、監察局はダイリット・サール暗殺の目的で作られたのだろうが……街に帰った後、貴様らはこう言うのだろう。多くの人々の命が失われたのは誠に遺憾である。しかし、彼らも、悪魔に取り付かれたままでいるよりは、死んで魂を解き放たれた方がどんなにか幸せであることだろう、と……」
ザウテルの言葉に、シントール卿は大きく動揺していた。
「馬鹿な、何故それを……」
しかし、マイローウィッツ卿は冷ややかに微笑んだ。
「どうやら、青の貴公子殿にも悪魔が取り付いたようだな……」
穏やかながらも、その言葉は慄然たる凄みを持っていた。
ザウテルは舌打ちした。
「……どこまでも腐った奴らよ……主の裁きを受けるのは貴様らの方だ! 覚悟するがいい!」
氷の裁断者は、あからさまな侮蔑の表情を浮かべた。
「愚かな……何をどう覚悟しろというのだ? 貴殿一騎に敗れるほど、我が軍勢はやわではないぞ!」
「……一騎?……」
ザウテルは呟いた。
「一騎だと?……一騎と言ったのか?」
彼の顔には、不敵な笑みが浮かび上がった。
「もはや数さえもまともに数えられぬのか? よく見てみるがいい!」
「何?」
卿が眉をひそめた時だった。シントール卿が声を上げた。
「何だ、あれは?!」
西の地平に砂煙が上がっていた。金色の輝きが、水面に散った花びらのように、ゆらめきながら左右へと広がった。やがて、その中から突き出たものが、風に翻る旗だとわかった時、僧兵軍は大きな動揺に襲われた。
「馬鹿な!……近衛軍だと?!……」
赤地に、三つの金の輪が絡み合う旗印は、紛れもなくティレリナ王家の紋章であった!




