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銀翼のキセキ ―空を封じられた世界で―  作者: 刹那メシ
第四章:青き力

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第11節:狂気の暗殺者

「クリス、逃げるんだ!」

 叫ぶと同時に、私は近くに転がっていたバールを手に刺客へと飛びかかった。

 相手が柄に手をかける前に体当たりを食らわした私は、そのままもつれあって砂上へと転げ出た。

 しかし、奇襲はそこまでだった。私が動かぬ手でバールを構え直す間に、莢の中から凶悪な光を放つ長剣が引き抜かれていた。

 次の瞬間、気合と共に上段から大気を断ち切って振り下ろされた白銀の大円弧を、私はバールで受け止めた。両腕に強烈な衝撃が加わる。光る刃は、私の額に触れるほどまで一気に押し下げられた。刺客の腕力は並ではなかった。

「公爵様?!」

 背後でクリスの悲鳴が上がった。私は右手を引いていた。

 体を左にかわすと 、左手で相手の剣を大きく右に払う。

 刺客は体勢を崩して前に倒れかけた。首筋から背中へと大きく隙ができていた。

 前に飛び出した私は、包帯に血がにじむ両手でバールを握ると、振り向きざま、鋼鉄のくちばしとなったバールの先端を振り下ろした。

 骨を砕く音が響いた。

 しかし、バールにその手答えはなかった。

 大地に跪いた刺客の長剣は逆手に持ち換えられ、肩越しに後ろへ振り切られていた。右の脇腹に剣の峰の一撃を受けた私は、そのまま後ろへと倒れた。

 息をすることができなかった。肺が潰れてしまったかのようであった。両肩が、空気を求めて激しく上下した。口の中には血の味が広がっていた。

「公爵様!」

 苦悶に焦点を失った視界の中で、クリスが駆け寄ろうとするのが見えた。

「来るな!」

 脂汗を滴らせながら、私は叫んでいた。

 刺客は、脇腹を押さえてうずくまる私のそばへ悠然と歩み寄った。私は、峰打ちにも辛うじて離さなかったバールを後ろ手に構えた。

 相手が剣を振り上げた瞬間、私はバールに揮身の力を込めて、彼の足を薙ぎ払った。

 刺客は飛び下がってこれをかわしたが、その隙に、私は弾けるようにして立ち上がった。激痛が走った。全身に込められた闘志が、脇腹から抜けていくようであった。

 それでも、踏み込んだ私はバールを振った。黒い一文字が白いフードを引き裂いた。

 露わになったその刺客の顔に、私は愕然となった。

 見違えるはずはない。その栗色の巻き毛は、監察局のトゥキディンタード=シャルピ卿その人であった!

「……シャルピ卿?!……何故貴公が?!……」

 天空に紫電が閃いた。

 辺りは光と闇の二色に塗り分けられた。白いマントの上に、卿の醜悪に歪んだ顔が浮かび上がった。悪夢のような光景に、私は戦慄した。

「何故だ! 何故私の命を狙う?! 裁判で、私を有罪にしただけでは飽き足らないのか?!」

 喘ぐ私の言葉に、シャルピ卿は薄笑いを浮かべた。魂の凍り付くような狂気の笑みであった。

「……裁判など問題ではない……」

 冷淡な声で 、卿はゆっくりと呟いた。

「お前が有罪になろうが、無罪だろうが、そんなことは知ったことではない……」

「何?!……」

「お前が疑いをかけられればそれでいいのだ。主への反逆なり、魔王なりのな。そうすれば、例えお前が殺されたとしても、きっと主への狂信者どもの仕業だろうということになる。この間のリーデンブロイのようにな」

 私は汗に濡れる眉をひそめた。何故リーデンブロイ卿のことを知っているのだ?……

「どうしても自分にやらせろと言うから任せたのに、あの役立たずめ、しくじりやがって」

 忌々しそうに話す卿の言葉に、私は血の気が引いた。まさか、監察局と救世団が結託しているのか?!……

「何故だ! 何故そうまでして私の命を狙う?!」

 拳を握り締めて私は叫んだ。彼らの私に対する執念は、あまりにも異常であった。

「リューダー卿の話を聞いただろう。あれこそが、真のカルカの書第二七三章だ」

 卿は平然と言って退けた。

 ……やはり!……神節典改竄の話は本当だったのか……

「門を開く者ダイリット・サールは、聖摂院には無用のものだ。誰が今の富と権力を手放すものか。魔王はおとなしく地獄で遊んでいるがいい。お前は、我々にとって疫病神なのだよ」

 シャルピ卿は、獣じみた光を浮かべる瞳で鋭く私を睨んだ。私は歯軋りした。

「私が、そのダイリット・サールだと言うのか?!」

「違うというのか? 予言がすべてを語っている。だからこそ、カラウリアの老いぼれもお前を弁護する気になったのだろう?」

 唇の端を歪めて、卿は笑った。

「あの爺ィも、昔に懲りて余計なことをしたりしなければ、死なずに済んだものを」

「……殺したのか、貴様らが?!……」

「そうとも。一度は家族を人質に取って黙らせたが、今度は天誅を与えてやった」

 私は愕然とした。体の芯が凍てついた。監察局が、いや、聖摂院がリューダー卿を……己が欲望のために……何ということだ!

「貴様らが……」

 体が怒りに震えて、それ以上は言葉にならなかった。目の前が青白く歪んだ。

「例えお前がダイリット・サールでなくとも構わん。これまでも、そしてこれからも、魔王の可能性がある者は、我々がすべて抹殺する!」

 狂ったとしか思えない宣言の後、卿は惨たらしい笑みを口元に含んだ。

「ガイル=デヴィーサイドは知っているな。奴に毒を盛ったのは、他ならぬマイローウィッツ公だ。飛行中の事故に見せかけるためにな。これでわかっただろう。銀の翼に乗った『門を開く者』は、永遠に舞い下りることはないのだ。お前も奴の後を追うがいい!」

 卿は高らかに笑った。

 デヴィーサイドまでを!……

 もはや正気の沙汰ではなかった。私は、目前に『魔』の何たるかを見た。

「貴様!」

 剣を振り上げた卿に、私は飛びかかった。例え主が許そうと、例え命を落とすことになろうと、今、聖摂院の猛悪を許す訳には行かなかった。これで怒れぬようでは、人ではない!

 空間を二分するバールの一撃は、身を屈めた卿の残像を打った。地表すれすれに刃が振られ、私の両足の肉を断ち割った。

 すかさず、みぞおちが蹴られた。

 私は、砂の上に三たび倒れ伏した。バールは宙に舞った。

「お前などに、この俺が殺れるものか」

 嘲る卿を、四肢を血に染めた私は睨み上げた。

 体の中で、憎悪が猛り狂っていた。野獣のように牙を剥いて、私は叫んだ。

「貴様、『心』をどこに捨てた?!」

 長剣を大上段に限りかざした卿は、血塗られた勝利に哮り立った。

「今の富と権力を保てるなら、心など悪魔にでもくれてやるわ!」

 風が唸ったのは、その時だった。

 網膜を灼き尽くす紫の閃光が天空から降り下ろされ、大地を両断した。

 大気は灼熱の電場と化し、音は衝撃の壁となって世界を揺さぶった。

 すべてが色を失くした中で、シャルピ卿の体が炎に包まれるのが見えた。彼の声のない絶叫を、私は聞いた。

 世界は闇に閉ざされた。


 電気を帯びた風の臭いに混じって、肉の焼けただれる異臭が立ち込めていた。

 眼球の底に強烈な緑色の光が残る目で、私は必死に辺りを窺った。耳鳴りが頭の中に響き、ひどい吐き気がした。麻揮した全身は火で焼かれるように熱く、それでいて体の芯は氷を抱えたように冷たかった。

 目の前に、剣を振りかざしたまま消し炭となったシャルピ卿が立っていた。悪鬼のような凄まじい形相がへばり付いた顔面は黒く焼け焦げ、眼球が吹き飛んで、暗い眼窩からは視神経かなにかの繊維が垂れ下がっていた。大きく開かれた口からは、内臓の焼ける褐色の煙が立ちのぼっているようであった。そのあまりにも惨たらしい卿の最期に、私の喉には胃液が込み上げた。堪まらずに私は吐いた。

 突如、天蓋の底が抜けたかのように、雨が激しく降り注ぎ始めた。砂の大地は貧欲にそれを吸い込んだが、やがて周囲はぬかるみと化した。

「公爵様!」

 疼く鼓膜にクリスの声が届いた。雨に煙る中を彼女が走ってくるのが見えた。

「公爵様!」

 地面に投げ出されたままの体が抱き起こされるのが、ぼんやりとわかった。顔を大粒の雨が叩いていた。

「公爵様! しっかりして下さい」

 私を揺さぶるクリスの、今にも泣き出しそうな顔を目にして、私はゆっくりと微笑んでみせた。

「……大丈夫……もう大丈夫だ……」

「公爵様……よかった!……」

 動けない私を抱き締めると、張り詰めていたものが不意に切れてしまったように彼女は泣き崩れた。鳶色の瞳から溢れた熱い涙は、私の頬を伝っていった。

「彼は雷の矢に撃たれたよ……」

 うつろな声で話す私の視線を追って、刺客の屍に気付いたクリスは、雨のベールの中でも、あまりに無残なその姿に思わず顔を背けた。

「……彼は、主の裁きを受けたんだ……」

 私は呟いた。雷鳴が遠くに聞こえていた。

 突然、光が見えた。

 雨の中で、幾つもの光が揺らめいていた。

 やがて、それは自動車のエンジン音を響かせ始めた。まさか、聖摂院か?!……

「公爵様!……」

 クリスは、反射的に私に身を寄せた。

 だが、今の私には、自分の身を守ることさえ不可能であった。

 数台の自動車は、明らかに目的を持って格納洞へと接近した。

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