第3節:クロネッカ兄弟の若き日
こんな光景を誰が想像し得ただろうか。私と並んで不浄の地を歩いているのは、紛れもなく私の叔父であった。
二人は言葉もなく、ひたすら砂を踏みしめ歩いた。私は憧憬の丘に案内するつもりだったのだが、叔父の足は、何かに引き寄せられるかのように『最初の都』の廃墟へと向いていた。その足取りは、まるで以前にこの地を訪れたことでもあるかのようであった。まさか……私は頭を振った。
時折、額に浮かぶ汗を拭う叔父の横顔。そこには、一体どんな心境の変化があったのかを、見ることはできなかった。驚きと戸惑いが渦となって、私の頭の中を掻き乱していた。
どれだけの沈黙があっただろう。不意に、叔父はポツリと呟いた。
「……私や、兄にも、若い時はあった……」
その声音が含んだ響きに、懐かしさの他に悲しみが感じられたのは、砂上を渡る風のいたずらだったのだろうか。
「アルキュオネの言う通り、私は、夢を諦めた言い訳をしていたのかも知れん……」
叔父は遠くを見つめた。そこには、過ぎ去った若き日々の思い出が見えていたのかも知れなかった。叔父は、どんな青年時代を過ごしたのだろうか?……そして、どんな夢を見ていたのだろう?……
「これは懐かしいお客さんじゃの……」
前触れのない、いきなりの言葉だった。しかし、私はもう驚きはしなかった。振り向くと、黒いボロを纏ったシェダルが飄然と立っていた。
「紹介します、叔父上。こちらは……」
ところが、叔父は私の言葉を待たなかった。
「お久し振りです、シェダル殿。私を覚えておいでですか?」
シェダルは、乾いた唇から歯茎を見せて笑った。
「覚えておるとも。ミラル殿じゃろ? あの時の弟さんの方じゃな?」
「どういうことですか?!」
半ば叫ぶようにして、私は尋ねた。叔父とシェダルが何故?!……考えられる答えは一つしかない。しかし、そんな事はあろうはずがなかった!
驚く私に、叔父は少し悪びれたように微笑んだ。
「もう三十年近く前になる。私とお前の父は、この禁断の地へ足を踏み入れたことがあったのだ……」
* * *
三人は、王家の墓の前へと立っていた。
「そうか……クロネッカ殿の叔父上であったか」
シェダルは、その光る左目で、私と叔父の顔をまじまじと見較べた。
「……して、兄のロイル殿は息災かね?」
「……去年亡くなりました……」
「そうか、それは……」
目を閉じたシェダルは、胸の前で鎮魂の印を結んだ。立ち並ぶ石柱群は、静かに我々を見下ろしていた。
「……あれは、私が高等院の最上級生の頃だった……」
叔父は、思い出を語り始めた。
「兄の友人で、探検家イザル=ムフリッドに同行して不浄の地に行ってきたという人物がいた。その時は、まだ聖摂院の知るところとはなっておらず、私と兄は、彼から冒険の話を聞かせてもらった。そして、『風の道』の存在を知った。我々は興味をそそられた。まだ若かった我々は、無謀を敢えて行うことが真の勇気であり、自由は大人達の法を乗り越えたところにしかないと信じていた。だから……私と兄とは角馬を走らせた。『風の道』に向かって……そして、我々はこの前に立った」
叔父は、岩に閉じ込められた巨獣の化石を見上げた。『最初の都』の王ネッドの屍は、三十年間変わらぬ姿で、この砂に埋もれた廃壊を見つめ続けている。そして、その暗く落ち窪んだ眼窩は、驚異の表情で見上げる若き日の父と叔父をも見ていたのであった……
「シェダル殿と出会ったのもここだった。そして訊かれた。この岩に何を見るかと」
私は驚いてシェダルを見返した。それは、私がクリスと共にここを訪れた時に訊かれたことであった。彼は、私の視線に沈黙で答えた。
叔父は、その時のことを振り返って一人微笑んでいた。
「私は、主の強大な力を見ると答えた。始めはこんな姿だった人間から、その持てる能力を奪った主の力には、想像を絶するものがあったからだ。そうだろう? こんな人間を倒せるような生物が、世界中のどこにいる?」
確かに、叔父の言う通りであった。その骨だけになった体からでも、ネッドの凶暴性と凄まじい膂力は窺えた。
「……だが、兄は……お前の父は違った。彼は、ここにシンの偉大さを見ると言った。人間が、今のように豊かで潤いのある生活を送ることができるのは、シンが主の技を盗んできたからだと……ネッドに較べれば、ちっぽけでひ弱な存在に過ぎない我々が、今日、万物の霊長として世に君臨できるのは、まさに彼のおかげだと……」
叔父の言葉に、私の体には、雷の矢に撃たれたような衝撃が走った。そうだったのか! シェダルの言った、似たような瞳の青年とは……
私の驚愕の表情を、シェダルの左目が覗き込んでいた。
「……父、だったんですね?……」
「そのようじゃな……」
彼は頷いた。
「血、とでもいうのじゃろうかの?……クロネッカ殿、お主は父上から、体ばかりではなく、その志も頂いておったのじゃ……」
感慨深げにシェダルは呟いた。
「父が……」
私は、改めてネッドの屍を見上げた。彼は知っていたのだ。若き日の父の想いを……。私には、お気に入りの椅子に腰掛け、書斎で古い書物を読み耽る父のイメージしかない。レンズの奥から、上目使いに覗く父の瞳の中に、そんな青年時代が隠されていたとは……意外な真実であった。
* * *
「ツァフィア号は我々も目にした。度肝を抜かれたよ。まさに驚異という他はなかった」
憧憬の丘へと向かう途中でも、叔父の懐古録は続いていた。今日は、シェダルも消えることなくついてきていた。
「巨大なスクリューの下で、我々はもう一人の人物と出会った。今ではあまりに有名な人物だが……当時は、博学会で助手を務める、二十代後半の明朗快活な青年だった……」
叔父は私の顔を見つめた。当ててみろというのだろうか?……私は肩をすくめてみせた。
「……主への最初の反逆者、ガイル=デヴィーサイドだ……」
「えっ?!」
私は思わず声を上げていた。叔父は笑った。
「彼も『風の道』の噂を聞き付けて、不浄の地へと来ていた……そして、意気投合した我々は友情を交わしたのだ……」
「では、彼の研究のことも、よくご存じだったのですか?!」
「ああ。半年後に知った。彼は、空への憧れを熱っぽく語ってくれた。もちろん、それは神節典に抵触することであり、他言無用な話ではあったが……彼の語り口に、我々は心を動かされた」
「ちょっと待って下さい!」
叔父の言葉を、私は慌てて遮った。
「我々というと、父もですか?!」
叔父は頷いた。
「そうだ……若かった我々には、それを成すことが、生まれ出た証のように思われた。それは、熱病のように我々の心に取り付いた。我々は、ガイルへの協力を約束したのだ……」
信じられぬ話であった。父と叔父があのデヴィーサイドと知り合いであり、彼のひそやかなる研究を知ってなお、彼に力を貸していたとは……
不意に、叔父は顔を曇らせた。
「しかし、歳月が過ぎ、常識なるものが身につくと、熱は引き始めた……ガイルと出会ってから八年後、父ダイリンシュタットが亡くなって、兄は家督を継ぎ、私は分家としてブラキウムに新しく屋敷を設けた。新領主としての仕事に追われるうちに、私は次第にガイルのことを忘れていった。……しかし、兄は違っていた。兄にとって、それは、若気の至りでも、一時の気の迷いでもなかった……」
私は眉をひそめた。まさか……
「……兄の遺品の中に、個人名義の通帳があっただろう?……あの『ファンドラ』というのは、女性の名前ではない。そのままの意味だ。『憧れ』――それは、空への、と同時に、柵に縛られず、己れの思うことを為さんとしているガイルへの想いだったのだ。父の偉大さ故に、兄はその重圧に喘いでいた。兄は、自分の果たせぬ夢を、金銭的な援助をすることで、ガイルに託していたのだ。……私は体裁を考えて、何度も兄に忠告した。ガイルの研究が聖摂院の知るところとなれば、クロネッカ家も罪を逃れることはできない。しかし、兄は聞き入れなかった。……九年後、ガイルが法廷での裁きを待たずに事故死した時、正直言って私はホッとしていた。これで、兄の心を惑わすものはなくなったと……しかし、まさかお前が兄の志を継ぐとは、夢にも思わなかったよ……」
叔父は笑った。悲哀のこもった笑みであった。
私は何も言えなかった。私にとって、それは、受け止めるに余りある驚愕の事実であった。様々な思考が脳裏を錯綜し、出口の見つけられぬまま裡に詰まって、私の胸を圧搾していった。
* * *
「公爵様!」
「クロネッカ様!」
私の姿を認めて駆け寄るクリスとラムの顔には、等しく暗い翳りがあった。恐らくは、既に事の次第を知っているのだろう。彼女達は、私の前に来ても、かける言葉に迷っているようであった。
「留守中、変わりはなかったかい?」
そう努めたつもりはなかったが、私の言葉は妙に明朗だったようであった。
「え、ええ、エッセンニーカ公爵様の使いの方が、いろいろと気を使って下さって……」
「聖摂院も、ここには来なかったようです」
戸惑いながらも、二人は答えた。
「そうか」
私は微笑んだ。
「二人に紹介するよ。ウィリアード=ミラル=クロネッカ。僕の叔父だ。こちらはクリス=ミルスプリングスにラム=イシス。僕の同志です」
「はじめまして」
クリスは慌てて、ラムは淑やかに頭を下げた。叔父は笑った。
「どうやら、甥がお世話になっているようで……」
叔父には不似合いな――いや、叔父に対して、私が歪んだ印象を持っていただけかも知れないが――慇懃な話し振りであった。
「……そうか、わかったよ……」
やがて、二人の女性の顔を見つめながら、呟くように叔父は言った。
「白……青……それに赤と黒……聖人カルカの言っていたのは、こういうことだったのだな……」
クリスとラムは顔を見合わせた。
「叔父上、こちらです……」
叔父が神節典の一節を語り出す前に、私は彼を昇空機の格納場所へと案内した。カルカの書の内容には、できれば今は触れたくなかった。クリスとラムが知らないのなら、尚更であった。
助走路の北端にある盛り上がった巨大な岩場の、風下に向かって口を開けた水平な裂け目に、鋼の鳥達は眠っていた。
「手前がグラフィアス号、向こうの骨組みが新型のリウヴィル号です」
鉄板を敷いた空洞に、私は叔父を招き入れた。
「これが……」
それっきり、叔父は言葉を失った。大きく瞠られた瞳が、巨大な銀翼を映していた。彼は、人参型の昇空機の周りを歩き回り、機体に触れ、感嘆の声を漏らした。
「……そうか……これが、銀色の翼か……」
私のそばに戻ると、叔父は息をつくように言った。
「グラフィアス号と言ったか? もう完成したものがあるのではないのか?」
「グラフィアス号は、リウヴィル号に較べて重量がある上に強度が落ちます。あれでは、雲の天蓋を突破することはできません」
「そうか……私にはよくわからんが……」
叔父は、改めて昇空機を見つめ直した。やがて、彼は笑った。
「空を飛ぶことは主に背くことだ……そう言って、私は兄を責めた。しかし、それは言い訳だった。主が許さないということを、私は、夢を諦めた言い訳にしていた……お前の言っていたことこそが、真に『良き』生き方なのだろうのに……」
叔父は私を見つめた。
「リューダー卿の言うカルカの予言が正しければ……いや、そんなことはどうでもよい。お前は『良く』生きている。家宝の『銀の聖翼』は、お前のためにあるのかも知れんな……」
彼は一人頷いた。
「もう何も言うまい。ラスティリアード、お前は己れの思うことを為せ。要る力ならば私が貸そう。守護神はお前にある。世に『良き』生き方を示すがいい」
叔父の言葉は、万感の想いを込めて、私の琴線を掻き鳴らした。私の為さんとしていることは、私だけのものではない。それは、叙父が心打たれ、父が追い求めた夢でもあった。そして、ガイルを始めとする先人達の果たせなかった夢をも、私は背負って羽ばたこうとしている。しかし、それは重荷ではない。それは力であり、翼であった。
瞳を潤ませる叔父の顔を、私はしっかりと見返した。言葉は口にできなかった。ともすると溢れ出しそうな涙を堪えて、私はただ、叔父の目を見つめた。それでも、叔父は頷いてくれた……




