第16節:環座会
ティレリナにはこんな伝説がある。
遥か千年の昔、ティレリナ王家の美しき王女ミロスフィナを、凶暴な風の龍『銀刃』が見初めた。銀刃は地へと舞い下り、城に近い草原で花を摘んでいたミロスフィナ姫をさらって、北の霊峰ハダルの山頂へと連れ去った。
悲しみに暮れる妃を宥めると、セフェルス王は、姫奪回のために騎士団をハダル山へと送った。しかし、銀刃の吐く氷の息吹と、翼が引き起こす大雪崩によって、騎士団は敢えなく全滅してしまった。そればかりではない。地上に居座った銀刃の発する冷気のために、大地は凍てつき、草木は枯れ果て、人や獣は飢えと寒さに責め苛まれた。
苦悩した王は、民衆に御触れを出した。誰か、あの銀刃を倒せる者はいないかと。多くの者は銀刃の凶暴さに恐れをなしたが、五人の勇敢な若者が立ち上がった。下級剣士のレザリオ、狩人のユーロ、きこりのラフェッツ、鍛冶屋のボレッセア、農夫のエトラである。
彼ら五人は、それぞれの持てる知恵を結集させて、ハダル山頂の銀刃へと挑んだ。三日三晩に渡る死闘の果てに、彼らは王女を助け出すことに成功した。しかし、深手を負った銀刃は天へと舞い上がり、彼ら五人に無数の氷の矢を浴びせかけた。ミロスフィナ姫を庇い、ユーロ達は矢を身に受けた。その時だった。見兼ねた主は、一羽の鳥をレザリオのもとに送った。それは、疲れを知らぬ鋼の鷹であった。これこそがグラフィアスだとも言われている。
レザリオは、主が遣わした鋼の鷹に乗って空を飛び、見事銀刃にとどめを刺した。しかし、彼が地上へ下りた時、ユーロ達仲間四人は息絶えていた……
姫救出の知らせに、王と妃は大いに喜び、凱旋したレザリオに、是非我が娘の夫にと薦めた。しかし、自分の剣技の未熟さが仲間の死を招いたことを理由に、彼はこれを辞退し、代わりに、亡くなった四人に残された家族の生活を守ってくれるよう願い出た。このレザリオの友情厚き心に、セフェルス王は胸を打たれ、レザリオを含む五人の子孫達の将来を、未来永劫に渡って約束したという……
レザリオ達が、ハダル山に赴く前に誓いを交わしたとされる場所がここであった。今では、大理石で築かれた『宣誓堂』が建っている。数百年前に、五大貴族が共同で建立したのだそうだ。物語の真偽はともかくとして、当主となった今では、何故故人がそんなことをしたのかがよくわかる。彼らは、自分達が五大英雄の子孫であると信じて疑わなかったのだ。
その高い天井には、物語の様々な場面を表したレリーフが施されていた。五角形の広間には、それぞれの壁にドアが設けられ、その上に五大貴族の紋章が刻まれている。
私は円卓に座った。
左手、互いに背を向けた鷹の爪を形取った紋章の前には、イリエール=デニム=ダイロンバール公爵。
右手、長く美しく広がる鳥の尾羽根を形取った紋章の前には、セノスフェア=ハーミット=リーカルガッセ公爵。
中央、双鉾の鋭い鷹の頭部を形取った紋章の前には、ジェローム=ライデン=ブリザルディア公爵が腰を下ろしていた。
そして右隣り、剣に翼の紋章の、ザウテル=フィルノア=エッセンニーカの座るべき場所は空席になっていた。
「……エッセンニーカ家を欠いたのは誠に残念であるが……」
咳払いをして、ジェローム公が話し始めた。
「ここに、五大貴族の環座会の開会を宣言する」
代々交代で務める議長には、今回ブリザルディア家が当たっているようであった。私も何度か宣誓堂には足を踏み入れたことはあったが、環座会の一員としては初めてであった。もっとも、正面に座る三人と私の間には、目に見えない大きな壁があったが……
「さて、諸君にとっては周知の事であるが……」
ジェローム公の話は、すぐさま本題に入っていた。
「我々五大貴族は、遠く神話の時代から、固く交わされた盟約によって、互いの幸福を喜び、不幸を励ましつつ、この国ティレリナの繁栄のために力を尽くしてきた」
公は、厳しい顔付きで一同を見回した。
「然るに、この世において、盟友の中から、嘆くべき妄挙を行う者を出してしまったことは、実に遺憾である」
公の緑色の鋭い視線が、私へと向けられた。
「ラスティリアード=ヴァリス=クロネッカ公爵、貴公は、あろうことか主の教えに背いて『昇空機』なる空飛ぶ機械を作り出し、更に、裁きの場に引き出されても、全く自らの非を認めないばかりか、巧みに虚言を弄して人心を扇動し、揚げ句に、聖摂院を侮辱するという、正気では考えられぬ行為に及んだ」
「待って下さい。私は別に扇動も侮辱も……」
私が話しかけると、ジェローム公は机を叩いた。
「貴公に発言を許した覚えはない!」
イリエール公もセノスフェア公も、非難と侮蔑のまなざしを私に投げかけていた。
「……貴公の常軌を逸した振る舞いには、我々もそれ相応の決意と態度を以て示さなくてはならないと考えるが……」
「賛成」
「賛成」
声が響いた。ジェローム公は頷いた。
「本来ならば、内輪の不始末は内輪で片付けるべきであるが、法廷の判断は恭敬の意を以て受け止めたいと思う。よって、ブリザルディア家は、ここに千年来の盟約を破棄、クロネッカ家から貴族としてのすべての権限を剥奪すると共に、環座会の一員からクロネッカの名を永久に削除することを提案する」
「ダイロンバール家は、その提案に賛成する」
「リーカルガッセ家も、その提案に賛成する」
その表決は、私にとって衝撃には値しなかった。むしろ、次のジェローム公の言葉の方に、私は軽い驚きを覚えた。
「クロネッカ殿、貴公はどうか? 自らの犯した罪の重さを認め、潔く提案を受け入れる気はないか?」
私は苦笑を禁じ得なかった。
「いえ。私は聖人ではありませんから、犯しでもいない罪を背負って、罰を受け入れるつもりはありません」
三人の公爵は一様に顔をしかめた。
「そうか……古くからの友人としての、最後の忠告だったのだが……そんな気遣いは無用だったようだな」
気を取り直すと、ジェローム公は言った。
「よろしい。賛成三、反対一、棄権一。よって、賛成の多数を以て先の提案は可決された。これにて環座会を閉会する」
* * *
部屋の外では、二人の人物が違った意味で私を待っていた。一人は、菫色の上着に淡い水色のスカーフが似合うロージェスタ=ラテシア=ブリザルディア嬢、もう一人は、緋色のスーツに山吹色のネクタイが鮮やかなカイゼルリュート=アーキス=ダイロンバール公であった。
私は軽く会釈をすると、黙って二人の横を通り過ぎた。いや、通り過ぎようとした。
「クロネッカの当主が聞いて呆れるな」
私の背中にその言葉を投げかけたのは、カイゼルリュート公であった。私は立ち止まった。
「よくそれで、五大貴族の一員でございますと、大きな顔がしていられるものだ」
「カイゼルリュート様……」
ロージェスタ嬢が柳眉を顰めてやんわりと窘めたが、カイゼルリュート公は気にも止めず、片端を吊り上げた唇で更に言った。
「お爺様のダイリンシュタット公もさぞ嘆いておられることだろうよ。我が後継ぎは、息子も孫も揃って放蕩息子だとな……」
私は振り返った。カイゼルリュート公は一瞬身を固くした。
「何だ? 文句があるのか? お前は罪人なのだぞ」
「……祖父も、父も、私には関係ない……」
その言い方は、どんな風に聞こえただろうか? 私は、思ったほど憤りを感じてはいなかった。その言葉にこもった静かな力は、むしろ決意と言った方が近かった。
「私は、私が持っているこの二本の手で栄光をつかみ取る。親の七光りに頼って、漫然と生きるつもりはない」
カイゼルリュート公の眉が僅かに震えた。
「フン、言ったな。だが、お前が手にするのは栄光などではない! 惨めな死に様だ。残された一ヶ月の間に、せいぜい立派な遺言状でも考えておくことだな!」
「……そうだな、そうさせてもらうよ……」
そう言って微笑むと、私は踵を返した。
「ラスティリアード様!……」
後ろから、蒼く翳る琉拍色の瞳で、ロージェスタ嬢が駆け寄ろうとするのを、カイゼルリュート公が引き留めた。
「よせ、ロージェ。あいつには、君が追うような価値などない」
……そうだ。私には、彼女に追われる資格などなかった……私は、既に貴族ですらない。宣誓堂の廊下を歩いているのは、刑の執行を一ヶ月後に控えた、ラスティリアードという二十四歳の罪人に過ぎなかった。
車寄せを出ると、外には満開となった桜が、春風に吹かれて、その花びらを散らしていた。雪のように舞う、うっすらと色を帯びた桜の花びら達は、その前の白亜の建物の中で何があったのかなど、まるで知る様子もなく、儚い命のその最期の輝きを、私に見せつけていた。光が舞い散るような幻惑的な世界の中を、私はゆっくりと歩いていった。
……人生とは、死の間際まで覚めることのない夢幻の物語である……誰の言葉だっただろうか? 不意に、そんな文句が頭の中に浮かんでいた。……そうだ、すべては夢なのかも知れない。あとしばらくすれば、母が優しい声で私を起こしにやってくる。そして、私はいつも通りの現実に戻るのだ……
眩いばかりの桜の花びらは、想いに耽る私の髪や肩に、そっと舞い落ちていった……




