第13節:告発
「弁護人の入廷を要請します」
「許可します。弁護人を入廷させなさい」
扉が開いた時、そこに立っていたリューダー卿の姿に、監察局は驚きの表情を見せた。リューダー卿は、マイローウィッツ卿の顔をじっと見返しながら、法廷の中央へと進み出た。
「弁護人は姓名と身分を明かしなさい」
「バンデミアトス=リューダー。カラウリア島の司祭であります」
「よろしい。では、この裁判において、真実のみを語ることを誓いなさい」
神説典が差し出された。
誰もが、卿が神説典に対し誓いをたてることを予想した。いや、それは予想するまでもなかっただろう。そうすることは至極当然のことであり、法廷での挨拶のようなものだったからだ。
「嘘偽りを言うつもりはないが、それを大層な紙屑に誓うつもりはありません」
一瞬の沈黙の後、廷内は騒然となった。仮にも司祭である彼の口から発せられた言葉に、誰もが自分の耳を疑っていた。
ロゼット裁判長も面食らったようであった。
「……誓わなければ、あなたの発言は、法廷での信用を得ることができませんよ」
「構いません。私の発言の正しさは、それ自体が証明します」
リューダー卿は至って平然としていた。私と博士は顔を見合わせた。
「……よろしい。では、監察局は質問を始めて下さい」
裁判長の言葉に、シャルピ卿が腰を上げようとした時だった。マイローウィッツ卿がそれを引き留めた。彼の蒼いまなざしは、真っ直ぐリューダー卿に向けられていた。弁護人の前には、彼が立つことになった。
「……遠路はるばる御苦労様です。ではまず、弁護内容をお聞きしましょうか」
マイローウィッツ卿は、冷気を放つ瞳で静かに言った。
「……弁護することはない……」
リューダー卿のその一言は、廷内の時間を凍結させた。
私だけが、その言葉を予想し得ていた。卿が何をしようとしているのかは全く考えもつかなかったが、それが苦し紛れの反論などではないことは、私にも何となくわかっていた。
だがしかし、氷の裁断者は動じる気配を見せなかった。
「何と言われました?」
その声音は、あくまでも冷静だった。
「弁護するつもりはない。彼らにかけられた容疑はすべて事実だ」
どよめきが起こった。弁護人の気でも触れたような発言に、傍聴していた者達は、一斉に驚愕と動揺の声を上げていた。
「静粛に! 弁護人、法廷での発言はすべて記録として残されます。不用意な言葉は控えなさい」
裁判長の注意にも、リューダー卿は何ら臆するところがなかった。
「構いません。真実のみを話すと言ったはずです」
喧騒が渦となった。ほとんどの者が、自分が今どこに来ているのかすら忘れてしまっていた。
「では!」
沸き立つ廷内に、冷厳な声が響いた。マイローウィッツ卿であった。
「では、あなたは何故わざわざここにいらしたのです?」
聴衆は息を呑んだ。それは、誰もが聞きたい答えであった。すべての視線がリューダー卿へと注がれた。
卿は、鞄の中から古びた書類の束を取り出した。
「これは、聖人カルカの書いた原稿の一部です」
その言葉に、マイローウィッツ卿の表情が一瞬怯むのを、私は見逃さなかった。リューダー卿は、それを裁判長へと示した。
「当時の王立院と聖摂院の承認印もあります。お確かめ下さい」
裁判長は頷いた。
「……皆さんご存じのように、聖人カルカは、神託によって神説典の第二四八章から第二七三章までを書き上げた人物です。今日はここに、最後の第二七三章の原稿を持参しました。 俗に言う『終末の日』の章です……」
「異議あり!」
マイローウィッツ卿が声を上げた。
「弁護人は、本件に関係のない物品を持ち出しています」
「異議を却下します。弁護人は続けなさい」
裁判長の許可を得て、リューダー卿は原稿を開いた。
「では、ここでこれを読み上げたいと思います 」
氷の裁断者は、初めての動揺を見せていた。蒼い瞳が落ち着きなく動いている。監察局席に座ったシャルピ卿も、しきりに巻き毛を掻き上げて、上司の様子を窺っているようであった。
朗読が始まった。
「……息子よ、あなたの時代は終わるだろう。あなたには、もう私の声は聞こえない。あなたは、自分に利となる虚偽を信じ、自分に害となる真実を信じないだろう。あなたは、自分の立つ大地を守るためのみに悪を行い、それを善だと言ってはばからないだろう。人はあなたを信じ、あなたに従い、あなたのために力を尽くすだろうが、しかし、私はそれを望んではいない。だから息子よ、あなたの時代は終わらなければならない。
彼がやってくる。彼は、金色の髪をなびかせて、銀の翼に乗ってやってくる。彼は、白き知と、黒き技と、赤き志と、青き力を従えて、虚偽で塗り固められた欲望の街へと舞い下りるだろう。その時、人は真実を知る。息子よ、あなたは彼に逆らい、運命に抗おうとするだろう。しかし、あなたは彼に従うしかないのだ。あなたは、私の息子であるには、あまりにも罪深き存在なのだから。息子よ、あなたがどんなに詐術を弄しでも、彼の訪れを妨げること はできない。あなたは、あなたの心の裡に僅かに残った良心の炎によってその身を焼かれるだろう。そして、彼はやってくる。彼の名は、門を開く者。地上に光をもたらす者。彼の前には、あの黒き龍王さえひれ伏すことだろう。
息子よ。罪深き我が子よ。あなたは去らねばならぬのだ。あなたの時代は終わる。その時が、ついに来たのだ……」
驚愕の文句が法廷に響いた。すべての者が言葉を失っていた。
原稿から顔を上げたリューダー卿は、時の流れが淀んだような廷内で、一人、マイローウィッツ卿の硬直した顔を鋭く見返した。
「……『息子』とは主に仕える者、すなわち聖摂院のことだ。カルカは、権力をかさに着た聖摂院が、世を支配する時代の終わることを予言している。ダイリット・サールは恐怖の大魔王などではない。新たなる時代の『門を開く者』なのだ。聖摂院は、己れの権威の失墜を恐れ、第二七三章の内容を大きく改窟、ダイリット・サールを世界を滅ぼす悪の権化に仕立て上げ、これを抹殺することで、権力の存続を謀ったのである!」
「異議あり!」
マイローウィッツ卿は、目を剥き出して叫んだ。
「弁護人は、本件に全く関係のない事で、故意に法廷に混乱を招いています!」
「黙れ!」
リューダー卿は、峻烈な口調で、氷の融けかかった裁断者へと指を突き付けた。
「そもそも、神説典第十一章には何と書いである?! 『そうして、地上を去られた主は、大地の上に厚い雲の蓋をされ、その下に風の龍を住まわせられた』、それだけではないか! 神説典二〇三六ぺージのどこをひっくり返してみたところで、空を飛ぶことは罪だなどという記述は、ただの一行もなされてはいない! 聖摂院は、人々に罪の意識を植え付けることで、空から舞い下りるダイリット・サールなる人物の出現を未然に防ごうとしたのだ!……私はここに、聖摂院の大罪を告発する!」
言葉にならない声が、大音響となって法廷の壁を震わした。もはや裁判どころではなかった。自分達が信じて疑うことのなかったものが、足元から大きく覆されたのである。本当に正しいことは何なのか、聴衆はすっかり見失ってしまっていた。寄りどころを失う恐怖に、人はただ、声を上げた。
この日、ティレリナ全土を恐慌の嵐が駆け抜けたのであった――




