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銀翼のキセキ ―空を封じられた世界で―  作者: 刹那メシ
第三章:赤き志

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第9節:狂乱の炎

 寝室を飛び出した私は、廊下をやってきたネカルを捕まえた。

「どこが燃えているんだ?!」

「アジェナの方のようです」

「そんなことはわかっている! 火元はどこかと訊いているんだ!」

 私は、ネカルの襟首をつかみ上げた。

「わ、わかりません」

「クソッ……すぐに馬を引け!」

 理不尽な剣幕に戸惑うネカルを突き放すと、私は部屋へと駆け戻った。寝付かれない夜だった。何か不吉な事が起きるような、厭な予感がしていた。

 急いで着替えると、私は屋敷を飛び出した。背後で爺やの声がしたようだったが、振り返っている暇などなかった。ネカルが慌てて引いてきた角馬(ジュネ)『アエロー』に跨ると、私は馬腹を蹴って駆け出した。


 石畳を駆ける蹄の音が、夜の街に響いた。風は肌寒かったが、服の下は冷や汗でじっとりと湿っていた。間違いであって欲しい!……しかし、イオ・テリオ通りに出た時、真紅に染まった西の天に、予感は一層拭い切れないものとなって、私の胸を圧搾した。

 旧バール劇場の角からは、野次馬が黒山となっていた。風が、けたたましく鳴り響く防災局の警鐘と、火災の熱気を運んできた。角馬を降りた私は、その人だかりの中にジーナを見つけて駆け寄った。

「ジーナ! 一体どこが燃えているんだ?!」

「公爵様! この度はとんだことで……」

 『クルシア』のおかみジーナは、的外れなことを言って頭を下げた。

「そんなことより、火元は?!」

「あっ、はい、ザウラクの鉄工所が……」

 何ということだ! 全身が粟立った。

「これを頼む!」

 ジーナに手綱を渡すと、私は人込みの中へと分け入った。吹き上がる炎に声を上げる人波を掻き分けて、群衆の最前列へと出た私は、防災員の制止を振り払うと、燃え盛る工場の前に走った。

 凄まじい熱風が、瞳を覆う涙を一瞬にして蒸発させた。紅蓮の劫火が渦を巻いて、工場の壁や柱をなめ尽くしていた。光と熱が、生贄を手に入れた狂喜の咆哮を上げていた。

「馬鹿野郎! 死にたいのか?!」

 防災員に引き戻されるまでの一瞬、圧倒的な炎の乱舞に、私は一切の思考能力を失っていた。

 我に返った私は、救護車の脇にうずくまっているジャバに気付いた。縦横に走る消火ホースを飛び越えて、私は彼へと近付いた。濡れた路面が、狂乱の炎を赤々と映していた。

「ジャバ、どうした?! 何があった?!」

 私の声に、彼は虚ろな目を向けた。視線が所在なく泳ぐ。呆然自失の状態から、まだ立ち直っていないようであった。

「公爵様」

「教えてくれ! 一体何があったんだ?!」

 ジャバは唾を飲み込んだ。

「……わかりません。いきなり爆発が起こって 、あっという間に火の手が……」

 よく見ると、彼の髪や口髭はすっかり焼け縮れていた。

「それで、他の連中はどうした? みんな無事か?!」

「……ええ……いえ……」

「どっちだ?! はっきりしろ!」

 侵略する火炎が風を巻き起こし、激しく大気を震わした。飛び散る水飛沫が、湯となって降り注いだ。

「工場長が……」

 その言葉に、私は背筋が凍りついた。

「工場長がどうした?!」

「工場長が……鋼銀を守ると言って……」

「それで?!」

 私は、ジャバの肩を揺さぶった。

「……今、車の中です……」


 救護車の中に入ると、肉の焼ける異臭が鼻を衝いた。ベッドに横たわったセルジオ工場長は、左腕の皮が、黒く長い手袋でもしていたようにズルリと剥け落ち、赤っぽい肉が露出してしまっていた。あまりにひどい火傷に、私は胃液が喉まで込み上げた。

「工場長!」

 吐きそうになるのを堪えながら、私は声をかけた。

「……熱風で喉もやられています」

 傷にガーゼを当てながら、一人の救護員が言った。

「……助かりますか?……」

 自分でも口にしたくなかったその言葉を、私は無理やり喉から押し出した。

「何とも言えませんね……」

 眉間を曇らせた救護員のその一言は、私の胸に氷柱でできた杭を深々と打ち込んだ。

「……こ……うしゃく……さま……」

 炎の熱でまぶたの半ば貼りついた目を動かしながら、工場長は獣のような声を上げた。

「大丈夫だ、すぐに病院に行くから」

「……公爵……様……」

 彼は右手を差し出した。

「……ブリッ……ソムは、冷却……槽の中に……入れて……あります。後で……」

 焼けただれた喉で、必死に話そうとする工場長の震える右手を、私はしっかりと握りしめた。

「わかった! もう言わなくてもいいから……済まない、僕らのために……」

 肩を震わす私に、彼は苦しさを堪えて微笑んだ。

「大丈夫か?!」

 ザウテルが車内へと飛び込んできた。次の瞬間、酸鼻を極める工場長の容体に、彼は反射的に身を引いていた。喉が鳴った。

「外にいた人も乗せて下さい。車を出します」

 軽傷のジャバを乗せた救護車は、テレシアス病院へと向かった。運転席の隣りで打ち鳴らされる警鐘は、擾乱を掻き立てるように、赤く照らし出された街々へと響き渡った。


 この日、乙の月二十二日午後九時過ぎに上がった原因不明の火の手は、次の日の明け方まで燃え続け、ザウラク鉄工所約四千平方リルを全焼、七人の重軽傷者を出した――


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