第8節:裁きの庭
「これより開廷する」
裁判長アルギエバル=ロゼット卿の声が響いた。諮問会の十三人の委員が法廷中央に腰を下ろす中、私と博士とは、当然のことながら被疑者の席に座っていた。監察局側は、若きシャルピ卿と、『氷の裁断者』マイローウィッツ卿が入廷している。卿の容赦のない裁断の蒼き瞳は、私と博士とを見据えていた。
裁判中の法廷に入ったことのない私にとっては、日頃行われている裁判が、どのような様子なのか知る術はなかったが、狭い傍聴席に溢れる人込みには、やはり異様なものを感じ取った。ほとんどは貴族であった。お披露目で目にした顔が並んでいた。中でも、黒っぽい服装に、レースで美しい銀髪を隠したロージェスタ嬢の、憂いを帯びた瞳が目についた。
「審議を執り行う前に、被疑者ラスティリアード=ヴァリス=クロネッカの身分階級を慮って、特例として彼に限り、法廷での発言を許可します。クロネッカはここへ」
私は裁判長の前へ出た。神節典が差し出された。
「この裁判において、真実のみを語ることを誓いなさい」
私は、黒地に金で刺繍された『神節典』の文字を見つめた。誓ったところでどうなるものでもないのだが……。私はその上に手を載せた。
「誓います」
「よろしい。では、監察局は容疑の陳述を始めて下さい」
私が席に戻ると、シャルピ卿が立ち上がった。
「被疑者ラスティリアード=ヴァリス=クロネッカとアルベルト=ガリオネッティは、結託して主への反逆を企て、昇空機なる空飛ぶ機械を作り上げた疑いがあります。監察局はここに、ガリオネッティの自宅と、彼が館長を勤めるフィルソルフィアナ図書館から押収した昇空機の構造と飛行原理に関する書類、並びにその模型を証拠として提出します」
書類の山と模型の群れが、法廷側へと渡された。傍聴席からはざわめきが起こった。
「なお、先の図書館の館員でガリオネッティの養女のクリス=ミルスプリングスと、もう一人身元不明の女性も、この件に関与している疑いがあり、ただ今行方を追っております」
そこで、シャルピ卿はチラリと氷の裁断者の顔を見た。
「更に被疑者は、昇空機の飛行実験場所として、不浄の地に足を踏み入れていた可能性もあります。以上が容疑であります」
廷内のざわめきは一層大きくなった。
「静粛に!……では、被疑者クロネッカ、今の監察局の陳述に対し、異議を唱えますか?」
「はい。監察局は、容疑に足る十分な証拠を提出してはいません。私は、私にかけられた疑いを払うため、弁護人の入廷を要請します」
「よろしい、許可します。弁護人を入廷させなさい」
憲兵によって扉が開かれた。
二人の人物が入ってきた。青き礼服に身を包み、凛とした態度で歩いているのはザウテル、その後ろを、おどおどと辺りを窺いながらついてくるのはセルジオ工場長であった。ザウテルの言っていた人物は、まだ到着していないようであった。二人は壇の前へと立った。
「姓名と身分を明かしなさい」
「ザウテル=フィルノア=エッセンニーカ。王立院渉外局管理部主任であります」
改めて、傍聴席は騒然となった。弁護人として貴族が現れることさえ、彼らにとっては驚きであっただろう。それほど私の罪は重く、そして逃れられないものであった。それを、ザウテルは弁護しようというのだ。いくら弁護人の人権が保証されているとはいえ、法廷を出れば、世間の冷たい視線を逃れることは不可能であった。そして――
「静粛に!……弁護人は姓名と身分を」
「はい!……セルジオ=イェールドと申します。アジェナで鉄工所をやっております」
彼もまた、友情のために世間からの謗りを恐れぬ、勇敢なる人物であった。誰もなり手のなかった弁護人の役目を、彼は自ら買って出てくれたのだ。博士は断ったが、彼の決心はついに変わらなかった。
「では、監察局は質問を始めて下さい」
二人の神節典への誓いが済むと、裁判長は言った。
「質問に入る前に、監察局は証人の入廷を要請します」
「許可します。証人を入廷させなさい」
監察局側の扉から入ってきたのは、恰幅のいい初老の紳士であった。襟の上に溢れた二重顎は、彼の日頃の運動不足を露呈していた。
彼の出現に、博士が小さく息を呑むのが聞こえた。
「証人は姓名と身分を明かしなさい」
「ベルンケット=アルスハイル。王立院博学会附属船舶研究所の所長を務めております」
博士の昔の共同研究者か……その姿は実に対照的であった。熱機関の権威としてその名を馳せたが、六年前の謎の引退で過去の人物となり、今では犯罪者の烙印を押された博士に対し、アルスハイル氏は、先月就航した有鰭推進船アルックス号によって、今や時の人であった。そういえば、学術誌『エテンリード』では、人工鰭について、『アルスハイル・ガリオネッティ鰭形』と書かれていたようであった。
シャルピ卿はアルスハイル氏の前に立った。
「ではアルスハイル所長、あなたと被疑者との関係について述べて下さい」
「はい。私とガリオネッティとは、十一年前まで博学会で熱機関の研究に携わっていました」
「なるほど。十一年前と言われましたが、それ以降は?」
アルスハイル氏は、取り出したハンカチで額に浮かび始めた汗を拭った。
「ちょっと事情がありまして、彼とは別れました」
「どんな事情か、よろしければお話し下さい」
「……意見の相違です……」
「と、言われますと?」
氏は、チラリと博士の顔を見た。
「……その頃、我々は新しい研究として、アルスハイル・ガリオネッティ鰭形を開発したばかりでした。皆さんももうご存じかと思いますが、この鰭形には、九十六オルクガールもの船体を海面上に浮かせる力があります。彼は、この人工鰭があれば、空を飛ぶことも不可能ではないと言い出したのです」
傍聴席からは驚嘆の息が漏れた。氏はしきりに顔をこすった。
「科学的には、空気も水も同じ流体だから、質量と速度さえ条件を満たせば……と彼は言いました。私は自分の耳を疑いました。彼が、そんな主をも恐れぬ言葉を口にするとは……しかし、彼は本気でした。私は必死に諭しました。悪しき考えに取り付かれた彼を、何とか助けようとしました。……それでも、彼の考えは変わらなかったのです……」
そう言うと、アルスハイル氏は顔を伏せた。
「それで袂を分かったと……」
シャルピ卿の言葉に、氏は黙って領いた。
「そうですか。ありがとうございました。惜しむらくは、十一年前に告発して下さっていたなら、彼もこれほどまでに大きな過ちを犯すことはなかったでしょうに……」
哀れむような顔付きで、シャルピ卿は被疑者席の博士を見つめた。
「すみません……彼とは長い付き合いだったものですから……」
噴き出す汗を拭いながら、氏は落ち着きなく瞳を動かしていた。
私は隣りを見た。白状するが、その時の私の心を占めていたのは、同情ではなく、好奇心だったのかも知れない。旧友に告発された博士の顔を見たい。それは不謹慎な考えだったろうが、私はその衝動に耐えられなかった。
レンズの奥の灰色の瞳は、真っすぐ正面を見据えていた。眉間に刻まれた皺や、固く結ばれた口元は、特に苦悩を覚えた様子ではなく、むしろ頑強な意志を感じさせた。動揺――そんな気配がどこにあっただろう。博士は盤石の重みを以て椅子に座っていた。守るべき地位や肩書のない者の強みなのか、自分の信じる道を固く守ろうとする者の強さなのか――博士の落ち着き払った態度の前では、主への忠誠を尽くしたアルスハイル氏の方が、卑賤で矮小な存在にさえ見えるような気がした。
シャルピ卿は、弁護人席の前へと立っていた。
「では、ガリオネッティの弁護内容を伺いましょうか」
慌ててセルジオ工場長は立ち上がった。
「恐れながら申し上げます! ガリオネッティ博士は、フィルソルフィアナ図書館の館長になられてから……六年前になりますが……その頃から、私共の工場の機械の調子を見てもらっておりまして……時には修理もして頂きました。もちろん無償でです。それに今回の鋼銀の件にしても、博士はすべての権利を工場に譲るとおっしゃって……」
「ああ、ちょっと失礼……」
手にした帽子を握り締めながら懸命に話す工場長を、シャルピ卿は右手を上げて遮った。
「鋼銀の特許申請はガリオネッティの名義で出されていますが?」
「それは私が書いたものです。お世話になっているばかりでは申し訳ないと思いまして……」
工場長はチラリと博士を見た。
「なるほど……工場長、あなたは被疑者の人格を評価し、彼に好意を抱いている訳ですね?」
卿は、工場長の顔を覗き込みながら、弁護人席の前をゆっくりと往復した。
「そうです! 博士は立派な方です!」
「では、情状酌量を求めるのですか?」
「え?」
工場長の唖然とした表情に、シャルピ卿は肩をすくめた。
「違うのですか?……疑被者の人徳について語るのは結構ですが、容疑に対して異議を唱えるのであれば、冤罪であるという証拠を提示して頂かないと……例えばあなたの場合、工場で製造した鋼銀を、昇空機の部品としては使っていなかったと断言できますか?」
遺憾ながら、シャルピ卿の指摘は的確であった。工場長は大きく動揺していた。
「……はい! 公爵様は、新しい事業にお使いになるとおっしゃっていました!」
「どちらの公爵ですか?」
「クロネッカ公爵様です!」
卿は苦笑した。
「残念ですが、被疑者の発言を証拠として採用する訳には行きませんね。他に証明するものはありますか?」
必死に思案したようだったが、工場長はやがて首をうなだれた。
「……ございません。……しかし、私は公爵様を信じております。博士の家にあったという品物も、きっと何かの間違いだと……」
「工場長、あなたの勇気には敬意を表します」
一息つくと、シャルピ卿は言った。
「これほど重大な容疑をかけられている者に対し、弁護人を買って出るなど、なかなかできることではありません。……しかし、あなたの目に映ったものが、真実のすべてとは限らないのですよ。……あなたは、被疑者が博学会を辞めた理由についてご存じですか?」
「……いえ……」
まさか?!……監察局は事の真相を知っているのだろうか?……
シャルピ卿は、席からファイルを持ち出していた。
「六年前、被疑者にはネイド=ミルスプリングスという助手がいました。彼が博学会を辞めたのは、この助手を実験中に誤って死なせてしまったからだという証言があります」
「異議あり!」
私は声を上げた。
「監察局の発言は、この問題には全く関係ありません!」
「異議を却下します。監察局は続けなさい」
ロゼット裁判長は、冷淡とも思える口調で言った。シャルピ卿は頷いた。
「助手のミルスプリングスに関しては、当局に死亡通知が出されておりません。また、押収した証拠品の中には、彼の筆跡とおぼしき文字で、昇空機の強度計算を行ったものも含まれております。これは私の推測ですが、助手のミルスプリングスは六年前、被疑者と共に昇空機を製作しこれに搭乗、実験に失敗して亡くなったのではないかと思われます」
ファイルを置くと、卿は再び工場長の前へと立った。
「六年前、人を一人殺しておきながら、今またクロネッカ公爵を教唆して、共に主に刃向かおうとする被疑者の人格を、疑問視したくなるのは私だけでしょうか?」
「異議あり! 監察局の発言には、推測だけに頼った不適当な言葉が使われています」
唱えたのはザウテルであった。
「異議を認めます。監察局は誤解を招くような言葉を控えなさい」
しかし、シャルピ卿の言葉に、工場長は尋常ならざる衝撃を受けたようであった。
「……そんな……信じられません……」
工場長は頭を振った。
「お気持ちはわかりますが、人の心ほど不確かなものはないのですよ。それでも被疑者を弁護するつもりであれば、確固たる証拠を示して頂かないと。その方が博士も喜ばれることでしょう。よろしいですか?」
シャルピ卿の言葉は、幼子の過ちを諭すように異様なほど柔らかかった。工場長は、なけなしの牙をもすっかり抜かれてしまったようであった。
「……わかりました……」
消え入るような声で言うと、彼はゆっくりと椅子にくずおれた。
監察局席のマイローウィッツ卿は、沈黙を守ったまま私の顔を見つめていた。そのわずかに吊り上がった唇の端は、この裁判の好ましからざる結果を既に暗示していた……




