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銀翼のキセキ ―空を封じられた世界で―  作者: 刹那メシ
第三章:赤き志

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第6節:覚悟

 牢の中で一夜を明かした私は、次の日、四十五オルクギネッツで保釈された。

 屋敷に帰った私を待っていたのは、叔父の拳だった。私は、広間の床に叩きつけられた。

「お父様?!」

 アルキュオネが止めに入った。叔父は、憤りの余りすっかり蒼ざめた顔と血走った目で、床に伏した私を睨みつけた。髪の毛が逆立ち、ざわめいていた。

「お前という奴は……恥を知れ! 家督相続の日、私はお前に何と言った?! 『良く』生きよ! 私はそう言ったはずだぞ! それを……よりによって主に逆らうとは……お前は一体何を考えているのだ?!」

 息を荒げながら、叔父は怒鳴った。

 強く脈打つ、火のように火照った頬を押さえながら、私は立ち上がった。

 昨夜一晩、一睡もしないまま、私は考えていた。そして覚悟を決めた。恥ずかしい話だが、その時私は、こうなるまで、私の覚悟が決まっていなかったことに初めて気付いた。私の目は、成功か失敗かだけに向けられていて、聖摂院への発覚という可能性をすっかり見落としてしまっていた。死の覚悟がない限り、真理の追究などできはしない――図書館で初めて会った時に博士が言ったその言葉は、亡くなったクリスの兄、ネイドのことを考えてのものだったのだろう。しかし、それは今の私にとっても重要なことであった。考えてもみるがいい。 重力の発見者ハルペルドは無事に済んだか? オートリュースは? ムフリッドは? ギルバランスはどうだ? 彼らは、正義ならざる真理のために命を賭けた。人はそれを愚かだと言うだろうか? 世の流れに逆らわず、漂うがままに生きた方が得だと……

 私は博士に、自分の信念は、信ずるに足るものを信じることだと言った。しかし、父が死ぬまでの私は、それを口に出しはしなかった。私の信じるものは、世に言う正しきことではないと知っていたからだ。それは、ある意味では賢かったのかも知れない。しかし、日和見の信念など、なきに等しいものであった。

 二十数年前、ゴメイサの沖で沈没した豪華客船ヴィカラーラ号を潜水球が調査した時、犠牲となったザウテルの両親、エッセンニーカ公爵夫妻は、ソファーの上で寄り添ったまま、まるで眠るような姿で発見されたそうだ。死を覚悟した者がとった、最期まで人聞の尊厳を失わない美しい行動ではないか。誰もそれを愚かしいとは思わないだろう。

 私は、信念に殉じようと思った。それが人としての最も美しい姿だと……そこには、英雄的自己犠牲への陶酔があったのかも知れない。しかし、天が白み始めた頃、凪の水面のように穏やかな心で、導いた決意がそれであった。

「……叔父上は、私自身のために、ともおっしゃいました。私自身のために『良く』生きよと……。これが、私の選んだ『良き』ことなのです……」

 目を見開いた叔父は、全身を震わした。

「馬鹿者が! お前のしたことのどこが『良き』ことなのだ?! お前はクロネッカの人間である以上、クロネッカ家当主として『良く』生きねばならんのだ! 家を潰して何とする?!」

 叔父の今までにない剣幕も、私の目には、どこか遠くの出来事のように映っていた。叔父は、私を見ながら、私でない何者かに怒鳴り散らしているように思えて、私はそれが奇妙でならなかった。

「では、叔父上は何を以って『良き』こととされるのです? 父のように無難に生きることですか?」

「黙れ! お前の父は『良く』など生きてはいなかった。だから早死にしたのだ! 私があれほど言ったのに!……」

「お父様、それは言い過ぎです!」

 私に歩み寄った叔父の後ろで、アルキュオネが声を上げた。

「叔父上とて同じでしょう。あなたは、地方領主として無難に毎日を過ごしているだけではありませんか」

「何だと貴様?!」

 叔父は襟首をつかみ上げた。

「やめて、お父様! ラスティも!」

 しがみつくアルキュオネを強引に振り払って、叔父は私の喉を絞めつけた。

「当主の苦労もろくにわからぬ青二才が、生意気な口を叩きおって……」

 震える叔父の腕を、私はゆっくりと掴んだ。

「では、叔父上にとって『良き』こととは一体何なのです? 人をあやめず、欺かず、物を盗まず、安息日に教会に足を運んでいれば、それで『良き』ことなのですか?」

「違うというのか?! 法や道徳に背き、己れの思うがままに生きることが、『良き』ことだとでもお前は言うつもりか?!」

「欲望と心の渇きとは違います。空を飛ぶことは、私の夢です。そして、それはきっと叶うと信じています。私は心を満たしたいだけで、主に逆らおうという訳ではないのです」

 突き飛ばすようにして、叔父は手を離した。

「何と言おうが、結果として主に逆らっているではないか……いいかラスティリアード、お前が見ているのは悪夢だ。早く目覚めるんだ!」

「……私は、父のように人生を空虚に生きたくはありません。生きている証が欲しいのです。生を十分に生きるためにも、私は自分の信じるものを捨てることはできません」

 襟を直す私に、叔父は頭を振った。

「お前の話していることは理想論だ。もっと大人になって現実を見つめろ!」

 私は眉をひそめた。

「そもそも、『大人になる』とはどういうことなのです? 前から不思議に思っていました。何故人は『大人』と『夢』を相容れないもののように言うのでしょう? 何故、若さそのものが過ちであるように言うのですか? 夢を諦めることが、そんなに賢いことなのでしょうか? 『大人』になることが、どうして偉いことなのです?」

「ラスティリアード、今はお前の哲学を聞くつもりはない」

 叔父は肩をすくめた。

「いいえ、聴いて下さい。夢は心の糧です。そして、心こそが人間本来の持ち物ではありませんか。『大人』になることで、借り物の『知』や『理』の殻を厚くしたところで、その人の本質は何も変わりはしないのです。『知』や『理』が価値のないものだとは言いません。しかし、所詮それは『技』でしかないのです。それを用いるのが『心』ではありませんか。どうしたら夢を叶えられるか、それを考えるために『技』があるのであり、『技』のために夢を捨てるのは、『心』のない機械に等しいものだと私は考えます。機械を、あれは『生きている』と言うでしょうか。……呼吸をし、食事を取れば、人は確かに『生きている』かも知れません。しかし、『良く生きる』ためには、手段に従って求めることを見失うべきではないと思います。従うべきものは心なのです! それこそが『良き生き方』なのではないでしょうか?!」

 うんざりしたように、叔父は息をついた。

「……わかったようなことを……」

「いいえ、私にはラスティの言うことがよくわかります!」

 私と叔父は驚いて顔を向けた。アルキュオネだった。

「お父様は、『大人』という言葉を、夢を諦めてしまった言い訳にしているんです。以前よく言われていたではありませんか。ラスティは私の夢だと……彼なら、亡き伯父様の轍を踏むことはないだろうと……あれは、一体どういう意味だったのです?! 私は、お父様が果たせなかった夢を、ラスティの裡に託しているのだと思っていました。でも違う! お父様は、ラスティを自分の手の中に入れておきたいだけなのです! ラスティや私は、お父様の操り人形ではありません! お父様と違って、私達には心に望むものがあるのです! それにまで干渉する権利は、『大人』になってしまったお父様になんかないはずだわ!」

 思い詰めたような彼女の表情を、私は初めて目にしていた。お転婆な従妹という印象しかなかったアルキュオネだが、叔父に向けられたその鮮烈な抗議のまなざしは、彼女もまた、裡に秘めたるものをしっかりと持った女性だということなのか……

「……アルキュオネ、お前までがそんなことを……」

 叔父は唖然としていた。娘の思わぬ言葉に、すっかり気圧されてしまったようであった。

「いいか、ラスティリアードもお前も間違ったことを求めているのだ。それを正してやるのが、『大人』である私の役目ではないか! 何故それがわからない?!」

 腕を振り回す叔父の口調は、しだいに懇願に近いものとなっていた。

「ですから、心の渇きと欲望とは違うのです。欲望は、それ自体罪なことかも知れません。しかし、心は……そう、例えるなら、金メッキの匙のようなものです。仮に、叔父上の忠告に従って行いを改めたとしても、厚くなるのは『知』と『理』のメッキだけです。金は金からしか作れないように、心は内側からしか変われないのです。メッキは見せかけに過ぎず、それが中の金属を金にすることは、例え数千年の時を経てもできることではないのですから……」

 私は言った。それは、不浄の地で博士が話したことだった。世の多くの人が主の存在を信じて疑わないように、私は、空を飛べると確信している。心がそう求めるのだ。理屈や道徳がそれを否定しても、我々は、心の希求を打ち消す術を知らない。ではどうすればいいのか。……それは主のみが知るところであった……

「……では、考えを改め、聖摂院に謝罪するつもりはないのか?……」

 額に脂汗をにじませながら、叔父は声を絞り出した。

「はい。何人も、人の心までを裁くことはできませんから……」

「できなくとも、お前は裁かれるのだ!」

 静かに答えた私に、叔父は喚いた。

「主への反逆は、死を以って償わなくてはならん! お前はそれでもいいのか?!」

 私は深く息を吸った。今朝の想いが心に蘇った。そして思い出した。博士と握手を交わしたあの日、私は確かに約束したのだ。

「私は、信ずるもののために死を選びます」

 その声は、凛とした響きを持って広間に広がった。

 沈黙があった。

 やがて、叔父は、糸の切れたように床へと跪いた。

「……おお主よ、我が愚かなる甥に、どうか御慈悲を……」

 虚ろな瞳で、叔父は天を仰いでいた。

「しばらく休ませて頂きます……」

 頭を下げると、私は、惚けたような叔父の横を通って広間を後にした。

 すべては終わったのか?……いや、これからが始まりなのかも知れなかった……


* * *


 寝室のドアがノックされた。

「ああ、そのままでいいわ。疲れてるんでしょう?」

 ベッドの上に身を起こした私に、入ってきたアルキュオネは言った。カーテンを引いた薄暗い寝室で、彼女はベッドの隅に腰を下ろした。

「叔父上はどうしている?」

「部屋で休んでるわ」

「そうか……」

 後の会話が続かないまま、しばらく時が過ぎた。

 アルキュオネが言葉に迷っているのは、気配でわかっていた。私は目を閉じた。

「叔父上に何か言われたのだろう?」

 私の言葉に、彼女は驚いたようだった。

「えっ?!……ええ……ちょっと、縁組の話があってね」

「へえ……相手は誰だい?」

 彼女は息をついた。

「……リーデンブロイのハイスよ……」

「そうか、それで……」

 私は苦笑した。アルキュオネが、幼い頃からハイスを嫌っているのは知っていた。

「冗談じゃないわ、誰があんな自分勝手な男と……」

「そうかい? それを言うなら、ザウテルだって同じだろう? 」

「違うわ! 彼は奔放なのよ」

 少しムキになる彼女に、私は天井を見上げたまま微笑んだ。

「でも、アーネがあんなことを言ってくれるとは思わなかったよ」

「私にだって、自分の人生について思うところはあるわ……」

 彼女は苦笑した。

「……それより、私は、ラスティの方こそあんなことを言うとは思わなかった。もっといい子だと思っていたから……」

「いい子でなくて悪かったな」

 二人は笑った。しかし、彼女の声には張りがなかった。やがて、息を整えて彼女は言った。

「どうするの? これから……」

「さあ……どうすればいいと思う?」

「私にはわからないわ。新聞であなたのことを知った時、正直言ってやっぱり驚いたもの。どうしてそんなことをしたんだろうって……。それがラスティの夢だったら仕方ないけど、そう願うことが、果たして正しいことなのか間違ったことなのかは、私にだってわかるはずがないでしょう?……ただ……」

 そこで、アルキュオネは躊躇した。

「ただ?」

「ただ……私だって、鳥のように空を飛んでみたいと思ったことはあるわ……そう考えることが、そんなにいけないことなのかしら?……」

 急激な睡魔に捕らわれつつあった私は、浅いまどろみの中で、彼女の意外な言葉に驚きを感じていた。

……もしかすると、人が鳥に憧れを持つのは、至極当然のことなのかも知れない。かつては空を飛ぶことができたはずなのだから……ただ、胸の奥で頭をもたげるその感情を、人々は 押し殺しているのだ。それが悪しきことだと信じ込んでいるから……だが、そう思うことが何故悪しきことなのだ?……私の閉ざされた未来を開く鍵は、きっとそこにある。

 私は眠りに落ちた――

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