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銀翼のキセキ ―空を封じられた世界で―  作者: 刹那メシ
第三章:赤き志

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第5節:氷の裁断者

 高い塀に囲まれた赤煉瓦の建物。その門をくぐるのは、決して名誉なことではなかった。

 聖摂院監察局。創設以来二百年を迎える。私が尊敬する科学者の多くは、幾度となくこの門をくぐったという。中には、二度と外の土を踏めなかった者もいた。

 私は、南向きの小さな一室に通されていた。黒檀のテーブル、鎧牛革の椅子、窓際にはトゥシャラの鉢植えも置かれ、ちょっとした応接室のようであった。しかし、窓ガラスは埋め込み式で決して外れることはなく、窓枠は鋼鉄製であった。ドアの外には憲兵も立っている。待遇は良くても、所詮被疑者の立場であることに変わりはなかった。

 やがて、一人の人物が入ってきた。制服の胸には、金の雷の刺繍が入っている。どうやら、彼が私を尋問するらしかった。その彫りの深い顔立ちと、後ろへ梳き上げた銀髪には見覚えがあった。

「わざわざの御足労、恐縮です。私はカルギール=マイローウィッツ。監察局の査問官を勤めております。本日は、私が公爵様に二、三伺わせて頂きます。どうかよろしく」

 彼は頭を下げた。

 思い出した。カルギール=マイローウィッツ。その冷厳な勧善懲悪振りから『氷の裁断者レヴィ・ル・ディスカル』の異名を持つ、監察局一の名査問官であった。叔父が縁組を薦めていたのは、彼の娘ということか……

「早速ですが公爵様、八日前の乙の月四日、あなたはどちらにおられましたか?」

 八日前?……確か、不浄の地で飛行訓練をしていたはずだが……

 私は愕然とした。何ということだ! あの日、上空から見かけた赤い物体は、監察局の公用車だったのだ! 何故、あの時確認を怠ったのか?!……しかし、確認したところで手遅れだったのでは……いや、何かしらの手を講ずることはできたはずだ!……頭の中を、目まぐるしく思考が駆け巡った。

「いかがなさいました?」

 マイローウィッツ卿は、その凍てつくような蒼い瞳で私の顔を覗き込んだ。

「いえ。八日前ですね……」

 平静を装いながら、私は必死に考えていた。落ち着け。我々が不浄の地を実験場所に選んだ一番の理由は何だ。聖摂院の目が届かないからではないか。不浄の地に足を踏み入れてはならない――それが聖摂院の教えだ。ということは、監察局の方も教えを破ったことになる。つまり、私が今ここで嘘の返答をしても、彼らにはそれを嘘だと証明することはできないはずだ。少なくとも、私が不浄の地に行っていたという確固たる証拠を、彼らは持っていても示すことはできまい。

「……確か、エルバリの森まで遠出していたはずですが……」

 ゆっくりと私は答えた。

「それを証明できる者はおりますか?」

「私が嘘をついているとでも?」

 私が言うと、マイローウィッツ卿は苦笑した。

「決してそのようなことは……ただ、これが私の仕事ですので」

「おりません。エルバリには、角馬に乗って一人で行きましたから」

「そうですか。お一人で……」

 卿はファイルを取り出した。

「では、アルベルト=ガリオネッティという人物についてはご存じでしょうか?」

 ……なるほど、不浄の地からの帰りをつけたのか。とすると、当然博士のところにも監察局の手がまわっているだろう。

 私はハッとした。ラムさんが危ない! この国で、異教徒が辿る運命は決まっていた。逃れようのない死である。

「公爵様?」

「……ええ。よく存じています。熱機関の大変な権威だった方ですから」

「では、彼が今何をしているのかは?」

「どこかの図書館の館長をされていると聞きましたが」

「ほう……」

 卿は顎をさすった。

「公爵様は、なかなか聡明な方でいらっしゃいますな。よろしいでしょう」

 彼は、ファイルの中から一枚の書類を取り出した。

「実は、王立院商工会の方に、アルベルト=ガリオネッティの名義で、このような新素材製造の特許の申請が出されています」

 博士が特許を?……私は不審に思った。

「これによりますと、赤岩を熔解し、これを電気分解することで鋼銀なる金属が得られるとありますが、これはご存じで?」

「いえ……」

 卿は私の顔を見た。

「そうですか? しかし、この素材の試作を行ったザウラク鉄工所では、クロネッカ家との契約が交わされておりますよ。更に……」

 もう一枚の書類が取り出された。

「その新素材の材料となる赤岩は、辛の月二十日に、ブリザルディア家のギアンサル鉱山から五万ガールがクロネッカ家に譲られ、先の鉄工所に運ばれたとありますが……」

 卿が示したのは、赤岩の受領書であった。さすがは名査問官、調査に抜かりがなかった。

「……調べられた通りです。私は、博士の支援者として鋼銀の開発を手伝わせて頂きました」

「では、ガリオネッティ氏とは面識がおありなのですね?」

「そうです……しかし、それが主への反逆とどう関係があるのです? 私にかけられた容疑とは一体何なのですか?」

 私は、喉元に突き付けられた両刃のナイフをゆっくりと押し返してみた。両刃である以上、一方だけ無傷では済まない。鋼銀と昇空機を結び付ける要素は何もないのだ。彼らが開き直らない限りは……

「実はですね、ガリオネッティ氏は六年前、彼の著書『鳥の栄光と大気の技』の中で、主の教えに背く意味の記述をし、博学会から追放されているのですよ。それで今回も、この新材料で、著書にあった『空を飛ぶための機械』なるものを作っているのではないかという疑いがありまして……」

 卿は、指先で机をコツコツと叩いていた。

 虚言は明らかであった。彼は、その二つを無理に結び付けようとしている。

 私は微笑んだ。

「それは違いますね。博士の著書にそんな記述はありません。博士が述べたのは、大気を流体として捉えたなら、その特質上、はばたくという概念を用いなくても飛行できる可能性が……」

 あるということだけです――その言葉は声にならなかった。私は息を呑んでいた。

 しまった! 鎌をかけられた!……マイローウィッツ卿は、始めからそのつもりで『空を飛ぶための機械』などと……

 卿は両手を組んだ。唇の端がわずかに吊り上がった。

「……そうですか。あの禁書をお読みになりましたか。まあ、前諮問会委員長の御子息でいらっしゃいますから、別にお読みになられでも不思議ではございませんな。スプレッツァード公は、禁書を集めるのが御趣味だったようですし……」

 私は黙っていた。黙りながら、己れの愚かさを呪っていた。奥歯が軋んだ。

「問題は、それを読んで、公爵様がどのようにお感じになられたかということです。ここに、初等院の時のあなたの同級生、ハイスミネア=ザカール=リーデンブロイ公の証言があります。リーデンブロイ公はご存じですね?」

「……ええ……」

 初等院一の餓鬼大将、ハイスのことであった。

「公のお話によりますと、公爵様、あなたは幼い頃、しきりに空を飛んでみたいと話していたそうですが?」

「そうです……しかし、それは幼い子供の戯言ではありませんか。今更大袈裟に問いただすようなことではないと思いますが」

「しかし、幼い頃から空への憧れを胸に抱いていた人が、ガリオネッティ氏の著書を読んで、ますます夢を膨らませたということは考えられないでしょうか?」

 私は息をついた。

「可能性はありますが、事実ではありません」

「そうですか?」

 卿は眉をひそめた。私は立ち上がった。

「あなた方監察局は、そんな憶測の積み重ねで人を犯罪者に仕立て上げるのですか?! 私はおろか、博士にだって、『空を飛ぶための機械』を作っているという明白な証拠はないというのに!」

 声を荒げた私の顔を、マイローウィッツ卿は冷ややかなまなざしで見つめていた。

「……できることならば、御自分で罪をお認めになって頂きたいと思ったのですが……」

 卿の的のはずれた言葉に、私は苦笑した。

「何故、私が身に覚えのない罪を認めなければならないのです?!」

「そうですか……では仕方ありませんね。証拠ならあるのですよ」

 卿は再びファイルを聞いた。証拠が?!……開き直るつもりなのだろうか?……鼓動が高鳴った。

「実はですね、かなり以前から、市民からの通報が相次いでいるのですよ。内容はどれも同じ、奇怪な飛行物体を見たという通報が……」

 通報?……

「何を馬鹿な……」

「いいえ。それをカメラに収めたという目撃者もいるのですから。これがその写真です」

 写真だと?!……私は、卿が差し出した一枚の写真を奪うようにして受け取った。瞳孔が開かれた。私は慄然とした。

 粒子の粗い写真には、それでもハッキリと昇空機が写っていた。グラフィアス号に間違いなかった。こんな馬鹿なことが?!……

 卿は平然と腕を組んでいた。

「どうです。まさに奇怪な物体でしょう。その翼とおぼしき部分に刻まれた紋章も、ご覧頂けると思いますが……」

 翼の紋章?!……目を細めた私は、次の瞬間、大きく大地が揺らいだような錯覚を覚えた。悪夢を見ているようであった。そこに刻まれていたのは、盾に翼の生えた、紛れもないクロネッカ家の紋章だったのである!

「……いかがでしょう。潔く罪をお認めになられては? それだけ明白な証拠があるのですから」

卿の声は、私の耳には入っていなかった。こんなことがあるはずがない! その言葉だけが、頭の中で割れるように響いた。

「主に背いて空を飛んだ気分はいかがでした? 伝説の巨鳥グラフィアスに跨り、英雄気分で見下ろした下界の眺めは、さぞよろしかったことでしょうな」

 卿は笑った。私は全身を震わしていた。

「嘘だ!」

 叫びが迸った。

「こんなもの、デタラメに決まっている!」

 私は写真を叩きつけた。卿は顔をしかめた。

「公爵様、悪あがきはかえってクロネッカの名に傷を残しますよ。それと同じ物を見たという目撃者が、現に多数……」

「目撃者だって?! そんなものがいる訳がない!」

「何故そんなことがわかるのです?!」

「当然だ! あんな所に人なんかいるはずがないんだ!」

 私は絶叫した。

 卿は、床に落ちた写真をゆっくりと拾い上げた。

「……今……あんな所と、おっしゃいましたね?……」

 その落ち着き払った声音と、蒼く鋭い視線に、それが意味するところを悟って、私の精神は芯まで凍り付いた。

「この写真の背景には、天しか写っていない。それなのに、あんな所と……あんな所に人なんかいるはずがないと……どうしておわかりになったのでしょう?」

 ……何かが崩れ去った。

 一度に、数百数千の飛車や角行で王手をかけられたようであった。それは、罪が露見したことに対する衝撃や、罪人になる恐怖ではなかった。何か、自分というものを作り上げてきたすべての要素が、一気に弾け飛んだ――そんな感じだった。

 強烈な虚脱感に襲われて、私は椅子に倒れ込んだ。博士の声が聞こえた。……自分の考えに陶酔するのはいいが、安易に本心を曝け出すものではないよ。真理は時として正義ならざるものだからね……

「容疑、確定ですな」

 卿が言っていた。呼び鈴が鳴らされた。

 シャルピ卿が入ってきた。彼の手には、グラフィアス号の模型が載っていた。

「それは?……」

 私は呆然と呟いた。

「写真に写っていたのは、実はこの模型だったのですよ」

 マイローウィッツ卿は模型を手にした。翼には、確かにクロネッカ家の紋章が刻まれていた。

「謀ったな……」

 呻くような私の呪わしい言葉に、卿は苦笑した。

「ええ、確固たる証拠が欠けていましたからね。大変でしたよ。写真を本物らしく見せるために六日を要しました」

「六日?」

「ええ。この模型は、六日前にガリオネッティ氏の家で発見したものです」

 模型と写真とを満足そうに見較べながら、卿は言った。

「博士は、七日前から昨日まで留守にしていたはずだ……」

「おお、よくご存じで。そうです。ですから、氏にはお断りせずに拝借しました。……では、氏の家に、他に二人の女性が暮らしていることも既にご存じなのでしょうな。こんな模型や設計図が部屋中に散乱しているところを見ると、その二人もおそらく無関係ではないのでしょう」

「家宅侵入は立派な犯罪だぞ!」

 身を乗り出した私の肩を、背後に立っていたシャルピ卿がつかんだ。マイローウィッツ卿は息をついた。

「……大罪を暴くためです。致し方ありません」

 そう言うと、卿は憤る私の顔を凝視した。

「公爵様、あなたの髪の色がもしも金色でなかったなら、我々もこれほど目くじらを立てずに済んだのですがね。放っておいても、死があなたを裁くでしょうから……しかし、この銀色の機械は実に飛びそうな姿をしている。それがいけなかったのですよ」

「……飛びそうなのではなく、飛んだ姿を目にしたから慌てたのだろう?」

 私は、最後のあがきを試みていた。

「公爵様、不用意な発言はお控えになった方がよろしいですよ。すべては裁判での証拠となりますから……」

 ファイルを閉じると、模型を手に卿は戸口まで歩き、そこで振り返った。

「そうそう、ウィリアード公からお話のあった縁組の件ですが、あれは断らせて頂きます。うちの娘を、犯罪者の妻にする訳には参りませんからな」

 ドアが閉じられた。

 シャルピ卿が頭を下げた。

「公爵様、ご案内致します……」

 行き先は分かっていた。最も設備の整った、鉄格子の中であった……

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