第11節:鋼銀の輝き
外では秋の虫が鳴き始めていたが、工場の中は蒸し風呂のようで あった。鋼銀の精錬には巨大な電力を要する。この鉄工所に供給されている電力でも足りないくらいなのだ。電灯や換気扇など、精錬に直接関係のないものに対しては、極力電気を使わないことにして、作業は進められていた。
工場の隅で廃棄処分になるのを待っていた旧式の熔鉱炉の中では、ドロドロに溶けた赤岩の灼熱の熔湯が、暗い工場内を赤く照らし出していた。カーブとパリナ製の電極が浸けられてから、既に二時間が過ぎようとしている。裸に近い格好で、ジャバ達作業員に指示を与えるラムの姿を、私と博士、クリス、それに工場長のセルジオ=イェールド氏は、その上に張り出した通路の上から見つめていた。
やがて電源が切られた。熔湯の中から、ゆっくりと電極が引き上げられる。幅四リル、長さ五リルの陰電極には、赤く光る巨大な金属塊が付着していた。電極は冷却水の中に入れられた。途端に、水は激しい悲鳴を上げながら真っ白な蒸気を吹き上げ、それは工場の中一杯に立ち込めた。
電灯がつけられた。
「もう降りられても大丈夫ですよ」
熔鉱炉の蓋が閉ざされると、額に大粒の汗を浮かべたセルジオ工場長が言った。彼以上に汗だくになった我々は、階段を降りて、電極を冷やしている水槽のそばへと歩み寄った。まだ湯気を立ち上らせている水槽の中には、うっすらと灰色の塊が見えていた。
「よし、引き上げて!」
起重機を操作している作業員に向かって、ラムが声を張り上げた。モーターが低い捻りを上げ、鎖が引かれた。しばらくして水面が盛り上がると、飛沫を上げて鋼銀の塊が姿を現した。
私は眉をひそめた。おそらくは博士も、クリスもそうしたことだろう。
鋼銀――その魅力的な響きとは裏腹に、水から上がったものは、まるで光沢のない灰色の石くれであった。
「……これが、新素材?……」
セルジオ工場長も気が抜けたようであった。
「そうです、これが鋼銀です」
ラムがやってきた。まるで頭から水をかぶったようだった。袖のない麻のシャツに、土色の作業用ズボン、額の刺青を隠す緑のバンダナといういで立ちの彼女は、汗ですっかり服が肌に張り付いて、体の線が透けてしまっていた。
「ただ、これはかなり純度の低いもので す。純粋な鋼銀を得るためには、この塊を更に熔湯にし、何度も電気分解する必要があります」
「何度も、というと?」
工場長がおずおずと尋ねた。
「そうですね……ここの電力からだと、五回の精錬で約九割の純度でしょうか」
「千三百オルクウェルト時で十時間?!」
工場長は唖然となった。その顔にラムは苦笑した。
「しかし、それだけの価値ある金属が出来ることは確かです」
「価値ある、ねえ……」
鎖に吊された金属塊を見上げる工場長の顔色は浮かなかった。
「すみません。精錬にかかる費用は、すべて我が家が負担しますから」
私が頭を下げると、工場長は慌てて手を振った。
「そんな! 頭をお上げください、公爵様。一度結んだ契約ですから、仕事は最後までキッチリやらせて頂きます!」
* * *
精錬を始めて六日目の夜、私はセルジオ工場長と二人きりになる機会を得た。
「工場長は、ガリオネッティ博士とは随分親しいようですが……」
工場長室で、彼自慢の濁酒のグラスを傾けながら、私は尋ねた。
「ええ、博士とは五年越しのお付き合いになります。機械の修理や調整を、いつも無償でやってもらっておりまして……」
「無償で?」
「はい。それではこちらの気が納まらないと言うのですが、機械をいじるのは自分の趣味だからと言われて、どうしても謝礼を受け取ってもらえないんです。そのうち、こちらもその好意に甘えてしまって……申し訳なく思っております」
濁酒の入ったグラスを揺らしていた工場長は、ふと顔を上げた。
「公爵様、僭越なのを承知でお願い致します。今精錬中の金属で何か事業をお起こしになるおつもりでしたら、どうか博士を雇って頂けないでしょうか? あの人は、あんな寂れた図書館に埋もれているべき人じゃない。……何故博学会を辞められてしまったのか……」
工場長はグラスを置くと、テーブルの上に両手をついた。
「公爵様、どうかよろしくお願い致します!」
テーブルに擦り付けられた工場長の白髪混じりの頭を、私は深い感慨を持って見つめていた。……博士はいい友人を持っている。この人ならば、博士が博学会を辞めた本当の理由や、鋼銀の本当の使い道を知ってしまっても、友情の絆を絶つことなく付き合ってくれるかも知れなかった……
「工場長、頭を上げて下さい」
ゆっくりと私は言った。
「詳しくは言えませんが、あの鋼銀で事業を起こすのは博士の方なのです。私はそのお手伝いをさせてもらっているだけで……」
その時、部屋の壁に据え付けられたベルが鳴った。
「……どうやら、出来上がったようですよ 」
* * *
最終段冷間圧延機の前には、ちょっとした人だかりができていた。彼らの目は例外なく、低い唸りを上げて回転する圧延ローラの隙間へと注がれていた。
やがて回転音が変わった。暗く狭い空間の中から姿を現した未知の金属に、観衆からはどよめきが沸き上がった。
誰がその姿を予想できただろうか。あの脆く崩れやすい赤岩から、電極にへばり付いた見栄えのしない灰色の石くれから、こんな金属が出来るとは……。しかし、重厚でありながら気品を失わないその光沢に、私は見覚えがあった。
『銀の聖翼』!――我がクロネッカ家に伝わる伝説の家宝!……目前の鋼銀は、主がつくり賜うた奇蹟の品に間違いなかった!
「まさか、こんな……」
「何て金属だ……」
作業員達はそれぞれに息を漏らした。木材よりも軽い比重でありながら、鋼鉄の一・五倍の強度を持つ驚異の金属、鋼銀――
「……素晴らしい……これは素晴らしい!」
セルジオ工場長が声を上げた。
「これがあれば何だってできる! いやあ、本当に素晴らしい! 素晴らしいよ!」
込み上げる歓喜に耐えられぬように、工場長はそばにいたラムの手を取ると、乱暴に振り回した。
「凄い……」
胸の前で両手を握り締めるクリスの隣りで、博士は息を呑んだままだった。私は歩み寄った。
「博士、やれますよ……」
確信を込めて、私は言った。
「この鋼銀があれば、きっとやれます!」
主の技が、今我々の手の中にある。その認識が、私に揺るぎなき自信を与えていた。すべてが好転している。この上、何を恐れることがあろうか。それは、愚かな人間の一人に過ぎない私の、甚だしい思い上がりかも知れなかった。しかし、この日この場所でのこの瞬間、天はすぐそこにあった。少なくとも、私にはそう思えた。




