第10節:瑠璃と琥珀
三日後、私はブリザルディア家の応接室に通されていた。五大貴族の中でも、鉱業で成功したブリザルディア家は、造船で更なる富を蓄えたダイロンバール家と共に、大きな発言力を持つようになっていた。その邸宅は、私でさえ驚くほどの豪華絢爛振りであった。民衆が『白い連山』と呼ぶ名の通り、敷地を囲む白塗りの塀は、世界の果てまで続くかと思われた。その一角に、赤いペンキでこんな落書きがしてあった。『貧しき者は幸いである。何故なら、家に入るために玄関を探し回る必要がないのだから』――もっともだと、私と御者のワズンは笑った。
時間は既に約束の四時をまわっていた。私は一人、骨董品の並ぶ応接室で無為な時を過ごしていた。やがてドアがノックされた。
「失礼します……」
お茶の道具を載せたお盆を手に入ってきたのは、メイドではなかった。
「これは、ミス・ブリザルディア!」
長い銀髪を一本に編み上げ、右肩から垂らしたロージェスタ嬢は、この間のお披露目の時と は打って変わって、襟に金のアクセントが入った白いブラウスに、落ち着いた紺のスカートを身につけていた。
「申し訳ありません。こちらから時間を指定しておきながら、お待たせしてしまって……父ももう帰ると思いますので、どうかもうしばらく御辛抱下さい」
「いや、私の方は一向に構いませんよ」
ロージェスタ嬢は、白い手で腰を下ろした私の前にカップを置くと、紫茶を注いだ。そのポットに添えられた細い指先と、綺麗な桜色の爪を、私は半ば悦惚と見つめていた。そして、そうしている自分に気付いて、私は思わず舌打ちしたい気分になった。
「……あの、何分不器用なものですから、お口に合うかどうかわかりませんが……私が焼いたエトーです……」
ロージェスタ嬢は、おずおずと血に載った菓子を差し出した。
「これを、あなたが?」
私が言うと、彼女は恥ずかしそうに顔を伏せた。
「そうですか。では遠慮なく頂きます」
私は、まだ温かさの残るエトーの一切れを口に入れた。
「……変わった昧ですが、これは?……」
「蜂蜜に漬けた人参を擦って入れてありますが……やはりお口には合いませんか?」
ロージェスタ嬢は心配そうに尋ねた。人参!……やはり、口の中に広がったこの感じは、私の舌の間違いではなかった。
「いえ、とてもおいしいですよ」
私は、不自然にならないように微笑んだ。ロージェスタ嬢の顔は、パッと明るくなった。
「そうですか? ありがとうございます」
……私は、エトーの残りを食べない訳にはいかなくなった。とんだ拷問にかけられてしまったものである……
私が何とか人参入りのエトーを食べてしまうまで、ロージェスタ嬢は、その透き通る琥珀色の瞳でじっと私を見つめたままだった。
「……あの、私の顔にでも、何か付いていますか?」
紫茶を口にしながら、私は尋ねた。
「あっ、いえ。すみません……」
ハッとした彼女は、頬を赤らめて俯いた。
「……とても澄んだ瞳をされているものですから、つい……」
恥じらいに、肩から垂らした髪を指先で弄びながら、ロージェスタ嬢は言った。
「私が、ですか?」
そんなことを言われたのは初めてであった。――いや、幼い頃、母に言われたような記憶はある。
「私の目より、あなたの瞳の方が、宝石のような美しい輝きをしていますよ、ミス・ブリザルディア」
「そんな、私は……」
ロージェスタ嬢の白い肌は、みるみる薔薇色に染まった。
「……半年ほど前、前当主スプレッツァード様の御葬儀で初めてお目にかかった時、黒い喪服と風にそよぐ金髪に、その澄んだ瑠璃色の瞳はとても神秘的でいらっしゃいました。悲しみに暮れておられたのを、こんな風に言うのは大変失礼なのですが……でも、何か、深い泉のように落ち着いた輝きを持ちながら、その奥に底知れぬ閃きを秘めていられるような、そんな瞳でした……」
目を伏せて彼女は言った。私は笑った。
「さすがはエリリア修学院、言われることが文学的ですね」
「お世辞ではありません 」
ロージェスタ嬢は顔を上げた。眉宇がかすかに翳った。
「クロネッカ様の瞳は、どこかものの本質を見通しているというか、現実を超えた何かを見透かしているような気がするのです」
「現実を超えた、ですか?」
「はい。瞳は確かにものを見ておられますが、心はその現実にある姿を超えた、内なるものを感じられているような……」
「そうでしょうか? 私はただ、現実から逃避したいだけなのかも知れませんよ」
そう答えながら、私は動揺を感じないではいられなかった。ロージェスタ嬢は、その美しい琥珀色の瞳で、私の心を読み取っているのではないだろうか? 確かに私の目は、火葬される棺には向けられてはいなかった。耐火扉に小さく開けられた窓から覗く朱蓮の炎の中に、私は父の言葉を思い返していたのである。自分は、何を為すべきなのだろうか、と……ものの本質を見極めているのは、むしろ彼女の方であった。彼女の言う通り、私は今、現実の逢か彼方を見つめている。しかし、その対象は、彼女が聞いて賛美するようなものでは決してなかった。
ドアが開いた。
「いやあ、お待たせしてしまって申し訳ない。鉱山の視察に手間取ってしまったもので……」
ジェローム=ライデン=ブリザルディア公爵であった。我々は握手を交わした。
「いえ、私の方は構いません。お嬢様のおかげで、退屈せずに過ごせました」
「そうか、ロージェスタ、お前がお相手をして差し上げていたのか。済まなかったな」
椅子から立ち上がったロージェスタ嬢に、ジェローム公は微笑みかけた。その目尻に寄った皺の数からも、公の娘の寵愛振りはたやすく窺えた。
「……では、どうぞごゆっくり……」
ロージェスタ嬢は頭を下げた。
「……ああ、カイゼルリュート殿が見えられているぞ」
彼女がドアを閉める前に、ジェローム公は言った。カイゼルリュート――ダイロンバール家の御曹司の名前であった。
「さて、どんな御用件ですかな?」
腰を下ろした公は、顎の前で両手を組んだ。
「実はですね……」
私は話し始めた。
* * *
図書館に着いたのは、五時過ぎであった。
「どうでした?!」
入口を入ると、受付にいたクリスが勢い込んで尋ねた。私は黙って微笑んだ。
「よかった!」
胸の前で両手を握り締めて、彼女は叫んだ。
「許してもらえたのかね?」
書庫へ通じる廊下から、博士が顔を出した。
「はい。あちらも赤岩の始末には手を焼いていたようで……望みとあれば、ここまで運んでくれても構わないそうです」
「そうか、それはよかった」
博士は満面の笑みを浮かべた。
「博士の方は?」
「こちらも大丈夫だ。そこの工場長は昔からの誼だからね。夜の間なら、旧式の熔鉱炉を使わせてくれるそうだ」
「そうですか!」
「どうだね、ラスティ君。これから呑みに行かんか?」
「いいですね、行きましょう!」
私は力強く答えた。支度をしてくる、と言い残して、博士は奥に消えた。不意にクリスが笑い出した。
「博士ったら、朝からそれは落ち着きがなくて、もう大変だったんですよ。閲覧室を歩き回ったり、書庫に出たり入ったりで……」
「それはそうだろう。赤岩が手に入らなかったら、すべては一からやり直しなんだから」
「そうですけど……でも、書庫の中は、きっと以前より散らかったと思いますよ。心ここにあらずのまま、棚の整理なんかするんですから……」
彼女の楽しそうな笑顔につられて、私も笑った。……何故、この子の笑顔は、こうも明るく輝いて見えるのだろう? 今、会ってきたばかりのロージェスタ嬢に較べれば、眼鏡をかけたソバカスの顔に、赤毛の三ツ編みのクリスは、お世辞にも美しいとは言えなかった。しかしそれでも、彼女の微笑みは私の心をホッとさせる。彼女の辛い身の上や、時折見せる悲しみを帯びた瞳の色を知っているからだろうか? それは私にもわからなかった。




