第9節:リウヴィル号
新しき当主としての王と教皇への謁見など、家督相続に関する諸事を済ませ、私が図書館に出向いたのは、実に二十五日振りのことであった。
「これはこれは、継承おめでとうございます、薔薇の貴公子殿」
私の姿を認めると、博士は笑いながら恭しく頭を下げた。
「よして下さいよ、博士」
私は苦笑した。王との謁見があった次の日、新聞はどれも、一面に私のことを書き立てていた。『若く美しきクロネッカ家の新当主誕生』『金髪の若き薔薇公爵、王との謁見を済ます』『偉人ダイリンシュタット公爵の美しき孫、家督を相続す』……どの記事にも、私の外見や容貌について、大袈裟過ぎる賛美が書かれていた。私は、一度でも自分を美男子だと思ったことなどないのだが――以前、そんなことをザウテルに言うと、それは厭味だと小突かれたことがあった――、そう書いた方が、新聞がよく売れでもするのだろうか?……
閲覧室の机の上には、一面に昇空機に関する資料が散乱していた。そしてその前に座っていたのは、博士がザウテルの元から引き取った異教徒ラムであった。以前、港に着いてすぐに会った頃よりも、彼女は血色もよくなり、頬にも肉がつき始めていた。
「継承おめでとうございます、クロネッカ様」
席から立って、彼女は頭を下げた。
「……ラスティ君、実はラム君にも研究を手伝ってもらっているんだ。君も知っているだろう。彼女がベル・ロニアで新材質の開発に携わっていたのは……。それが、我々の研究の鍵を握る条件を満たしてくれるかも知れんのだよ」
彼女の肩を軽く叩きながら、博士は嬉しそうに微笑んだ。
「……我々の国では、戦車などの装甲板として、鋼銀という金属を使用しています。これをあなた方の研究に利用できないかと思いまして……」
ラムが言った。私は椅子に腰を下ろした。
「……その、鋼銀というのは?」
「うむ。これを見てくれたまえ」
博士は、書類の山の中から一枚の紙切れを探し出した。そこに記された数字の羅列は、ラムの言う鋼銀と他の金属との強度比較表であった。私は数値を目で追い、そして瞠った。
「これは、間違いないんですか?!」
博士はしたり顔で頷いた。
「そう言うだろうと思ったよ。ベル・ロニアの計測単位からティレリナのそれへの換算の際に、若下の誤差が含まれているかも知れんが、大体そんなものだ」
「しかし、これでは!」
「そうだ。それを見てわかるように、ラム君の国で使われている鋼銀とは、木材よりも軽い比重でありながら、鋼鉄の一・五倍の強度を持つ、正にうってつけの材料なのだよ!」
木材よりも軽い?!……しかし、数字は確かにそれを物語っていた。
「……しかし、そんな金属がここで、ティレリナで採れますか?」
そうだ。そんな金属があるのなら、誰もが奪い合って使うはずだ……
博士は笑った。
「原料なら無尽蔵にある。ギアンサル鉱山の周りにそびえる赤岩のぼた山がそうだ」
「赤岩が?!」
私は腰を浮かしていた。
「そうです。鋼銀は、熔湯にした赤岩の中に、耐熱性の高い電極を入れ、大電力で電気分解することにより作られます」
博士の代わりにラムが答えた。……あの、埋め立ての土砂以外には何の役にも立たないと言われていた赤岩から、そんな金属が精錬できるとは……正に驚異であった!
「どうかね? その鋼銀の存在を知ってしまえば、今まで悩んでいたことが馬鹿らしくさえ思えてくるだろう? これで、実に理想的な昇空機を作ることができる!」
嬉しくて堪らないという風に、博士は一人で何度も頷いた。
「哲学者ネイコス=ローが、『科学文明は戦争によって発達する』と言ったが、正にその通りだよ! いやあ、ラム君が来てくれて本当によかった!」
博士の歓喜の声に、私には、ラムの顔が一瞬翳ったように思えた。
「しかし博士、ここには鋼銀を精錬できる施設などありませんよ。どうするんです?」
「うむ、確かにそうだ……」
博士は腕を組んだ。
「……しかし、これで何とか目処はついたと言ってもいいだろう。後は『龍の眠る日』に間に合えばいい訳だ」
そう言って博士は席をたった。
「さて、ラスティ君。家督相続のお祝いとして、君に贈り物があるんだ。私が五年かけて考えた最高傑作だよ。ちょっと待っていてくれたまえ」
博士は、受付の奥にある館長室へと姿を消した。
「……さっきはすみません」
ドアの閉じる音を聞いてから、私はラムへと頭を下げた。彼女は小首を傾げた。
「……戦争と文明の話です……博士も悪気があった訳ではなくて、ただ純粋に……」
「そのことでしたら、私は気にしていません」
ラムは微笑んだ。
「……私は、ここに来ることができて、本当によかったと思っています。ベル・ロニアでも、空を飛ぶ乗り物は発明されてはいません。ゆっくり空を仰ぐ余裕などありませんから……。人々の目は、敵国ヴァルキュリスを殲滅することだけに向けられて、いえ!、向けさせられているのです。……そんな中で、私はものを破壊し、人を殺す武器だけを作ってきました。でも! ここは違う。ここでは、私の持っている技を創造という目的に使うことができる! 人類の発展に貢献することができる!……私には、それが何よりも嬉しいのです……」
彼女の瞳には、この間の荒んだ感じとは打って変わって、生き生きとした輝きが宿っていた。
「……私はこうなるべくして、エッセンニーカ様に命を救われ、ガリオネッティ博士の元に引き取られたのだと思います。すべては、我が偉大なる神アルフル・サマカーのお導きで……」
ラムは胸の前で両手を合わせ、目を閉じた。
……神のお導き、か……
「さあ、ラスティ君。これだ!」
閲覧室へと戻ってきた博士は、そう叫んで手にしたものを掲げた。振り返った私は息を呑んだ。
それは、流体力学の粋を結集させた昇空機の模型であった! 先端の一点から始まった五本の曲線は、空気抵抗を最少に抑える紡錘の形を描いて、二本はガリオネッティ・アルスハイル型の主翼へ、二本は機体後部の補助傾翼へと継ぎ目なく滑らかにつながっていた。機体の底を走る最後の一本は次第に中心へとすぼまって、四枚の翼の後縁から再び集まった曲線と共に最後尾で五角形断面を形作り、その先に、二連装の四枚プロペラを備えた超小型高性能エンジンが据え付けられていた。
「……これは?!……」
「君が乗る鋼の鳥だよ」
博士は、私の表情に満足したようだった。
驚きと共に、私は確信していた。さっき、博士は確かに五年と言った。五年かけて、と。
そして、寝室の天井に吊してあった『グラフィアス』号よりも優雅な、流れるようなラインを持つ新機体……博士は、助手のネイドを死なせ、その責任を感じて隠居した後も、昇空機のことを忘れてはいなかった、いや、忘れられなかったのだ……
「どんな名前にするね?」
博士が訊いていた。
「はい?」
「この機体の名前だよ。君がつけたまえ」
「私が、ですか?」
黙って微笑むと、博士は頷いた。
「そうですね……」
私は考えた。以前の機体は、伝説の鳥の名にちなんでいた。今度は何とつけるべきだろうか?……
「……リウヴィル、というのはどうでしょうか?」
しばらくして、私は言った。
「リウヴィルかね?」
博士は眉をひそめた。きっとそうするだろうと、私は予想していた。
「それは、『鶏』の意味かね? それとも『放蕩息子』の意味なのかね?」
「『放蕩息子』と思っておいて下さい。我々は皆主の子ですが、雲の天蓋を破り、主の領域を目指そうとするような子は、立派な息子とは言えませんからね」
言いながら、私はウインクしてみせた。
やがて、博士はニヤリと笑った。眼鏡の奥の瞳が楽しそうに輝いた。
「……なるほど、主の放蕩息子か。悪くないな……よろしい、『リウヴィル』号としよう」
鶏は飛べない鳥である。主が翼を与えたにもかかわらず、彼はそれを使うことができないのだ。親から授かった能力に気付かず、あるいは使おうともせず、怠惰に生きる子供のことを『放蕩息子』と呼ぶのは、そういう意味からであった。
しかし、鶏は果たして本当に放蕩息子なのだろうか?
「鶏はどうして空を飛べないの?」――幼い頃、私は父にこう尋ねた。すると、父は言った。 「ラスティリアード、お前は、何故デザートを最後に食べるか知っているかい? それは、最後に食べる方が楽しみが増すからさ。鶏も同じだよ。鶏は、空を飛ぶ楽しさを、将来にとっておいているのさ」「じゃあ、鶏もいつかは飛べるようになるの?」「ああ、きっと飛べるようになるさ……」
主に翼を奪われた人間は、二千年の昔から今まで、飛ぶことができなかった。だがそれは、空を飛ぶことの楽しさを、天を舞うことの喜びを、将来にとっておいているだけなのかも知れない。鳥が日常に感じている『飛ぶ』という行為は、我々にとっては、驚きであり憧れであって、それができるものなら、大きな喜びを感じるだろう。それは、鳥には味わえない喜びである。我々は、鳥よりも一つ、味わえる喜びを多く持っているのだ。だとしたら、今飛べないでいることは、幸せだということにはならないだろうか?
私は、この鋼の鶏に乗って天を目指す。喜びを得るために。それは簡単には手に入らないだろう。しかし、だからこそ、私はそれを目指すのだ。苦労が多ければ多いほど 、達成した時の喜びは大きくなるのだから。
放蕩息子なる者は幸いである。何故なら、良き息子になる喜びを感じることができるからだ。
――しかし、主は言うだろうか? 喜びを求めることは罪であると……




