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第4節:不浄の地

 太古の昔、まだ人間に翼があった頃、百獣の王として、人はこの地に最初の王国を築いた。それが『最初の都(ニュー・メディアス)』である。やがて人間は主の怒りを貰い、『最初の都』は雷の矢によって焼き尽くされた。

 四百年の後、人は再びこの地に都を開いた。ザレムの架け橋で有名なザムレアである。そのザムレアも風の龍によって滅ぼされ、更に七百年の月日が流れた。

 次にこの地に都市を築いたのは、二大国家ガザルとギルガだった。彼らは戦いに『理』を見失い、五百年間も争った後、主の放った雷の矢と風の龍によってやはり滅び去った。主は、三度までの人間の愚行に嘆き、それまで人を育んできた豊穣なこの地を我々から取り上げてしまった。以来千三百年、この地には一本の草木も生えることはない。ここは、砂と共に人間の愚かさが舞う汚れた地、『不浄の地(スティッカ)』であった。

 不浄の地――そこに足を踏み入れたなら、そこに漂う二千年来の数々の怨念、悪霊に取り憑かれ、やがて発狂して暴れ回り、最期には悶死する。それが聖摂院の教えだった。不浄の地に入った者を、二度と聖地に入れてはならない。その者についた想念の塊は、宿主が死んだ後も空中を漂い、次々と世に災いをもたらす。不浄の地に入った者は、不浄の地にて朽ち果てるべし――不浄の地とは、人々にとって忌避すべき地だったのである。

 しかし、三十余年前、その掟を破った者がいた。『愚かなる砂』の著者、イザル=ムフリッド。彼は、数人の部下と共に禁断の地、不浄の地に足を踏み入れ、その中を探検した人物であった。彼らは誰一人発狂せずに無事に帰り、ムフリッドはそのことを本に著した。だが、彼は聖摂院の理解を得ることはできず、本は数日で禁書に指定され、彼自身も捕らえられて、数年後には獄中で病死したという。

 不浄の地は、高く険しい山々と、有毒ガスを発する深い沼地で囲まれている。中に入った者が発狂し悶死するというのは、この有毒ガスのせいであった。だが、ムフリッドはそれを避ける術を知っていた。『風の道(シアル・フィート)』――彼の著書にはそう記されている。山肌の巨大な亀裂から吹き出す乾いた風が、淀んだガスをそこだけ吹き飛ばしているのだ。

 我々は、その『風の道』の中を進んでいた。御者の隣りに座ったクリスが、博士からもらった地図をもとに道先案内人を務めていた。私とザウテルとラムの三人は、馬車の外に広がる荒涼とした大地を見つめていた。誰も口をきこうとはしなかった。主を信じていない私でさえ、鼓動が不安に高鳴るのを抑えられないでいるのだ。禁断の地へと足を踏み入れるザウテルの胸の裡はどんなだろう。

 その彼は、太い腕を組んだまま貝のように押し黙っていた。

「……ここは……」

 重苦しい沈黙の中で、ラムがゆっくりと口を開いた。

「……ここは、ベル・ロニアの『痩せた大地(ズベン・エス・カマリ)』によく似ています……」

 彼女の黒く澄んだ瞳には、遥か八百オルクリル彼方の祖国の地が映っているようであった。

 馬車は、楔を打ち込んだような深い峡谷へと入っていった。そして、次に空間が開けた時、そこには不浄の地が広がっていた。


* * *


「……どこにおられるのだろう?……」

 見渡す限りの砂漠に、私は息をついた。既に道はなくなっている。馬車を降りるしかなかったが、歩いて探すにはあまりにも広大な土地が、我々の周囲に横たわっていた。足跡を辿ろうにも、砂の上を渡る乾いた風がすぐに覆い隠してしまうだろう。

「……とにかく、探すしかないな……」

 ザウテルが呟いた時だった。

「……こんな所に、一体何の御用かな?」

 突然、背後から聞こえた低いしわがれた声に、我々四人は驚いて振り返った。そこには、一人の老人が忽然と姿を現していた。クリスはキャッと叫んで私にしがみついた。ラムは反射的に身構えていた。百リルほど離れた馬車までは、何の遮蔽物もない。ひたすら、砂の大地が広がっているだけである。一体どこからやってきたのであろうか?

 黒いボロを纏い、杖を手にしたその老人は、右目が潰れているらしかった。

「……ここは、普通の人間が来るような所ではない……」

 歯のない口で老人は言った。左目だけが異様に光っていた。

「……あの、我々はアルベルト=ガリオネッティという人を探しているんです。六十歳位で、顎に髭のある……ご存じないでしょうか?」

 何とか気を取り直して、私は尋ねた。老人はジロリと私を睨んだ。

「その人と、あんたらとはどういう関係なのかね?……」

「私はラスティリアード=ヴァリス=クロネッカ。この子はクリス=ミルスプリングス。私達は博士の……いえ、ガリオネッティさんの研究の助手をしています。こちらはザウテル=フィルノア=エッセンニーカとラム=イシス。私の友人です……」

 老人は、フンフンと頷きながら私の言うことを聞いていた。そして、クリスへと目を移した。その鋭い視線に、彼女は一層強く私にしがみついた。

「……なるほど、ミルスプリングスね……」

 そう呟くと、老人の視線は、今度はラムへと注がれた。

「……ほう、これは遠いところをようこそ……」

 笑みを浮かべると、顔の前で両手を合わせて異国の挨拶をする黒衣の老人に、我々は驚きと共に少なからぬ無気味さを感じ取っていた。この老人は一体……

「……どうした? 案内して差し上げよう。ついてきなされ……」

 気が付くと、老人は砂漠に向かって歩き始めていた。我々は慌てて後に続いた。

「……あの、失礼ですが、あなたは?……」

 思い切ったようにザウテルが尋ねた。

 老人は足を止めると振り返った。薄く乾いた唇が弓なりに吊り上がった。

「ワシか?……ワシはここで暮らしているシェダルという者じゃ……」

 ここで暮らす?! まさか…… 私はザウテルの顔を見た。彼は肩をすくめて苦笑した。頬が強張っているのがわかった。クリスはすっかり怯えてしまっていた。それも当然だろう。前を行く老人の名、シェダルとは、神説典に出てくる地獄の門番のことだったからである。

 四百リルほど行った小高い丘陵に登ると、それまでの単調な風景に変化が見られた。丘の下には、北側の低い岩山の近くから、二本の黒い線がまっすぐ南に向かって伸びていた。その先には、ここよりも更に高い奇妙な形の丘があって、二本の線はその頂上で消えていた。

「あれは?……」

「あれかね? あれは『三途の川(コキュートス)』……この世とあの世を分かつ境界線じゃよ」

 シェダルと名乗った隻眼の老人は、奇妙な声で笑った。

「公爵様!」

 クリスは、指が白くなるほどしっかりと私の腕を握り締めた。普段の彼女ならば決してすることのない行為であったが、尋常ならざる恐怖心が、無意識のうちにそうさせているようであった。

「ふざけるのもいい加減にしてくれ!」

 耐えられなくなって、私は叫んだ。

「さっきからシェダルだの三途の川だのと……一体どういうつもりなんだ?!」

 老人は、不審そうな目で声を荒げる私を見つめた。

「……あんたらが何と言おうと、確かにあれは三途の川なのだよ。何しろ、あそこから飛び立って、生きて帰った者は一人もおらんのだから……」

「飛び立つ?!」

 私は、もう一度丘の下に目をやった。南北に伸びる二本の黒線は、三百リルは優にあった。北のはずれに見える小さな影は、どうやら台車らしい。

 ……これが助走路か?!……

「あんたらが探しているお人は、ほれ、あの丘の下におる。行ってみるがいい」

 老人が指したのは、助走路が切れる南側の丘陵だった。

 立ち竦んだままのクリスの固い束縛をそっとほどくと、私は助走路に向かってゆっくりと歩き出した。なだらかな斜面を下るうちに、私の足は自然に速くなっていった。

 二本の線に見えたのは、鋼鉄のレールだった。それが、砂に埋まった薄い鉄板に鋲で打ち付けてあった。背後を振り返ると、今やってきた丘の上では、まだザウテル、クリス、ラムが立ち尽くしている。彼らに手招きすると、私はレールに沿って、南側の丘陵へと足を進めた。

 丘陵まで五十リルほどの距離に近付いて、私はハッとした。今まで丘だと思っていたそれは、実は人工の建造物であった! 砂漠を渡る風によって、東側はすっかり砂に埋もれていたが、西側は黒い鋼鉄の肌が露出していた。そこから更に西側に張り出した箱状の鉄塊には、窓とおぼしき四角い穴が幾つも開いていた。そしてその後ろに、わずかな仰角を持って宙に伸びる鉄柱――

 私は駆け出していた。錆びた鉄柱の下をくぐって、南の端に辿り着いた私は、そこで思わず声を上げた。構造物の頂点には、二本の巨大なシャフトが突き出していて、その一つには、何とスクリューがついていた!

 船であった! 横転し、舳先を地面にめり込ませた、それは船であった。助走路は、その右舷の船腹の上に作られていたのである。

 砂の中から突き出したスクリューの、何とも異様な光景をしばらく眺めた後、私は浮き上がった船尾へと潜り込んだ。そこには、黒い鉄板に剥げかかった白いペンキで『ツァフィア』と書かれていた。間違いない。私が高等院の頃読んだ、イザル=ムフリッド著の禁書『愚かなる砂』に描かれている情景がそこにはあった。風の龍『黒鱗』(ダグ・アディル)によって、海から八千リル以上も離れたこの地に飛ばされた、ベル・ロニアの軍艦『ツァフィア』号がそれであった。この大きさなら、船の全長は百五十リルはあろうかと思われた。

「やあ、来たかね」

 頭上からの声に、私は驚いて顔を上げた。垂直になった甲板の穴から顔を覗かせていたのは、博士であった。

「博士!……」

 声を上げたものの、後をどう続けようかと私は迷った。

「ちょっと待ってくれ。今降りるから……」

 博士は船内に消えた。まもなく、左舷の船腹に開いた円窓の一つから、二本の痩せた足が出てきた。

「……済まなかったな、突然のことで……」

 地面に降りると、砂まみれの顔で博士は言った。

「これは、一体?……」

 戸惑う私に、博士はニヤリと笑った。

「これは、我々の城だよ」

「城、ですか?」

「そうだ。ここなら監察局のうるさい目も届かない。風向きも安定している。そして何より、無限の材料がある!」

 博士は両手を大きく広げた。

「鋼鉄の質は今一つだが、それでも補助設備になら十分利用できる。どうかね?!」

「……そ、そうですね……」

 博士の勢いに、私はすっかり気圧されていた。

「来たまえ、ラスティ君。中も改造してある。ここを使うのは実に五年振りなものでね。朝から掃除をしていたんだ」

 舷窓の縁に手をかける博士に、私は思い切って切り出した。

「あの、博士!……実は、ここに来たのは私達だけではないんです。……他に招かざる客が二人……」

 そう言いかけた時だった。砂を踏む足音が聞こえてきた。船腹の陰に、ザウテルと彼に肩を抱かれたクリスの姿が現れた。

「……凄い……」

 上を見上げたクリスは、十五リルもの高さにある巨大なスクリューに絶句していた。その後を、食い入るような目付きで難破船を眺めるラムが一人歩いてきた。自国の船が、遥か異国のこんな砂の海に没しているのだから、驚くのも当然と言えた。

 私と博士の姿に先に気付いたのはザウテルであった。

「博士、紹介します。こちらはザウテル=フィルノア=エッセンニーカ。ザウテル、こちらはアルベルト=ガリオネッティ博士」

 話す私に近付くと、ザウテルは頭を下げた。

「初めまして、博士。今日は、友人に無理を言って同行させてもらいました。どうぞよろしく」

「こちらこそ。青の貴公子殿にお会いできるとは光栄ですな」

 二人は握手を交わした。と、博士はもう一人の同行者へと目を移した。

「あっ、ラムさん、こちらへ……」

 私の声で我に帰った彼女は、船体が落とす影の中へゆっくりと歩み入ってきた。

「ええと、こちらは……」

 そこで私は少し躊躇した。事実をありのままに伝えてしまってもいいものだろうか。

「おや、そちらは異国の御婦人とお見受けしたが……」

 博士の意外に平然とした口調に、私はホッとした。だが同時に、私のためらいは、博士の良き理解力を侮っていた証拠だということにも、気付かざるを得なかった。

「……ええ、我が王国ティレリナの大切なお客様、ラム=イシス嬢です」

 苦い羞恥を感じながら、私は言った。ラムは顔の前で両手を合わせた。

「そしてこちらは、熱機関の権威であり、現在は昇空学の第一人者でいらっしゃるアルベルト=ガリオネッティ博士」

 紹介を終えると、博士は果敢にも異国風の挨拶を試みた。それはぎこちなくはあったが、礼を重んじるその姿勢に、ラムも笑うのを控えたようであった。

「ラムさんは、この船の事、ご存じでしたかな?」

「ええ、噂では……。停泊中の巡洋艦が、嵐の後忽然と姿を消していたそうですが……まさかこんな所に飛ばされているとは……」

 その場にいる全員が、改めてそこに横たわる小山のような船体を見上げた。

「……あれ、さっきの老人は?」

 ふと気付いて、私はクリスに尋ねた。

「……それが、気が付いた時にはもうどこにも……」

 彼女は自分自身信じられぬといった顔付きで答えた。ソバカスの鼻の周りが白くなっている。

「シェダルか? 彼は神出鬼没だからね」

 博士が事もなげに答えた。

「誰なんですか?」

「彼かね? 彼はこの不浄の地の主だよ。ここで暮らし始めて、もう三千年になるそうだ」

「?!」

 顔を見合わせる四人の驚きの表情を眺めて、博士は楽しそうに笑っていた。

 やがて舷窓の中に一人入り込んだ博士は、立ち尽くしたままの我々へと手招きした。

「さあ諸君、来たまえ。我々の城を案内しよう」

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