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異世界で、二人乗り  作者: そよかぜ
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異世界で、二人乗り 第二部 第10話 「湿った熱」

ルーメルを出る朝は、少しだけ空気が軽かった。

潮の匂いは変わらない。港町らしい湿った風も、魚を焼く煙も、遠くで鳴る船の鐘も、四日もいれば身体が覚える。

最初にこの町へ入った時のような、胸の奥がざわつく感じはもうない。


今日は港町を出発する日だ。

宿の前には行きの道中と同じ、幌馬車と2頭の馬が用意されている。4日前、ガレンとセイルが交代で跨った馬と馬車を引いてきた馬だ。馬は鼻を鳴らし、石畳を前脚で軽く掻いていた。

幌馬車に馬がしっかりと繋がれ、もう1頭の馬にはガレンが跨る。

ローディス氏はマレイア婦人に支えられながら、幌馬車の座席に座った。

今日の御者はセイルのようだ。


帝国の軍事倉庫で積荷を受け取り、幌馬車へ積み込む。――いよいよ、ルーメルを発つ。


幌馬車に座るローディス氏は、顔色がまだ万全とは言えない。

だが、背筋は戻っている。四日前、血を失って横たわっていた人とは違う。商人として人前に立つ顔になっていた。

この世界には治癒魔法があるとはいえ、あの出血量からの回復は驚異的だ。


タイラーは軽く頭を下げた。

「ローディスさん、具合は大丈夫ですか?」


「ええ。長く休ませてもらったのでね。帰路もよろしく頼みます。」

ローディス氏は穏やかにそう答える。


その隣にマレイア夫人が立っている。何も言わないが、夫の歩き方と呼吸を確かめている目だった。


タイラーは、それ以上踏み込まなかった。

雇われの護衛が、雇い主の体調に口を出しすぎるものではない。心配はしている。だが、それを表に出しすぎるのも違う気がした。


ガレンが荷台の縄を確認し終え、こちらを向く。

「まずは王国軍の倉庫へ向かう。荷を積んでから街道に出る」


セイルはすでに通りの先を見ていた。金茶色の髪が海風に流れている。軽く見えるのに、目だけは油断していない。

「昨日までの港町気分はここまでだな」


そう言って笑う。

タイラーはジュリオのハンドルに手を置いた。


「行くぞ」

ジュリオから返事などあるはずもない。だが、そう声をかけたくなる。

エンジンをかけると、ポコポコという軽い音が朝の通りに混ざった。


あおいが後ろに乗る。

いつものように軽く、けれど確かに背中へ体温が重なる。


「大丈夫?」

あおいが小さく聞いた。


「うん。大丈夫」

タイラーはそう答える。

昨日までの港町は、悪くなかった。

魚もうまかった。あおいも気に入っていた。だが、旅は進む。止まっていられる場所は、まだない。


軍事倉庫は、四日前と同じく、港の奥に静かに建っていた。

門前に立つ警備兵は、マレイア夫人を見てすぐに姿勢を正した。ガレンが封書を出すまでもなく、話は通っているようだった。


「ローディス商会の荷ですね」

兵が確認する。


「そうです」

ローディス氏が答える。


その声に、兵は一礼した。

「お待ちしておりました」


門が開く。


石壁の内側へ入ると、港のざわめきが薄くなる。

潮の匂いはある。だが、外の港町とは違う。人の声が少ない分、木と鉄と湿った石の匂いが前に出る。


中央に、荷車に固定されたあの木箱が置かれていた。

四日前に見た時と同じ位置。同じ封印。同じ重さ。


ローディス氏がゆっくり近づく。封蝋を確かめる。指先で印をなぞり、壊れていないことだけを確認する。

蓋は開けない。


兵士が

「荷は確認されますか」

と声をかける。


ローディス氏が兵士に向き直る。

「中身の確認は、四日前に済んでいます」

それは兵士へだけではなく、この場にいる全員へ向けた確認でもあった。


「こういう物の目利きは、私よりマレイアの方が確実でしてね」

マレイア夫人は、少しだけ目を伏せた。


否定はしない。照れるわけでもない。そういう役割なのだと、自然に受け止めている顔だった。


「責任は私が持ちます。ですが、見極める目については、彼女を信じています」

ローディス氏の言い方は静かだった。

だが、その一言だけで、夫婦の関係が見える気がした。


兵士が軽く頷いた。

「分かりました」


余計な言葉は足さない。

この場では、それで十分だった。


兵士たちが木箱から離れる。そこにあるだけで、なにか存在感を感じさせる木箱。

中の宝石の様な石が放つ存在感なのだろうか。重そうではあるが、極端に重いわけではない。

ただ、周囲の扱い方が慎重だ。壊れ物を扱う慎重さではない。意味のある物を扱う慎重さだった。


箱の近くに寄ると、タイラーはほんのわずかに眉を寄せた。


(……なんだ)


胸の奥に、細い糸のような違和感が触れる。

痛みではない。音でもない。匂いでもない。

ただ、近くにあると分かる。箱は閉じている。封印もされている。中身は見えない。それでも、そこにあの宝石のような石があることだけが、なぜか分かる。


息を吐く。

違和感はすぐに薄れた。


ガレンが横目で見る。

「どうした」


「いえ。何でもありません」

タイラーは首を振った。


本当に、それ以上言いようがなかった。

あおいも、セイルも、特に反応していない。自分だけが少し気にしすぎたのかもしれない。そう思うことにした。


荷車から幌馬車に移し替えられた木箱は、布で挟まれ、縄で固定される。ガレンが最後に揺れを確かめる。セイルも荷台の横から覗き込む。


「問題なし」

ガレンが言った。


ローディス氏が門の兵へ目を向ける。

「グラディス将軍はおられますか。顔だけでも見ておきたかったのですが」


兵は一度だけ首を振った。

「将軍の船は、すでに出航されました」


「そうですか」

ローディス氏は、少しだけ息を吐いた。

それ以上は言わない。


旧知の者に会えなかった残念さはあったのだろう。だが、立ち止まるほどのことではない。仕事は進む。



門を出ると、海風が戻ってきた。

ルーメルの町は、朝の仕事を始めている。魚を運ぶ男たち、湯気を上げる屋台、帆を張る船乗り。

狐の耳を持つ女が露店の布を整え、黒豹のような男が大きな箱を肩に担いで通りを横切る。


この町では、それが普通だった。


タイラーはジュリオのエンジンをかけ直した。

あおいが後ろに乗る。


「出るぞ」

ガレンの声で、一行は港町を後にした。



街道に出ると、音が変わった。

港町のざわめきが背中の方へ遠ざかる。残るのは、馬車の車輪が土を噛む音と、ジュリオの軽いエンジン音と、風が草を撫でる音だった。


行きと同じ道だ。

だが、同じには見えなかった。


タイラーは前方を見ながら、アクセルを一定に保つ。幌馬車の後方に位置する。

ローディス氏たちの馬車に合わせる速度だから、速くはない。ジュリオにとっては散歩みたいな速度だ。

けれど、油断はできない。

この短縮路は、もともとモンスターの生息地だ。


行きは盗賊に襲われたせいで、そのことが後ろに隠れていた。だが、危険が消えたわけではない。

セイルは馬車の後方、荷台の上から警戒の位置を取る。視線がよく動く。地面、草、木の影、遠くの起伏。

軽い口を叩いていない時のセイルは、本当に隙が少ない。


ガレンは馬車の前方。

ローディス氏とマレイア夫人を守る位置だ。戦うための位置というより、何かあった時に最初に受ける位置。あの体格でその存在感は、それだけで壁になる。



あおいは背中で静かにしていた。

いつものように、必要な時だけ動く。余計なことは言わない。だが、タイラーはその静けさに何度も救われている。


しばらく進むと、空気が少し重くなった。

森ではない。

だが、何かが腐ったような匂いが、風の中に混ざる。


タイラーは眉をひそめた。

「……匂うな」


ガレンが足を止めた。

「ここだ」


一行が止まる。

そこは、行きに盗賊たちを埋めた場所だった。


正確に言えば、埋めたはずの場所だ。

土が荒れている。

盛り上がり、崩れ、引きずられた跡がある。簡易的な墓として盛った土は、もう形を保っていなかった。

布の切れ端のようなものが土に絡み、骨の欠片が見える。


タイラーは息を飲んだ。

強い感情は、すぐには来なかった。

ただ、世界がそういうものだという事実だけが、目の前に置かれる。


人が殺し、人が埋める。

そして、別の何かが食う。

この世界では、それもまた自然なのだろう。


ガレンが低く言う。

「食われているな」


馬車から降りてきたセイルは、墓の前でしゃがみ、土に手を触れた。指先で崩し、匂いを嗅ぐように顔を近づける。

「新しい。夜じゃない。日が高くなってからだ」


「近いのか」

ローディス氏の声が馬車の中から聞こえた。


ガレンが振り返る。

「離れないでください。馬車から降りないように」


「分かった」

ローディス氏は短く答える。

そこに余計な怯えはない。雇った者を信じる声だった。


セイルが立ち上がった。

「グレイブワームだな」


「ワーム?」

タイラーが聞く。


「死肉を食う。地面の下を動く。墓場や戦場跡に集まる」

セイルは周囲を見る。


「普段はそう多くない。だが、ここには餌があった」


あおいが地面を見る。

「……下」


小さな声だった。

タイラーも視線を落とす。

最初は分からなかった。

だが、じっと見ていると、土の一部がわずかに動く。盛り上がりが、ゆっくりとこちらへ向かっている。

モグラの跡に似ている。

だが、もっと太い。もっと重い。


「来るぞ」

セイルの声が鋭くなる。


次の瞬間、地面が裂けた。土が跳ね上がり、巨大な口が現れる。

牙のような硬い突起が並び、濡れた内側が一瞬だけ見えた。体は太く、ぬめった土色。全長は四メートルほどだろう。

全部が出たわけではない。口と胴の一部だけを出し、すぐにまた潜る。


グレイブワーム。


気持ち悪い、と思う暇がない。

周囲の地面が、次々と盛り上がる。


「十以上いる」

セイルが言った。


「固まれ。散るな」

ガレンが剣を抜く。


タイラーはジュリオを馬車の近くに寄せて止め、あおいを降ろした。エンジンを切る。静かになる。剣を抜く。


あおいはルミナを手にしていた。

「馬車を中心にする。近づけさせるな」

ガレンが言う。


「前は俺が受ける。セイル、動きを読め」


「了解」


「タイラー、抜けてきたやつを止めろ。エルフさんは馬車の守り」

タイラーは頷く。

「分かった」


命令は簡潔だった。

こういう時のガレンは迷いがない。


地面の盛り上がりが右へ走る。


「右!」

セイルが叫ぶ。


土が弾け、ワームが飛び出した。

ガレンが踏み込む。

剣を横から叩きつける。重い音。皮が裂け、白っぽい肉が見える。だが、ワームは止まらない。体をくねらせ、再び地面へ潜ろうとする。


「硬いな」

ガレンの声が低い。


あおいがルミナを握る。

風が走る。

鋭い風の刃が、ワームの表皮を切る。切れてはいる。だが浅い。深くまで届かない。


「あまり効かない」

あおいが言う。


セイルが地面の動きを追いながら叫ぶ。

「火だ! こいつらは火に弱い!」


火。


タイラーはその言葉を聞いて、手を前に出した。

火を思い浮かべる。


燃えるもの。

熱。

炎。


手の先に熱が集まる。


出た。


拳より大きい火の塊が、飛び出したワームにぶつかる。

直撃した部分が焼け、ワームが大きくのけぞった。濡れた皮が焦げる匂いが広がる。


「効いてる!」

セイルの声。


だが同時に、タイラーの身体から力が抜けた。膝が落ちそうになる。


(……重い)


雷ほどではない。

だが、軽くない。手から直接出すと、魔力が一気に散る感じがある。


もう一度やろうとする。

熱は集まる。

だが、さっきのようにまとまらない。掌の中で散ってしまう。風に撒かれる火種みたいに、形になる前に消えていく。


(違う)


横で、あおいがルミナを握っているのが見えた。

風がそこに集まっている。


散らない。

集まって、形になって、放たれる。


タイラーは自分の手を見る。

何も持っていない。

視線を落とす。


剣がある。


高そうな剣だ。

この世界で得たもの。ジュリオのメットインから出てきた。金属の重みがあり、形がある。手の中に収まる。


(……これでいいか)


理屈は分からない。

だが、今は理屈を探している余裕はない。


剣を握り直し、炎を思い浮かべる。

手の中ではなく、刃へ。熱が流れる。


今度は、散らない。刃に沿って、炎が走った。

タイラーは剣を振り抜いた。炎が遅れて尾を引く。


正面のグレイブワームの肉が裂け、焼ける臭いが広がった。

次の瞬間、タイラーの指先から感覚が薄れる。


「……っ」

熱い。


火傷とは違う。

剣を握っている右腕の内側を、何かが流れ抜けていく感覚。

呼吸を吸うたび、肺の奥が焼ける。

膝が、わずかに沈む。


――削ってる。


そんな言葉が、頭の奥に浮かんだ。


「……おい」

セイルの声が一瞬だけ遅れる。


地面の盛り上がりが正面に走る。


「またくるぞ、前!」

セイルが叫ぶ。


タイラーは踏み込んだ。

ワームが飛び出す。

口を開け、馬車へ向かおうとする軌道。


そこへ、炎をまとった剣を叩き込む。

肉が裂ける。

同時に焼ける。


ワームの体が痙攣し、土の上で大きくのたうった。焦げた匂いが強くなる。少しして、動かなくなった。


「……止まった」

タイラーは息を吐く。


一匹目。


いや、火球で焼いた一匹を含めれば二匹目か。


湿った森の空気の中で、炎だけが不自然に思える。

水気を含んだ空気を押し退けるように、赤い熱が剣にまとわりつく。

土と腐臭の世界に、そこだけ現実離れした熱がある。


だが、考える暇はない。


「左、二つ来る!」

セイルが叫ぶ。


地面の盛り上がりが、二本同時に走る。

一つはガレンへ。もう一つは馬車の後ろへ。


ガレンが一方を受ける。大剣を振り下ろし、飛び出した頭を地面へ叩きつける。動きが止まった瞬間、タイラーが踏み込む。


炎の刃が入る。

焼き切る。


三匹目。


もう一匹は馬車の後方から来る。

あおいがルミナを掲げる。風が巻き、土埃が横へ流れる。ワームの飛び出す角度がわずかにずれた。馬車の車輪を狙った軌道が外れる。


セイルがそこへ入った。

細身の剣で口元を斬る。深くはない。だが、動きを止めるには十分だった。


「今!」

タイラーが斬る。


四匹目。


腕が熱い。

剣を握る手に汗が滲む。


炎を維持するのは、火球を出すより楽だ。だが、楽なだけで消耗しないわけではない。体の奥から、少しずつ削られている感じがある。


ガレンが低く言う。

「無理をするな」


「はい」

返事はした。

だが、止まるわけにはいかない。


地面がまた盛り上がる。

今度は二方向。


「ふた手に別れたぞ!」

セイルの声。


グレイブワームは賢くはない。

だが、本能として獲物を散らす動きがあるのだろう。地面の下から圧をかけ、こちらの陣形を崩そうとしている。


「馬車から離れるな!」

ガレンが吠える。


タイラーは位置を変えない。追いすぎれば、馬車が空く。

一匹がセイルへ。もう一匹は、馬車の下へ潜ろうとする。


「下!」

あおいの声。

ルミナが光る。風が地面を叩く。土埃が広がり、盛り上がりの軌道が見えた。


タイラーはそこへ踏み込んだ。

飛び出す前に、地面を斬るように剣を振る。


炎が土を舐める。土の中で何かが暴れた。

半身だけ出たワームが、焼かれながらのたうつ。


その頭へ、ガレンの大剣が叩き込まれる。


五匹目。


セイルはグレイブワームのいる地面の軌道をそらしつつ、タイラーの方へ誘導を始めた。


セイルが横で笑う。

「いいな、それ」

タイラーが持つ、炎を纏った剣を見て言う。


「余裕ないんだけどな」

だが、タイラーは少し肩の力が抜けた気がした。


「だろうな」

セイルは軽く返すが、目は笑っていない。

盛り上がりがタイラーとセイルの目の前へ。


タイラーの一撃が地面に入るが、先程より手応えがない。

グレイブワームは炎を受けながら一度体勢を立て直し、ふたたび迫ってくる軌道に入った。


「次、右奥。浅い」

浅い、という言葉の意味が一瞬分からなかった。

だが、見れば分かる。盛り上がりが小さい。地面のすぐ下を走っている。


「飛び出すぞ!」

セイルの読み通りだった。


ワームが低い角度で飛び出し、タイラーの足元を狙う。

タイラーは半歩下がる。刃を下げ、斜めに斬る。


炎が走る。


六匹目。

呼吸が荒くなる。


腕が重い。肩が熱い。

剣そのものが熱を持っているのか、自分の手が熱いのか分からなくなってくる。


あおいが近くに来る。

「タイラー」


「大丈夫」

そう答えたが、あおいは何も言わなかった。

無理をしていることは分かっているのだろう。けれど、今は止める場面ではない。


ガレンが前へ出た。

「次は俺が止める。タイラー、仕留めろ」


「はい」

雇い主の荷を守る護衛として、これは仕事だ。

そして、ガレンの指示は正しい。


地面が大きく盛り上がる。今までより太い。


「大きいぞ!」

セイルが声を上げる。


セイルが剣でワームの軌道を変え始める。

飛び出したワームは、他より一回り太かった。牙の突起も大きい。ガレンが真正面から大剣で受ける。体ごと押される。だが下がらない。

「今だ!」


タイラーが踏み込む。

炎の剣を、首の付け根のような部分へ叩き込む。

硬い。

だが、焼ける。

一度では止まらない。


もう一度。

炎が深く入る。

ワームがのけぞり、最後に大きく痙攣して動かなくなった。


七匹目。

その瞬間、残りの地面の盛り上がりが一斉に距離を取った。


「逃げるぞ」

セイルが言う。


「追うな」

ガレンが即座に言った。

「荷がある。深追いはしない」

誰も反論しない。


盛り上がりは遠ざかり、やがて草地の向こうで分からなくなる。

静かになった。


風の音が戻る。

馬が荒く息をしている。馬車の中で、マレイア夫人がローディス氏を支えているのが見えた。ローディス氏の顔は硬い。だが、取り乱してはいない。


「……終わったか」

セイルが剣を下ろす。


ガレンはまだ周囲を見ていた。

「ああ。今はな」


タイラーは剣を見た。

炎は、もう消えている。

ただの剣に戻っている。


だが、手にはまだ熱が残っていた。


セイルが近づいてくる。

「今の、火を宿してたな」


タイラーは少し間を置いた。

「……みたいだな」


「自覚なしかよ」

セイルが呆れたように笑う。


「手から出すより、剣の方が楽だった」


「楽でそれか」


「いや、楽っていうか……散らなかった」

言いながら、自分でもうまく説明できないことに気づく。


セイルは少し考えるように、タイラーの剣を見た。

「媒介にしたってことか」


「たぶん」


「たぶん、でやるなよ」

もっともだ。

タイラーは苦笑するしかなかった。


あおいが近づいてくる。

「大丈夫?」


「なんとか」

本当に、なんとかだった。

雷の後ほどではない。立っていられる。歩ける。だが、体の奥が少し空いている感じがある。


魔法は便利だ。だが、ただ便利なだけではない。

使えば削れる。使い方を間違えれば、自分が止まる。


タイラーはそれを、今さらのように理解した。


ガレンがワームの死骸を確認し、戻ってくる。

「長居はしない。臭いで別のものが寄る」


ローディス氏が馬車の中から声をかけた。

「皆、無事ですか」


ガレンが頷く。

「問題ありません。馬も無事です」


タイラーも軽く頭を下げる。

「こちらも大丈夫です」


ローディス氏は、ほっとしたように息を吐いた。

「助かりました」


その言葉に、タイラーは少しだけ背筋を伸ばした。



馬車が再び動き出す。

タイラーはジュリオのエンジンをかける。ポコポコという音が戻ると、ようやく少し日常に戻った気がした。


あおいが後ろに乗る。

「無理した」


「したな」


「でも、必要だった」


「……そうだな」

短いやり取り。それでお互いが認識する。


タイラーは、もう一度だけ荷台の木箱を見た。

違和感はない。ただの木箱に見える。


だが、あれを運んでいる。それだけは確かだ。

街道はまだ続いている。危険も、きっとまだある。


それでも、一行は進む。リューデンへ向かって。



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