異世界で、二人乗り 第二部 第9話「均衡の石」
港町ルーメルの朝は、潮の匂いが濃い。
宿を出た時には、もう空気が違っていた。
湿っている。だが森の湿り気とは違う。土や葉の匂いではなく、塩と魚と、古い木材の匂いが風に混ざっている。
遠くで鳥が鳴き、波がどこかで砕ける音がする。
街そのものが、海のそばで呼吸しているようだった。
ローディス氏はまだ宿で休んでいる。昨日より顔色はいい。医者の見立てでも命に別状はないとのことだったが、傷口は深くはなくとも、出血の量は少なくなかった。
無理に動かせば、治るものも治らない。だから今日行われる荷の受け取りには、マレイア夫人が代理で出ることになった。
タイラーは宿の前で、いつものようにジュリオのハンドルに軽く触れた。この世界に一緒に迷い込んだ相棒。もともと現実世界ではただのアシとしての認識しかなかった。
この世界でジュリオは魔術師が従える魔導機械と認識される。良く分からないが、そう認識されることで波風が立たぬのなら、それはそれで都合がいい。
今ではすっかり旅の相棒になったジュリオ。
だが今日の目的地は港の奥の軍事倉庫で、さすがにそこへこのまま乗りつける空気ではない。
ガレンが「歩きだ」と一言だけ言ったので、タイラーも素直に従った。
セイルは先に立ち、港の方へ視線をやっていた。朝の光を受けた金茶色の髪が風に流れる。若い。軽い。だが、その軽さの奥に油断のなさがある。
通りを歩く人の流れ、荷馬車の動き、兵士の位置、そういうものを無意識に拾っている目だ。
ガレンは反対に、動きが少ない。少ないのに、そこにいるだけで壁みたいな圧がある。厚い革と鉄を重ねた装備。
大剣は背負わず、今日は腰に短めの剣だけを下げている。
倉庫の中で振り回すものではない、という判断だろう。そういうところが実戦の男だった。
「行くぞ」
短い一言。
それで全員が動く。
マレイア夫人が先頭に出る。深紺の衣服は地味だが、仕立てがいい。旅の途中でも乱れのない姿勢。目元に疲労は見えるが、それでも背筋は崩れない。
ローディス氏が傷ついている今、代わりに立つのは自分だと、最初から決めている顔だった。
タイラーとあおいは、その少し後ろを歩いた。
あおいは今日も静かだった。水色の髪が海風に揺れている。髪に隠れた耳は人間のそれとほとんど変わらず、気にして見なければ分からない。
赤い瞳はまっすぐ前を見ていた。昨夜のことを、わざわざ口に出す必要はなかった。触れたまま眠り、同じ朝を迎えた。
それだけで十分に共有されているものがあった。
王国軍の倉庫は、港のいちばん奥にあった。
露店や魚市場の賑わいから外れ、少し歩くだけで空気が変わる。人の声が減る。かわりに聞こえるのは、箱を下ろす鈍い音と、鎧の擦れる音だけだ。
高い石壁に囲まれた一角。門は重く、見張りの兵が二重に立っている。旅人や商人がふらりと入れる場所ではないことが、一目で分かった。
門前で、兵士が槍をわずかに立てた。
「止まれ。用向きを」
声は無機質で、しかし雑ではない。ガレンが前に出る。封書を差し出す。兵士は封を確認し、もう一人の兵に目で合図を送る。奥から別の兵が出てきて、封書を受け取った。
「ローディス商会、代理受領で相違ないな」
「そうだ」
ガレンが答える。
それだけで話が通る。兵は振り返り、門の内側へ向けて低く声を飛ばす。
「ローディス商会の者だ。開けろ」
重い門が、鈍い音を立てて内側へ引かれた。
中は思ったより暗かった。
石造りの倉庫は、外の陽光を遮っている。
窓は高い位置に小さく開いているだけで、そこから差し込む光が床の上に細い筋を作っていた。木箱が壁際に積まれている。潮と木と鉄の匂い。
乾いたようでいて、完全には乾ききっていない空気。
海辺の倉庫特有の匂いだ、とタイラーは何となく思った。
現代日本でも港の近くで似た空気を吸った覚えがある。もう行くことはないかも知れない。記憶の中の光景。匂いだけは妙に記憶に残るものだ。
倉庫の中央には、ぽつりと大きな木箱が一つだけ置かれていた。
目立つ、というより、目立たせている。周囲に余計な物がない。まるでそれだけを運ぶために空間を空けたみたいな置かれ方だ。
箱は人の胴ほどの大きさで、厚い板と鉄帯で補強されている。
蓋の合わせ目には封蝋。雑な扱いでは壊れないだろうが、簡単には開けられない造りでもある。
その箱の傍に、一人の男が立っていた。
兵士だ。
だが、門前にいた兵とは鎧の質が違う。胸当ての細工、肩当ての厚み、腰に下げた剣の拵え。派手ではないが、指揮を執る側の装いだった。
年は五十前後だろうか。鍛えられた体に、無駄のない立ち方。肩書きを名乗らずとも、ここで一番上の立場だと分かる。
何より、そのオーラ。存在感が圧倒的だった。
男は一行を見て、まずマレイア夫人に視線を止めた。
「ローディス殿は?」
低い声だった。
怒っているわけでも、責めているわけでもない。確認の声だ。
マレイア夫人が一歩前に出る。
「負傷しております。命に別状はありませんが、長く歩くにはまだ早いと医師に言われました。本日は、私が代理で参りました」
男はしばらくマレイア夫人を見ていた。目だけが動く。顔色、声、立ち方。相手がどれだけ落ち着いているかを量るような視線だった。
「代理受領の件は聞いている。久しぶりだな。マレイア夫人」
ようやく男が言う。
「ええ、グラディス将軍もお変わりなく」
マレイアにグラディスと呼ばれた男。二人は顔見知りの様子だった。
「早速だが、確認しておく必要がある」
言葉と一緒に、中央の木箱へ視線が動く。
「この箱は特殊な品だ。次に開封できるのは、ローディス殿か、王家の者のみ」
倉庫の空気が、わずかに張った。
セイルの目が細くなる。ガレンは動かない。マレイア夫人だけが静かに前を向いていた。
将軍と呼ばれた男は続ける。
「マレイア夫人。貴殿が本日ここへ来ることは許されている。だが、この品はあくまでローディス殿の責任において運ばれるものだ」
一拍。その一拍のあいだに、倉庫の奥の兵たちまで呼吸を潜めたように感じた。
「それを承知の上で、受領されるか」
マレイア夫人は、箱を見るでもなく、正面を見たまま答えた。
「構いません」
短い。
だが、その返答には迷いがなかった。
男は小さく頷く。
「よろしい」
それから、横の兵へ目配せする。兵が一歩出て、封蝋の状態を確認した。別の兵が書付を持って控える。
手順はあらかじめ決まっているらしく、誰も余計なことを言わない。
ガレンが前へ出た。
「確認する」
グラディス将軍は一歩退く。ガレンが木箱の前に立ち、封蝋を見下ろす。押された印を確かめ、短剣を抜いた。刃先で蝋に触れる。
乾いた音がした。
封蝋が割れる音は、妙に小さいのに、倉庫の中ではよく響いた。兵が鉄帯を外す。ガレンが蓋を持ち上げる。その中には、もう一つ箱があった。宝石箱――というには大きい。だが、そう呼ぶのが一番近い形だった。赤い布で包まれた箱。木ではない。黒い石のような素材で作られている。
角は丸く磨かれ、蓋の縁には細い金の線が走っていた。
見せびらかすための美しさではなく、扱う者を選ぶ美しさだ。
マレイア夫人が、そっと近づく。
蓋に手をかける。指先がわずかに止まったのを、タイラーは見た。緊張しているのだろう。
だが、その震えは一瞬だけだった。彼女はそのまま蓋を持ち上げた。
中に収まっていたのは、透明な結晶だった。
顔ほどの大きさがある。透き通っているのに、ただのガラスには見えない。光を放っているわけではない。
だが、倉庫の薄暗さの中で、それだけが周囲の光を静かに引き寄せているように見えた。奥に、何かがあるような透明さ。
綺麗だ、という感想は最初に来ない。
綺麗だと感じる前に、少し身構えてしまう類の物だった。
その瞬間、タイラーは息を止めた。
――風が、変わった。
ほんの一瞬だけ。
潮の匂いが消えた、気がした。代わりに、乾いた空気が触れる。どこかで嗅いだことがあるようで、でも思い出せない匂い。耳の奥が、かすかに鳴る。
高い音でも低い音でもない。音と呼べるかどうかも怪しい違和感。
(……なんだ?)
胸の奥に、わずかなざわつきが残る。
痛みではない。息苦しさでもない。ただ、何かが自分に触れたような気がした。
その横で、あおいの髪がふわりと揺れた。
風だ。倉庫の中なのに、ほんの一瞬だけ、違う流れが入った。
あおいは結晶ではなく、空気の流れを見ているようだった。水色の髪の隙間から覗く横顔が、微かに緊張している。赤い瞳が、風の流れる先、静かにタイラーへ向く。
タイラーは結晶から目を離せないでいた。自分ではまだ、何が起きたのか分かっていない顔だ。
セイルもまた、ちらりとこちらを見た。
「……今」
小さく、ほとんど独り言みたいな声。だが、その先は言わない。言いかけて、首を振る。
「いや、なんでもないか」
軽い口調に戻したが、目は少しだけ細くなっていた。
気のせいと思うには、引っかかる。だが言葉にするには足りない。そういう顔だった。
マレイア夫人は、結晶をじっと見つめていた。
商人の目だ。価値を量る目ではない。確認の目。これが正しいものか。傷はないか。取り違えはないか。そういう責任の目だ。
数秒ののち、マレイア夫人が言う。
「確かに。受け取りました」
その一言で、場の空気が少し動いた。
蓋が閉じられる。光は消える。倉庫は元の薄暗さに戻った。
馬車から運ばれた代金を受け渡す。
元王国兵の集まり、あの夜襲を受けた盗賊団から守った金だ。
ガレンと王国兵が金の受け渡しをしている光景を見ながら、タイラーは無意識に息を吐いた。
さっきの違和感は、もうない。潮の匂いも戻っている。耳の奥も静かだ。気のせいと言われれば、それまでの出来事だった。
ガレンが宝石箱を木箱へ戻し、蓋を閉じる。兵士が溶かした蝋を持ってくる。赤い蝋が垂らされ、そこへ印章が押しつけられる。新しい封印。今度はローディス商会の印だ。
封印の時、魔法陣が一瞬浮かび上がった。魔法的な封印もかけられている様子だった。
グラディス将軍が、その封印を一度確かめてから言った。
「これで本件の手続きは完了した」
マレイア夫人が頷く。
「ご配慮に感謝します」
グラディス将軍は首を軽く振る。
「感謝には及ばぬ。こちらも命を受けているだけだ」
それから、わずかに表情を緩めた。
「ローディス殿のご快復を」
「ありがとうございます。エドヴァルに伝えておきます」
マレイア夫人の返事も、静かだった。
倉庫を出ると、海風が戻ってきた。
さっきまで閉じ込められていた潮の匂いが、一気に肺へ入る。遠くで帆が軋む音。鳥の鳴き声。港の別区画からは、人の声も流れてくる。世界が元に戻ったような気がした。
タイラーは無意識に胸元へ手をやった。
何だったんだろうな。
自分でも聞き取れないほど小さな独り言。隣で、あおいがまだ風の流れを気にしている。だが彼女も、何かを言葉にはしなかった。
マレイア夫人が、木箱を載せた荷車の横へ行く。兵士たちが慎重に固定を始める。出発はまだ先だ。今日は受領と封印だけ。
宝石のようなものは出立までこの軍事倉庫に保管され、運ぶのは四日後。
ローディス氏が動けるようになってからになる。
ガレンが全体を見渡し、確認が済むのを待った。
タイラーはもう一度、倉庫の扉を振り返る。石壁は静かだ。何も語らない。ただ、今見たものが自分にはまだ関係のない世界に属していることだけは分かった。
それでも――
一瞬だけ、あの結晶がこちらを見返したような気がした。
軍事倉庫を出ると、海風が一気に広がった。
さっきまで閉じた石壁の中にいたせいか、外の空気はやけに広く感じる。潮の匂いが濃い。
遠くで帆が鳴る音と、港で働く人々の声が混ざっている。
タイラーは小さく息を吐いた。
「……なんか、息詰まる場所だったな」
ガレンが肩をすくめる。
「軍の倉庫は大体あんなもんだ」
セイルが軽く笑う。
「盗まれたら困る物ばかりだからな」
その言葉に、タイラーはさっき見た結晶を思い出した。
あれが何なのかは知らない。ただ、普通の荷物じゃないことだけは分かる。
マレイア夫人が荷車の固定を確認し終えると、ガレンが歩き出した。
倉庫区画を離れると、港町の賑わいがすぐに戻ってくる。
露店が並び、魚を焼く煙が上がり、通りを荷車が行き交っている。帆船のマストが並び、甲板から怒鳴り声が飛ぶ。
どこもかしこも忙しそうだ。
タイラーは周囲を見回した。この町には、人間以外の姿も多い。
魚を並べた露店の前に、狐の耳を持つ女性が立っている。耳だけではなく、尻尾もある。淡い茶色の毛並みが風に揺れていた。
その隣の店では、黒い毛皮に覆われた大柄な男が肉を切り分けている。顔つきはほとんど黒豹だが、立ち姿は完全に人間のそれだ。
誰も気にしていない。この町では、それが普通なのだろう。
あおいも特に気にしていない様子だった。ただ、屋台に並ぶ魚の種類をじっと見ている。
「食べたことないの、いっぱいある」
小さく言う。
タイラーが笑った。
「だろうな」
港町というのは、どこの世界でも似ている。
物が集まる場所だ。人も、物も、匂いも、全部が混ざる。
通りを歩きながら、セイルが振り返った。
「ローディス氏の回復は順調だ」
「医者の見立てではな」
ガレンが答える。
「動けるのは四日後だ」
タイラーが聞き返す。
「四日?」
「そうだ」
ガレンは簡単に言った。
「それまで待つ」
マレイア夫人も頷く。
「エドヴァルは慎重な人ですから」
その呼び方は、彼女だけだ。夫の名前を、自然に口にする。
「無理に動いて傷を広げるようなことはしません」
セイルが笑った。
「つまり」
「四日は自由ってことだ」
タイラーは思わず笑った。
「そうなるな」
マレイア夫人も柔らかく言った。
「この町を楽しんでください」
「皆さんのおかげで仕事は無事に進んでいます」
「そのくらいの時間は、取っていただいて構いません」
ガレンが軽く手を振った。
「俺はローディス氏の護衛だ」
「町歩きはお前らでやれ」
セイルも肩をすくめる。
「俺も警戒は続けるがな」
「まあ、港町だ。そう危険でもない」
そう言って二人は別れた。
通りを少し歩くと、魚を焼く香ばしい匂いが流れてきた。
屋台だ。
大きな鉄板の上で魚が焼かれている。脂が弾ける音がして、煙が上がる。
タイラーの腹が鳴った。
あおいがくすっと笑う。
「お腹すいた?」
「すいた」
素直に言う。
店の奥から男が顔を出した。
黒豹の顔だ。だが声は穏やかだった。
「おう、いらっしゃい。食うか?」
「食う」
タイラーは迷わなかった。
木の椅子に座ると、すぐに皿が運ばれてくる。
焼き魚だ。大きい。皮がぱりぱりに焼けている。香草と塩が振られている。
あおいが目を輝かせた。
「いい匂い」
箸はない。
ナイフとフォークの代わりに、小さな短剣と木の匙が置かれている。
タイラーは慣れた手つきで魚を割いた。
白い身が湯気を立てる。
一口食べて、思わず声が出た。
「うまい」
あおいも食べる。
「……ほんと」
塩が強い。だが、それがいい。港町の料理は濃い味になる。汗をかく仕事が多いからだろう。魚の脂と塩が、妙に合う。
タイラーは窓の外を見た。港が見える。
帆船が並び、人が行き交う。
酒の匂い。魚の匂い。潮の匂い。
その空気に、どこか覚えがある。
(港町ってのは)
どこも似てるんだな。
現実世界でも、港町はいくつか歩いた。若い頃、車で走ったときに寄った場所。名前までは覚えていない。けれど、海沿いの町というのは、どこか同じ空気を持っている。
旅人が来る。そして去っていく。この町もそうだ。
あおいが魚を食べながら言った。
「タイラー」
「ん?」
「ここ、好き」
短い言葉だった。
だが、その言葉に全部入っている。タイラーは笑った。
「俺もだ」
四日は、あっという間に過ぎた。
市場を歩き、港を眺め、魚を食べ、海風を浴びる。時々、セイルやガレンとも顔を合わせた。
ローディス氏の回復は順調だった。
出発の前夜。
宿の部屋で休んでいると、扉を叩く音がした。
開けると、ガレンが立っていた。
「ローディス氏が呼んでいる」
タイラーは立ち上がる。あおいも一緒に部屋を出た。
廊下の奥の部屋。扉をノックすると、中から声がした。
「どうぞ」
扉を開ける。
エドヴァル・ローディスが椅子に座っていた。
顔色はかなり戻っている。まだ立ち上がるには時間が必要だが、目の力はしっかりしていた。
「来てくれてありがとう」
ローディスは言った。
「改めて、話しておきたいことがある」
タイラーとあおいは席についた。
港の灯りが、窓の外で揺れていた。宿の部屋は静かだった。
窓は半分だけ開いている。海風がゆっくりと部屋に入ってきて、灯りをわずかに揺らしていた。
港町の夜は遅くまで騒がしいが、この宿の上階は思ったより静かだ。
遠くで船の帆がきしむ音と、酒場から流れてくる笑い声が、かすかに聞こえるくらいだった。
エドヴァル・ローディスは椅子に座っていた。胸元にはまだ包帯が巻かれているが、顔色はかなり戻っている。
四日前の夜、野営地で見た時とは別人のようだった。
「来てくれてありがとう」
そう言ってから、ローディスは少し姿勢を直した。
「まずは礼を言わせてほしい。君たちがいなければ、私はここまで来られなかった」
タイラーは軽く首を振った。
「仕事ですので。回復が順調でなによりです。」
契約して、守った。それだけのことだ。
ローディスは小さく笑った。
「そう言うと思っていた」
机の上の杯に手を伸ばし、少しだけ酒を口に含む。それから静かに言葉を続けた。
「だが、今回の件については、少し説明しておきたい」
タイラーは黙って頷いた。
本来、雇われの護衛にそこまで話す必要はないはずだ。荷を守る、それだけが仕事だ。中身が何かなど知らなくてもいい。
だがローディスはわざわざこうして呼んだ。
それがこの人のやり方なのだろう、とタイラーは思う。
ローディスはゆっくりと話し始めた。
「今回の取引だが、本来はフェルナント商会が担う予定だった」
その名前は、タイラーでも聞いたことがある。遠く離れたリューネルでも名前が通る大商会だ。
「フェルナント商会は、王国でも指折りの規模を持つ商会だ。会長は王都の政にも強い影響力を持っている。だからこそ、この仕事を任された」
ローディスは一度言葉を切る。
窓の外で、波の音がした。
「今回の荷は、王家の管理下にあるものだ」
「国家の運営に関わる物資と言っていい。貴族や地方領主に配られるものではなく、王国そのものを維持するための品だ。大金が動く。」
その言い方で、タイラーは何となく察した。つまり、かなり重要なものなのだ。
「だから、誰でも扱える荷ではない。小さな商会に任せれば、途中で消える危険がある。」
「護衛の数も、資金の管理も、街道の手配も、すべてが大掛かりになる」
ローディスは静かに言う。
「そういう仕事は、大商会にしか担えない」
タイラーは頷いた。言われてみれば当然だった。これだけの規模の輸送を成立させるには、人も金も信用も必要になる。
「フェルナント商会は、その資格を持っていた」
ローディスは続ける。
「だが、失敗した」
言葉は淡々としている。
「今回の輸送を任されていたのは、嫡男のロナンだ。若いが優秀で、次の代表として期待されていた男だった」
ローディスは杯を置いた。
「責任感の強い男だった」
それ以上は何も言わない。だが、その先のことは想像できる。
「街道で盗賊に襲われた」
ローディスの声は低い。
「護衛もいた。だが、相手はかなりの手練れだったらしい。ロナンは護衛と共に討たれ、現金は奪われた」
部屋の空気が少し重くなる。
タイラーは思い出す。あの夜の戦い。王国兵崩れの盗賊の頭。
もしあの男たちがフェルナント商会の隊を襲ったのだとしたら、確かに簡単な相手ではない。
ローディスは続けた。
「王家としては、荷を止めるわけにはいかなかった」
「そこで白羽の矢が立ったのが、我々ローディス商会だった」
タイラーは静かに聞いている。
「我々も大商会の一つだ。規模、資金、人員、街道の手配、すべて条件は満たしている。だからこの仕事を引き受けることになった」
ローディスは少し息を吐いた。
「ただし、事情が事情だ。街道には盗賊が残っている可能性もあった。だから腕に覚えのある護衛を雇いたかった。」
タイラーの方を見る。
「そして君たちが加わった。本当に助かったと思ってる。」
タイラーは肩をすくめる。
「たまたまですよ」
本当にそう思っている。だがローディスは首を振った。
「結果として、我々はここまで来た」
その言葉は静かだったが、重みがあった。少しの沈黙のあと、ローディスが言う。
「本来なら、ここまで説明する必要はない」
「護衛は荷を守る。それだけでいい」
それから少しだけ笑った。
「だが、君たちは私の命を救った。だから事情を隠すのは礼を欠くと思った」
タイラーは小さく頷いた。
なるほどな、と内心で思う。これがこの人の誠意なのだろう。
現代社会でも、この世界でも。人の気持ちにそれほどの差はない。
ローディスは姿勢を少し整えた。
「明日、出発する」
「帰路は現金を運ばない。だから行きほど危険ではないだろう」
それでも、とローディスは続けた。
「街道は安全とは言えない。あの短縮路は、もともとモンスターの生息地だからな」
行きは盗賊に襲われて、そこが曖昧になっていた。だが本来は、それだけでも十分危険な道なのだ。
ローディスは言った。
「帰路も、君たちの力を借りたい」
タイラーはすぐに答えた。
「任せてください」
隣であおいも小さく頷く。
ローディスは安心したように息を吐いた。
「ありがとう」
それから少しだけ笑う。
「それにしても、港町はどうだった?」
タイラーは笑った。
「魚がうまかったです」
ローディスも笑う。
「それはよかった。ルーメルの魚は王都でも評判だ」
窓の外では、海風が灯りを揺らしている。
明日、彼らはこの町を出る。短い滞在だったが、悪くない時間だった。
タイラーは窓の外を眺めた。そして、心のどこかで思う。
明日からまた、街道だ。
危険がある。




