第九十四話 失われた名
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
淡々と語る口調に、感情は一切感じられない。
「僕たちはラジオを手掛かりに住処を突き止めました。しかし、すでにもぬけの殻でした。付近を捜索させるも音沙汰なし」
机の資料へ目を落とす。
「近くのホームレスへ聞き込みをしたところ、『数日前から帰っていない』とのことでした」
「諦めかけていた時に同胞が、あの人身事故を偶然目撃していましてね」
「本当なら、その場で兄さんを保護する予定でした」
「ですが、あなたは老婆と共に姿を消してしまった」
「ですから、帰ってくるまで住処で待った。それだけです」
「……俺が戻らなかったら?」
俺の問いにも、辰緑は迷わない。
「待ち続けました」
「兄さんは、必ず帰ってくる」
「そう信じていましたから」
その一言に、俺は言い知れない寒気を覚えた。
辰緑は何かを思い出したように軽く手を叩く。
「ああ、そうでした」
「あの黒いカバンですが──処分しました」
一瞬、時間が止まる。
「……何だと」
俺は目を鋭く細めた。
「中身は分かりません」
「ですが、兄さんが執着していた」
「だから放置するわけにはいきませんでした」
「ふざけるな!」
思わず声を荒げる。
辰緑は眉一つ動かさない。
「兄さん」
「もう覚悟を決めてください」
「ここで暮らし、本来いるべき場所へ戻るのです」
「我々と共に」
その時だった。
コンコン。
静かなノックが部屋へ響く。
「卓郎です」
「入りなさい」
扉が開き、卓郎が一礼する。
「マスター、準備が整いました」
「兄さんを別室へ案内してください」
「私は作戦の最終確認を済ませます」
「承知しました」
卓郎は俺へ向き直る。
「こちらへ」
俺は抵抗しようとしかけたが、首輪へ視線を落とす。
爆弾。
その存在を思い出し、小さく息を吐いた。
「……分かった」
卓郎の後を追う。
別室。
卓郎が扉を開ける。
「皆さん」
「マスターのお兄様をお連れしました」
部屋にいた人が、一斉に俺へ視線を向けた。
「あ……どうも」
俺は居心地悪そうに頭を下げる。その中で
最初に立ち上がったのは、小柄な女性だった。
「どうも」
「喜多川音々です」
「ガラス細工を作っています」
「この前、彼へ犬の置物を贈ったんですよ」
人懐っこい笑顔だった。
その隣では老人が豪快に笑う。
「はっはっは!」
「あの犬は嬢ちゃんが作ったんか!」
「初めまして、わしは望月班のリーダー、望月平蔵」
「歴史の研究と絵を描くのが生きがいでな」
「自衛団左衛門は、わしが考え、ヤツに提案したんだ。よろしく頼む」
白髪の老婆が穏やかに会釈する。
「こらこら、マスターでしょ?」
「九十九班のリーダー、九十九恵美です」
「最近はゴルフくらいしか取り柄がありませんけどね。昔は看護師の先生をやっていました。医学のことには他よりも少し詳しいかもしれません」
最後に、一人の女性が短く頭を下げた。
「羽田美香です」
「よろしくお願いします。趣味は、色々な器具の作成です。この前マスターに西洋人形をプレゼントしたんです」
俺は四人を見渡した。
誰もが穏やかな笑みを浮かべている。
だが、その笑顔にはどこか作り物めいた違和感があった。
まるで、仮面を被っているようだった。
「一つ、聞いていいか」
喜多川が首を傾げる。
「はい?」
「あのマスターって、一体何者なんだ」
四人は顔を見合わせる。
そして、ほとんど同時に笑った。
喜多川が口を開く。
「私の命の恩人です」
望月も頷く。
「あの人がおらんかったら、今のわしらはおらん」
九十九が静かに続けた。
「法が裁けない悪を裁く方」
「私たちに、本当の正義を教えてくださった人です」
羽田も小さく呟く。
「……私たちの希望です」
俺は苦笑した。
「正義、か」
その言葉だけは、どうしても受け入れられなかった。
その時、再び扉が開く。
「兄さん」
青年が静かに部屋へ入ってきた。
「打ち合わせは終わりました」
「兄さんには、まだ名乗っていませんでしたね」
とか
「改めて自己紹介を」
青年はゆっくりと頭を下げる。
「私は皇辰緑」
「自警団。左衛門を束ねる者です」
俺は首輪へ触れ、自嘲気味に笑う。
「暇つぶしに、お前の話くらいは聞いてやる」
「教えてくれ」
「あの日、俺に何があった」
辰緑は静かに目を閉じる。
やがてゆっくりと開き、まっすぐ俺を見つめた。
「分かりました」
「兄さんには、知る権利があります」
部屋の空気が張り詰める。
辰緑は静かに息を吸い込んだ。
「――では、お話ししましょう」
「兄さんが"紅石"を捨て、"あかし"になった日のことを」
いつもご愛読賜りまして、誠にありがとうございます。
重く深いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はなお続いております。
彼らの心の揺れや選択の行く末を、これからも温かく見守っていただけますと幸いに存じます。
一歩ずつ前へ進む姿を、読者の皆様と共に感じられますことを心より願っております。
次回も変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
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次回更新日:8月16日(土)2時から、日付変わるまで二時間おきに投稿予定。(社会情勢によって変動。)
(2時,4時,6時,8時,10時,12時,14時,16時,18時,20時,22時)
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