第九十三話 悪夢
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
青年は微笑んだ。
それは優しさではなく、獲物を観察する者のような笑みだった。
「兄さんはね、“選んだ”んだよ」
「……何をだ」
「人を救う側か、それとも切り捨てる側か」
沈黙が流れる。
俺の拳が、わずかに震えた。
「……意味が分からない」
「分からないよね。だって兄さんは、“忘れることで生き延びた”んだから」
青年はゆっくりと立ち上がる。
椅子が、静かに軋んだ。
「でもさ、それって本当に“生きている”って言えるのかな?」
一歩。
また一歩。
青年は、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「記憶も、過去も、自分が何を選んだのかさえ失って……。ただ流されるままに生きているだけ」
「黙れ」
俺は鋭く言い放った。
「お前に、俺の何が分かる」
「分かるよ」
青年は即答した。
「だって兄さんは――僕を見捨てた人だから」
その言葉が落ちた瞬間、
俺の胸に鋭い痛みが走る。
――知らない。
――そんな記憶はない。
それなのに。
心の奥底で、“何か”が反応していた。
「……っ」
俺は頭を押さえる。
脳裏に、断片的な光景が浮かんでは消えていく。
夜。
燃え上がる炎。
誰かの叫び声。
そして――。
「やめろ……」
「思い出してきた?」
青年は、どこか嬉しそうに笑う。
「安心して。全部思い出さなくてもいい」
「むしろ、その方が都合がいいから」
「……何の都合だ」
「もちろん、“正義”の都合だよ」
その瞬間。
部屋の外から、規則正しい足音が聞こえてきた。
一人ではない。
複数人の足音が、迷いなくこちらへ近づいてくる。
『――朝会を開始します』
無機質なアナウンスが施設内に響いた。
青年は静かに振り返る。
「時間だ」
扉が開く。
外には三人の男女が待っていた。
「美香」
「卓郎」
「たけし」
青年が名を呼ぶと、三人は同時に頭を下げた。
「行きましょう、マスター」
俺は立ち上がろうとする。
しかし、その瞬間、首元に巻かれた首輪が冷たく肌へ食い込んだ。
――逃げられない。
その現実だけが、嫌というほど伝わってくる。
部屋を出ると、大広間には黒いローブをまとった者たちが整然と並び、全員が片膝をついていた。
俺は息を呑む。
――この光景。
どこかで見た。
記憶の奥底に残る、あの悪夢と同じだ。
青年は一段高い壇上へ上がると、静かに口を開いた。
「諸君、ご苦労だった。」
「兄を取り戻した功績は大きい。」
「長期間にわたる監視任務、本当によく耐えてくれた。」
「その功績を称え、今回の作戦指揮権を卓郎、美香、たけしの三名に与える」
「異論はあるか」
一同が声を揃える。
「ありません、マスター」
「よろしい」
「各員、深夜の作戦に備え、支度を始めろ」
「解散」
ローブ姿の者たちは一斉に立ち上がり、それぞれ持ち場へ散っていった。
再び部屋へ戻ると、俺は青年を鋭く睨みつけた。
「聞きたいことは山ほどある」
「さっきから何を言ってる」
青年は穏やかな笑みを崩さない。
「我々は自警団《左衛門》」
「法では裁けない悪を裁くために集まった者たちです」
「正義が届かないなら、我々が正義になる」
俺は鼻で笑った。
「くだらねぇ」
「勝手に正義を名乗ってろ」
「俺には関係ない」
「帰らせてもらう」
青年は小さく肩をすくめた。
「まだ洗脳が解けていないようですね、兄さん」
「そうそう、一つ言い忘れていました」
青年は、俺の首元を指差す。
「その首輪」
「爆弾入りです」
「このスイッチ一つで終わります」
青年はポケットから小さなリモコンを取り出し、指先で軽く回した。
「死にたいなら止めません」
俺の表情は凍りついた。
いつもご愛読賜りまして、誠にありがとうございます。
重く深いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はなお続いております。
彼らの心の揺れや選択の行く末を、これからも温かく見守っていただけますと幸いに存じます。
一歩ずつ前へ進む姿を、読者の皆様と共に感じられますことを心より願っております。
次回も変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
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次回更新日:8月15日(土)22時(社会情勢によって変動。)
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