第百二十三話 不登校の君へ
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
少女が軽く頭を下げた。
「初めまして。小島冬香です。よろしくお願いします」
「。。。全隆盛です。よろしく」
僕も頭を下げる。
先生は立ち上がると、僕たちを見た。
「無理に学校へ連れてくる必要はありません。大我君がどうしたいのか、話を聞いてあげてください」
それだけ言うと、先生は会議室を出ていった。
扉が閉まる。
途端に、会議室が静かになった。
小島さんは机の上に置かれていたプリントを手に取った。
「……どうする?」
僕は少し考える。
先生に頼まれたから来た。
でも、だからといって、無理やり学校へ連れてくるつもりはなかった。
「とりあえず、届けるだけ届けよう」
僕たちは会議室を出た。
廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「俺が大我の家まで案内する。ついてこい」
振り返る。
そこには、ふくよかな体型をした男子生徒が立っていた。
「俺は室賀駿太。大我とは友達だ。誕生日会を一緒にやったことだってある」
そう言って、室賀さんは歩き始めた。
僕たちも後を追う。
久本大我さんの家へ向かう道中、僕たちはほとんど会話をしなかった。
やがて、一軒の家の前で室賀さんが足を止める。
「ここだ」
室賀さんがインターホンを押した。
ピンポーン。
「はい」
「室賀です。今日は先生に頼まれて、プリントを届けに来ました」
「今行くわね」
しばらくすると、玄関の扉が開いた。
大我のお母さんらしき女性が顔を出す。
「あら、わざわざありがとう。中に入って、入って」
「すみません、おばさん。いつも」
「ええ、いいのよ。……あら?」
おばさんは僕たちを見る。
「先生から聞いたわよ。大我とお話ししたいんでしょう?」
「はい」
「じゃあ、先に二階へ行ってて。お菓子を持っていくから」
「ありがとうございます」
僕たちは靴を脱ぎ、二階へ上がった。
室賀さんが先に部屋へ入る。
そして、開口一番――。
「大我、学校来いよ」
ベッドに座っていた久本さんが、面倒そうに顔を上げた。
「わかった、わかった。お前はそればっかりだな」
「なんで来ないんだよ」
室賀さんの声が少し強くなる。
「来いよ……来いって!」
「嫌だ」
久本さんは目を伏せた。
「行ったって、いじめられるだけだ」
「いじめられたら、俺も先生も守るから」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、なんだよ」
「クラスのみんなとも、担任とも合わないんだよ」
室賀さんは言葉を失った。
僕たちを指差す。
「こいつらは?」
久本さんが僕たちを見る。
「同じクラスの小島さんと全。先生に頼まれて来たんだ」
少し間を置いて、
「たぶん、元不登校だったからじゃね?」
「……」
室賀さんが黙る。
久本さんはため息をついた。
「室賀。こいつらと少し話したい」
「は?」
「おかあさんの手伝いでもしてきてくれ」
「なんでだよ。親友を差し置いて、どうして――」
「……頼む」
久本さんの声は静かだった。
室賀さんはしばらく大我を見つめていたが、舌打ちをする。
「チッ……わかったよ。ここにいても、埒が明かねえし」
ドアが閉まる。
部屋に残ったのは、僕たち三人だけになった。
久本さんはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと口を開く。
「俺、生まれつき声が聞き取りにくいって言われてるんだ」
僕たちは黙って聞いた。
「それに、体臭もきついらしい」
久本さんは自嘲するように笑った。
「それを理由に、いじめられてきた」
机の上に視線を落とす。
「きっかけなんて、些細なことだった」
「先生から、何かの病気なんじゃないかって疑われて、病院で診てもらうように言われたこともある」
拳を握る。
「何度も、何度も……なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだって思った」
声が少し震えていた。
「なあ」
久本さんが僕たちを見る。
「俺、どうしたらいいと思う?」
答えが出てこない。
「学校に行きたくないって言ったら、逃げてるだけだって言われる」
「でも、行ったらまた同じことになる」
「……じゃあ、俺はどうすればいいんだよ」
僕は言葉を返せなかった。
「……」
学校に行けと言えばいいのか。
行かなくてもいいと言えばいいのか。
どちらを選んでも、久本さんの人生を僕が決めることになる気がした。
そのとき、ふと頭に浮かんだ。
――あのお兄さんなら、どうする。
僕が考えている間に、小島さんが口を開いた。
「これ……プリント」
久本さんの前に差し出す。
「みんなから」
「……フン」
久本さんはプリントを受け取った。
小島さんは少しだけ迷うように口を閉じ、それから言った。
「じゃあ、私はこれで」
「……おい」
久本さんが呼び止める。
「何?」
「……お前も、いじめられてたのか?」
小島さんは少しだけ驚いた顔をした。
そして、頷く。
「うん。私もいじめられてたよ」
「どんな?」
「例えば、絵を描くと、『変な色』とか言われたり」
久本さんは黙って聞いている。
「でも、知り合いのお姉さんに教えてもらったの」
小島さんは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「嫌なことをされても、反応しない方がいいって」
「それから、嫌なことを一つ一つ先生に伝えた」
「それで……少しずつ、なくなっていった」
久本さんは何も言わない。
小島さんは続ける。
「でも」
一度、言葉を切った。
「その人の痛みは、その人にしか分からないから」
「私には、あなたの痛みは分からない」
久本さんが顔を上げる。
「だから、学校へ行けとも、行くなとも言えない」
その言葉を聞いて、僕は小島さんを見る。
小島さんは少し笑った。
「でも、いつか今日のことを笑い話にしたいから、私は学校に行ってる」
「……それだけ」
久本さんは黙っていた。
僕も、ようやく口を開く。
「僕も……ある人から言われたことがある」
久本さんがこちらを見る。
「消えるかもしれない痛みを先に受けきるのか」
「それとも、あとになって別の痛みを受けるのか」
「どっちを選ぶか決められるのは、自分自身だって」
僕は少しだけ息を吐く。
「それが、ずっと心残りだった」
「だから今日は……たまたま朝早くに起きられたから、来ただけなんだ」
久本さんは黙って僕を見る。
「でも」
僕は続けた。
「僕は、来てよかったと思ってる」
「もし来なかったら……後になって、きっと後悔してたと思う」
「ここで来なかったら、次に行くタイミングを逃してしまう気がした」
少しだけ間を置く。
「だからって、久本さんに学校へ行けとは言わない」
「僕は……アンタが来てくれたら嬉しいよ」
久本さんの目がわずかに揺れた。
「でも、無理強いはしない」
「……できないし」
小島さんも頷いた。
「もし、『行きたい』って気持ちがほんの少しでもあるなら、行った方がいいと思う」
「後悔しないためにね」
僕も続ける。
「ゆっくり考えればいい」
「ただ――」
僕は久本さんを見る。
「最後は、自分で選んだ方がいいと思うよ」
しばらく、誰も何も言わなかった。
やがて、小島さんが立ち上がる。
「じゃあ……また明日」
僕も立ち上がった。
「また明日」
久本さんから返事はなかった。
僕たちは部屋を出る。
階段を下りている途中、小島さんが小さく息を吐いた。
「……来るかな」
「分からない」
僕は答えた。
本当に分からなかった。
でも――。
それでいいのだと思った。
久本さんがどうするのか。
それを決めるのは、僕たちじゃない。
きっと、本人なのだから。
いつもご愛読賜りまして、誠にありがとうございます。
重く深いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はなお続いております。
彼らの心の揺れや選択の行く末を、これからも温かく見守っていただけますと幸いに存じます。
一歩ずつ前へ進む姿を、読者の皆様と共に感じられますことを心より願っております。
次回も変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
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次回更新日:8月31日 22時




