第百話 虚ろなる証
【注意事項】
本作品には自殺や精神的に重いテーマが含まれています。
読む際にはご自身の心身の状態を十分にご考慮ください。
心の不調を感じた場合は、無理に読み進めず、専門機関や信頼できる人に相談されることをおすすめします。
※この作品はフィクションです。登場人物・団体・事件はすべて架空であり、現実の自殺や暴力を肯定・助長する意図はありません。
写真でも。
制服でも。
姉さんがいつもつけていた髪留めでもよかった。
姉さんが、ここに生きていた証が欲しかった。
ただ、それだけだった。
けれど――
何一つ残っていなかった。
「……ない」
思わず声が漏れる。
「姉さんの物が……何一つない」
部屋は異様なほど整えられていた。
まるで、誰かが姉さんという存在だけを、この世から消し去ろうとしたかのように。
紅石兄さんは何も言わない。
机の引き出しを開け、本棚を動かし、壁を軽く叩いて回る。
部屋中を確かめていた兄さんの手が、不意に床の一角で止まった。
「……音が違う」
しゃがみ込み、拳で床をもう一度叩く。
コン……。
床板の下から返ってきたのは、明らかな空洞の音だった。
「地下がある」
その瞬間――
屋敷の外から怒号が響いた。
「恭介! 通! 出てこい!」
父さんの声だった。
続けてタイヤが地面を軋ませる音。
無線の雑音。
「正門へ集まれ!」
「侵入者だ!」
警備員たちの足音が、一斉に正門へ向かっていく。
紅石兄さんが僕を見る。
「今しかない」
僕たちは人気のなくなった廊下を駆け抜けた。
床下へ続く鉄扉。
鍵は掛かっていたが、慌てていたのか完全には閉められていない。
隙間へ指を挿し込み、二人で力いっぱい押す。
ギギギ……。
重々しい音を立て、鉄扉がゆっくりと開いた。
冷え切った空気が頬を撫でる。
地下には古びた棚や工具が並び、湿った土の匂いが漂っていた。
しかし、生活用品は一つもない。
人が暮らしていた痕跡だけが、不自然なほど綺麗に消されていた。
「姉さん……」
呼びかけても、返事はない。
聞こえるのは、自分たちの呼吸だけだった。
紅石兄さんが唇を強く噛む。
「……連れ出されたのか。」
その一言が胸に突き刺さる。
僕は拳を握り締めた。
あと一歩、早ければ。
あと少しだけ早ければ。
姉さんを助けられたのかもしれない。
その時だった。
地下の隅。
工具棚の陰に、小さな紙切れが落ちているのが目に入った。
拾い上げる。
何も書かれていない。
そう思った次の瞬間。
紙を裏返した俺は息を呑んだ。
そこには、黒いインクでたった一行だけ記されていた。
『法は、救わない。』
「これは姉さんの字」
意味は分からなかった。
その時の僕には。
ただ、その言葉だけが妙に胸へ引っ掛かった。
――この一文が、数年後、僕と兄さんたちの運命を大きく変えることになるとは。
その時の僕は、まだ知る由もなかった。
いつもご愛読賜りまして、誠にありがとうございます。
重く深いテーマに向き合いながらも、登場人物たちの物語はなお続いております。
彼らの心の揺れや選択の行く末を、これからも温かく見守っていただけますと幸いに存じます。
一歩ずつ前へ進む姿を、読者の皆様と共に感じられますことを心より願っております。
次回も変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。
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次回更新日:8月16日(土)2時から、日付変わるまで二時間おきに投稿予定。(社会情勢によって変動。)
(14時,16時,18時,20時,22時)
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