8.笑顔の守護者(ララ視点)
「ハトさーん!お手紙のお返事は、まだですかー!?」|
「姉様、そんなに走ったら、こけちゃうよ!」
今日も、マーキア伯爵家は賑やかだ。目の前では、アイリスお嬢様が伝書鳩を、弟のマシュー様がお嬢様を追いかけている。
「ふふっ。今日も元気ね。」
「本当だね。ハトとも仲良くしているようで、何よりだよ。」
──あれは、仲良しなのでしょうか…?
のほほんと微笑みながらお嬢様達を見守る伯爵夫妻の会話を聞いて、私は疑問を浮かべた。
マーキア伯爵家の皆様は、弟君を除いて、天ね…こほんっ!…おっとりしている。その雰囲気に影響を受けてか、使用人達も、同様の性質になるようだ。現に私も、この空間にいるだけで、自然と頬が緩んでしまう。
「ぁっ…。」
そんなことを考えていると、目の前のお嬢様が小石に躓き、転けそうになる。私は瞬時に駆け出し、お嬢様を支えた。
「…お嬢様、お怪我はありませんか?」
「う、うん!」
転ける寸前、怖がっていた表情が嘘のように、お嬢様は満面の笑みになる。そうして安心したのか、いつも通りギュッと抱きついてくる。お嬢様の感情を表すように、頭上のクルンとした髪が、ふわりと揺れる。
「えへへ…。ララ、いつもありがとう。だいすき〜。」
「ふふっ、当然ですよ。」
──か、か、かわいいいいい!今ので寿命が倍に伸びたわ!!
表面上、優しく微笑みつつ、心の中で歓喜した。
──ああ…今まで努力してきて良かった…。
私はお嬢様の頭を撫でつつ、過去の思い出に浸った。
◇◇◇
時は、私とお嬢様が初めて出会った頃に遡る。今では明るいお嬢様だが、当時は引っ込み思案で泣き虫だった。というのも、生まれてこの方、他家の子供達と関わる機会がなく、伯爵夫妻にベッタリだったからだ。しかし、弟君が産まれてからは、これまで通りという訳にもいかず、お部屋に篭るようになった。そして、家族以外と目を合わせるのが怖いからと、今よりも、うんと長い前髪で、目元を隠していた。
心配した伯爵夫妻は、私を、お嬢様の専属メイドにした。「メイドの中でも、お嬢様と歳の近い私であれば、お嬢様の人見知りも少しずつ改善されるだろう。」と、お考えになったからだ。
それから、私は奮闘した。まずは、笑顔で話しかけた──すぐ扉を閉められてしまった。次は、美味しいお菓子を見せて、誘い出そうとした──お菓子をじっと見つめるだけで、近づいたら、すぐカーテンの裏に隠れてしまった。その後は、お花で…玩具で…読み聞かせで──色んな方法を試したが、無念に終わった。
──くっ!手強過ぎるわ!
私は現状を嘆きつつも、関わり続けることを諦めなかった。だって、前髪の隙間から僅かに見える瞳が、キラキラしているように思えたから。
──どんなものでも、静かに興味を示してくれている。お話できるようになったら、色んなことをお伝えしたいわ。…きっと、今よりも明るく、たくさんの笑顔を見せてくれるはずだもの。
そんなことを考えていると、不意にお嬢様の泣き声が聞こえてきた。
「お、お嬢様!?大丈夫ですか!?」
すぐに駆けつけると、お嬢様がウサギのぬいぐるみを抱きしめながら、ポロポロと涙を流していた。
「う、うさちゃんが…。アイリスのせいで、いたいいたいしてるの…。ご、ごめんなざい…。」
──いたいいたい?
不思議に思い、ぬいぐるみを見ると、糸がほつれて、綿が少し飛び出していた。このぬいぐるみは、お嬢様が産まれる前から、奥様方がお嬢様のために用意していたものだと聞いている。お嬢様は、このぬいぐるみを大切にしており、ずっと肌身離さず連れていたから、寧ろよく保っていた方だ。
「大丈夫ですわ、お嬢様。お嬢様のせいではありません。私がうさちゃんのおケガを治しますわ。」
「ほ、ほんとぉ…?」
そこで、初めて目が合った。桃色の長い前髪は、涙でよれている。そのお陰で、普段前髪で隠れている空色の瞳がしっかりと見えた。涙で潤む瞳は、サファイアのように煌めいている。
──こんなに綺麗な瞳をしていたのね。
「…ええ、もちろんですわ。少し待っていてくださいな。」
私は裁縫セットを取り出し、ぬいぐるみのほつれをなおしていく。
──お嬢様の思い出が詰まったぬいぐるみ…大切に大切に扱わなくては…。
一針一針を慎重に進めていく。お嬢様が、じっと見守るなか、静かな時間が、ただただ流れた。
「…よし。これで、うさちゃんのおケガは治りましたわ!」
ぬいぐるみをお嬢様に手渡した。お嬢様は、ぬいぐるみをギュッと抱きしめると、嬉しそうに頬擦りし始めた。私が笑顔で見つめていると、それに気づいたお嬢様がビクッと肩を震わせた。
──まずい。見過ぎたわ。
慌てて目を背けると、お嬢様がおずおずと近寄る気配がした。そっと視線を戻すと、目の前には、ぬいぐるみの顔が間近に合った。思わず目をパチクリさせる。すると──
「えっと、あのね…。ララ…なおしてくれて、ありがと…。」
ぬいぐるみで顔を隠したお嬢様が、消え入りそうな声で言った。お嬢様は、ぬいぐるみの腕をそっと上下させて、恥ずかしながらも、一生懸命に感謝を伝えようとしている。
──……………か、かかかかわいいいい!!??
あまりの可愛さに固まった後、ふと浮かんだ疑問が口をついて出た。
「わ、私の名前…覚えていてくださったのですか?」
「う、うん…。いつも、はなしかけてくれるから…、う、うれしくて…。けど、はずかしくて、…いつもかくれちゃって…。ご、ごめんなさい…。」
──しつこく関わり続ける私は、きっと嫌われているだろう…そう思っていたのに…。
「いえ、こちらこそ一方的に話しかけて、ごめんなさい。…もし良かったら、おしゃべり…しませんか?」
「…ぅ、うん!」
私の提案に、お嬢様が笑顔で頷く。その笑顔がとても眩しくて、これから先も、ずっと支えていきたいと、心の底から思った。
◇◇◇
「…ララ…ララ、大丈夫?」
頭を撫でながら過去に耽っていた私を心配したのか、お嬢様が上目遣いで見つめてくる。伯爵夫妻や弟君まで、心配そうに私を見つめている。
「いえ、お嬢様の髪はふわふわで、気持ちいいなぁと思いまして…。」
「ほ、ほんとう?えへへ、もっとなでていいよ。」
私の言葉に喜んだお嬢様が、私が撫でやすいように頭を寄せてくる。その仕草にキュンとしつつ、再び頭を撫で始める。
そして、例の婚約者──ルカス・フォン・フィークスのことを思い浮かべた。彼は、お嬢様からの手紙に、返事の一つも寄越さないのだ。
──お嬢様の想いは、伝わらないのかしら…。
返事を待ち続けながら、諦めずに二通目の手紙を書いたお嬢様。プレゼントを用意するため、指を怪我しながら初めての刺繍を頑張ったお嬢様。──けれど、二通目の手紙を送れど、未だに返事は来ない。以前のお嬢様からは、考えられないほど、努力しているのに…。
ふと、お嬢様を見つめる。伯爵夫妻にも頭を撫でられ、弟君には抱きつかれて、そんな中、無邪気に笑っている。
──お嬢様の笑顔のためにも、私にできることをやらなければ。
「お嬢様、貴方の笑顔は、私が守ります!」
「ぇ?えへへ、ありがと〜。」
私の真意に気づかぬまま、お嬢様はのほほんと微笑む。それで良い。この笑顔を守るためにも──
──待っていなさい。ルカス・フォン・フィークス!!
まだ見ぬ顔を思い浮かべる。覚悟を改めた私は、メラメラと瞳を燃え上がらせながら空を見上げた。




