第7話 雪は、氷ではございません
五月九日。北の山へ人夫が二十人、坂を上がっていきました。
ベルクマン家が雇われた方々でございます。鶴嘴と鋤と、布を張った大八車。先頭に立っていらっしゃるのは、伯爵領の役人のお一人で、名をシュミット様と申します。
北の山の陰には、六月の半ばまで残雪がございます。それを掘って運び下ろせば、氷の代わりになる。そういうお話になったのだそうでございます。
わたくしは坂の上からその列を見ておりました。ヨナスは氷室の脇で、鋸の柄に油を塗っております。
「見んのか」
「見ております」
「行かんのか」
「呼ばれておりませんので」
ヨナスは油の布を置いて、坂の方を見ました。それから、腰を上げました。
「わしは行く」
「ヨナス」
「呼ばれとらんが、あれは危ない。斜面の雪を下から掘る気だ」
それで、わたくしも参りました。
北の山の陰は、五月でも風が冷とうございます。谷の底に雪が残っておりまして、上から見ると白い帯のように見えます。
人夫の方々は既に掘り始めていらっしゃいました。鶴嘴で崩して、鋤で掬って、大八車の布の上に積み上げてゆきます。積むそばから、雪は自分の重みで沈んでまいります。
「シュミット様」
役人の方が振り向かれました。
「これは、リンデのお嬢さん。見学ですかな」
「いえ。掘る場所のことで、うちの者が」
ヨナスが前へ出ました。役人の方は、老人を上から下まで一度ご覧になってから、雪の方へ顎を向けられました。
「氷室の者か。ちょうどいい、見てもらおう。これだけあれば、四百箱ぶんは楽に取れる」
「取れんね」
「なに」
「その雪は、氷じゃない」
シュミット様のお顔が、少し険しくなりました。
「同じ水だろう」
「同じ水だ。だが別のものだ」
ヨナスは大八車のところまで歩いて、積んである雪をひとつかみ取りました。それから、わたくしの方へ来て、掌を開いて見せます。
「お嬢さん、握ってみい」
握りました。握ったそばから、雪は形を変えて、掌の中で水になります。指のあいだから落ちて、袖口を濡らしました。
ヨナスは腰の袋から、布にくるんだ氷の欠片を出しました。今朝、氷室から持ってきたものでございます。
「こっちを握れ」
握りました。冷たくて、痛いくらいでございます。掌を開くと、欠片は角が少し丸くなっただけで、まだ欠片のままでございました。
「雪は空気だ。半分より多く空気だ」
ヨナスは人夫の方々に聞こえるように申しました。
「同じ大きさの箱に詰めても、入る水の目方が違う。運ぶ途中で沈む。沈んだ分は溶けて流れる。山を下りるまでに、その車の雪は三割になる」
「三割」
「ならんかもしれん。二割かもしれん。わしは数えん。数えるのはお嬢さんの仕事だ」
わたくしは、袖口を絞りながら申し上げました。
「シュミット様。人夫が二十人で、往復に十日でございましょうか」
「そう見積もっている」
「宴は六月十日でございます。今日が五月九日でございますから、往復を三度でございますね」
「二度は確実だ。三度目は日和による」
「三度で、この車が何台でございましょう」
シュミット様は、大八車を数えられました。
「六台だ」
「一台に雪をいっぱい積んで、山を下りて、氷の目方に直したときに、何箱ぶんになるかをお測りになりましたか」
役人の方は、答えられませんでした。
わたくしは、そこで止めました。測っておられないのなら、この場で数を申し上げても、それはわたくしの数でございます。この方が自分でお測りになった数でなければ、奥様のお耳には届きません。
「一台ぶんだけ、下ろしてみてくださいませ」
「なに」
「一台ぶんを下ろして、氷室の秤にお掛けになってくださいませ。数が出ましたら、あとは掛け算でございます」
シュミット様は、しばらくわたくしを見ていらっしゃいました。それから、人夫の方に手を振られました。
「一台、先に下ろす。他は掘り続けろ」
夕刻、その一台が坂を上がってまいりました。
布をめくると、朝は山盛りだった雪が、車の底に薄く残っているだけでございます。溶けた水は途中でみな流れて、道に跡を残しておりました。
ヨナスが秤に掛けました。氷の箱で言えば、四箱と少し。
六台で、二十七箱。往復三度で、八十一箱。
シュミット様は、その数を紙に書き留めていらっしゃいました。手が少し止まってから、もう一度、頭から計算をなさっているのが分かりました。
「四百には、遠うございます」
「……遠いな」
「それに、雪は箱に詰めても崩れますので、宴の卓には出せません。厨で使う分にはよろしゅうございますが」
役人の方は紙を畳んで、深く息をつかれました。
「奥様には、私から申し上げる」
「お願いいたします」
人夫の方々が引き上げていったあと、ヨナスは秤の皿を布で拭いておりました。
「ヨナス」
「なんだ」
「よく、あの場で握らせようとお思いになりましたね」
「わしは字が読めん。紙で言われても分からんからな」
布を畳んで、腰にしまいます。
「分からんものは、手で分かるようにするしかない。奥様がそう言うとった」
母のことでございます。
わたくしは秤の脇に置いたままの雪の残りを見ました。夕方の風に当たって、もう半分ほどになっております。
あれを四百箱ぶん集めるには、山が二つ要ることになります。
「握ってみい。雪は水になる。氷は、手ん中でも氷のままだ」——この作品でいちばん短い講義でございます。教壇も黒板もございません。手のひら一枚でございます。
雪と氷は密度が違います。同じかさでも重さが倍ほど違い、融け方も違います。字の読める役人と人夫二十人より、読めない老爺のほうが先に答えを持っておりました。
次の話、ベルクマン家がついに正しい方向へ動き出します。新しい氷室を掘りはじめるのでございます。掘れます。氷室は、掘れます。




