第6話 六日で半分になります
五月二日。王都からの第一便が出たと、クルトさんが知らせにいらっしゃいました。
もう坂を上がるお役目ではないはずでございますのに、この方はわざわざ歩いてお出でになります。手には帳面に挟むような紙を一枚お持ちでした。
「奥様に、お嬢様へは知らせなくてよいと言われております。ですが、その、氷の受け入れの段取りが」
「お館の氷室は、ございませんでしたね」
「はい。離れの床下に穴蔵がございますが、あそこは酒のためのもので」
わたくしはうなずきました。
ベルクマン家のお館には氷室がございません。婚約が調ってからこちら、氷はこちらの氷室から十日ごとに運んで、厨の脇の桶に入れておりました。桶で保つのはせいぜい二日でございます。
「四百箱を、桶で受けるのはご無理でございます」
「やはり、そうでございますか」
「一箱で桶が四つ埋まります。四百箱でしたら、桶が千六百でございます」
クルトさんの手から、紙が少し下がりました。
「……千六百」
「宴の三日で使い切るのでしたら、着いた日から順に出していくよりほかにございません。ですから、着く日が大事でございます」
わたくしは石段に腰を下ろして、帳面を膝に置きました。クルトさんは立ったままでいらっしゃいましたので、どうぞと申し上げて、隣を勧めました。この方は少し迷ってから、端の方にお座りになりました。
「クルトさん。荷馬車の上の氷は、どのくらい融けるかご存じでいらっしゃいますか」
「いえ」
「一日に一割でございます。夏の街道でしたら、それより早いこともございます」
わたくしは筆を出して、紙の余白に数を書きました。
百箱を積んで、一日で九十。二日で八十一。三日で七十三。四日で六十六。五日で五十九。六日で五十三。
「六日で、半分になります」
クルトさんは、その数の並びをじっと見ていらっしゃいました。
「では、四百箱を届けるには」
「八百箱を積むことになります」
言ってから、わたくしは筆を置きました。
これは意地悪で申し上げているのではございません。八百箱を積めるのなら、それでよいのでございます。荷馬車一台に十箱として、八十台。街道を八十台が列を作って上がってくるのは壮観でございましょう。
けれど、その八百箱が王都にあるのかどうかを、わたくしは存じません。
「奥様には、この数をお伝えになりますか」
クルトさんは、しばらく黙っていらっしゃいました。
「……申し上げます。聞いていただけるかは分かりませんが」
「お願いいたします」
この方は紙を丁寧に畳んで、内に入れて、坂を下りていかれました。途中で一度立ち止まって、街道の方を長くご覧になっているのが見えました。
昼を過ぎた頃、坂の下から人が上がってまいりました。
フェルデ村のグレタさんでございます。パンを焼いていらっしゃる方で、母の代からのお付き合いでございます。膝が悪いので、坂を上がるのに杖をお使いになります。
「お嬢さん。お嬢さん」
「グレタさん。どうなさいました」
「孫が、熱を」
息が切れていらっしゃいます。わたくしは腰掛けを出して、水をお持ちしました。
お話を伺いますと、下の孫が二日前から熱を出して、昨夜から下がらないのだそうでございます。医者は明日でないと来られない。冷やすものが要る。
「村の分は、六月十五日でございます」
「分かっとります。分かっとりますが」
「今日、お出しいたします」
グレタさんが顔をお上げになりました。
わたくしは氷室の扉を開けて、手前の一箱を出しました。ヨナスが橇を引いてきて、藁を掛け直して、縄で締めます。
「一箱は重うございます。ヨナス、坂を下りて差し上げて」
「言われんでも行く」
ヨナスは橇の綱を肩に掛けました。
「グレタ、歩けるか」
「歩けます。杖がありますから」
「乗れ。氷の横なら涼しい」
グレタさんは何か言いかけて、それから小さく笑って、橇の端に腰を下ろされました。
ふたりが坂を下りてゆくのを、わたくしは扉の前で見ておりました。橇の跡が土に二本、細く残ります。
帳面を開いて、五月二日の欄に書きました。
——フェルデ、一箱。丸に点。
書いてから、その丸を少しだけ見ておりました。
母の決めた印でございます。何のためにこの印が要るのかを、わたくしは今日まで深く考えたことがございませんでした。追加でお出しした分、というだけの意味だと思っておりました。
けれど、こうして書いてみますと、この印がついた行だけは、いつ、どこの、誰のために出したかが分かるようになっております。
村の欄の数は、ひと月三十箱。それは配りの段取りでございます。丸に点の行は、段取りではございません。
夕刻、ヨナスが戻ってまいりました。
「置いてきた。孫は寝とった」
「熱は」
「知らん。医者じゃないからな」
ヨナスは井戸で手を洗って、それから柱に掌を当てました。
「八百一。そろそろ八百を割るぞ」
わたくしは帳面を繰りました。五月二日で、八百四。ヨナスの掌の方が三箱少なく出ております。
この人の掌が外れることは、まずございません。外れるとしたら、それは氷ではなく、わたくしの数え落としでございます。
わたくしは灯りを持って氷室へ入り、奥から三列目までをもう一度数え直しました。
八百一でございました。
氷は、割ってから運ぶより、大きいまま運んだほうが長持ちいたします。表面が少ないぶん、融ける面も少ないからでございます。ヨナスは字が読めませんが、これを四十年前から手で知っております。
同じ日、王都からの第一便が五十箱を積んで発ちました。この五十箱がどうなったかは、しばらく先で帳面に載ります。覚えておいていただかなくても結構でございます。エルナが覚えております。
次は、北の山に残っている雪の話でございます。雪ならただで手に入る、と誰かが言い出します。




