第5話 では、王都からお取り寄せくださいませ
四月二十三日。アルヴィン様が、お一人で坂を上がっていらっしゃいました。
馬をお使いにならず歩いていらしたのは珍しいことでございます。上着の肩に埃がついておりました。
「エルナ。話がある」
「はい」
「解決した」
わたくしは氷室の脇で鋸の目立てをしておりました。手を止めて、布で指を拭きます。
「何が、でございましょう」
「氷だ」
アルヴィン様は、上着の内から一通の手紙をお出しになりました。封は切ってございます。
「王都のゴットハルト商会に、母上が伝手をお持ちだった。夏の氷を扱う商会だ。返事が来た。買える」
「さようでございますか」
「四百でも六百でも、金さえ払えば揃えられるそうだ。……なあ、エルナ。何も、氷はここにしかないわけじゃないんだ」
アルヴィン様は、少しだけ胸を張っていらっしゃいました。
この方のこのお顔を、わたくしは知っております。三年前、婚約の席で領地の絵図を広げてご説明くださったときと同じお顔でございます。ご自分で調べて、ご自分で見つけて、それを人に見せるときのお顔でございます。
悪いお顔ではございません。むしろ、わたくしはこのお顔を嫌いではございませんでした。
「おめでとうございます」
「……皮肉か」
「いいえ。本当に」
わたくしは鋸を壁に掛けて、手を前で組みました。
「では、わたくしがお引き受けする分は、宴の四百箱を外して構いませんでしょうか」
「え」
「王都からお取り寄せになるのでしたら、こちらの七百箱は館と村の分に回せます。予備も厚く取れますので、こちらとしては助かります」
アルヴィン様は、手紙を持ったまま止まっていらっしゃいました。
「いや、待て。両方あったっていいだろう」
「ございますが、氷室は空きません。夏の終わりまでに使い切らなかった氷は、九月に捨てることになります。捨てるくらいなら、村へ多く回します」
「……村」
「はい」
この方は、村という言葉のところで少しだけ目をお動かしになりました。
けれど、それ以上はお尋ねになりませんでした。手紙を畳んで、内に戻していらっしゃいます。
「まあいい。とにかく、母上は買うと決められた。第一便は五月の頭に出るそうだ」
「王都から、でございますね」
「ああ。……エルナ、そんなに難しい顔をするな。金は出る。うちにはそれくらいの余裕はある」
余裕のお話ではないのでございますが、そう申し上げても仕方がございません。
わたくしは坂の下の街道を見ました。この時刻は日が当たって、白く光っております。荷馬車が二台、麓の方へ下りてゆくのが小さく見えました。
「アルヴィン様。街道は六日でございますね」
「そうだな。荷馬車で六日だ。それが何か」
わたくしは、少しだけ迷いました。
申し上げれば、この方はお調べになるでしょう。お調べになれば、五月の頭に間に合うかもしれません。荷を分けるか、夜に走らせるか、途中で積み替えるか。手はいくつかございます。
けれど申し上げれば、それはわたくしが口を出したことになります。三年間、一度も見ていただけなかった帳面のことを、こちらから押しつけることになります。
アルヴィン様は、手紙の折り目を指でなぞっていらっしゃいました。折り目は一度開いて畳み直した形で、角が少し柔らこうございます。何度もお読みになったのだと思います。
押しつけて聞いていただけたとして、それはこの方が数えたことにはなりません。
ですから、そこで止めました。
「いえ。長うございますね、と思っただけでございます」
「六日くらい、どうということはないさ」
アルヴィン様は笑って、坂を下りていかれました。
夕方、ヨナスが氷室から出てまいりました。手のひらを柱に当てて、いつもの通りに数を言います。
「八百二十そこそこだな」
「昨日で八百二十六でございました」
「合っとる。……坊っちゃんは何しに来た」
「王都から氷をお買いになるそうでございます」
ヨナスは、藁を一束抱え直しました。
「王都からここまで、荷でどのくらいだ」
「六日でございます」
「ふん」
それだけでございました。この人は、荷馬車の上で氷がどうなるかを言葉にいたしません。四十年ぶん体で知っていることを、わざわざ言い直す気がないのだと思います。
「ヨナス。六日で、どのくらい残ると思われますか」
「わしは字が読めん。勘定はお嬢さんの仕事だ」
そう言って、藁を担いで行ってしまわれました。
わたくしは帳面を開いて、四月二十三日の欄に書き入れました。
——宴の四百箱、先方が王都より調達の由。こちらは館・村・予備に配分替えの見込み。
書いてから、その下にもう一行足しました。
——ただし、まだ決まりではない。
その晩、館の櫃を開けて、母の遺言状の油紙を膝に載せました。
紐は解きませんでした。ただ、重さを確かめただけでございます。
クルトさんが「書きつけ、と申されますと」と仰ったときのお顔を思い出しておりました。あの方は、わたくしの言ったことを奥様にお伝えになったはずでございます。
けれど、今日いらしたアルヴィン様は、そのことを何も仰いませんでした。
——母上に、証文のことを伺いましたか。
そうお尋ねすることも、できたのでございます。
お尋ねしませんでした。あの家では、伝わっていないのだと思います。クルトさんが申し上げても、扇が開けば話の向きは変わります。
油紙を櫃に戻して、蓋を閉めました。
五月の頭に第一便が出るのでしたら、着くのは十日過ぎでございましょう。それまでは、こちらから何も申し上げることはございません。
街道は、六日でございます。
「街道は六日でございますね」は、この話でいちばん柔らかい言い方をした一文でございます。柔らかいまま、いちばん長く効きます。
アルヴィン様に悪気はございません。悪気がないまま人を三年放っておけるのが、この方のいちばん怖いところでございます。
次の話、荷馬車に積んだ氷がどうなるかを数えます。一日に一割。六日で、半分でございます。




