第4話 帳面には、三つの欄がございます
四月十八日。朝から雨で、氷室の仕事は休みでございます。
雨の日に扉を開けますと、湿った風が中へ入ります。入った湿りは藁に溜まって、氷の融け方を早くいたします。ですから雨の日は開けません。こういう日は帳面の日でございます。
わたくしは館の書き物机に帳面を広げて、五月の配りの割り付けを始めました。
帳面の頁は、縦に三つに割ってございます。左から、宴、館、村。
この三つの欄は、母の字の頃からございます。十七年前の頁も、二十年前の頁も、同じ割り方でございました。祖母の代のものは残っておりませんので、いつからかは分かりません。
宴の欄は、六月に一度だけ大きな数が入ります。四百箱。三日間で使い切ります。
館の欄は、六月から九月まで細かい数が並びます。ベルクマン家のお館の厨と、氷室のない離れの分。ひと月に三十箱ほど。魚と、乳と、夏に傷みやすいものを保たせるための氷でございます。
村の欄は、六月の半ばから九月の頭まででございます。ひと月に三十箱。麓の七つの村へ、十日に一度、順に回ります。
フェルデ。オーバーバッハ。クラム。ニーダーラント。ヴァイデ。ゾンネ。ハイム。
村の名を書きつけながら、去年の頁を横に置きました。去年はフェルデが少し多うございました。夏の初めに熱の出た家がいくつかあって、追加で八箱お渡ししております。
その八箱には、母の決めた印がついております。丸の中に点。追加でお出しした分、という意味でございます。丸の中に点は、二十年ぶんの頁を通して数えても、そう多くはございません。
去年の八箱の内訳も、そのまま書いてございました。パン焼きのグレタさんのところへ三箱、水車小屋へ二箱、街道沿いの宿へ三箱。
宿へ三箱というのは、うちの村の分ではございません。街道を通る旅の方が熱を出して、宿で寝込まれたのだそうでございます。宿の主人が坂を上がってきて、氷を分けてくれとお頼みになりました。
母でしたらどうなさるかと考えて、お渡しいたしました。帳面には丸に点をつけて、宿、と書きました。
書きながら、少し迷ったのを覚えております。街道の宿は村ではございません。村の欄に書いてよいものかどうか。
結局、書きました。氷が要る人がそこにいた、というだけのことでございますから。
わたくしは五月の頁に、七つの村の名を書き終えました。それから六月十五日のところに「フェルデ」と書いて、その横に三十と入れました。
筆を置いて、少し眺めました。
婚約は解消いたします。書面はお届けいたしました。
それでも、この欄は消しませんでした。
消す理由が見当たらないのでございます。氷室はこちらのものでございますし、氷は今年もございます。村へ配ることを、どなたかとお約束した覚えもございません。約束していないものは、破りようもございません。
昼過ぎに雨が上がって、ヨナスが濡れた上着のまま入ってまいりました。
「割り付けたか」
「いたしました」
ヨナスは机の脇に立って、帳面を覗き込みます。字は読めませんが、この人は欄の形だけで見当をつけてしまいます。三つの縦線と、その中の数の並び方でございます。
「村は、いつもどおりか」
「はい。ひと月三十箱で、六月の半ばからでございます」
「ふん」
それだけ言って、ヨナスは窓の方へ行きました。
「宴の分は」
「四百と書いてございます」
「出すのか」
わたくしは筆の先を見ました。
「出すつもりでおります。宴までは、これまでどおりと申し上げましたので」
「そうか」
ヨナスは窓の外を見たまま、掌で首の後ろを揉んでおります。
「奥様も、そう書いとった」
「母が、でございますか」
「あの人が村の欄を作んなすった年に、旦那様が、そんなものは要らんと言うたんだ」
父のことでございます。父は五年前に亡くなりました。
「奥様はな、要らんと言われたその日に、帳面をこう割ったんだ。三本線を引いて、真ん中を館、右を村。それで、旦那様に見せた」
「父は、何と」
「何も言わんかった。数が合っとったからな」
ヨナスは振り返って、机の上の帳面を顎で指しました。
「数が合っとると、人は文句を言えん。奥様はそれを知っとった」
わたくしは帳面の三本線を見ました。定規を当てて引いた線でございます。母の頁も、わたくしの頁も、同じ幅でございます。
「ヨナス」
「なんだ」
「母は、村の欄を何のためにお作りになったのでしょう」
ヨナスは少し黙りました。それから、上着の裾を絞りながら申しました。
「わしは字が読めん。あの人が何を考えとったかは知らん」
いつもの答えでございます。
けれどこの日は、そのあとに続きがございました。
「ただ、あの人はな。夏に村へ下りるのが好きだった。氷を持って下りると、みんな家から出てくるからな」
夕刻、雨上がりの坂を下りて、氷室の扉を確かめにまいりました。
閂に触れて、掛かっているのを確かめます。母がやっていたので、わたくしもそういたします。触れて確かめないと、閉めたつもりで閉まっていない夜がございます。
扉の板に、古い刻みがございました。数を数えるときの印でございましょう。五本ずつ束にして、横棒で括ってございます。誰が刻んだのかは分かりません。指でなぞると、ざらりといたします。
その刻みの一番端に、束にならない一本が残っております。
六月十日まで、あと五十三日。
六月十五日まで、あと五十八日。
宴の日より、フェルデ村へ下りる日の方が、五日だけ後でございます。
わたくしはそのことを頭の中でもう一度なぞってから、坂を上がりました。
帳面の欄を三つに分けたのは、エルナの母でございます。宴と館は、そのずっと前からございました。村の欄だけが、あとから足されております。
足した人はもうおりませんが、欄は毎年埋まっております。
次の話で、ベルクマン家がたいへん良い解決策を思いつきます。王都から取り寄せればいい、と。エルナは止めません。止めない理由は、地図をご覧になれば分かります。




