第3話 今年の切り出しは、千二百箱でございます
四月十五日。ベルクマン家から使いが三人まいりました。
家令のクルトさんと、若い従僕がふたり。従僕の方は空の荷車を引いております。
「奥様のご命令でございます。氷室の鍵をお預かりして、氷の管理はこちらで引き取るようにと」
クルトさんは、言いにくそうにそう仰いました。この方はわたくしが子供の頃からベルクマン家にいらっしゃる方で、こういうお役目に向いておりません。
「宴の氷は、これまでどおりお届けいたします」
「そう申し上げたのですが。婚約が解消になるのであれば、リンデの家に置いておくのは筋が通らない、と」
筋、でございますか。
わたくしは氷室の前に立ったまま、少し考えました。
この場でお断りするのは易しゅうございます。けれど、断る理由をここで申し上げなければ、同じ使いがまた来ます。三日後か、五日後か。そのたびにヨナスが仕事の手を止めて、坂の下まで人を迎えに下りることになります。
それに、この方たちは荷車を引いていらしています。
——数を、ご存じないのだ。
「クルトさん。その荷車には、何箱お積みになるおつもりでしたか」
「は。……いえ、そこまでは」
「一箱が、一辺一尺半でございます。藁と鋸屑を巻きますので、ふた回り大きくなります。その荷車で三箱、無理をして四箱でございましょうか」
クルトさんが荷車を振り返りました。従僕のおふたりも振り返りました。
わたくしは氷室の扉を開けて、脇の棚から帳面を取りました。それから扉の前の石段に腰を下ろして、頁を繰ります。石が冷えていて、裾ごしに冷たさが上がってまいりました。
「よろしければ、数を申し上げます。荷車をお戻しになるかどうか、それからお決めくださいませ」
「……はい」
わたくしは、読み上げました。
「今年の切り出しは、千二百箱でございます」
一月の九日から二十二日まで。ヴィント湖の氷が一番厚くなる二週間。人手は十四人。鋸で切り目を入れ、鉤で引き上げ、橇で山まで運びます。
「氷室に入れた氷は、月におよそ一割ずつ融けます」
二月の末で千八十。三月の末で九百七十二。そして四月の十五日で、今日、八百五十九。
「六月十日には、七百箱ほどが残ります」
宴は三日でございます。
「宴にお使いになるのが、四百箱でございます」
残りが三百箱。そのうち百二十箱が伯爵家のお館の分、九十箱が麓の七つの村の分、七十箱が夏の終わりまでの予備。差引きで二十箱が余ります。
「奥様は、六百箱と仰せでございました。六百お使いになりますと、館の分と村の分が出せません」
クルトさんは、じっと聞いていらっしゃいました。従僕のおふたりは、途中から荷車の柄を下ろして立っております。
「そんなに、融けるものなのですか」
「融けます。氷室は氷を作る場所ではございませんので」
わたくしは帳面を閉じました。
「保つ場所でございます。減り方を勘定に入れて、冬に多めに切っておくよりほかにございません。今年の千二百も、宴の四百から逆に数えて決めた数でございます」
「逆に、数える」
「はい。六月に四百要りますので、五か月ぶん融ける分を足して、千二百でございます」
クルトさんは、口の中で数をなぞっていらっしゃるようでした。
わたくしは石段から立ち上がって、扉に手を掛けました。閂の冷たさが指に来ます。
「それから、もうひとつ申し上げます。この七百箱は、リンデ家の氷でございます」
クルトさんが、目をお上げになりました。
「氷室も、鍵も、この帳面も、母がわたくしに残したものでございます。婚約が調いましたときにも、お渡ししてはおりません。書きつけは館の櫃にございますので、必要でしたらお持ちいたします」
「……書きつけ、と申されますと」
「母の遺言状でございます。裏書きもございます」
クルトさんは、しばらく黙っていらっしゃいました。それから、深く頭を下げられました。
「本日は、このまま戻ります」
「お手数をおかけいたしました」
「いえ。……お嬢様」
荷車の柄を持ち上げながら、この方は少しだけ振り返られました。
「その、千二百というのは。毎年、同じでございますか」
「いいえ。湖の厚みで変わります。去年は千百四十でございました」
「毎年、数えておいでで」
「はい」
クルトさんは、それきり何も仰らずに帰っていかれました。坂の途中で一度、荷車を止めて、若い従僕に何か話していらっしゃるのが見えました。
三人の姿が坂の下に消えてから、氷室の脇でヨナスが煙草を揉み消しました。ずっとそこにいたようでございます。
「読み上げたな」
「はい」
「千二百と言うたか」
「はい」
ヨナスは何か言いかけて、やめました。それから掌を柱に当てて、いつもの顔に戻ります。
わたくしは帳面を開き直して、一月の頁を見ました。
切り出しの日ごとの数が、十四日ぶん並んでおります。足すと、千二百一。
最後の日に、一箱だけ多いのでございます。
毎年でございます。母の字の頃からずっと、切り出しの合計は端数が一つ多くて、翌日の頁で「千二百」に丸められております。丸めているのは、わたくしの字でございます。
母がそうしていたので、わたくしもそうしております。理由は、伺ったことがございません。
その晩、館の櫃を開けて、母の遺言状を確かめました。
油紙にくるんで、麻紐で二重に縛ってございます。紐を解かずに、そのまま櫃へ戻しました。
まだ、お見せする時ではございません。あの方々が筋が通らないと仰るあいだは、こちらも紙を出さずにおきます。紙を出すのは、あちらが本気で紙を探し始めてからで間に合います。
櫃の蓋を閉めて、鍵をかけました。
それから、もう一度だけ一月の頁を開いて、十四日ぶんの数を足し直しました。
やはり、千二百一でございます。
月に一割融ける、という数字は、実際の氷室の記録から取っております。千二百箱が六月十日に七百箱まで減るのは、意地悪でも作為でもなく、ただの算数でございます。
エルナが強いのは、この算数を三年前から知っていたからでございます。強いというより、単に、先に数えていただけでございます。
次の話は、帳面の中身をご覧いただきます。欄は三つ。宴、館、村。——このうち一つだけ、読者の皆さまだけが先に意味に気づく欄がございます。
ブックマークと評価は、氷室の藁の入れ替え代に充てさせていただきます。




