初夏の迷路-1
********************
蝉が、命の終わりを知ってか知らずか、声を限りに泣いている。
夜子は次の授業で使用するプールの用意が入ったキャラクターもののビニルバッグを教室の後ろに設置されたロッカーから取り出し、独り渡り廊下を歩きながらその音に耳を澄ましていた。
同じクラスの女子たちが背後からやってきて、蝉の狂騒など消すくらいのボリュームでけたたましく笑いながら横を通り過ぎていく。
夜子のことはいないかのように横並びに広がり、オマケ、とでも言うように彼女の肩口へバッグをぶつけていった。
よろめいたものの痛みや衝撃を口に出さないのはそういうことに慣れた証拠だ。
これはイジメなんかじゃないから。
夜子は心の中で言い聞かせるように呟いた。
テレビや新聞で報道されてるのとは、違う部類。
あんなに酷くない、と自分で自分を納得させないと、自分自身の価値が今よりもっとなくなってしまいそうで、それを心底恐れていたのだった。
蝉になりたい。
と夜子は思う。
勝っても負けても短い命。
皆必死だから、失敗したところで嘲笑うものも居ないだろう。
はあ、と一つため息をついて夜子は歩き出した。
「皆着替えたー?まずは座ってねー、点呼はじめまーす!!」
プールの周りをぐるりと取り囲む比較的新しいタイル張りの床に集められた2クラス分の生徒たちは、これから始まるプール開きに胸の高鳴りを抑えきれずに頬を上気させながら集合し始める。
「松田ー」「はーい」「美野和ー」「はーい」
返事があるたびに、教師はその声の主を横目で確認しながらボードへチェックを入れていた。
「え…」
そこで、リズムが崩れる。
夜子は不穏な空気に顔をあげた。
周囲のクラスメイト達が呼応するようにクスクス笑ったり、ヒソヒソ話をするのが聞こえて、首をかしげてその中心人物であろう同じクラスの女子、美野和 晴を探した。
「あっ……」
夜子は学校で滅多に発することのない声をあげた。
「み、美野和さんっ………!!!!!!なんて格好してるの!!!!!!!」
普段からややヒステリックな傾向にある教師が悲鳴に近い叫びでもって晴の前に突進し、二の腕を掴んで立ち上がらせた。
細い四肢が力づくで引っ張られているためにぐんにゃりと曲がりながらその姿は全員の目の前へ曝け出される。
「あれってー。」「やだぁ、うそー」「マジで…?」
きゃあきゃあと女子特有の、残酷な嘲笑が全体を包み、男子たちは気まずそうに目を逸らして無言を貫くのだった。
夜子は唖然としながら、晴の長く黒い前髪の隙間から覗く静かに冷たい表情をみつめるばかりである。
「あなた、もう、5年なんですよ!?こんな…」
震えて二の句が告げられない担任に代わり、合同授業の相方である隣のクラスの男性教諭が速やかにバスタオルを持って走ってきて、黙りながら晴の体に巻きつける。
「でもこれ、ちゃんと学校のなんです。」
晴が強く言った。
「ちゃんと、学校のなんです。」
「それがどうしたの!!!!!!!」
教師は髪の毛を逆立たせながら叫んだ。
「着替えてきなさい!!!!」
「――これしかないんです。」
「何言ってるの!!!!」
「お前なあ…去年までのはどうした。」
失神してしまいそうな担任へ助け舟を出すように、男性教諭は冷静に尋ねた。
「捨てました。」
二人の教師はその言葉にあんぐりと口を開けた。
「冗談でしょ?」
「美野和……」
美野和 晴は、だから、とでも言うようにタオルを腕に巻いて下ろした。
「これからこれで水泳します。」
「させるわけないでしょ!?あなた、女の子なのよ!?」
そう絶叫された途端、剥き出しの晴の上半身が一瞬で赤くなるのが解った。
「お、おいコラ!!」
そして、そのまま全力疾走で走り去る。
裸足なのに構わず、海水パンツだけで―――晴は授業を放棄したのだった。




